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侯爵家次男は転生の夢をみる  作者: 半蔀
学院、初年度の騒乱
23/85

老師の課題

 ルドゥロフ師の研究室に各々別々に訪れた私とアニヤであったが,質問したいことは実は同じであった。

 先程の授業で老師が話した亜流の伝承での召喚法のことである。彼が語ったのは元の伝承が失われている上で,派生した伝承から召喚を行えるかという話だった。私やアニヤが気になったのは,源流の伝承が残っている存在について,亜流の伝承のみから源流と同様な召喚を発動出来ないかという疑問だった。

 我々の素朴な疑問に,ルドゥロフ老師は朗らかに笑った。

「ははは,良い質問です。それでしたら確かめて御覧なされ。丁度良いことですし,お二人共同での課題と致しましょう」

「ゔぁ!?」

 アニヤがまたしても奇妙な声を挙げる。思ってもみなかったことを言われて硬直してしまったようである。

 私はこの隙に話を進めることにした。

「私は構いません。しかし,我々はまだ陣の起動のやり方さえ知りません。この際ですから教えて貰えますか」

「もちろんですとも。お二人には特別に先んじて授業致しましよう」

 未だ固まったままであるアニヤを置いてきぼりにして,老師による召喚術の教授が始まった。


「大事なことは,召喚陣に刻む文言には呼び出したい存在を喚起させる言葉を入れることです。ここで喚起とは我々の記憶に根ざすものです。広く流布している伝承ほど,存在を喚起する力が強いのです。ですから,デタラメを書いても陣は起動しません。しかし,どのような文言が呼び出したい存在を喚起するのかは,実ははっきりしていません。したがって,同じ存在を異なる陣で召喚できる可能性もあるわけです」

 ルドゥロフ師は書棚から一冊の本を取り出した。色々な陣が書かれた本である。彼はパラパラとページをめくると,ある1ページで手を止めた,

「これはハリーダンプキンという聖獣の召喚陣です。この聖獣の伝承はご存知ですかな」

「知ってます! 姿の無い森の守り手で,森を荒らす人間をたちまち消し去ってしまうんです!」

 先程まで硬直していたアニヤ女史であったが,召喚術の教授が始めるや否や復活し,目を輝かせて生き生きとしている。自らの手で召喚が出来ると聞いて,嬉しくて仕方がない様子だった。

 そんな彼女を老師は微笑ましそうに見ていた。

「ははは,それは子供に読み聞かせる寓話として,後世に作られたお話ですね。元となった伝承はこうです。かつて大陸に統一国家が建国される以前の,多くの勢力が群雄割拠していた戦の絶えない荒んだ時代のお話です。当時賢者と言われていたサナルカンは,理想的な国家のあり方を説きながら諸国を放浪していました。各地にお弟子さんも随分居て,高弟の何人かは各国の重要な役職に就いていました。サナルカン自身は根無し草とはいえ,彼の一派は当時の国々にとって無視できない影響力を持っていたのです。ある時,今のサルガーナ一帯を支配していたエン国の王は,彼の力を恐れて,彼を亡き者にしようと兵隊を差し向けます。軍隊に追われたサナルカンと彼の仲間たちは,サルガーナの北方にあるクムテの森にやむなく逃げこみます。当時,クムテの森は魔の森と呼ばれて地元の人々から恐れられていました。恐ろしい魔物が住むと言うのです。エン国の兵も王命ですから,やむなくその魔の森に踏み込みました。多勢に無勢でサナルカン一行は見つかってしまい,追い詰められたサナルカン達は死を覚悟します。しかし,その時,サナルカンたちの眼の前が急にかすみ,美しい聞いたこともない獣の鳴き声がしました。かと思うと,自分たちを追い詰めていたエン国の兵士たちがにわかに騒ぎ始めたのです。曰く,奴等はどこへ消えた,と。兵士たちは急にサナルカン達の姿が見えなくなったのです。サナルカン一行は,兵士達の眼前に堂々と姿を晒しながらその場をやり過ごし,隣国に逃げ延びたと言います。後に弟子の一人がサナルカンにその時の出来事を尋ねると,彼は,それはハリーダンプキンという名の聖獣で心真っ直ぐな者を助けると言われている,と答えたそうです」

「わあ,そんな話でしたかあ。でも,どこかで聞いたことがあります」

 アニヤが関心したように言う。私も昔その話は何かの本で読んだ覚えがあった。結構有名な話なのだろう。

「歌の題材にも良く使われますからご存知かと思います。さて,この伝承から作られた召喚陣を起動してみましょう。まずは,私がやってみせますから,後で真似てみて下さい」

 そう言うと老師は召喚陣に手を置いて朗々と陣に刻まれた文言を読み上げた。


  ハリーダンプキン,形を知らず

  (ただ),林間に声を聞くあるのみ

  聞く(なら)く,蹤跡(しょうせき)(かすみ)の如く,其の四肢は雲の如し,

  姿見し者は雲霞(うんか)となる()し,と


 詠唱が始まると召喚陣が光を放った。その光は柔らかな藤色をしていた。思わず惹き込まれたその光の透明感は,うっとりするほどに神秘的で美しかった。詠唱が終わると,一瞬煙のようなものが眼前を()ぎった。

 老師の姿はこつ然と消え失せていた。

「わ,わ,消えました! 先生,消えまし……あれ?」

 アニヤが歓声を挙げるが,すぐに怪訝そうな顔になる。消えたと思った一瞬の後に,すぐにぼんやりと輪郭が戻り,ほとんど間もない時間で,ルドゥロフの姿は元に戻ってしまったのだ。

「驚きましたかね? これではサナルカンのように,エン国兵士諸君からは逃れられませんね」

 そう言って老師は楽しそうに笑うのであった。


 召喚陣の発動にはやや特殊な魔力の使い方が必要なため,ある程度訓練が必要だった。私とアニヤはお互いに手順や魔力の流れなどを確認しながら術の訓練をした。アニヤは大変恐縮していた。しかし私は多少強引に彼女を訓練に付き合わせた。その甲斐もあってか,若干は彼女の気後れも緩和されたように思える。

 一時間もしないうちに,私もアニヤも無事に陣を起動することが出来た。発動の効果は先ほど老師が実演してくれたのと同様なものだった。

 老師によると,召喚陣の効果は非常に限定的なものが多く,実用的なものは数少ないのだという。それゆえ,実用を重んじる昨今の魔法学では,マイナーな研究分野となってしまったのだとか。

 古代ルシーカで盛んに研究されたのはその深遠さゆえであり,召喚術の持つ神秘性は魔法の真髄に至るための可能性を多く蔵していると信じられためだという。今もその神秘性を信じるものは数は少ないが存在する。その一人が老師ルドゥロフという訳だ。

「さて,お二人とも召喚陣の起動についてはコツを掴んで頂けたようです。他の召喚陣を起動するのにも苦労されることはないでしょう。これで晴れてお二人も召喚術士です」

 老師はそう言って朗らかに笑った。そんなに簡単に名乗れるようになってしまってよいのか。たしかに,召喚術を行使できる人間を召喚術士というのであれば,名乗って良いのかもしれないが,召喚術の真髄は術の行使ではないだろうに。

「さて,召喚の練習に熱心でお忘れかもしれませんが,お二人にお伝えした課題は覚えておいでですかな」

 老師は楽しそうに言った。それは明らかに,初めての召喚が上手く出来たので興奮して我を忘れているアニヤ女史に向けて言っているようだ。ハリーダンプキンの召喚だけに飽き足らず,他の召喚陣も老師から教えて貰って,次々に召喚を試している。この調子だと,召喚陣の載った本をひっくり返して片っ端から召喚を試しそうな勢いである。

「なるほど,これは巨人の歌なんですね。すごいこんな陣になるんですか! ……こっちの陣は何でしょう……わあ,読めません!」

 たいへん熱中している様子だ。その集中力には感服するが,今はちょっとクールダウンしてほしい。一度ハマると猪突猛進で突き詰めていくタイプのようだ。

 私は興奮しきりの彼女の肩を叩いて意識を引き戻した。

「アニヤ君,アニヤ君」

「なんですか今いいところ……へ?」

「もう練習の時間はおしまいのようです」

「……ゔぁ」

 アニヤ女史は,ニコニコと楽しそうなルドゥロフ老師と苦笑を浮かべる私の顔とを存分に行ったり来たりした後,ようやく状況に気づいて奇声をあげた。

 その後,彼女が長文の謝罪を怒涛の如く述べたのは言うまでもない。しまいには,床に平伏し出しそうな勢いだったので,それを私が何とか押し留めるという一悶着まであった。その間,老師は相変わらずの穏やかな表情で,やはり楽しそうに我々のやり取りを見守っていたのだった。


 学院には比較的一般的な書物を集めた大図書室の他に,雑多な資料を集めた資料室がいくつか存在する。大図書室は学生たちがよく利用しており人気(ひとけ)も多い所だが,そういった資料室には生徒たちはめったに足を運ばないので閑散としたものである。

 老師の部屋を訪ねた翌日。老師から課せられた宿題をこなすために,アニヤ女史を連れ出して伝説や伝承に関する資料室へと足を運んだ。

 アニヤはやはり遠慮するようだったが,強引に彼女を連れ出した。そうでもしないと,いつまで経っても恐縮したまま固まって動かないのだ。そんな調子なので彼女と上手くやれるのか心配だが,何はともあれ課題はこなさなければならない。ちなみに,その心配は向こうも同じらしく,何やらどんよりとした顔をしながら卑屈な言葉を先ほどから垂れ流している。

「こんなワタクシと言葉を交わして頂けるだけでも有り難いというのに,あまつさえ課題を手伝っていただけるとは恐悦至極に存じる次第でして,なんと言いますか大変申し訳なく恐れ多く……いやもちろん嫌という訳ではなくて光栄なことだとは思うのですがやはり私の心が持ちませんと言いますかこんな私がルシア様のお役に立てるとも思えずご一緒させて頂いてひたすらに申し訳なく……」

 良くそれだけ自分を卑下する言葉がすらすらと出るものだ。切りがないので止めることにした。

「おやめなさい。何度も言いますが私と貴女は同じ学院で学ぶ仲間なのです。そこに身分差など関係ありません。ですから気にせず声を掛けて下さって結構と言ったではありませんか」

「……おっしゃることは理解するのですが,あの,やはり,こう,なんというか……無理ですう」

 終いには泣き言まで言う有様である。前途多難である。

「貴女は気にしすぎなのですよ。私は侯爵家の次男坊です。侯爵位を継ぐ訳ではないのですから,もっと気軽に接してくださいよ」

「そうはおっしゃいますけどお」

 私と比べてさえ背の小さい彼女は,その情けない顔で私を見上げてくる。なんだか,これでは私がいじめているみたいではないか。周りに人気がないから良いものを,他人が見たら誤解を生みそうである。大貴族の次男坊が,権威を傘に着て平民を虐げている,などと噂を立てられたら堪らない。

 私はため息をついた。ひとまず諦めることにした。

「まあ,いいです。どっちみち課題は一緒にやらねばなりません。観念なさい」

「うう」

 アニヤはやはり情けない顔をしながら不安そうな声をあげた。老師の課した課題は,彼女にとっては中々ハードルの高いものとなりそうである。とはいえ,あれほど召喚術に熱心な彼女のことだ,一旦取り組み始めたら,身分差など気にもとめず調査にのめり込んでしまうだろう。彼女の遠慮も時間が解決するだろう。課題に取り組んでいるうちに気がついたら私のことなど忘れ去っていそうだ。

 だから,この彼女との収まりの悪い今の関係は,それほど問題ではない。それよりも,当面の私が気をつけなければならないことは,彼女が調査に没頭しずきないよう見張ることだろう。一度集中すると,文字通り寝食を忘れそうなアニヤ女史である。放っておいたら資料室でご臨終など笑えない。

 足取りの重いアニヤを引き連れながら,私たちは資料探しを始めるのだった。

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