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侯爵家次男は転生の夢をみる  作者: 半蔀
ルネス邸、ある夏の出来事
18/85

宿命

 夏の盛りが過ぎたためもあろう,朝夕は大分涼しく感じられるようになった。秋の収穫もほど近い。ブラドスキーの田園が秋色に染まるのも,もう間近だろう。

 大叔母様は丸二日して意識を取り戻した。しかし完全に戻ったわけではなく,目覚めてからも意識のはっきりしないことが多かった。

 私は何度か大叔母様を見舞った。彼女は息をするにも苦しそうで,とてもベッドから起き上がれそうにもない状態だった。体力もほとんど無いだろう。食事が喉を通らない様子だった。

 医師の診断によると老衰だという。一月も持たないだろうとのことである。我々は為す術もなく来るべき時を待つしかなかった。



 よく晴れて空が澄み渡った日のことだった。私は大叔母様に呼ばれた。どんな用かは告げられていない。一体何だろうと思いながら,とにかく部屋へと向かった。

「お加減はいかがですか」

「ええ。今日は大分ましな日です」

 大叔母様はベッドから半身を起して待っていた。いつもよりかは血色がよい。大叔母様は私に傍へ寄るように言った。ベッドの横には看病人のための椅子が一つ置かれていた。大叔母様は,そこにお掛けなさい,と言って私に着席を促した。どうも長い話になるらしい。私は素直に座って彼女の言葉を待った。

「ルシア。貴方はマリウスたちの助けを大変よくしてくれていると聞いています。とくにロゼッタやアンは特別な子たちですから,受け入れてくれる貴方の存在は大変助けになっているでしょう」

「そんなことは。私はただ家族仲良く居たいだけです」

「そうです,それがあの子らにとって確かな支えなのです。だから今後も傍に居てあげなさい」

 そう断言されると何も言えない。私は黙ってうなずく。大叔母様は話を続けた。

「姉妹だけではありません。マリウスにとってもあなたは良い支えとなるでしょう。たしかに,あの子は次期当主として立派な紳士に成長してくださいました。わたしくしも誇らしい限りです。ですが,当主という在り方に囚われて偏狭な所もあります。これは,わたしくの不徳のなすところ。わたくしの力ではそのようにしか育てて差し上げられませんでした。しかし,ルシア,貴方はわたくしの教育を受け流していたようですから,マリウスとは別な様に成長されたようですね」

 私は苦笑する他なかった。実際,婆様の説教を真面目に聞いた覚えがない。

「今思い起こしても腹立たしい限りですが,良いことに致しましょう。貴方のその自然体なあり方は,マリウスにも,ましてや,わたくしにも出来ないことです。いつしかマリウスが当主となられた暁には,きっと助けになるでしょう。だから傍で支えておあげなさい。わたくしには出来ないことです」

「自然体ですか。それは本当に兄様の支えとなるのでしょうか」

「必ずやなります。当主という重責に置かれて一時自分を見失わない者など居ないのです。必ずどこかで悩み苦しむ。わたしくは先代今代と教育係としてお仕えして若年の彼らの苦悩を見ました。しかし,わたくしは迷いの中にある彼らを正しく導くことは,(つい)ぞ出来はしませんでした。なぜなら彼らが欲していたのは正気を取り戻せる居場所だったからです。当主という役割から外れて本来の自分に立ち戻れる瞬間なのです。わたくしにそのような力はありませんでした。それはきっとわたくしが当主の教育係だからでしょう。わたくしでは駄目なのです。いつも変わらぬ貴方でなければ」

 なんだか話が大きくなってきたような気もする。私に当主の補佐役となれということだろうか。もちろん,兄上の手伝いをするのはやぶさかではない。婆様の言葉も,そう言われると確かにそうかもしれない,と思う所もある。私のこうした好い加減なところは兄上の気晴らしにはなるかもしれない。

「私に務まるでしょうか」

「ええ,もちろんです。ですが,不安というならば,ジーンを頼りなさい。あの子も貴方に似たところがありますから。もちろん,ジーンの方がずっと素直ですがね」

 私は再び苦笑した。私のこのひねくれた性格は見抜かれていたようだ。まあ,兄上もジーンの方が癒されるだろう。

 私を部屋に招いた用事は済んだのだろうか。これまでの話は教育係としての訓示と言ったところだろう。おそらくもう話す機会もないだろうから,こうして私を呼んだのだろう。だから話が済んだ今,私は用事は終わったものと思って席を立とうとしていたが,婆様から私を帰そうという気配が感じられない。しばらく待つも帰す気配は生じない。仕方なく浮いていた腰を椅子に落ち着けて,婆様の様子を伺った。彼女は目をつぶって何か思案しているようである。一体,これ以上なにか話すようなことがあるのだろうか。

 すると,大叔母様は閉じていた目を開いて真剣な表情で私をじっと見つめた。そして,先ほどまでの穏やかさは消え失せて,しゃんと背筋を伸ばし,冷徹な威厳を持って婆様は私に対した。私は自然居住まいを正した。

「貴方には伝えねばならないことがあります。先ほどまでの話は家庭教師としての務め。これからはブラドスキー一族の秘密を知る者としてお話いたします」

「秘密,ですか」

「ええ。心してお聞きなさい,貴方の宿命に関わる話です」

 宿命とはまた大層な話だが,婆様が冗談を言っているようには見えない。私はなるべく表情を引き締めて頷いた。

「化粧棚の引き出しを開けてごらんなさい。中に小さな箱があるでしょう。鉄の札が入っております,持ってきてくれますか」

 私は席を立って化粧棚に向かった。一番大きな引き出しを開けてごそごそ探すと,小振りな木箱が見つかった。中には手のひらに収まるぐらいの一枚の鉄のプレートがあった。何やら文字が彫ってある。私はそれを大叔母様の所へ持って行って見せた。

「文字が彫ってあるでしょう,読んでご覧なさい」

 私はプレートの文字をじっくり観察した。なんとなく読みにくい気がしたが,一度意味が取れてしまえば難なく読めた。

「ダ王の三月,白公,ナイダルに(こう)ず。……これが一体どうしたのです?」

 何か古い出来事の記録のようだが,何の変哲も無い文章だ。これが何だというのだろう。

 しかし,大叔母様は,細く息を吐いて何やら嘆息している。感慨にふけるかのように目を瞑って首を横に振っていた。

「やはり……やはり,読めてしまうのですね,ルシア」

「どういうことです。こんな文章,誰でも読めるでしょう」

「読めません,今の世の人では。そこに書いてある文字はこの大陸で使われているいずれの文字とも違います」

「なんですって」

 それは,つまり,この文字は。このプレートに書いてある文字は。

「遠い昔に失われた文字。誰にも読めぬはずの(いにしえ)の文章。しかし,これを読める者が,どうしたことか,ブラドスキー一族の中に時々現れるのです。その者たちは”獣憑き”と一族の者から呼ばれ,一人残らず数奇な運命を辿っています。これからお話するのは,その”獣憑き”のことについてです」

  ダ王の三月,白公,ナイダルに薨ず

 その文は,間違いなく,かつて私が慣れ親しんだ日本語で綴られた文章であった。


 ブラドスキーの一族には,時々,見ず知らずの他人の意識を実体験のように夢見る者が現れるという。見たこともない景色を夢で見,聞いたこともない話を夢で聞く。それが単なる夢であれば誰も取り合わない。しかし,彼らは夢で知った事によって現実で次々と新たな発見をしてきた。隠された文書,失われた大詩人の一編やかつての賢者が残した理論体系,秘匿されたままの遺跡群。それらは夢で見たとおりの場所に有ったという。しかも,彼ら獣憑きは皆,ブラドスキーに昔から伝わる鉄のプレートの文字が読めた。彼らはただの妄想狂ではない。ブラドスキーの者たちは彼らを”獣憑き”と呼んだ。そう呼ぶのは彼ら獣憑きが見る夢のせいだけではない。獣憑きの人間たちは,文字通り何かに取り憑かれたかのように,ある一つの欲求に囚われるからである。それは異常なまでの探求欲であった。それも目的が明確でない探求だった。彼ら獣憑きは,何を探し求めれば良いのかも分からないまま,ある一つの何かを探さねばならないという観念に囚われるという。探さねばならない”それ”が何かも分からないまま,それを探すのだ,と言って家を出奔する。時々ふらりと新発見を持って帰ってくるが,すぐにまたふらりと探求の旅へ消えてしまう。そうして二度と帰っては来なくなる。大叔母様は子供へ昔話を聞かせるかのように語った。訊くと大叔母様の弟君も獣憑きだったという。彼は二十の時にプレートの文字を読んで,俺はナイダルを探さねばならない,と言って家を出た切り戻ってこなかったという。

 彼らが何を探し求めているのかは分からない。ただ,彼らが夢に見たという他人の意識も何かを探していたという。その夢に見たという人物は一体何を探していたというのだろう。そもそも獣憑きたちは一人の人物を夢の中で見たのだろうか。私は大叔母様に尋ねたが,彼女は分からない,と答えた。夢見る相手が同一人物だとしたら,かなりの広範囲を移動していたことになるという。少なくとも,この大陸を股にかけて活動した人物らしい。また,夢の舞台はどの獣憑きでも夢見たものは同時代であるという。獣憑きが発見した遺物からすると,今から数千年も前の時代ということになる。

「いずれの者たちも冒険に出て帰っては来ませんでした。わたくしの弟も。ルシア,貴方も何時かは,何かを探し求めて遠い所へ行ってしまうのではないかと,わたくしは危惧しております。ですから,お願いです。出来るだけ皆のそばに居てあげてください。彼らには貴方の存在が必要なのです」

「もちろん,そのつもりです」

 当然,彼らを放って一人旅に出るということは今の私には考えられない。そもそも私はそんな夢を見たことはない。獣憑きたちが見る他人の夢とやらは覚えがない。確かにプレートの文字は読めた。しかし,それは私が前世で慣れ親しんだ日本語だったからだ。そう考えると私が獣憑きである可能性は低い。だから探求欲に囚われて突然出奔するなどということは無いはずだ。

「私は彼らの傍に居ます。今までの獣憑きはそうだったかもしれませんが,私は冒険など興味ありません。だからご安心ください」

「そうね……たしかに貴方は話に聞く獣憑きともわたくしの弟とも何処か違います。貴方ならきっと皆を見捨てることはしないでしょう……」

 大叔母様はそう言うが表情は悲しみに満ちていた。獣憑きの宿命。それは私にとっても例外でないというのだろうか。

 

 プレートは大叔母様から譲り受けた。私はそれをネックレスにして首からかけていつも服の下に忍ばせた。譲り受けたのはプレートのみではない。秋も深まりブラドスキーの田園が紅葉で美しく彩られた頃,大叔母様は静かに逝った。御年九十七歳という大往生だった。私に子どもたちと獣憑きの宿命とを託した一週間後のことであった。

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