08 岱陸にて
ハイリヒア王国はロースリア岱陸の西に位置し、広大な領土をもつ大国として君臨している。その王国の最南端に広大な穀倉地帯をもつアンスラーク公爵領があった。その領地を縦断するマルス街道を二十あまり騎馬が常歩で隊列を組んで進んでいる。みな、質のよい革鎧を着込んでおり、それぞれ鉄製の剣や槍、あるいは盾を身に帯びていた。その隊列の中央あたりに一際目立つ二つの騎馬があった。それぞれえりすぐった駿馬であることがみてとれ、馬上の人物もつくりのよい金属鎧の上に銀糸で見事な細工が施された外套を羽織っていた。一人は短く刈り込んだ金髪と日に焼けた顔に優しげな光をたたえた青い瞳をもつ長身の青年で、もう一人は白髪交じりのややくすんだ長い金髪をひとまとめにし、豊かな口ひげを生やしており、鍛え上げられた肉体を持つ壮年の男だった。
秋の収穫物をせっせと運ぶ農夫たちや商人たちは騎馬の列を見かけるとあわてて頭をさげて道をゆずってゆく。
「今年もよい秋になりましたね」
若い青年―――ベルツ公爵家の若き跡取りはうれしさをにじませた様子で、自らの父である男、ベルツ公爵その人に話しかけた。今年も天候に恵まれ、豊作となったのだ。
「収穫祭も大いに盛り上がるだろう。今年はおまえからもみなにねぎらいの言葉をかけることだな。ライナス」
公爵はおだやかな微笑をうかべ、言葉をかえした。
ライナスは少し迷って言葉を続けた。
「今年はチャガの民も来るのであれば獣狩りも盛り上がりそうですね。父上」
「耳ざといな。どこから聞いた?」
「シグから聞きました」
「あれはおまえに甘いすぎるな」
「私が無理に聞きだしたのです。責めないでやってください」
すると前方から一騎が歩をゆるませて、馬を寄せてきた。浅黒い肌と短くかりこんだ赤褐色の髪は彼がチャガ人であり、よく鍛えこまれた太い首が彼を古強者であることを言外に示していた。
「私の名が聞こえましたが、何かありましたでしょうか。ヴェンデル様」
本来であれば、従者などの目下のものが呼ばれもせずに話しかければ叱責されるものだが(相手が公爵という身分であればなおのこと)、公爵は特に気にした様子もなくいかめしい顔で告げた。
「息子にあまり甘やかすな。シグ。また余計な首をつっこみかねん」
「父上!」
「申し訳ございません。ちょうど私が狗鷲より文を受け取ったところを見られまして」
「問い詰められたか」
はい、と身を縮めた男をみて公爵はため息をつき、不満そうな顔をしている息子を視線を向けた。
「おまえが考えていることはわかっているぞ、此度の獣狩りに参加したいとでも言うのだろう」
「父上! 私はもう成人しております! 剣も弓も私にかなう者はシグを除けば騎士団の中にはおりません!」
「ならんぞ」
「ですが!」
「おまえは公爵家の嫡男なのだぞ!」
父の怒声に首をすくめるが、その瞳にうかんだ不満の色がありありと見て取れた。
「父上は私が獣ごときに遅れをとるとお思いですか」
「ヴァンデル様。ライナス様はチャガの狩人と比べても秀でた腕前を持っておられます。また男児なれば勲を立てたいと願うのは当然かと思われます」
従者からの援護のライナスは顔を輝かせたが、公爵はため息をついた。
「やはり、おまえは息子に甘い。下界が甘いところではないのはおまえがよく知っておろうに」
「はい、ですから勲をたてるのは獣狩りだけではないと申し上げます。弓合わせと親善試合であるならば危険も少ないかと」
ライナスはその言葉に顔をしかめた。
「シグ、私はもう子供ではない」
「は、申し訳ございません」
公爵は従者の言葉をうけ、しばしの時間黙考し、「ふむ」とうなずきいった。
「ライナス、力を示したければ親善試合にでるがいい。豊穣の神ラミルもよろこぼう」
弓合わせとは矢を当てることができる距離をきそう競技であり、親善試合とは剣の腕を競い合う催しである。
それでもしぶる青年にシグは穏やかな声で諭した。
「ライナス様、魔の霧、・・・下界は岱陸とちがい霧で視界がききません。つまり、不慮の事故を起こしやすいのです。ライナス様の眼であればめったなことは起きませんが万が一の可能性を考えればしかたのないことかと」
事故が起こるのではなく、起こしやすいといった言葉の意味がわからないライナスではない。つまり、暗殺をおこなうのに適した環境であるというのは少し考えればわかることだ。それを防ぐために護衛を引き連れていけば、個人の力を示すための獣狩りの趣旨からはずれ、逆に恥をさらすことになる。
そしてライナスの身分を考えれば、一人で下界に入ることはありえないのだ。
「公爵家を害するものがいると?」
「ライナス様。絶対にいないとは誰にもいえません」
「・・・わかりました」
不承不承という体でうなずくとライナスは馬を駆け足にして父と従者からはなれ前方の騎兵の一団に入っていった。そのようすをみて公爵は鼻を鳴らした。
「まったく、身体ばかり大きくなりおって」
「ライナス様は優れた素養をお持ちですから、力をもてあましているものと思われます」
「ふん、いかに才があっても使いどころを誤れば宝の持ち腐れよ」
言葉に反して公爵の顔には笑みが浮かんでいた。
「実際のところあれの力はどの程度だ」
「このまま、鍛錬を続ければ、最低でも狩猟頭に比肩するものかと」
「ほう」
チャガ山脈の民は、ハイリヒアから見れば未開の部族として見られているにもかかわらず、その中の狩人の棟梁と比べられたにも係らず公爵は益々笑みを深くした。
「最低でもか。それでも輝く瞳は得られなんだか」
「それは・・・」
「あるいはローグベルグの娘を意識しているのかもしれん」
「あの方は特別かと」
「それは、息子もわかってるだろうが、同じ公爵家の跡取りというのがいかん」
「・・・あの方は妃になられるのでは?」
その言葉をきいた公爵は難しい顔をしてうなった。
「さて、果たしてお眼鏡にかなうかどうか」
それは、どちらの意味なのかシグは疑問に思ったが口には出さなかった。
「どちらにせよ。もう少し先の話だ。今は収穫祭のことを考えるとしよう。シグ、チャガの狩人で有望な者は従者としてとりたてよ。おまえに判断は任せる」
「は、承りました。やはり、氏族長の血筋から?」
「致し方あるまい。そうでなければ納得せんものがおおい。チャガの山民を蛮族と侮るものが増えている。しかも血統派の影響が強くなっているせいもあるのか伯爵たちが渋りはじめた」
「陛下に反発しているのでしょうか」
「困ったものだ。陛下のそれとは違うというのにな。だがベルツの役目は変わらん。有望な者は異民族であっても取り入れよ。・・・おまえが来て二十余年あまりか。いままで三度あったがおまえほどの腕前のものはいなかったがどうなるかな。故郷のものたちと会うのは楽しみだろう?」
「どうでしょう。もうこちらの過ごした時間のほうが長くなりました」
そういってシグは街道に視線を向けた。
視線の先にはマルス街道が地平線まで続いている。街道には商人や農民のなかにまぎれて、剣や弓などを身につけたものも見られた。
マルス街道を南に下っていけば、最後には最南端の町マレバにたどり着く。そこで行われる収穫祭の獣狩りに参加するつもりなのだろう。毎年行われるこの行事で貴族の取り立てられることを夢見る若者や腕に覚えのある傭兵が集まってくるのだ。
彼らには今年はきびしいことになるだろう。
幼馴染が引き連れてくる少年たちは全員が優れた天眼をもっているのだから。