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06 梟

 狩人の神殿の中庭に人があふれていた。

 年のころは13から18ほどで、いまだ幼さを残すものもいれば大人のそれとかわらない精悍(せいかん)な顔つきの青年もいた。

 不安そうにあたりを見渡すもの、緊張に顔がこわばっているもの、自信に満ち溢れているもの、見える様相はさまざまだがみな旅装(りょそう)に身を包み弓や猟刀、手斧などの武具を身に帯びている。

 霧越えの儀を行うために最後の氏族が合流して二日後、旅立ちの朝をヨナたちは迎えていた。

 チャガの子供達の前に壮年の男たちが立っている。子供達をこの神殿まで先導してきた各氏族の狩猟頭(ゴスク)たちだ。その奥からひときわ立派な体格をした老人が進み出た。

 そのとき、そばに立っていたラビが小さくうめき声のようなものを漏らしたのをヨナの耳は捕らえた。

 老人は白くなった立派なあごひげをなでながら、鋭い光を宿す瞳で目の前にいる46人の少年たちの顔を見回した。


「これより、おまえたち魔の霧(キリシュナ)を越える旅に出ることになる。おまえたちとともに霧越えを行う狩猟頭(ゴスク)は、 ―――トナン! ロヌ! ラジク! カジカ!」


 並んでいた狩猟頭(ゴスク)の列から鋭い声で名を呼ばれた4人の男が進み出た。

 その中にはヨナの氏族の狩猟頭(ゴスク)も混じっていた。


「彼らがおまえたちを先導することになった。だが食料を確保するのも夜を越すことも自らの力で行うことだ。無論・・・、霧の魔物(ナグン)との戦いもじゃ」


 少年たちの間に緊張が走った。

 霧の魔物(ナグン)

 霧に酔って狂ってしまった獣たちの成れの果てといわれており、なぜか人間を憎むように襲い掛かってくる危険な存在だ。故郷の村でもときおり山裾(やますそ)に現れ、そのたびに大人たちが討伐にでている。犠牲が出ることもあった。

 ヨナは遠目に一度見たことがあったが、あれは良くない物だと一目見ただけで理解した。

 霧の無い場所にまではめったに上がってこないため、このチャガ山脈ならすぐに高地にある村に逃げるという選択肢があるが、これから行う霧越えの儀の途中で遭遇すれば、戦うことになる可能性が高い。

 少年たちの中には不安を落ち着けるために腰元に帯びた短剣や弓に手をやっているものがいた。


「覚悟の無い者は、ここが引き返す最後の機会じゃ」


 少年たちは沈黙で返した。

 老人はうなずくと


「よろしい。では行くが良い」


 そういって背を向けもとの位置に戻った。

 代わりにトナンと呼ばれた狩猟頭(ゴスク)が進み出ていった。もみ上げと鷲鼻(わしばな)が特徴的でダナンほどではなくとも背が高い男だ。


「霧越えを行うときは隊列を三つに分ける! 偵察する部隊、中央、そして後方を警戒する部隊だ! むろん先頭と後方の部隊は警戒のために目を使うこととなる。疲労した者は中央の集団と入れ替えを行う。中央の者は目をしっかり休めるように!」

「はい!」


 50人の狩人の集団は粛々とした歩みで神殿から出て行。

 老人はそれを見ながら、小さくつぶやく。


「おまえたちの行く末に、幸多からんことを」






 魔の霧(キリシュナ)の底ではただでさえ陽の届きにくい森をより一層暗くする。魔の霧(キリシュナ)の木々はみな巨大でその根も大地を覆うように張り巡らされており、それぞれの根と根が絡み合っているため常人であれば歩行すら困難な地形だ。それでも狩人の集団はよどみの無い足取りで獣道を踏破(とうは)していく。前方と後方の少し離れた場所から時折異常の無いことを知らせる指笛が短く響きわたる。

 前方と後方にそれぞれ1人、中央に2人いる狩猟頭(ゴスク)たちはほとんど言葉を発しない。ただ進む方向を指示し、ヨナたちに合わせて前後と中央の先導役を入れ替えるだけだ。

 魔の霧(キリシュナ)の中では、日が出ている間にに休憩をとることはほとんど無い。休息をとるのは日が暮れている間だけだ。暗くなれば、狩人の眼をもってしても移動することは困難だからだ。そのため、食事も干し肉や乾パンなどの携帯食をかじりながら歩き続けることになる。

 ヨナは、歩きながら獣道の端に見えた渦を巻くように新芽(しんめ)を生やした苞水草(モルカ)をすばやく摘んで口に含んだ。歯を使ってわずかに表面を傷つけると蓄えられた水が口の中にこぼれていく。

 残ったものもそばにいるラビやダナンに手渡す。

 受け取った苞水草(モルカ)を口に放り込みながらラビは言った。


「だいぶ走ったよな」

「もう正午はすぎたと思うが」


 ダナンはその巨体ににあわない、軽快なあしどりで進みながら言葉を返した。


「獣もほとんど見えない」

「これだけの大人数だ。さすがに気配を隠すことは無理だろう。すぐに逃げ散ってしまう」

「ヨナどうだ?」

「・・・とくに見当たらない」


 目を凝らしても見えてくるのは木立だけだ。

 他の少年たちも小さくささやきあっている。


「こんな集団に近づくのは霧の魔物(ナグン)ぐらいじゃないか」

「魔物でも近づかないだろ」

「あいつらは、人間なら何人いてもかまわず突っ込んでくるって聞いたぜ」

「実際に見たことあるのかよ」

「いや・・・」

「腹がへってきたな」

「歩きながらすませろよ」

「何日くらい歩くのかきいてるか」

「教えてくれねぇよ」

「霧は深くなる一方だぜ。大丈夫かな」


 結局、道中には何事も起こらなかった。

 陽が暮れかけたあたりで沢(細い川)の近くにある枝を大きく広げた樹の下で野営の準備を行うことにした。

 少年たちは木の実などの食料や食べられそうな根をとりにいくもの寝床を用意するもの水を汲みにいくものと自然といくつかの班に分かれて行動をとり始めた。狩猟頭(ゴスク)たちはなにも言わず離れた場所でだまっている。この程度のことは自分で判断しろということだろう。

 火を熾そうとする者はいない。

 魔の霧(キリシュナ)では夜に火を熾してはいけない。火を見つけた霧の魔物(ナグン)が寄ってくるためだ。やつらには火を使うのは人間だけだとわかっているのだ。

 霧狩人(キーシュ)が夜に火を使うのは最初から霧の魔物(ナグン)を討伐するためにおびき寄せるときだけだ。

 そのため、当然食事は味気ないものとなる。みんな口には出さないがうんざりした様子だった。

 ラビはため息をついていった。


「たまんねぇ。これがあと何日も続くんだぜ」


 ヨナとダナンも顔をしかめながらうなずく。

 食事をすんだあとは、一人の少年が良く通る声でひとつの提案した。

 まだ幼さはのこるものの大人と変わりない体格で少年たちの仲では年長といってもだろう。

 眉が太くやや面長な顔だが、十分男前で通るだろう。


「僕は、シュガ氏族のヨハンだ。何人かと相談したが、夜番(よばん)の人間を決めたい」


 ヨハンの後ろには先に相談したであろう人間が3人か立っている。

 その中にはマジナもいた。

 ヨナが眉をひそめているとうしろからささやき声が聞こえた。


「ヨハンはシュガ氏族長の息子だよ」

「マジナってやつはトルガの・・・」

「あの背の低いやつはヤヒムだろ。あいつはノルガ氏族長の次男だ」

「一番後ろのやつはヤガのグロムだ」


 どうやら、氏族長(マナク)筋の人間ばかりらしい。

 ヨナは隣のダナンをみていった。


「参加しなくていいのか」


 ダナンはフンと鼻を鳴らしていった。


「ヨハンは仕切りたがりだが作業は取り巻きにさせるやつだし、ヤヒムは才能があるらしいがまだ最年少で経験は一番浅い。マジナは実力があるが傲慢なところがある。グロムは優柔不断で追従しかしない。共通しているのは自尊心の高さだけだよ」


 ダナンの辛らつな評価にヨナは驚いた。


「よく知ってるな」

「聞かなくても勝手にしゃべるやつがいるからね。それに、実際に話してみると的を射ていたよ」


 そういって、ちらりと前にいるラビの頭をみた。

 聞こえていたのだろうラビは肩をすくめてみせた。


「誘われなかったのか」

「断った」


 歯牙(しが)にもかけない無い返答だ。


「どうせならダナンに仕切ってもらったほうがよかった」

「勘弁してくれ。その場合、この先は彼らといっしょに行動しなくてはならなくなるだろう」


 困難な道は、信用できる人間と一緒に乗り越えるべきだ。

 そういってダナンは話を終わらせた。

 ヨハンたちが提案した夜番(よばん)の順番には当然のようにかれらの名は上げられなかった。


「あなたたちの名前を聞いていないけど、なぜかきいてもいいか」


 ヨハンは眉を寄せて、ヤヒムはむっとした様子になり、グロムは顔を赤くした。三人ともつまらないことをきくなとう顔だった。唯一、マジナだけわずかにばつが悪い顔になった。


「きみは、――-たしかトルガのヨナだったね。いいかい、よその人間にはわからないかもしれないが、僕たちはチャガの民を導いてきた血筋なんだ。そんな人間が寝ずの番をおこなって、肝心なときに動けなくなるのはみんな困るだろう」


 わかるよね、と小さな子供を諭すような声だった。

 わからねぇよと内心でヨナは思った。寝ずの番を一度や二度行うぐらいで動けなくなる人間は霧狩人としては失格だし、これだけの人数がいるなら、せいぜい実際に起きている時間は2時間ほどですむ。そもそもこのたびの先導役には狩猟頭(ゴスク)たちがいるのだから、基本的にはかれらに着いていくだけだ。もし戦闘が起きても良く知りもしない相手の指示に従う人間がどれだけいるか疑問だ。血筋にしてもこれからチャガ人とっては見知らぬ土地に行くのに必要以上にこだわる意味はない。

 しかし、これらのことを指摘しても理解するとは思わなかったし、理解していて提案した可能性すらある。

 ヨナがだまっていたため、自らの言が相手を言い負かしたのだと勘違いしたのだろう。

 ヨハンは満足そうにうなずいていった。


「さあ、わかったらさっさと寝るとしよう。明日も早いんだから」


 そのまま自分の取り巻きに作らせた、野営するにしては立派な寝床にもどっていった。

 ヨナのかたをダナンとラビがねぎらうように叩いた。

 ヨナはダナンの言葉を思い出してつぶやいた。


「確かに、一緒にいたいとは思わないな」






 数時間後、夜番がヨナまで回ってきた。他の少年たちと相談し、寝入った集団から距離をとりつつ囲むようにして陣を作った。

 迷月(まよいづき)が近づく季節のためか、あたりの霧はさらに濃くなっており、夜行性の獣たちもこれならば容易には動けないだろう。

 聞こえてくるのは虫たちの羽音や位置を仲間に知らせるために小動物が発しているのであろう小さな鳴き声だけだ。

 しばらく、耳を澄ませてその音を聞いていたがふと首筋に違和感を感じた。

 びくりと、体を跳ね上げたヨナはあたりを見回した。


(――――()()()()()()


 ヨナは瞬間、意識を眼に集中させ限界まで視界を広げた。夜の闇もあたりに満ちている霧も無意味となる。ヨナの瞳には枝をかける小動物や木々の先で樹液をもとめて飛ぶ羽虫、頭上を覆う枝葉の間から夜空の星たちと美しい半月がみえた。

 そのとき一瞬星の光が翳った。


(上か!)


 ヨナは周囲でもっとも大きな樹をにすばやく近づくと一気に駆け上がった。脚に力をこめ太い枝から枝へ跳躍する。飛ぶような速さであるにもかかわらず、わずかに枝がたわむだけで周囲にはほとんど音は響かない。

 十数メルトの高さをあっさりと登りきり、葉の茂った頂上から身を乗り出した。

 すばやく視線をめぐらせたが何も見つからない。

 丸く盛り上がった森が広がっているばかりである。

 葉を揺らすつめたい風がほほをなでていく。


(気のせいだったか?)


 だがその瞬間、先ほどとは比べ物にならない、まるで背に氷の刃をつきこまれたような感覚を得た。

 ゆっくりと、確かめるように振り返った。

 そして月を見た。

 そう今夜は月が出でていた。美しい半月のはずだった。だが目の前に浮かんでいるのはふたつの巨大な満月だ。満月はゆらゆらと互いの距離を保ちながら揺れている。そしておかしなことに満月の中心には黒い穴がありその大きさを変化させていた。


(―――ちがうぞ。これは・・・月じゃない。)


 それは生き物の瞳だった。そしてヨナはその姿を見たことがあった。チャガ山脈北端の神殿、神を象った像。老人の腕に乗った鳥。


(―――(ラウル)だ。)


 しかし、大きさはヨナが知っているものと異なっていた。身の丈はダナンを遥に超えており、くちばしは人を丸呑みにできそうなほどの大きさだ。巨大な瞳から薄い光を放っており、対照的に中心にある瞳孔は底なしの井戸を思わせるような暗さをたたえている。

 その瞳がヨナをじっと見つめている。

 凍りついたように身体が動かなかった。

 それでも意志の力を総動員して、腰に凪いだ火の力を宿す猟刀に手を伸ばした。巨大な(ラウル)との距離はわずか数メルトしかなかった。これほど近づかれるまで何も感じなかったのが信じられない。そして、奴にとってこの距離は何の意味も持たないだろう。

 動けば狩られるだろう。声を上げても同様に。だが、危険を下のみんなに知らせなければ成らない。

 ヨナは覚悟を決めた。腹の冷たく満たしていた恐怖が消え、代わりに熱が吹き上がった。

 それがわかったのか。梟は身を震わせ、全身の羽毛が逆立った。その眼から放たれている光が強さを増したような気がした。

 猟刀の柄を握り、引き絞られた矢のごとく今まさに飛び出さんとしたときヨナは確かに聞いた。


『戦ってはいけません』


 ()()()()()()

 ありえない場所でありえない声を聞いたことでヨナは致命的な隙をさらした。


(――-しまった)


 そう思ったとき、微風がヨナの前髪を揺らしそのまま後ろに抜けていった。

 ヨナが後ろを振り返ると梟が飛び去る姿が見えた。羽ばたく音はまるで聞こえなかった。

 ヨナはしばらくの間ただ呆然とその姿を見つめていた。




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