05 北端の神殿
「梟を腕に乗せた老人」の彫像が広場の中央に鎮座している。チャガ山脈の狩人たちが信仰している古い神をかたどったものだ。
老人の像ははマントを羽織っており、目深にフードをかぶり表情は読み取れない。腕に止まっている梟が老人のかわって周囲を睥睨しているさまが見事に表現されていた。
ヨナはじっとその像を見ていた。
(狩猟の神といわれるラルーナ・ノ・ルイか)
ヨナがいるのはチャガ山脈の北端、ロガ氏族の集落の程近い場所に建てられた古い神殿である。
トルガ氏族の集落から山脈の尾根を渡っていくつかの集落や市場を経由しながらここまできた。足掛け五日の強行軍だったが年中チャガ山脈を駆け回るヨナたちにとってはさしたる距離ではなかった。
ヨナたちを先導してきたラジクは、
「他の氏族のものが集まるまでこの神殿で宿をとる。それぞれ休める場所を確保するように」
といってロガ氏族の集落に降りていった。
ヨナたちはさっそく神殿の中で休めそうな場所を探すことにした。
すでに他の氏族の少年たちが神殿で寝泊りしており、思い思いの場所に陣取っていたが、ヨナを見るとみな一様にものめずらしそうに視線で追った。
チャガ人の容姿は、みな一様に浅黒い肌と赤褐色の髪、灰色の瞳であり、それに対しヨナの黒髪に色白の肌、そして美しい琥珀色の瞳はあきらかに浮いて見えていた。
ヨナは子供のころからの散々さらされた奇異の目を無視し、開き直った思いで寝床によさそうな場所をさがした。
神殿は二つの建物の間に広場を挟んだつくりになっており、広場をアーチ状の回廊が取り囲んでいた。回廊を支えている石柱は六角形でそれぞれの面に獣の姿が抽象的に刻まれていた。
ヨナがその文様を観察していると、その向こう側に古い石像が鎮座しているのを見つけたのだった。
しばらくその老人の像を見ていたヨナは後ろから近づく足音に気付き振り返った。
立っていたのは少年だった。チャガ人の少年たちの中でやや小柄な体格のヨナよりさらに低い。
「おまえ岱陸の出身か」
少年の目はヨナの顔をまじまじと見つめている。
「生まれは岱陸らしいけど育ったのはチャガだ」
へぇ、とうなずいた少年は
「おれは、ロガ氏族のラビ」
と名乗った。
「穴ウサギ?」
「ラビ」
少年はしっかりと強調して繰り返した。
「ああラビね」
「みんな、間違えるだぜ。ひでぇよな。・・・でおまえは?」
「トルガ氏族のヨナ」
「トルガ氏族か。けっこう南だな・・・。ま、いいやちょっと端で話そうぜ」
ラビはどうにもヨナに興味を持っているようだった。ヨナの身の上を根掘り葉掘りたずねてきた。ラビの表情にはこちらを冷やかすような色はなく純粋な好奇心が見え隠れしていた。
ヨナは気を悪くすることもなく、母のことを伏せて、養父との暮らしを適当に話すことにした。
「へぇ、変わり者の養父か」
どうも他所の氏族でも養父の暮らしは奇妙なものにうつるようだ。
「しかし、楽しみだな。岱陸にはヨナみたいなやつがいっぱいいるんだろ」
「俺みたいな?」
「悪い意味じゃないぜ? 髪の色とか目の色、肌の色だけじゃねぇ。見たことのない服だの食べ物だの都だのおもしろくてめずらしいものがたくさんてことさ!」
ヨナはあっけにとられた。
たいていの人間は、霧を越える旅や見知らぬ土地への不安が大きいものだが、ラビの表情からそう言った感情は読み取れない。
「何を騒いでいる」
いつの間に近づいていたのか、ひとりの男が声をかけてきた。
ヨナやラビより遥に大きな身体をもった男は、大きな顔に不釣合いな小さな瞳でこちらを眺めている。
(・・・うちの狩猟頭より大きいな。なにを食べたらこんなに大きくなれるんだ)
呆然とヨナが男を見上げていると横のラビが
「ダナンか。あいさつはすんだのか?」
といった。その声にはどこかからかいの響きが含まれているように感じた。
ダナンと呼ばれた男はわずかに頬をそめると顔をそらして
「ラビには関係ないことだ」
といった。
その子供のような仕草をみて、ヨナはこの男が、いや少年が自分と同年代であることに気付いた。
ラビはさっとヨナにちかずき耳元でささやいた。
「こいつ、恋人がいるんだよ。そんでついさっきまでお別れのあいさつをしていたところさ」
別れのあいさつという言う言葉に艶のある響きを含ませていることに気付いたヨナは、おもわず頬を赤くした。
「おいおい、おまえ、結構うぶなんだなぁ」
そういってラビが笑っていると、いきなり悲鳴がをあげた。
ダナンと呼ばれた少年が、その大きな手でラピの頭を締め付け始めたからだ。
「うるさいぞラビ」
「お、おまえのせいだ。い、いたっやめろ! 頭が割れる! わるかったってぇ!!」
気が済んだのかラビを放した少年は、ヨナに向き直ると背筋を伸ばし言った。
「ぼくはロガ氏族のダナン、よろしくたのむ」
「トルガのヨナ。こちらこそよろしく」
冗談が通じないだからとぶつぶつ言っていたラビは、気を取り直したのか頼まれてもいないのにダナンにヨナをヨナにダナンを紹介し始めた。
ラビが言うにはダナンはロガ氏族長の三男にあたる立派な血筋で、狩人としての才能にあふれる好青年、なおかつ美人の恋人がおり、その恋人の家に婿入りする予定なのだという。
言い方が大仰で芝居がかった言い方をするものだからラビはふたたびダナンから折檻を受けることになった。
その様子を笑いながら見ていたヨナはたずねた。
「氏族長の息子なんだろう? 別に霧狩人に成らなくても婿としては十分なんじゃないか」
ダナンは困ったように眉を寄せながら言った。
「彼女の父が元霧狩人なんだ。だからなのか霧越えの儀を終えて戻ってきたなら、結婚を認めるといったんだ」
ヨナは眉をひそめた。
「不思議だな」
すでに白峰の矢を授かっている以上ダナンの狩人としての実力は証明されているはずだが、実際に霧越えを終えてチャガ山脈に戻ってくることはそれほど重要ということだろうか。
ダナンはヨナの生い立ちを聞いても特に顔色をかえることもなく接してきたので、マジナと同じ氏族長の息子という立場であってもこうも違うものかと感心した。
ヨナはすっかりこの二人を好きになっていた。
二人もヨナを気に入ったのか、霧越えの儀を終えるまで一緒に行動しないかと誘ってきたため、ヨナはよろこんでその申し出を受けた。
そのあとラビは薪をあつめてくるといって、出て行き、ヨナとダナンは夕食の準備を始めた。
他の少年たちも大小さまざまな集団であつまり野営の準備を始めていた。
ヨナはふと疑問に思ったことをダナンに聞いてみた。
「ダナンたちはすぐそこに自分の集落があるのにわざわざここで寝泊りするのか?」
「そうしないと不公平だからね。他の氏族とわざわざこの数日かけてここに集まるのにぼくたちロガ氏族の人間は3時間ほどしかかからないわけだからある程度集まったら、僕たちもここで霧越えに入るまで過ごすことになる」
それが公平だしね、とダナンは結んだ。
しかし、ヨナは首をかしげていった。
「動物は生まれたときから公平じゃないんだから気にしなくていいと思うけど」
物心ついたときからチャガの民とは立場が違ったヨナからすればおかしな話だった。
ダナンは一瞬固まったあと、口に手を当ててのどを鳴らして笑い出した。
「なるほど、確かにそうだね。でも公平に見せる必要はある」
しばらくして、日が暮れ始めたあたりでラビが戻ってきた。
「おまたせ」
「おそかったな」
「けどいろいろ聞いてきたぜ」
どうやら、まきを集めてきただけではないらしい。
「まだついてない氏族はヤガとシュガの氏族だけだ。この二つも明日、明後日にはこっちにつくらしい」
ヨナは不思議に思った。来ていない氏族はここに集まった子供に聞いていけばわかるだろうが、集まる期日は調べようがないはずだ。
「なんでそんなことがわかるの」
ヨナが問いかけるとラビは口の端を持ち上げ
「うちの村で集まってる狩猟頭とかからちょっとね」
といった。
ラビは腰を下ろすと、抱えている袋からいくつか乾酪を取り出し、ヨナに放った。
受け取ったヨナはその乾酪から漂うにおいをかいで目の色を変えた。
「これ黒山羊の乾酪か?」
黒山羊は普通の山羊と違って人の手による繁殖が難しく、数が少ない。しかし、黒山羊の乳から作られた乾酪は非常に美味で栄養があり珍重される。ヨナは何かしらのお祝いのときにしか食べたことがなかった。
「これもらっていいのか」
「なに、友好の証ってやつ?」
ラビは得意そうに言うと早速乾酪をかじり始めた。
ダナンを見ると、無言で渡された乾酪を火であぶり肉に絡めて食べ始めていた。なんとも食欲を誘うにおいが漂ってきた。
思わずのどを鳴らしたヨナは、あわてて差し棒に突き刺し火でかるくあぶった。つややかな色を放ちトロリを解け始めた乾酪を口に入れると、なんとも濃厚な味わいが口いっぱいに広がった。
「やっぱり黒山羊の乾酪はうまいな」
「だろ? これから先また食べられるかわからないからな」
「そうか。あっちには無いかもしれないのか」
しばらく三人は黙々と食べ続けた。
ようやく落ち着いたあと、ヨナは
「うまかった。ありがとうラビ」
といって頭を下げた。
そのあと、ヨナたちはそれぞれの村での生活やこれから行う霧越えの儀について話し合った。
特にハイリヒア王国については、皆それぞれ聞いたことのある話を披露していった。
「で、実際のところ本当だと思うか?」
先の見えない大地の壁。
視界を埋め尽くすほどの人。
すべて石で作られた都。
美男美女が住む町。
あらゆるものが商える市場。
山の上にある地平の先まで続く平原。
食べつくせないほどの穀物。
ヨナたちからすればどれもこれも想像がつかない話ばかりだ。
「正直、この目で見てみないことには信じられない」
ヨナがそういうとダナンも同意するように首肯した。
「だよなー」
ラビもあきらめたように仰向けに寝そべった。
「いずれわかる話だ。今日はここまでにしよう。 明日は、魔の霧に降りて食料を確保しよう」
そういってダナンもマントで身体を巻くようにして横になった。
ヨナもまた神殿の石畳の上にマントを引いて横になった。不安も多いがこの二人となら霧越えの儀も乗り越えることができるだろう。
ヨナたちはその翌日に山裾の森に下りて狩りを行っていた。
ラピはその小さな体躯をすばやく動かし、はねるように山肌をかけまわった。
その身のこなしは驚嘆にあたいするもので、すばしっこい穴ウサギを追走し始めたときは「まさにラピだ」とヨナは口から漏らし、それを聞いたダナンは声を上げて笑った。
ラピが穴ウサギだとすれば、ダナンは熊のようだ。
ダナンは大きな身体に恥じない剛力を発揮した。ヨナが持てば地面にこすってしまうような大きさの長弓を使いこなし遠く離れた位置の獲物を射抜いて見せたのだ。
ヨナは腕に自信があったがこの二人を見ていると自身がうぬぼれていたような気がして恥ずかしくなった。
しかし、神殿に帰る道すがらたわいのない会話をしているとダナンがふと漏らした。
「ヨナはラルーナ・ノ・ルイみたいだな」
ヨナはおもわず広場にあったあのいかめしい像を思い出した。
さすがに神様にたとえられて喜ぶほどうぬぼれてはいない。とくに二人の腕前を見た後では。
しかし、かしこまった態度でラビが言った。
「その瞳からはいかなるものも逃れること敵わず」
「なんだって?」
「ラルーナ・ノ・ルイの名前の意味だよ」
(そんな意味があったのか)
ヨナは感心した。この友人は思っている以上に博識のようだ。
「実際、今日の獲物は全部ヨナが見つけたじゃないか」
「獲ったのはきみたちだろう」
「見つけるのがもっと難しい。魔の霧の中だと特にね」
そうだろうか。ヨナは内心不思議に思っていた。いままで一緒に狩りをしたことがあるのは、ジルダとラジクしかいないため、実感がなかったが自分の目はラビやダナンより良く見えているらしい。
狩人の目は単に遠くのものや動くものを正確に捉えられるかだけではなく、視線で視界をさえぎる霧を透過する能力が重視される。晴れることの無い霧を見通すことができないならば、霧狩人には成れないのだ。
当然、霧越えに参加するラビとダナンも人並みはずれた目をもっていることになるが、二人から見ればヨナの目は優れているらしい。
ヨナはこれなら足手まといにはならないと内心ほっとした。
ダナンはそっと霧に覆われている空をみていった。
「陽がかげってきた。今日はここまでにしよう」
ヨナたちは獲物を担いで、神殿に戻ると、朝でていったときより人が多くなっていた。ラビが聞いて回ったところどうやら、シュガ氏族の少年たちがヨナたちが狩りに出ている間に合流したらしい。
そして、その陽が落ち、あたりが暗くなったころ最後の氏族であるヤガの一行が神殿にやってきたのだった。