03 養父
話の進め方って難しい
白峰の矢を与えられたものは霧越えの儀に参加する資格を与えられる。
霧越えの儀は、チャガ山脈と北のハイリヒア王国の間にある魔の霧を越える儀式だ。しかし、必ず霧越えの儀に参加しなければならないわけではない。
実際に参加するのは、このまま村に残ってもたいした財産を与えてやれないと親が判断した次男、三男がほとんどで嫡男はそのまま残り、親から家畜や、農地を受け継ぐ。
霧越えを行う者はハイリヒア王国にたどり着き、公爵領で行われる「獣狩り」に参加して力を示せば、王国領で騎士として取り立ててもらえる可能性があった。
王国貴族の目にかなわなくとも、故郷の村で霧狩人になるという道はあるが、およそ半分は兵士か冒険者となり、そのまま王国に残ることを選ぶのだという。
「それで、おまえはどうする?」
ヨナははっきりと答えた。
「霧越えの儀に参加するよ」
「そうか」
カロンは立ち上がると、部屋の端においてある丈夫な樫の木で作られた収納箱そばにかがみこんだ。ヨナには大事なものが入っているから勝手に開いてはいけないと強くいい含められていたものだった。しかし、実のところカロンに目を盗んで何度か開けようとしたことがあったが、鍵がかけられている様子もないにも係らず、その蓋はびくともしなかったのをヨナは覚えていた。
カロンは蓋に手を当てた後、小さな声で何事かつぶやくと、あっさりとその蓋を開けて見せたのである。ヨナが目を丸くしている間に、カロンは箱の中か布で包まれた包みを二つ取り出すと再び蓋を閉じてみせた。
カロンはヨナのそばまで近寄るとその包みの片方差し出した。そして、ヨナが包みを受け取ったのを確認すると炉をはさんだ向かい側に再び腰を下ろした。
「これは?」
「お前の母が持っていたものだ。お前が霧越えの儀に参加するとき渡そうと決めていたものだ」
「どうして・・・」
カロンは今まで一度も両親のことを話したことはなかった。幼いころに、自分が実の親ではないことだけを伝えていたがそれ以外は決して話そうとしなかった。友達だったジルダの両親から聞いた話ではカロンはある日突然赤子をつれてきたのだということだけだ。
なぜ今になって話すつもりになったのかヨナが言外に問いかけたのがわかったのだろう。
「自分ひとりでも生きていけるだけの力が身につくまで待っていたのさ。未熟なうちに王国に行きたいなんていっても許されないことだしな。ただ話せることはそれほど多くない」
ヨナは一瞬、鼻白んだ(気分を害する)が、カロンは続けていった。
「おまえはこわいもの知らずなところがあるからな。ラジクからも聞いているぞ。はじめて魔の霧にもぐったとき、他のやつらが腰が引けてるなかで、お前は一人でどんどん山を下ってついに山麓まで降りちまったって」
ヨナは、あの四角い顔の狩猟頭を思い浮かべた。あの堅物とこの世捨て人の意外なつながりに驚いていた。それでも浮かんだ疑問をすぐに問いかけた。
「王国にってことは、おれの母親はハイリヒア人なの?」
「そうだ」
「じゃあ、父親は・・・」
カロンは首を振った。
「さてな、おれが見たのは女だけだった」
カランは少し間をおいて、話し始めた。
チャガ山脈の東、ルコン川に程近い森を散策していたとき、ハイリヒア人の女と赤子を見つけた。女はひどい手傷を負っており程なくして亡くなったという。
「おどろいたよ。だが赤ん坊は泣いてはいたが健康そのものだった」
ヨナは、うなずくしかなかった。母親であろう女性のことが亡くなったときののことを聞いているにもかかわらず悲しみはない。あるのは疑問と戸惑いだけだ。自分は薄情なのだろうか。
カロンは言葉を続けた。
「その包みはその女から渡されたものだ」
「その人は・・・何かいった?」
「お前の名はヨナだと」
「それだけ?」
「・・・ああ」
ヨナはそこでさすような小さな痛みを胸に感じた。おもわず右手で胸をおさえた。
カロンは、亡くなった女性を弔った後、すぐチャガ山脈へ向かった。
「赤子もすぐ死ぬと思った。そこは、チャガ山脈から遠く離れた場所だったからな。数日かかる道のりだ。その前に魔の霧にやられちまう。だがお前は驚くべきことに生き延びた」
カロンは愉快そうに笑った。
ヨナは本人を前にして生き残ったのを驚くべきことというのはどうかと思ったが、話の腰を折りたくなかったので黙っていた。
「おれはトルガの氏族長に世話になっていたから、お前を養子にして育てることを伝えた。そこで氏族の狩りの技を教えてもらえるように頼んだ。そのかわり、薬なんかを定期的に作ってもっていくことになった。」
ヨナは、なんだか申し訳ない気持ちになった。この養父は偶然拾った子供を育てるためにいろいろ便宜を図ったようだった。
カロンは穏やかな顔で言った。
「おれの話はここまでだ。あとはおまえ次第さ。王国で身をたてるもよし、諸国を見て回るのもいい。肌が合わないと感じたらここに戻ってくるのもいい。出立は三日後だろう? しっかり、旅の用意することだ。それもまた霧越えの儀にふくまれるからな」
ヨナはゆっくりとうなずいた。
カロンはもうひとつの包みを差し出した。
「これは、おれからの餞別だ」
そう言った後カロンはしばらく歩いてくるといって小屋から出て行った。ヨナに考える時間をくれたのだろうか。
ヨナは魔の霧の中でなくなった母親のことを考えていたがより疑問は深まっていた。なぜ赤ん坊を連れて霧の中をさまよっていたのか。なぜ怪我をしていたのか。なぜ父親は一緒にいなかったのか。
ヨナは疑問を抱きつつ母の遺品が入っているという包みをゆっくりと開いた。
二つの指輪、半ばから折られた小さな短刀、上下が丸く中ほどにくびれのある容器、産着、龍を象った金簪(金で作ったかんざし)、人間の横顔が刻まれた硬貨・・・ヨナは思わず息を呑んだ、一目見るだけでそれらが並々ならぬ価値を秘めていることに気付いたためである。
ヨナはひとつひとつ手にとって眺めてみた。
二つの指輪はどちらも見事な一品で、ひとつは青い不透明な鉱石で作られており、内側に見知らぬ文字が刻まれいた。もう片方は精緻な彫刻がほどこされた銀に翠玉(エメラルド)があしらわれている。
短刀は鍛造されたものでそれなりの業物に見えたが刀身が半ばから折れていた。ヨナの口からは思わず、ため息が漏れた。十台半ばの少年にとってこういった武具はよりいっそう魅力的にうつるものでヨナもその例に漏れなかった。今使っている猟刀はかなり使い込まれており、刃が小さく厚みもなくなってきており新しい得物がほしかったため、なおさら残念に思った。ヨナは未練がましくながめた後、容器に目を移した。
不思議な形をした容器の表面には先に見た指輪と同じく見たことのない文字が描かれており、蓋は動物の角で作られているようで、容器の中間にあるくびれに巻かれている朱色の紐とつながっていた。持ち上げると中から液体の揺れる振動と音が伝わってきた。その瞬間、養父から聞いた東国の物語に出てくる不思議な形の植物の実から作られた水筒に思い至った。中を確認するために蓋を開け、においをかいでみたが、特に腐ったようなにおいはしなかった。ゆっくりと水筒を傾けわずかに傾け手のひらに中の液体をこぼしてみた。こぼれた液体は透き通っており気持ちのいい冷たさが手のひらから伝わってきた。ヨナはしばし黙考し口を付けた。驚くべきことにまるで臭みを感じず清水を飲んだような心地よさだった。いったいこの水はいつこの水筒に入れられたものなのか。
次に手に取ったのは小さな産着だ。しわがよっていたものの光沢があり肌触りがよく柔らかかった。上等な素材で作られたことはヨナにもわかった。もしかすると自分は裕福な家の出だったのかもしれない。
ひときわ存在感を感じさせる金簪はその名のとおり、炉の火に照らされて光沢のある黄色を輝かせている。その形は龍を模されており、今にも動き出しそうなほど生き生きとしており、瞳あたる部分には琥珀が埋め込まれていた。その非凡な金簪を眺めていたヨナは、奇妙な違和感にとらわれた。しばらく、その違和感の種を探したものの見つけることはできなかった。
最後に手に取った硬貨は、金銀胴の三種類で、数は銀貨がもっとも多く、銅貨、金貨とつづいた。それらの硬貨には人間の横顔が刻まれており、ふちにはハイリヒア文字と数字が連なっている。
(ハイリヒアの硬貨か)
これらの硬貨だけでもしばらくの間ハイリヒアで暮らすには十分な価値があるだろう。
これほどの品を持ち歩いていた母は何者なのだろう。貴族の子女だったのだろうか。それとも盗賊か何かだったのだろうか。怪我をしていたのはそのせいなのか。しかし、赤ん坊連れで物取りを行うか。逃げるにしても魔の霧は危険が大きい。それほど追い詰められていたのか。
しばらく硬貨を手のひらでもてあそびながら考えていたが、不意にカロンからもらった餞別を思い出した。
カロンからもらった布の包みを解いていく。
中から現れたものを見て、思わずヨナは歓喜の声を上げた。カロンが少年のつぼを抑えた贈り物をしたのは明白だった。
それは猟刀だ。つややかな皮革の鞘、樫の木で作られた柄は端の方が膨らんでおり振りぬいても、すっぽ抜けないような形をしていた。ヨナはゆっくりと刀身を鞘から引き抜いた。幅広い刃は美しく、厚みがあり頑丈な印象がある。刀身に見える刃文が複雑に乱れ、まるで炎が揺れ動くさまを現しているかのようだった。
夢中になって、じっと眺めているとあることに気がついた。
刃文が揺らめいていた。
(なんだ、これ)
刃文はゆらゆらとその身を揺らして形を変えている。ヨナは無意識に魔の霧を見通すときと同じように目を凝らした。すると刃文が夕焼け色にほのかな光と暖かい熱を放ち始めているのがわかった。
(魔法がこめられている)
魔法がこめられた道具は希少で恐ろしく値が張る。ものによっては金では買えないといわれるものも存在しており、貴族でも手に入れるのはむずかしいといわれるほどだ。
しばらく、呆然としていたがヨナはゆっくりとその刀身を皮の鞘に納めた。先ほどまでのちがう静かな喜びが心を満たしていた。
養父が出て行った戸を見つめる。
ヨナはしっかりと二つの包みを抱えて寝床へ向かった。
養父はヨナが起きているうちは絶対帰ってこようとはしないだろうと思ったからだ。
窓から星をながめながら、ヨナは残った二日間をどう過ごすか考えているうちに、いつのまにかヨナは眠りに落ちていた。
幼いころの夢をみた。
カロンが自分は実の親ではないとヨナに面と向かって告げたときのことだ。そういうことは、もっと迂遠に伝えるべきだと思うがカロンはまったくそういった配慮をしない男だった。
しばらく呆然となり、その意味を理解したあと、なぜか裏切られたような気がして、ヨナは夜に家を飛び出した。飛び出したというより、すねたように森に向かって歩いていったとカロンは後に言っていたが同じようなものだろう。
そのあと一晩、森の中で過ごした。怖くはなかった。それよりもカロンと一緒にいることのほうがなぜか恐ろしかった。いや、本当の親でもないのに一緒にいてもいいのかそう思ったのかもしれない。
朝になって、家に帰るべきか迷っているとカロンが現れて短く
「帰るぞ」
といった。
手を引かれながら、集落に帰る道すがらカロンがいろんな話をしたのを覚えている。
薬になる植物、霧の中に潜む獣や魔物のこと、北の岱陸の国々のこと、神話の神々や龍、そして霧の奥にあるといわれる楽園の物語。傷心の子供にする話ではない気がするが、あれは自分を慰めようとしていたのか。だとすれば不器用な男だと思う。
それでもしっかりと握られた手に伝わる暖かさがヨナの心を癒したのは確かだった。