02 白峰の矢
チャガ山脈が北の岱陸(巨大な平野を持つ台形状の山)の下から南に向けて弧を描くように波打つ峰を広げている。
山の頂上には、年中を通して雪が降り積もり、太陽の光をあびて白刃のように輝いている。
ヨナたちが山道を登っていくと、木々の背は少しずつ小さくなり、肌寒さがましていった。
次第に遠くから狗鷲が鳴く声がきこえ、時折その声に混じって硬いものが岩肌にぶつかる音が響いてきた。
(狗鷲が獲物を空から落としている音だ)
狗鷲はその鋭いかぎ爪で小さな子供ほどの重さの陸亀を掴み取り空から地に落とし硬い殻を壊して中身をたべるのだ。
その音を聞きながら、わずかに色づき始めた木々の隙間から漏れ出る黄昏の光によって照らされた山道をしばらく進んでいく。
不意に視界が開けた。
「やっとついたか」
隣でジルダが安心したようにいった。
開けた視界の先にトルガ氏族の集落が見えていた。
集落には石を積み上げて造られた家が連なってた。それぞれの家の傾斜のついた屋根から煙突が伸びており、夕餉の準備をしているのか煙が立ち上っている。中心には四隅の尖塔が突き出た族長の館があり、遠くからでも良く見えた。
ヨナたちは、集落の外にある棚田を横切っていくと集落を囲む外郭の外側に立てられた大きな建物に入った。ここは狩人見習いたちの学び舎だった。
この学び舎で子供達は引退した狩人たちから狩猟の心得を学ぶこととなる。弓矢の扱いや、森や山の歩き方、獣の追い方、解体の仕方、そして人間との戦い方も。
ひととおり学んだ見習いは現役の狩人とともに魔の霧にもぐり、実戦を積み、狩人としての素養がない者はその過程ではじかれることとなる。
そのときは決まって訓練あとに名前を呼ばれ、教室に残るように言われるため、ラジクがヨナやマジナ、他数名の見習いの名を呼んだときは子供達の間でざわめきが起こった。
名を呼ばれた少年たちは思わず顔を見合わせた。このときばかりはヨナとマジナはお互いの顔を見合わせて、同じ思いにとらわれた。どちらもお互いを快く思ってなくとも実力だけは認めていたからだ。
名を呼ばれなかったジルダが不安そうにヨナを見ていたが、他の生徒とともにラジクに解散するように促されしぶしぶ教室を出て行った。
しばらくして、学び舎で教師として勤めている老人が、美しく装飾された矢筒を持って現れた。
ラジクは、矢筒を受け取るとその中から白い鏃がついた矢を取り出した。
「お前たちに、霧狩人にふさわしい力を持つことを認め、白峰の矢を与える。今日より三日後、"霧越えの儀"を行うためロガ氏族領へ出立する。霧狩人に成らんとするものは出立の朝、日の出までに北の領門に来なさい」
ラジクはそう言った後、一人ひとりに矢を与えていった。先ほどまでの不安は吹き飛んでおり、少年たちは顔を高潮させて、マジナは当然といった顔で弓矢を受け取った。
ヨナが最後の矢を受け取るとラジクはうなずき、
「これより、二日休みを与える。その間に、儀式を受けるか良く考えるように」
そう言ったあと家に帰るように促した。
マジナたちが外壁の領門をくぐってそれぞれの帰っていく中、ヨナは領門に入らずそのまま棚田を中にある畦道を登っていった。
集落から離れた、森のふちにポツリと平屋が立っていた。ヨナが養父とともに暮らす家だ。
ヨナは平屋の裏手にある納屋に入ると、今日捕った獲物をつり下げるとすぐに解体を始めた。
三羽目の穴ウサギの解体が終わったのは夕日が地平にその身を隠しかけたころだった。ヨナは桶に貯めてあった水で軽く身を清めた後、解体したての穴ウサギの肉をいくつか手に取り、夕餉の準備を始めた。
養父のカロンが帰ってきたのはそのすぐ後だった。
カロンは典型的なチャガ人といった容姿をしている。灰色がかった瞳、浅黒い肌に赤褐色の髪を総髪にしており、わずかに白髪が混じっていた。
焼かれた肉のにおいをかいだカロンはうれしそうに人のよさそうな顔を緩ませ
「今日は穴ウサギの肉か。うまそうだな」
といった。
カロンは背負っている背嚢から薬草や木の実をいくつか取り出すと部屋の隅でそれらを調合し始めた。すり鉢で木の実を砕く音と、火にあぶられた肉の脂がはねる音が部屋の中に満ちている。
カロンはこの村では不思議な立場にあるようだった。薬を作って時々族長の館に納めているようだが、それ以外の時間は借り受けた畑を耕すか麓の森で散策しており、村の一員というよりは、族長の客分といったような態度で過ごしている。それがまたヨナの立場を微妙なものにしているようだった。
夕食を済ませたあとヨナは自身の矢筒から学び舎で受け取った白峰の矢を取り出し、カロンの前に差し出した。
カロンは、静かにその様子を見つめていた。