第四章 霧中
偶然、奇跡というものが存在するのなら、カラクレムはそれを体験したことになる。
霧の向こうに待っていたのは谷間を流れる沢であり、しかも他よりもかなり水位のある沢の淀みに落ちたことで、全身びしょ濡れになりながらも、かろうじて生き延びることが出来た。もがき足掻いて、水面まで浮上し、やっとの想いで岸まで這い出てきた。このまま横になっていたいところだが、このままでは低体温症になってしまうだろう。ここは、谷間のせいか、霧のせいか、崖の上よりもかなり気温が低い。普通なら肌寒い程度だろうが、今はずぶ濡れなので凍える程である。
すぐにでも火を起こしたいのだが、最悪な事にここは濃霧の中、燃料はすぐに湿気ってしまうだろう。一先ずは、沢から離れ、風の避けられそうな場所を探すことにした。時折、ひんやりとした風が、沢を吹き抜けていくのだ。手探りで絶壁の方へ這っていくと、やがて背の低い木々に行き当たった。樹皮は濡れているが、風避けにはなると判断し、木々の間に身体を押し込み、霧が晴れるまで、やり過ごすことにした。
休むにあたって、少し左腕の状態を確認することにした。単純な骨折なら、添え木をしておきたいからだ。恐る恐る、左腕に触れてみると激痛と共に、ブニブニと芯の無い肉の感触が伝わってきた。どうやら、本当に粉砕してしまったらしい。幸か不幸か、裂傷は無い様だが、腕の中は酷いことになっていることだろう、血管は断たれ、指先から壊死して行き、切断も已む無しかもしれない。とはいえ、左腕の痛みから来る熱が、今はとても助かっているとは、実に皮肉なことである。
カラクレムは、そっと目を閉じ、左腕を労りながら眠りに落ちていった。
「エノゥさん、カラクさんが落ちてしまいました!!」
二体の巨人を前衛的なアートに変えたエノゥの元に、目に涙を溜めたファウが駆け寄ってきた。
「・・・お兄さんが?」
状況を聞いたエノゥは、顔色こそ変えないものの、眉間にしわを寄せ、カラクレムが落ちたという崖を覗き込んだ。
「・・・ファウちゃん、山を降りよう。残念だけど確認には行けそうに無い」
「そんな・・・カラクさんを置いていくのですか!?」
「落ち着いて、ここから落ちたんじゃ普通は助からない。それに、ここへグリーバが押し寄せてきているみたいなの。ファウの言う通り、待ち伏せされていたんだね」
「でも、エノゥさんなら・・・グリーバの大軍でも、倒せるのでは?」
「まあね・・・でも大軍相手じゃファウちゃんを守れないかもしれないから。君の命優先、グリーバが来る前に山を降りよう」
「ですが・・・」
「・・・じゃあ、こうしよう」
エノゥは愛馬アグラを呼び寄せると、その背から荷物を降ろした。そしてその荷物を、作り出した小さな竜巻に乗せて、ゆっくりと崖下へと降下させていった。
「お兄さんが・・・仮に生きているなら、この物資で数日は生き残れるはず。だから今は、撤退しよう」
「・・・はい」
二人はアグラの背に跨がり、後ろ髪引かれる想いを断ち切り、イルムレへと駆け出していった。
寝入ってからどのくらい経ったのだろうか。ピチャッピチャッとまるで沢の中を歩くような音で、カラクレムは目を覚ました。
まさか、ファウやエノゥが捜しに来てくれたのか。カラクレムは、起き上がろうとしたが身体が動かず、声を出そうとしたが、口が開かなかった。何より、とにかく眠たくて、覚醒したのが不思議なくらいである。気を張っても意識が遠のいてしまう。これは、予想以上にマズイ状況なのかもしれない。今まさに死にかけていて、これは最期の覚醒だったのではないか。
カラクレムは、なんとか目を動かし、周囲を窺おうとしたが、辺りは相変わらずの濃霧で、何も見えない。月明かりを霧が撹乱し、辺りをうすぼんやりと照らしているだけだった。ピチャッピチャッという音は確実に近付いてきている。注意して聞くとそれは四足歩行の生き物の足音と同じリズムだと判った。
助けではない。カラクレムが目を閉じ、意識を手放そうとしたその時、重量のあるものが沢に着水する音が鳴り、次いで二足歩行の足音が響いてきた。騎乗していたのか、足音は濃霧の中、まるで見えているかの様に、まっすぐカラクレムへ向かって来ているようだ。そんなことが出来るとしたら、魔法くらいか。もしかしたら、エノゥが来てくれたのかもしれない。
目の前で足音が留まったので、カラクレムがもう一度目を開けてみると、鼻先に見知らぬ人物の顔があった。
「やあ」
カラクレムは心底驚き、ついつい意識を手放してしまった。
アグラのおかげで、日暮れまでにファウとエノゥは、イルムレの外れ、旅神像の辺までたどり着いていた。エノゥは一旦、アグラを停めて、背後にいるファウを振り返った。
「イルムレで騒ぎが起きないように、一芝居打とう。私たちはマーケット見つけて、お兄さんは見張り、ファウちゃんは危ないから帰され、私は部隊を呼びに行く。そういうことにしておくの」
「・・・わかりました」
「大丈夫、捜索に部隊を割くから。だから一刻も早く、部隊を呼び寄せないと」
エノゥは愛馬の腹を蹴り、再び駆け出した。それから、集落に到着するとすぐ、エノゥはハルハントに向けて出立していった。残されたファウは、父イグルにエノゥに言われた通りの説明をした。
部隊を迎える準備をすると、イグルが出掛けていった後は、ファウも家を出た。集落にも、旅の神の像がぽつりと置かれている。
ファウはそこで、祈るしかなかった。カラクレムが生きていて、無事生き延びることを。
カラクレムは、自分が暖かな光に包まれている事を自覚していた。
最期の記憶、暗く冷たい感覚は消え去り、安らかな微睡みがそこにはあった。何故だろう、その疑問が過って間もなく、カラクレムは飛び起きた。辺りは相変わらずの濃霧だが、異なっているのは傍らには焚き火が起こされ、そこで見知らぬ人物が鍋をかき混ぜていることである。
金糸の様な長髪、均整の取れた凛々しい顔立ち、長い睫毛に白い肌、実に女性的な外見だが、カラクレムは不思議とその人物を男だと認識していた。中性的という言葉では表現出来ない、噛み合わせの悪さである。
「あ、あの・・・」
カラクレムが、意を決して話し掛けてみたものの、その御仁は鍋から顔を上げなかった。
「しばし待たれい、もうすぐ出来る・・・」
女性的な声で男性的なしゃべり方をする、どこまでもあべこべな御仁である。カラクレムは小さく頷いて、事の行く末を見守ることにした。
鍋、鍋といえば、旅に持っていけない道具とされていた。ファウ、イルムレの民が使っている土器は割れやすくて叶わず。エノゥ、ハルハントの鉄鍋は重く、手入れが大変な為、叶わず。汁物は諦めるもの、そう聞かされたのだが、火に掛かっている鍋はそのどちらでも無かった。
「これは・・・ステンレス?」
「ん? そなた、この鍋を知っておるのか?」
「あの、故郷で使っていたものに似ていただけで・・・すみません」
「うむ、これは壊れにくいばかりか、錆びず、火の通りも良い。これは献上品でな、気に入ったので愛用しておるのだ」
「はぁ・・・?」
突然襲い掛かってくるような輩ではないようだが、いまいち掴めない。白くゆったりとした外套を纏っているから旅人なのだろうか。そうだとしても、ここに何をしに来たのか。なにより、外套が少しも汚れていないのが気になる。
「ほれ、これで体内も温めると良い」
カラクレムが熟考しているうちに、汁物が出来たらしい。椀によそい、差し出してきていた。
「あ、ありがとうございます」
咄嗟に、カラクレムは左手で椀を、右手で木匙を受け取った。
「何、気にするな。これらはおそらく、そなたの食料ゆえ」
「・・・へ?」
食料は身に付けていなかったはずだが、どういうことだろう。
「ん? 違うのか? 近くに置いてあったのだがな・・・そなたの枕にしておいたぞ」
カラクレムが傍らを確認すると、そこには見覚えのある背嚢が置いてあった。確か、エノゥの愛馬に積んでいたものである。ということは、エノゥが落としていってくれたのだろう、ありがたい事である。
「そうだ、食器も借りたぞ。普段の我は鍋から直食いだからな、ハッハッハ!!」
実に愉快そうに高笑いしながら、膝を叩く。イルムレの杣人衆の御歴々もしていた行為である。
「ん? 冷めないうちに食らうと良い。そなたの口にも合うだろう」
「あ、はい、頂きます」
カラクレムは、匙で汁物を掬い、口へ運んだ。
「どうだ?」
「・・・・・・はっ!?」
「どうした、不味いか!?」
「腕が・・・左腕が治っている」
普通に使っていたが、左腕が動いて、しかも完治している。カラクレムは驚きを通り越し、少し笑ってしまった。それほどの怪奇なのだ。
「ああ、酷い怪我であったな。ゆえに治療しておいた、息災か?」
「え? ああ、はい。完璧です・・・」
あの骨折を治してしまうとは、これも魔法なのだろうか。もしかすると、ハルハントの騎士に列なる御仁なのかもしれない。
「ならば良い・・・それよりも汁物の味は? 我は中々と自負しておるのだが」
「汁物・・・」
腕に気を取られていたというよりも、気にならなかったというのが正しい解答だろう。イルムレの調味、オドがベースのシシカ汁。オドは冷汁でも旨いと持ってきていたので、使われていることは不思議ではない。ただ、ファウの作るシシカ汁とまったく同じ味なのが不思議だった。気にならなかったのは、よく口にし、親しんだ味だからだ。誰が作ってもこうなるものなのだろうか。
「この作り方であっているはずなのだが・・・口に合わないか?」
「いえ、口に合いすぎて・・・・・・貴方はいったい?」
「おお、名乗っておらなんだ! 我は他称旅の神、ディリア。無垢なる祈りに応え、ここに馳せ参じた」
「・・・神?」
驚き疲れ、笑うに至ったカラクレムは、今度は泣いてやろうかと反応に困っていた。
「無理からぬ反応だな。我も自分が神だと面と向かって名乗るのは初めてだ。なにせ、人に我らは見えないからな」
「人には・・・見えない?」
「見えている、と言いたげだな。それは、そなたが人ではないからだ。いや待て、語弊があるな・・・・・・そう、種が異なるからだ」
「はぁ・・・なぜ、彼らには見えないのですか?」
「そういう設定だからだ」
「設定?」
「ああ、神とは古来より、創造主と同義とされてきたが、我らは違うのだ。我らは人の想像によって生じたものなのだ」
「・・・それに、魔法は関係していますか?」
「鋭いな、大いに関係しておるぞ」
ディリア曰く、神が生まれるのは、こんな神が居たら良いのに、と誰かが思い付いた時だそうだ。だが、まだその段階では卵のようなもので、確固たる存在に成るには、人々の信仰が必要になるそうだ。何故なら、神とはその存在を信じる者らの、無意識の魔法で出来ているからである。ゆえに、姿形や力は信仰する人々のイメージに左右される。ディリアの場合、今の外見的特徴だと信じる人々が多数派なので、女性神となっているが、最初は男性神と想像されていたので、中身は男寄りなのだそうだ。
「我らは、人の願いを叶える為に生み出された存在。だが、自我を持って生まれたゆえ、願いを叶える相手は己が独断と偏見で選ばせてもらっておる」
「まさか・・・あの時、無事に旅が終わるように願ったのを叶えに来たのですか?」
「その通りだが、そなたの願いではない。共にいた少女の願いを、だ」
「共にいた少女・・・ファウさん?」
「然り、今も健気に祈願しておるわ・・・我はこのような願いに弱い」
「なるほど・・・また助けられてしまった。不甲斐ない」
「その様だな・・・そなたと出会ってからは、気苦労が絶えないらしいな」
「え、そうなんですか?」
「記憶を覗いた限りはな」
「記憶を、覗く?」
「ああ、我らは自身を信仰する全ての人の無意識と繋がっておるゆえ、特定の人物の記憶を遡ることも出来る。おかげでその人物の望みの形がよく判るというものだ」
「つまり、全ての人は無意識で繋がっていると?」
「そうとも言える、少なくとも魔法を持つ者は・・・さて、ファウという少女の願い、生きてまた汁物を振る舞いたいという願いは確かに応えた。そこで、我の個人的な用向きに話題を変えさせてもらうぞ」
「はい、何でしょうか?」
「うむ、そなたに興味があったのだ。魔法を持たぬ人よ」
「・・・私ですか?」
「元来、我々は魔法を持つ者を助けてきた。それが生まれた理由ゆえ・・・・・・ただ、それだけでは味気なかろう?」
「つまり・・・飽きた、と?」
「ふっ・・・そうだな、自我など無ければ楽なのだが、そう創られたのだから、是非もない。ゆえに、異常に干渉してみることにした」
「異常・・・・・・あ、私の事ですか?」
「その通り、この世界に魔法を持たぬ人など居なかったからな。とどのつまり、我は少女の願いを触媒に、本来邂逅するべくもないそなたと、こうして合いまみえているわけだ」
「そうか、貴方は魔法を持つ彼らを助ける為の存在ですからね。願いを聴かなければ、そもそも私の事を知る由もない」
「然り、まさに仰光。経験した事のない事態に、錆び付いた自我も奮えたわ・・・そこで、思い付いたのだ。そなたに魔法を与えようと」
「私に・・・魔法を?」
「そなたの記憶は観えぬが、少女の記憶を観る限り、そなたは面白い。実にそなたの終わりが楽しみだ」
「私の、終わり?」
「そなたの死、それがそなたの終わり。我はそなたという人間の最期がどのようになるのか観たい。だが、勘違いするな。我はそなたを殺したいわけではない。飽くまで楽しみたいのだ。ゆえに、魔法を与える。魔法無しで生き残れるほど、この世は優しくないからな」
「つまり・・・私の後援者、パトロンに成りたいと?」
「然り、共に行くことは出来ぬが、最高の加護を与えよう。それでも命を落とすという、そなたの終わりを見せてくれ」
「・・・私には、無理に生きる理由や目的がありません。そういう意味では、私は既に終わっていると言えます」
「無理に生きろと言っているわけではない。生き残るに値する力を得ながら、それでも終わってしまう最期が良いのだ。他にも試してみたい事柄が数えきれぬほどあるが、これが一番後味が良いのでな」
狂っている、そう思えていれば楽なのに。カラクレムは、ディリアの想いを理解してしまった。言うなれば、カラクレムという人間は、神からすれば生きた書物なのだ。暇をもて余した神が手にした一冊の物語。自力では捲れない頁を捲る代わりに心行くまで楽しませろ。そのくらい単純な事なのだ。特段、断る理由は無いわけである。
「分かりました。蜃気楼のような私の命で良ければ、なんなりと」
「仰光、仰光。ならば魔法を与えよう。ただ、通常とは形が異なり、激しい痛みを伴うが、よいな?」
「無いものを授かるのですから、それは当然でしょう。治して頂いた左腕の分として、耐えますよ」
「その意気や良し。では早速、始めるとするか」
ディリアは立ち上がると。カラクレムの頭をがっちりと鷲掴んだ。
「そなたには、形ある二つの加護を授ける・・・耐え抜けよ」
次の瞬間、カラクレムは平衡感覚を失った。座っていたはずなのに、今や崖下へ墜ちた時と同じ感覚である。しかも、下へ墜ちたと思えば、次は右、左、極めつけは上に墜ちたところで、意識は元の焚き火の前に戻ってきた。今、何が起きたのか、カラクレムが尋ねようとした次の瞬間、頭の内側から突き刺されるような痛みが襲ってきた。これまで、何時も平静さを崩さなかったカラクレムでさえ、悲鳴を上げ、顔を掴むディリアの手を力の限り引き剥がさんとするほどの激痛である。
それでも、ディリアの手は万力の如く、カラクレムを締め上げた。彼の悲鳴は谷間に木霊し、やがて小さくなっていった。四肢から力が抜け、糸の切れた操り人形の様である。これにはディリアも、恐れていたことが起きたのだと覚悟した。それは、魔法との不適合によるショック死だ。そもそも無いものを、有る必要の無いものを、押し込んだのである。その苦しみは筆舌し難く、もし解放していたら腰の山刀で自ら命を絶っていたことであろう。持つ者は持つべくして持ち持たざる者は持たざるべくして持たないのだ。
しかし、多くの配慮も、今や水泡に帰した。手を離すと、そこには爛々と双眸を耀かせるカラクレムの顔があった。これには神も声を上げて、驚いた。
「おお・・・成し遂げていたか」
「・・・はい、すみません、取り乱してしまって。訓練が足りていませんでした」
「人の身では体感しようの無い痛みなのだ、無理もあるまい」
「はい・・・でも、受け取ることは出来たみたいです」
「良し、ならば使ってみせよ」
「はい! ・・・あの、どうすれば?」
「むぅ・・・己に入ったイメージを具現化するのだ。取り出す、或いは身に付ける動作をすると良いやもしれないな」
「分かりました」
カラクレムは目を閉じ、取り出したい物を強く思い描いた。そして、何かを纏うような動作を行なうと、赤茶けた外套がカラクレムの身体をふわりと包み込んだ。
「本当に、現れた・・・」
「ふむ、これは守りの加護のようだな。そなたの歩み、すなわち旅をあらゆる災難から守り抜くものだが・・・外套とは予想外だな?」
「・・・実は外套を羽織っていると落ち着くので、そのせいかもしれません」
「ふむ・・・ではもう一つの加護を見せよ」
「・・・はい」
カラクレムが鞘引くような動作を行うと、幅広な両刃の剣が右手に握られていた。
「打払の加護、文字通りそなたの旅を阻むものを打ち払うものだ。こちらは剣だが、これにも理由があるのか?」
「いえ、特には・・・ただこれは、先ほどの苦悶の最中にこの形で入ってきたので、口から」
「そうか、絶叫もするわけだな・・・さて、これでそなたも漸く、この世の人として最低限の力を得たわけだ。この加護は、そなたと共に変化する。端的に言えば、身体に馴染んでいくわけだ。今はまだ、異物のようなものだからな。日々の精進が、生き残る条件だと知るが良い」
「はい、早々に使いこなせるよう、努力したいと思います」
「うむ、意気や良し。そなたの旅を、様々な目から見せてもらおう。では、少し休むが良い」
再び、横たえられたカラクレム。爛々としていた目も、いつの間にやら閉じかけており、意識も段々と薄れていく。
「目が覚めた時、この霧は晴れていることだろう。そうしたら、沢を遡るのだ。しばらく行くと鬱蒼とした林にぶつかり、その奥の窪地に探し物はあるぞ」
「分かりました・・・ありがとうございます」
「うむ。それと、これも伝えておこう。この霧はそなたと邂逅するのに大いに役立った。視られる訳にはいかないからな」
「視ら・・・れる?」
「そなたを視ているのは、我だけでは無いということだ。心しておけ」
「ありがとう・・・ごさいま・・・・・・」
カラクレムは、抗え切れない心地よさの中、眠りにつくのであった。
早朝、周囲の明るさに気付き、カラクレムは目が眩まない様に、そっと目を開いた。
目にしたのは、西の稜線から顔を出す日の光、霧は跡形もなく、全てがはっきりと見ることが出来る。周囲を窺ったが、ディリアの姿はどこにも無かった。もしかすると、夢ではないかと勘繰ったものの、胸の奥に感じる力と、自在に動く左腕、そして洗い済みの椀が現実であったことを示唆している。神は霧と共に去っていったのだろう。
カラクレムは、手早く荷物を整え、沢の上流へと歩き始めた。寝落ちする前の神の言葉は、しっかりと覚えている。この先に探し物、マーケットがあるのなら、確かめねばならない。半刻ほど遡ると、確かに緑の深い林に行き当たった。沢から離れ、林を進んでいると、足元が妙にでこぼこしていることに気が付いた。
分かり難かったが、大きな足跡が幾重にも重なって、地面をでこぼこにしていたのである。これが、巨人の足跡なのは一目瞭然であった。その足跡を辿っていくと、唐突に視界が開け、広い窪地が眼前に現れた。窪地には、三十は超える数の巨人がひしめき合い、それぞれ何かの山積みを指差しながら、言葉を交わす。その姿は商談を行なっているかのようである。
カラクレムは確信した、ここがマーケットなのだと。彼は大胆不敵にも、まっすぐ窪地の中へ足を踏み入れていった。当然見咎められ、カラクレムはすぐに巨人らに取り囲まれてしまった。
「この人間、生きている。連れ込んだ、誰?」
1体のグリーバがカラクレムを捕らえようとしたが、彼が動じることは無かった。
「エヤは、私をンバナと呼びました。エバという方に会わせて頂きたい」
あくまで対話で挑みたい、それがカラクレムのスタンスである。カラクレムを捕らえようととしていたグリーバは、ピタリと手を止めた。
「エヤ、人間と話した、のか? エヤはどうした?」
「・・・殺されてしまいました」
「うぅっ!! お前が殺させたのか!? 油断させた、エヤを!!」
「違う、私はっ!!」
「アングリーッ!!」
グリーバはカラクレムを叩き潰さんと腕を振り上げ、カラクレムも仕方なく加護を展開しようとしたその時、けたたましい咆哮が轟いた。
「静まれ、アラマ!! エバがその人間を連れてこいと言っている。 良いか、殺すな!!」
他よりも、一回り大きく、言葉も達者なグリーバが奥から現れた。
「マグワイ!? でも、こいつは仲間を!!」
「エバの命令は、絶対!! 逆らうこと、許されない」
「うぅ・・・分かった」
アラマと呼ばれたグリーバが退くと、大きなグリーバのマグワイがカラクレムと相対した。間近で見ると、カラクレムの4、5倍はある背丈である。
「ついてこい、人間。エバがお前と会うそうだ」
マグワイに先導され、カラクレムはグリーバたちの間を抜けて、マーケットを進み出した。マーケットと呼称してきたが、値するほどの華やかさは無く、まさに地獄絵図の再現のようであった。粗末な蓙の上に、人の遺体が無造作に積まれたものが幾つも見受けられ、マーケットの中心には所持品だと思われる物の山が築かれていた。これまで幾人の人が犠牲になったのか、計るに余る光景である。鉄錆と腐敗の臭いが窪地に充満しており、カラクレムはただただ顔をしかめるばかりであった。
マグワイは何も語ることは無く、マーケットの最奥にある横穴へと入っていった。人には巨大な洞窟なのだが、マグワイは身を屈めて進んでいく。不思議と光源も無いのに、横穴は薄ぼんやりと明るかった。しばらくすると、マグワイも余裕のあるほど天井の高い、広い空間に出た。そしてカラクレムは、緑色の燐光を放ち、空間一杯に枝葉を伸ばす大樹を目にすることになる。半透明の果実がなり、その中には人間のようなものが膝を抱く形で漂っていた。
「これが・・・巨人を産む木」
魔法という概念にも驚かされたが、この木もカラクレムの常識からは大きく逸脱していた。まったく、ディストピアとは計り知れぬ土地である。ある意味星空よりも幻想的な光景に、カラクレムが呆然と大樹を見上げていると、マグワイに叱咤された。
「早く来い、人間。エバを待たせるな!!」
カラクレムが駆け足で着いていくと、辿り着いたのは大樹の根本。その根に凭れるように、小さな人影が埋もれていた。
「エバ、連れてきた」
しわくちゃというか、しわだらけの、グリーバと同じ緑の肌をしたそれは、カラクレムの姿を見ると、ゆっくりと立ち上がった。
「御苦労様、マグワイ。もう、下がって良いよ」
消え入りそうな声だったが、マグワイはしっかりと聴き取り、その場から立ち去っていった。
「初めまして、儂がエバ・・・アウドナ・エバーグリーンだ」
「は、初めまして・・・カラクレム・オルムと言います。えっと、本当にあなたがエバ?」
「ええ、彼らはどうしてもエバーグリーンが覚えられなくてね。今はエバで通しているのさ」
「あの、貴方はいったい?」
「まあ、そうなるだろうな・・・儂は、かつて人間だった者。グリーバの試作品のようなものだ」
「試作品?」
「儂とこの大樹は、過去の遺物。儂らの時代が滅んでから500余年・・・こうして生き長らえてきたのさ」
「500年前から、ずっと!?」
「そう・・・儂は人間の寿命を引き延ばす計画の被験者だった。グリーバ計画、人を光合成で生きる存在に変えるのが目的だった」
「光合成・・・植物が行なっている、あの?」
「厳密には、植物だけとは限らないが、その通りさ。最初はナマケモノの背に苔が生えるようなイメージから始まった。頭髪に寄生させた苔からエネルギーを得るというものだったが、これが失敗でね。次のプランである葉緑素適応手術を、儂は受けたのだよ」
「では、その緑の肌は・・・」
「そう、葉緑素に因るものだ。儂の場合、適応に成功し、不食人間になることが出来た。このような見てくれにはなったがな。とはいえ、大成功とは行かなくてね。誰もが耐えられるようなものじゃあなかったんだ。どこかで拒否反応が出ていたのが原因らしい。ゆえに計画は、最終フェイズに移行した。生命の創造だ」
「それが、あの巨人・・・」
「そう、生まれながらにして葉緑素を持った新人類、それがグリーバだったのだ」
「だった・・・?」
「旧人類が自滅した事は知っているかい?」
「人類は過ちを犯し、ユートピアの人類以外は滅んだと・・・」
「ユートピア・・・そうか、君は楽園計画の遺産だったのか、これで君のルーツが判ったよ」
「楽園計画?」
「かつて、人類は己の滅びを予期し、二つの派閥に分かれて延命計画が立てられていたのだよ。人の優れた頭脳はそのままに、より強靭で適応能力の高い肉体へ乗り換えるという転換派と人のまま存続する維持派だ。グリーバ計画はもちろん転換派で、楽園計画は維持派の筆頭格だった。人をより洗練された規律で統率すれば、未来永劫の繁栄を維持できるという楽園計画に、儂は懐疑的だったのだが、その両者の遺産が時を経て邂逅するなんて、とんだ皮肉もあったものだね」
「・・・私は、ユートピアから追放されて来ました。反抗の意思があると疑われた、という罪で」
「ふむ・・・当時から懸念されていた問題だね。閉鎖的な空間では、変化が嫌がられる。だから、変化の兆しは未遂であっても取り除く。理に敵っているようだが、規律とは時の流れと共に劣化し、齟齬が生まれていく。それでも押し通した先にあるのは滅びだ。理想の規律と心中することが維持派の定めなのだよ」
「・・・では、転換派の定めは、何だったのですか?」
「良い問い掛けだ、答えよう・・・転換派を支持していた儂は、グリーバこそが人類を繁栄させると信じていた。そう、儂こそがグリーバ計画の推進者だったのだ。儂は大樹の番人となり、大樹を起動させる時を待った。そして、旧人類が崩壊した時に、大樹を起動させたのだ。だが、産み出されたグリーバを観察し、儂は愕然とした。それは目指していたものとは大きく異なっていたからだ」
エバは直上の果実を指差した。
「見なさい、本来はあの大きさで生まれ、それが完成体のはずだった。しかし、グリーバは巨大化していき、醜く、頭の悪い、食欲だけが肥大化された化物になってしまった。光合成でエネルギーは足りているというのに・・・」
「・・・大樹を止めないのは、何故ですか?」
「止めようとしたさ。たが、一度起動した大樹は止まらないし、儂の力では傷一つ付けられないのだよ・・・それに、育てていくうちに愛着も湧いてきてね。どうせ、外には獣くらいしかいないからと、自由にさせていたんだが・・・まさかアールヴが生き残っていようとは」
「アールヴ?」
「今、人類を名乗っている奴らさ。彼らも転換派の遺産だが、兵器転用されてね。人類を滅ぼした一因でもあるんだよ」
「そんな・・・彼らが元は兵器?」
「そう、彼らが魔法などと呼ぶ力は、念動力に因るものだ。彼らには旧人類には無い、念動力を生み出す器官があってね、そこから思念で物理に干渉しうる粒子のようなものを発生させるんだ。そして、アンテナ代わりの長い耳で干渉性を高め、超常的な現象を引き起こす」
「彼らは、魔法で身体能力を強化していましたが?」
「あれは、想い描いた力を発生させるように、粒子がパワーアシストの効果を与えているからなんだ。自然のあらゆる法則に干渉する彼らは、まさに自然の寵児とも言える存在だ。兵器になどしなければ、人類の未来も開けていたかもしれないのに」
「というと?」
「アールヴの念動力は兵器転用の際に、殺傷性に特化させてしまったのだ。それを医療に応用していれば、自分で自分のあらゆる傷を癒せる存在になれたというのに・・・だが、彼らが今や人類だ。あまり事を構えたくないのだが、グリーバは彼らを食料とみなしてしまった。そのせいで、多くの悲劇を生み出してしまった」
「ええ・・・私も危うく食べられるところでした」
「それは、申し訳なかった・・・この付近に住まうグリーバには、人間は襲わずに山で死んでいた者だけを食べるように教えていたのだが、エヤはあまり寄り付かなくてね。問題ばかり起こす奴だった」
「・・・なるほど。それで、貴方はその、アールヴとの関係をどうするつもりなのですか? ハルハントの騎士が討伐隊を派遣しましたよ」
「ああ、そのようだね。だから君に使者になってもらいたい」
「私が・・・使者?」
「こちらに争う意思は無く、必要なら儂が出向き、話し合う用意もあると伝えて欲しいのだよ」
「・・・つまり、共存したいと?」
「儂は、我が子達とこの世の終わりまで、ひっそりと暮らして行ければ良い。どうか、討伐隊を解散するよう説得してもらえないだろうか?」
「・・・・・・分かりました、話してみます」
「おお、ありがとう・・・」
「ただし、麓の集落の人々を二度と襲わないことを徹底してください」
「もちろん、言って聞かせておくとも。さて、帰り道はマグワイに案内させよう・・・マグワイ!!」
エバが大声で呼ぶと、マグワイが体躯に似合わず、音一つ発てずに現れた。
「呼んだか、エバ」
「マグワイよ、客人を麓まで送ってあげなさい。丁重にな」
「分かった。 ・・・ついてこい、人間!」
カラクレムは、再びマグワイに先導されながら、殺気立つグリーバ達の間を抜けて、山を降りていった。
そうして、エヤの洞窟辺りまでカラクレムを送り届けると、マグワイは終始無言で山へと去っていった。
「ありがとうございました!」
カラクレムが去り行く背中に礼を言うと、マグワイは振り返らないものの、片手を突き上げた。
イルムレで朝を迎えたファウは、狩りに行くと言って、カラクレムと祈った神像のところへ祈りに来ていた。
「・・・どうか、カラクさんが無事でありますように」
出会って間もないというのに、何度カラクレムの無事を願ったことだろう。グリーバと交渉した時から、彼は無茶を平気そうにこなしていく。端から見ている身としては、ハラハラして気が休まらない。まだ7日も経っていないとは思えない疲労感である。
「まったく、心配ばかり掛けて・・・兄様よりも困った人です」
「・・・その、面目ありません、はい・・・」
「まったくです。反省、いえ猛省をですね・・・・・・あれ?」
ファウがぎこちなく振り返ると、そこには元気そうなカラクレムが立っていた。その姿を見たファウの瞳から、涙がこぼれ出した。
「そんな・・・カラクさんが死んでしまいました」
「えっ!? お陰さまで生きていますよ~ほら、ピンピンしています」
「うぅ、あの落ちっぷりでピンピンしているはずありません。カラクさんはもう亡くなっているのです、成仏してください」
「あれ? いや・・・そうなのかな? 私は死んでいるのかな?」
「きっとそうです・・・うぅ、カラクさんの為にシシカ汁を用意していたのに」
「シシカ・・・汁?」
その時、カラクレムの腹の音が、盛大に鳴り響いた。途端に訪れる、微妙な空気。ファウは泣くのを止め、怪訝そうにカラクレムを見た。
「あれ・・・生きていますね?」
「あ、はい・・・山を降りてきてお腹が空きました、あはは」
「あはは・・・じゃあないですよ。何でピンピンしているのですか!?」
「それはどう説明したものか、神様に治してもらって・・・」
「神様!?」
「ええ・・・ああ、それよりもエノゥさんは、どこにいますか? 少し話したいことが」
「それよりも!? ・・・エノゥさんは従士さん達を呼びに帰りましたよ。すぐに向かって来ているなら、今頃はアボイの町を抜けた頃でしょうか」
「そうですか・・・では、すぐに向かわないと」
「待ってください、火急の件だと御察ししますが、お腹を空かせたまま行かせるわけにはいきません。というか、心配掛けたのですから、シシカ汁くらい食べていってください」
「し、しかし・・・」
「彼らも集落で一度休憩を取るはずです。シシカ汁を食べて待っていた方が確実ですよ?」
「確かに・・・分かりました、ご馳走になります」
「よろしい。では、食べながら何があったのか教えてくださいね」
ファウは、カラクレムの手首をガッチリと掴むと、その腕を引いて歩き出した。
「ふぁ、ファウさん?! ちょっと痛いです! 身体強化とかしていませんか!!」
「はい、カラクさんはフラりと消えてしまいそうなので、強化増し増しで強制連行です」
「信用が地に墜ちている!?」
「そうですよ・・・わざと杖を掴み損なった事、気付いていますからね?」
「さ、流石ファウさん・・・面目無いです」
「はぁ・・・やっぱりそうでしたか」
「まさか、カマ掛けを!?」
「だって、カラクさんが掴み損ねるはずありませんから」
ファウはカラクレムの手首を締め上げ、元気そうな悲鳴を聴きながら、イルムレへと急ぐのであった。
「お兄さんが帰ってきたって!?」
イルムレに到着早々、カラクレムの帰還を聴いたエノゥは、すぐさまイグル邸へと乗り込んだ。
「あ、エノゥさん。待っていましたよ」
囲炉裏の前でのんびりと汁物をすするカラクレムに、エノゥも珍しく唖然としていた。
「えっと、説明するとですね・・・」
カラクレムが、自身に起きた出来事を簡潔に説明すると、エノゥは聞けば聞くほど苦い顔になっていった。
「・・・ファウちゃん、どう思う?」
「信じ難いです」
「だよねぇ・・・」
「ですが、ここまでピンピンしていると、信じざるを得ないかと」
「だよねぇ・・・」
「あはは・・・それで、エノゥさん。討伐を取り止めることは出来ないでしょうか?」
「お兄さん・・・それは無理だよ。私は殲滅を命じられたんだ、それを止めることは出来ない」
「可能であれば、騎士長はそう前置きしていたはず。今回は和平の話を報告するだけでも良いのでは?」
「駄目なんだってば、害獣は殲滅、和平なんてありえないの」
「どうしても?」
「ええ、どうしても」
「なら、仕方ないですね」
「そう、仕方ないの」
「戦いましょう」
「うん、そうだ・・・・・・んん??」
「決闘しましょう」
「えっと・・・なぜ?」
「私は巨人、グリーバの本拠地の正確な位置を知っている。だけど、私は教えるつもりが無い。決闘で負けるまでは」
「もう、イヤだなぁ~お兄さん。せっかく生きて帰れたのに、死んじゃうよ?」
エノゥの顔から友好的な笑みが消え、瞳がギラつき出す。やる気は十分なようだ。
「構いませんよ?」
「あはは、笑えないねぇ・・・ファウちゃんもお兄さんに言ってやってよ?」
ファウは憮然とした表情で、カラクレムを睨み付けていた。
「知りません、死にたいなら勝手にしてください」
「そんな、ファウちゃんまで・・・」
「エノゥさんは、私と戦うのが怖いのですか?」
「なんだって? お兄さん、私が辛抱しているからって、ちょっと調子に乗り過ぎなんじゃないかな?」
「では、決闘は?」
「受けようじゃないか。2度と軽口を叩けないようにしてあげる」
*
ヌーレ湖の南岸の平野、カラクレムとエノゥの決闘は、そこで行なわれることになった。イルムレの住人や討伐隊が困惑しながら見守る中、カラクレムとエノゥは相対するのであった。
「私は魔法を使っちゃって良いんだよね?」
「ええ、構いませんよ。私が勝てば、エノゥさんには退いてもらいます。負けた時は彼らの位置を教えます」
「こっちは、どんな条件でも構わないよ。お兄さんが私に勝つ見込みなんて無いんだから」
「分かりました。それでは、始めましょうか。ファウさん、お願いします!」
この決闘の審判を務めるファウは、神妙な面持ちで二人を見据えていた。
「・・・始め!!」
彼女の号令と共に、決闘は開始された。
カラクレムが杖を構えて突貫するのと同時に、エノゥは地面に手をついた。
「一気に終わらせてあげるよ」
次の瞬間、カラクレムの足元から、エノゥ十八番の地槍が飛び出してきた。
カラクレムはそれを難なく回避し、突貫を続行した。
「何で!?」
2本、3本と地槍を繰り出すが、カラクレムはそれも軽々と回避していく。カラクレムは、地槍の出てくる場所、タイミングを読む方法を見つけていた。地槍の飛び出してくる地点は、一端盛り上がる。そして、速効性を重視していない無い時は溜めるように一拍置いてから地槍がやって来る。向かって来る先はカラクレム自身なので、この癖のようなものと、盛り上がった地点さえ見つけられれば、避けること事態は難しくは無い。
「気付かれちゃったか、でもね!!」
その攻略法は、一斉に多方向から、隙間無く飛び出してこない場合に限る。四方八方から飛び出してきた地槍はカラクレムを中心に集束した。激しい音と共に、土煙が舞い上がる。
「安心して、先は丸くしてあるから。でも、タダでは済んでないと思うけどね~」
しかし、ファウは終了の号令を掛けない。怪訝に思ったエノゥは、土煙の中を凝視した。そして気が付いた、地槍が先からボロボロと崩れており、その破片が土煙を形成していたことに。
「やはりそうでしたか・・・お気遣いありがとうございます」
土煙の中から、赤茶けた外套を纏ったカラクレムが、無傷で現れた。
「へぇ、それが神とやらに貰ったもの?」
「ええ、出来れば使わずに勝ちたかったのですが・・・こうして魔法と戦ってみて、これでやっと条件は同じと言われた意味を理解しました、猛省しています」
「どういう仕組みなのか、な!!」
ほぼ予備動作無く、横列に並んだ地槍が槍衾の如く、カラクレムに襲来した。これもまた、高く飛び上がる以外に回避不可の陣形である。
ゆえに、カラクレムは動かずに甘んじて地槍をその身に受けた。すると、カラクレムにぶつかるはずの地槍が先から崩れ去っていった。それ以外の地槍は何事もないことから、彼に触れようとした地槍にだけに異常が起きたことが判る。
「・・・魔法が消されている?」
地槍は何かに打ち砕かれたのではなく、在るべき姿、ただの土に還されているかのようである。その仮説に到ったエノゥは新たな手を試すことにした。意識を湖へ向け、湖水を巻き上げて、巨人もすっぽり覆るほどの、大きな球体に仕上げた。
「いくよ、お兄さん!」
エノゥはその球体をカラクレムの直上へ運び、勢いをつけて落してみせた。
球体はカラクレムに触れる寸前、ただの大量の水へ戻され、大きな水飛沫を上げた。
後に残ったのは、ずぶ濡れになったカラクレムだけ。片膝はついているものの、目立った外傷は無かった。球体のまま落ちれば、その重さで押し潰すことが出来るのだが、大量の水では嫌がらせにしかならない。
だが、片膝をついているということは、水圧は通っているわけである。エノゥは更なる手を講じた。
大気を動かし、風を生み出すと、その風を右手に収束させ、人間サイズの球体にしてからカラクレムへと放った。これは、球体の中に荒れ狂う暴風を閉じ込めたもので、取り込まれたら最期、ズタズタに引き裂かれるという凶悪な魔法である。しかしこれも、カラクレムの鼻先で分解され、風に戻されてしまった。ただ、ここで重要なのは、戻された姿が大気ではなく風であったことである。やはり、魔法を消しているようだが、魔法が引き起こしていた現象の余波までは消せないらしい。カラクレムは暴風の直撃を受け、引き裂かれはしないものの、風圧に負けて大きく後方へ飛ばされてしまった。魔法を消すというとんでもない力ではあるが、例えばあの風圧で木の幹にでもぶつければ、勝負は決するであろう。
「凄いですね、魔法とは。もう服が乾いてしまいましたよ」
カラクレムなりの皮肉だろうか、乾いた服をアピールしている。 少し癪に触ったエノゥは、吹き飛ばすなんて悠長なことは止めて、巻き上げたうえで落としてやろうと決めた。強力な上昇気流を内包した球体を作り出し、カラクレムへと打ち出した。これなら、魔法が打ち消されようとも、空高く舞い上げられることだろう。
球体が外套によって打ち消される寸前、カラクレムの右手には長剣が握られていた。長剣は右逆袈裟に振り上げられ、迫り来る球体を切り裂いた。いや、正確には球体はそのままに内部で発生していた上昇気流のみを、魔法では無く事象を切り裂いたのである。
球体は外套に打ち消され、上昇気流はそよ風に換わって解放されていった。
「さて、次はこちらから」
カラクレムは、杖をその場に突き刺し、長剣を片手にエノゥへ突貫した。彼の唯一の攻撃手段たる接近戦を封じたまま圧倒する考えだったエノゥも、仕方なく長剣を引き抜いた。
「魔法を消す外套に、事象を斬る剣・・・最初から斬り合いしかなかったわけだ。ズルいなぁ、お兄さんは」
エノゥに肉薄したカラクレムは長剣を振り上げ、エノゥは長剣を下段に構え、両者の長剣が火花を散らして、ぶつかり合った。
そのまま、押し合い圧し合いにもつれ込み、純粋な力比べとなっていく。上方から切り掛かったカラクレムが優勢かと思いきや、じりじりとエノゥに押し返されていき、ついに弾かれてしまった。返す刀で、エノゥが切り下ろしてきた一撃を、カラクレムは後方へ跳んでなんとか避ける。空振ったエノゥの長剣は、重々しい衝撃音と共に、地面を軽く抉ってみせた。
「まったく、凄い力ですね。よく剣が折れないものです」
「それはそうだよ、これは硬い竜種の鱗を断ち切る為に鍛え上げられた剣なんだよ? このくらいでガタがくるようじゃあ、使い物にならないよ!!」
即座に構え直し、切り掛かってくるエノゥと、カラクレムは二合、三合と打ち合ったが、完全に膂力ではエノゥに押し負けていた。実は、事前に身体強化をしたファウと力比べをさせてもらい、見た目とのギャップからくる混乱には慣れておいたはずであったが、やはりエノゥの実力は比べ物にならなかった。素人と達人がこれほどまでに違うのだと、嫌でも実感させられる。それでも、負けるわけにはいかない。手を痺れさせながらも、必死にエノゥの凶刃と切り結び、端から見れば互角の斬り合いを演じて見せている。全ては反撃の機会を作る為に。
そして待ちに待った上方から来る大振りの一撃を、カラクレムは受け止め、そして、重心が乗ってきたのを感じてから、脇へ受け流した。
これにはエノゥも対応出来ず、前へ大きく体勢を崩してしまった。剣先は地面に深々と食い込み、咄嗟には引き抜けそうにない。カラクレムは間髪入れず、エノゥの首目掛けて、長剣を横薙ぎに振るった。寸前で止めれば、勝利を認められるだろう。だがその手加減が、命取りであったのだろう。エノゥは長剣から手を離すと、カラクレムの斬撃を首の皮一枚のところで後ろに飛び退いて回避して見せた。
カラクレムは驚きのあまり、長剣を止めずに振り抜いてしまった。止めてから突きを放てば、勝負は決していたかもしれないが、それは仮の話。現実は、隙だらけとなったカラクレムの胴に、懐に飛び込んできたエノゥの拳が打ち込まれていた。
「ぐはぁっ!?」
魔法の乗った一撃に悶絶しそうになるも、カラクレムは長剣を手放し、その手でエノゥの首に手刀を叩き込んだ。
「くっ・・・!?」
その手刀にエノゥも意識を持っていかれそうになるも、すぐさま持ち直すと、手刀の手を左手で掴み、左足で胴への蹴りを放った。重い蹴りを脇腹に受けたカラクレムは、咄嗟に左手でエノゥの眉間に当て身を食らわした。大した威力は無いが、エノゥは驚き、手を離してしまった。
そして、二人は同時に間合いを取り、次に備えて拳を構えた。
「まさか格闘にまで持ち込まれるなんて思わなかったよ、お兄さん。ちょっと見直したよ」
「はぁ・・・ぐぅ・・・エノゥさん、強すぎですよ」
「あまりハルハントの騎士を侮らないでもらいたいね。力をもらって調子付いていたんだろうけど、仕組みが判ればあまり大したことないよ。魔法を消す外套に事象を切る剣、インパクトはあるけど、何てことは無い。殴って殴って、殴れば良いのだから!!」
エノゥは瞬く間に、カラクレムへ肉薄し、拳を振りかぶった。
魔法を消す外套の弱点は、事象は消せないこと、事象を斬る剣の弱点は剣であること。外套はエノゥの魔法を乗せた拳から魔法は消せるが、魔法によって生じている衝撃は消せない。衝撃は身体に浸透し、臓器に直接ダメージを与え、体力を削いでいく。やがて昏倒するか、耐えたところで臓器が破裂して死ぬ。この襲い掛かる事象、つまりエノゥをカラクレムは斬ることが出来ない。正確には斬る意志が無い。そうなると、カラクレムには打つ手が無くなる。完全に詰んだ状態なのだ。だがカラクレムも、それを理解していた。受けたダメージは、生半可なものではないからだ。だが、それが諦める理由にはならない。
拳が眼前に迫る中、カラクレムは構えを解いた。そして、迫り来る拳を邪魔そうに見つめながら、スッと何気無く回避した。歩み寄るように、さらにエノゥに接近し、そのまま彼女を抱き止めた。
「・・・はい?」
唖然とするエノゥに、カラクレムは微笑みかけた。
「すみません、私の勝ちです」
カラクレムは、自分のチェストと腕でエノゥの首を絞め上げていった。意図に気付いたエノゥが、カラクレムを引き剥がそうとしたが、力が出ない。正確には、想い描いたほどの力が出せないのだ。
「・・・私も、エノゥさんと戦いながら、この力の癖を考えてきました。そして、この外套が魔法を遮断しているのなら、外套内なら魔法の発生自体を阻害するのではないかと考えたんです」
「くっ・・・身体強化を!?」
「はい、消えているみたいですね。これで仮説は立証されました」
エノゥはじたばたと暴れたが、彼女本来の膂力ではカラクレムの筋力には到底歯が立たない。
「か、可愛い女の子以外に、抱きつかれるなんて・・・不覚」
「その・・・可愛い女の子じゃなくて、すみません」
血流を制限されたエノゥは、程なくして意識を失っていく。気絶したエノゥを、カラクレムが地面に寝かせたことで、見守っていたファウはカラクレムの勝利を宣言した。