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カラクレム  作者: Arpad
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第三章 邂逅

 ついに、視界に捉えた騎士の都ハルハント。しかし、峠からは意外と距離があり、エノゥとファウは騎馬で、カラクレムは再び浮遊にて移動を開始した。

 森を抜け、野原を横目に街道をひた走り、峠から半刻ほどでハルハントの巨大な正門に辿り着いた。正門には、白い重装鎧を纏った武人が小隊規模で詰めており、天幕や馬防柵が申し訳程度に設置されている。正直、規模の割に少なすぎる守備だとカラクレムは感じていた。

 当直の武人が二人、歩み寄ってきた。そして、来訪者がエノゥだと気付くと、敬意を表した。

「これはアンリヌイ卿、おかえりなさいませ」

「どうも、従士さん。通らせてもらうよ」

 エノゥは顔が利くらしく、すんなりと正門を抜けることが出来た。浮遊しているカラクレムは、訝しまれはしたが。

「あの・・・エノゥさん、そろそろ降ろしてくれませんか?」

「ああ・・・面白いから、放置で」

「だんだん、貴女の考え方が判ってきましたよ・・・それで、アンリヌイと呼ばれていましたけどあれは?」

「さすがお兄さん、聞き逃さないね。あれは通り名みたいなものでね、任せられている外壁の守護塔の名前なの。私が任されているのがアンリヌイ塔だから、敬意を込めてアンリヌイ卿というわけ」

「なるほど・・・これからそこへ行くわけですね」

「御明察! その理由は分かるかな?」

「むぅ・・・儀礼を重んじていそうですから、正装に着替えるなどでしょうか?」

「残念、アグラ、この馬を留めに行くだけ。謁見はこのまま直行だよ」

「直行・・・大丈夫なんですか?」

「身支度を気にする暇はない、情報は鮮度が命だ。騎士長の口癖でね、着替えたらむしろ怒られるの。というか、この外套と鎧姿こそが正装だよ」

「意外とラフなんですね、騎士団というので激しいくらい儀礼的なのかとばかり・・・」

「お兄さんにとっての騎士団っていったい・・・馬に乗る戦士の集まりってだけなのに」

 正門を抜けた先は、訓練場のような開けた空間で、そこから中央の城塞までの道、城壁に沿った左右の道が走っていた。エノゥは左の道を選び、程なくして、城壁と一体化した塔の前に来た。

「これが守護塔だよ」

 五階層ほどの塔には、従士と呼ばれる騎士配下の一兵卒が詰めており、ハルハントには十の守護塔があるのだという。各塔と城塞は水道橋のような内壁で繋がっており、内壁は城塞への連絡橋でも、城内を区画化する壁でもあり、中は従士らの宿舎にもなっているそうだ。ちなみに、正門を守っていたのは騎士長直属の従士で、案外誉れ高い人たちであったらしい。

「まあ、私の塔はここじゃ無いんだけど」

「あ、違うのですね・・・」

 内壁のアーチをくぐり、守護塔をもう一つ越えたところで、ようやくエノゥが統べるアンリヌイの守護塔へ辿り着いた。

 すると辿り着くや否や、塔の中から明らかに年老いた従士達が現れた。

「おかえりなさい、アンリヌイ卿」

 その中で、背筋正しい老従士がエノゥに歩み寄ってきた。

「ノイ従士長、ただいま。よく帰還が分かったね?」

「アグラの嘶きが聴こえましたからねぇ」

「相変わらず老人なのに、耳が良いなあ・・・私の馬なのに」

「ははは、年中御帰還をお待ちしていると、自然と判るものですよ。ちなみに我々アンリヌイ従士隊は皆判りました」

「そこまでだと、ちょっと怖いな・・・そうだ、アグラをお願い。私たちは騎士長に謁見してくるから」

「承知しております。そちらの浮いている御仁と・・・こちらのお嬢さんもですかな?」

 ノイに問われ、エノゥの背後に乗るファウに視線が集まった。先ほどから口を開いていないと思えば、エノゥに寄り掛かったまま、寝息を立てていた。

「お疲れのご様子ですな」

「ああ、この子は別なの。でも私の賓客だから、丁重にもてなすように」

「承知致しました、アンリヌイ卿」

「あ、ファウちゃんを降ろさないと私が降りられない。というわけでお兄さん、ファウちゃんを降ろしてくれたまえ」

 唐突に、魔法を解かれたカラクレム。何となく予感はしていたので間一髪で着地には成功した。

「っ・・・危ないじゃあないですか、ふざけるのも大概にしてください」

「お兄さんなら、このくらい問題ないでしょ?」

 それは力量の事なのか、ただ粗雑に扱われているだけなのか。釈然としないカラクレムであったが、馬上からファウを降ろし、そのまま抱き抱えた。旅の疲れというよりも、エノゥのせいで眠れていなかったのではないか、ファウへと同情を禁じ得ない。

「さて、ファウちゃんを私の寝台に寝かせてから、謁見に行こうか」

 馬をノイに預けたエノゥは、カラクレムの腕からファウを奪うなり、意気揚々と塔の中へ入って行った。カラクレムは急いで後を追い、エノゥに着いていった。

「ここが、私の部屋だよ」

 エノゥの部屋というのは、塔の五階層目から繋がる内壁の中にあった。従士の部屋は、三から四階層に掛けて、一本の廊下に向かい合うようにして幾つもの部屋が配置されていたが、ここに廊下は無く、すぐに扉があった。

 エノゥが扉を開けると、部屋の広さが、従士の4倍以上あることが判った。なぜなら、部屋の一角に家具が密集していて、後はスカスカになっていたからだ。

「これはずいぶん、偏っていますね・・・」

「部屋が広すぎると気が鈍っちゃって。大丈夫、空いたスペースは鍛練の時に使っているから!」

「なるほど・・・警戒範囲ですか」

「そうそう、この範囲内なら呼吸しただけで侵入を察知出来る自信があるよ」

「はぁ・・・そうですか」

 エノゥはファウを寝台に寝かせると、その隣の机に向かい、紙に何か書き始めた。

「書き置きですか?」

「うん、起きた時に混乱しないようにね・・・・・・これで、良し。さあ、いよいよ謁見の時だよ、お兄さん」

 鍵を掛けてから、エノゥはカラクレムを伴って部屋を後にした。向かったのは、塔の屋上だった。屋上から内壁の上を通れば、中央城塞まで直通で行けるのだと言う。

 遠くから目にしても、白く映えていたハルハントだが、こうして直上に出てみると、目が眩むほど輝いている。いったい何に対してアピールしているのか。

 内壁を行く中、カラクレムは、壁と壁の間の土地に眼を向けた。正門を抜けた時に観た場所と同じ、何もない、ただ整備された草地が広がっている。

 これだけの規模の城塞なら、籠城を想定し、自給自足の為の畑があっても良いものなのだが。各塔には約100人の従士が詰めているらしいが、全体で1000人以上は居る騎士団の食料はどこで賄われているのだろうか。興味は尽きないが、いちいち質問する時間は無いようだ。

 中央城壁は一重の水堀で囲われおり、内壁はアーチ状の土台でそれを越えている。水堀を越えれば、ついに中央の城塞は間近である。城塞は尖塔の並ぶいわゆる城ではなく、大中小の四角が積まれたようなの建築物で、まさに要塞といった様相を呈している。内壁は城塞の中層のテラスに繋がっており、実はこのテラスから城塞へ入る扉が正式な門らしい。低層は従士らの勝手口であり、守護塔を通って来られないような者は正式な客に値しないというわけだそうだ。

 そんな中層の入り口も、エノゥが先導することで、すんなりとカラクレムを通してくれた。いくら任を受けた騎士が連れてきたとはいえ、もう少し警戒すべきなのではないか。そう、カラクレムは訝しまずにはいられなかった。あまりにも無頓着なのだ。

 とにかく、中層へ入るといきなり大きな扉が目についた。この扉の先には、広間があるのだと言う。中層は主に儀礼や集会を行う場所であり、その大半を広間が占めているのだそうだ。儀礼的な式典、公的な謁見は、この広間で行うのだが、今回、騎士長がカラクレムと会うのは個人的興味の為、つまり私的な事に当たり、高層にあるという騎士長執務室で直接謁見するらしい。

 そして、あれよあれよという内に、カラクレムはその執務室の扉の前にたどり着いていた。エノゥが扉を盛大に叩き、声をアホみたいに張り上げた。

「騎士長、アンリヌイのエノゥです! 例の御仁を連れて参りました!!」

 だが、部屋の中からは返答が無い。奇妙な沈黙に、カラクレムは溜め息をついた。

「さすがにそれは無礼では? 怒っているのかもしれません」

「ああ、大丈夫、大丈夫。このぐらいじゃないと騎士長に届かないから」

「え、聴力に何か問題でも?」

「いやいや、そうじゃなくてね・・・」

 エノゥが何かを説明しようとしたその時、扉が僅かに開き、室内から風が吹き抜けてきた。

「あ、御許しが出た。百聞より見ちゃえば早いのだよ」

 さっさと入室するエノゥに続き、カラクレムも執務室へ入った。部屋の両端には本棚がズラリと並び、唯一開けた正面には、西陽を背にして執務机へ向かう、白銀の鎧で全身を包んだ人物が居た。これが、エノゥの説明しようとしたこと、確かにこれなら聞こえ難いだろう。

「よく・・・た、・・・の御・・・。今回は・・・に・・・くれ・・・する」

「すみません、もう一度お願いします!!」

 エノゥが大声で返答する。頭部もすっぽりと兜に覆われている騎士長、声がくぐもり、よく聞き取れなかった。

「・・・・・・ハァ」

 嘆息した騎士長は、なぜか右人指し指を伸ばし、なにやら指揮棒の様に振り始めた。

「社交辞令だ、気にするな」

 突然、耳元で語りかけられたように、聞き慣れない声が聴こえ、カラクレムは混乱した。周囲を見回しても、近くにはエノゥしかいない。もちろん、エノゥの声ではない。若くも年老いてもいない男の声である。

「落ち着け、これは魔法だ。人は、耳の奥にある器官が大気の震えを捉えて、音として認識している。私は声と同じ音を貴殿の耳へ直接送っているだけだ」 

 つまり、声の主は騎士長であり、おそらくあの人指し指の動きで音を届けているのだろう。カラクレムは、馴れない声の近さに戸惑いながらも、エノゥを真似て、声を張り上げた。

「招待に応じて参りました、カラクレムです! 早速ですが、御用件をお伺いしたいのですが!!」

「それ以上、声を張り上げる必要は無い。既に意識はそちらに向けている、例え小声であろうと聞き取れる」

「は、はぁ・・・それも魔法、なんですか?」

「先の魔法の応用といったところだ・・・さて、此処へ呼んだのは、貴殿がグリーバと意思疏通を行なっていたと、そこのアンリヌイ卿から報告を受けたからだ。そこに間違いは無いな」

「・・・ええ、そうですね」

「ならば、問わねばならないことがある。長くなりそうだが、生憎この部屋には来客用のイスが無い、座らせるほどの客が来ないからな。悪いが空気イスで我慢してくれ」

「えっと・・・空気イスですか?」

 空気イスとは、脚力を酷使して、座っているように見せ掛けるという意味なのか。仮にも賓客に空気イスを強要するとは、スパルタな騎士長である。

「そこに腰掛けてくれ」

 騎士長に促され、カラクレムは渋々、腰を降ろす動作を取った。すると、驚くべきことに何も無いはずの空間に座ることが出来た。

「空気で編んだイスだ。馴れないかと思うが、座り心地は良いはずだ」

「は、はぁ・・・確かに、座りやすいです」

「なら良い。アンリヌイ卿、貴殿はそのままで待機だ」

「はっ!」

 エノゥは腕を後ろで組み、カラクレムの左後方に陣取った。やはりスパルタなのか。話し方も威圧的で隙がない。対話というよりも、尋問に似た雰囲気を、カラクレムは感じていた。

「さて、状況は整った。話を始める前に改めて名乗っておこう、私はラグトゥ、ハルハント騎士団で長を務めている。ゆえに、人に仇なす害獣に関することには興味があるのだ」

「害獣・・・巨人もその中に入ると?」

「当然だ。人を喰らう頭の沸いた獣、それがグリーバだ。そのような害獣から人々を守護するのが、我々騎士団の仕事なのだから」

「害獣を倒すのが、騎士団の仕事なのですか?」

「そうだとも・・・ふむ、貴殿は世情についてどうも疎いようだが、それは貴殿の容姿と関係があるのか?」

 やはり来たか、カラクレムは動揺を見せないように努めながら、頭の隅で考えておいた言い訳を用意しておく。

「私の・・・容姿?」

「丸い耳に、魔力を纏わぬ身体。それはまさに、我々を創造したという旧支配者の姿だ」

「旧・・・支配者?」

 予期しない言葉の出現に、カラクレムの心は揺さ振られた。旧支配者とは何者なのか、問いたい気持ちを抑え込み、嘘の自分に成りきらねばならない。騎士長、彼は為政者だ。旧支配者という存在にどのような感情を抱いていたとしても、ユートピアの存在を知られるわけにはいかない。例え、辿り着けなくとも、野心を大いに刺激する可能性があるからだ。追放された故郷とはいえ、売るような真似は控えたかった。

「その・・・分からないのです。気が付いたらグリーバに捕まっていて、自分が何者かも判らなくて・・・」

「ふむ、グリーバに捕まる前の記憶が無いと?」

「ええ・・・状況が掴めないうちに、食べられてしまいそうだったので、巨人と交渉することにしたのです」

 実際、捕まった時の記憶は無いし、食べられそうになったのも事実だ。それ以前の事を聞かれなければ、仮に嘘を見破る術があったとしても、押し通せるとカラクレムは考えていた。

「ふむ・・・まあ、今は貴殿の生来に興味は無い。そのまま、体験したことを語ってくれたまえ」

 カラクレムは、自身への興味が無いと知り、安堵しながらも、気を抜かずにあの洞窟での出来事を事細かに説明した。

「ふむ・・・アンリヌイ卿の報告と遜色無いと言えるだろう。ゆえに、彼女が来る前に行なわれていたグリーバとの語らいが興味深い。人身売買のマーケットに、グリーバを産む木とは・・・作り話だとしたら、上出来だな?」

「真実だとは断言出来ませんが、全てグリーバから聞いたことではありますよ?」

「ああ、貴殿の声に嘘はなかった。グリーバから聞き出したという点については信じよう」

 本当に嘘を見破る魔法があったというのか、カラクレムはつくづく、拷問対策訓練を受けておいて良かったと、内心カラクレムは冷や汗をかいていた。

「どうやら詳しく調べる必要があるようだな。アンリヌイ卿、引き続き頼みたい」

「それは・・・騎士長、私も前線に!!」

「私が頼むと言ったのだ、アンリヌイ卿。貴殿はグリーバのマーケットと誕生の木の所在を突き止め、可能であれば討ち果たせ」

「騎士長! 私は十分戦果を上げてきました、なぜ私だけがっ!!」

「客人の前だ、私情は控えろアンリヌイ卿。これ以上私の顔に泥を塗る前に、即刻任務に就きたまえ」

「くっ・・・任務、拝領致しましたっ!!」

 エノゥは柳眉を逆立て、歯を食い縛りながら、踵を返して執務室から出ていった。扉を静かに閉めていったのは、称賛に値するだろう。

 カラクレムは、一連のやり取りを見終え、率直な疑問を口にしてみた。

「なぜ、エノゥ・・・アンリヌイ卿を、ああも否定するのですか?」

「・・・我々には、仲間の手を取る必要はあれども、涙を拭ってやる暇などない。己を己で乗りこなせない者は、戦場には不要なのだ」

「・・・それが理由ですか?」

 正直、望んだ答えでは無かったが、カラクレムは朧気だが意図を酌むことが出来た。

「無駄話はここまでにしよう・・・それで、貴殿はこれから何を成すつもりか?」

「・・・え?」

 それはあまりにも平凡で、平凡ゆえに見落しがちな問いであった。これから何をするのか、カラクレムはすぐに思考を巡らせたが、言葉に詰まってしまった。

「どうした、旧支配者よ。貴殿はこれから、同族のおらぬ孤高の道をどのようにして歩むつもりなのだ?」

 これから、未来と言い換えられるであろうものは、我が理想郷を逐われた時点で失われている、カラクレムはそのように考えていた。あれよあれよと、時流に身を任せてきたのは、己の先が描けないからだ。ゆえに今も、人に語れる未来など無いのである。

「これからの事は・・・今は未だ考えられません。それでも、自ら命を絶つことは出来ない。それは時が教えてくれるかもしれないから。だから今は、なんだかんだで時間を稼ごうと思います」

「・・・ふっ、そうか。その一端なら協力できるだろう」

 騎士長は、机から皮袋を取り出すと、それをカラクレムに投げて寄越した。

「謝礼だ、しばらく不自由しない金額が入っている」

「そんな・・・ただ、見聞きしたことを話しただけで、頂けません」

「なに、情報は買うものだ。それにこれは投資でもある、良質な情報にはそれに釣り合う金になると分かれば、今後も情報をもたらしに来るからな」

「・・・判りました、御厚意に甘えさせて頂きます」

「うむ、物分かりが早くて助かる・・・甘えるついでに、我がハルハントで飼われてみないか? 貴重な個体だ、それだけの価値はあるぞ」

「それは・・・遠慮しておきたいですね」

「そうか・・・気が変わったら価値が無くならないうちに来るが良い」

 その後、カラクレムは執務室を辞し、来た道を思い出しながら、中層のテラスへ続く扉まで戻ってくることが出来た。そしてそこには、壁に背を預けて待つ、エノゥの姿があった。

「エノゥさん、待っていてくれたのですか?」

「・・・それはそうだよ。ご機嫌斜めだからって、お兄さん置いて行ったら可哀想じゃない? もの凄~く意外そうだけどね」

「ええ、まあ・・・あの勢いなら引きこもるか、すぐさま馬を駆ってグリーバのマーケットを炙り出しそうでしたから」

「炙り出すって・・・お兄さんの中で私の印象ってどうなっているのかな?」

「よく笑い、よく喋り・・・よくよく雑といったところでしょうか」

「割りとヒドイくない!?」

「主にあの洞窟での印象です」

「あの時は・・・というかね、任務中は頭に血が上るっていうかぁ・・・あはは」

「豹変と言っても良いくらいですね。それにしても、騎士団の最高位に逆らうのは下手を打ったのではないですか?」

「あぁ・・・あれは大丈夫だよ、いつもの事だから」

「いつもの、事?」

「聴くも涙、語るも涙・・・エノゥちゃん虐げられ物語、始まるよ」

「ああ・・・なるほど。戻りながら話しましょうか?」

「・・・そだね」

 

                

 ハルハント騎士団、その起源は今の居城よりもさらに東の地に生きた騎馬民である。ハルハントとは、元来生活していた草原を指す言葉であったらしい。

 黄金草原と呼ばれる、豊かな草原地帯で厳しくも実り多き遊牧生活を送っていたハルハントに、突如として災厄が降り掛かった。後に竜種と呼ぶ、鋭い牙と硬い鱗を持つ生物の流入である。ハルハントは、初めて結集し、得意の騎射戦法で生命線たる家畜や伝来の土地を守らんとしたが、流入は激しさを増し、西へ西へと追いやられてしまったのだという。

 当時のハルハントの首長は、北の山民(カーシン)、南の海民(ユクワー)、そして西の森民(フォルフト)の首長らと話し合った。そして、竜種は人種全て脅威だと認め、ハルハント首長は、騎士団の結成を宣言した。目的は竜種への対抗と故郷の奪回、事実上は他民族の壁として機能する見返りに、山民から鋼鉄の武具を、海民からは発展していた魔法技術を、そして森民からは土地と食料の提供が確約された。そうして、鋭い武器と硬い鎧で竜種と同等に、その上魔法が竜種を上回る力をもたらし、竜種を凌駕した存在、騎士が確立されたのだという。

 とはいえ、騎士に至れるのは一握りで、圧倒的な物量の竜種とは膠着状態へ持ち込むのが精々であり、あっという間に50余年の月日が流れていた。

「この城塞は、魔法をさらに深めた初代騎士長が一日で築いたんだって。白亜で統一したのは、竜種が白いものを盛んに狙う性質があるからなんだ。例え、前線が崩れてもハルハントが狙われるように。鎧とかが白いのも同じ理由だよ」

「・・・城塞といえば、長々と話されていましたが、意外と長いのですね、塔までの道は。まだ半分ですか」

「え~これでも割愛したんだよ、お兄さん? 分厚い歴史書の前説をさらに短くまとめたんだから」

「民族の歴史ですからね・・・それで、エノゥさんが行きたがっていた前線というのは、その竜種との?」

「そうだよ、早く竜種を串刺しにしたいんだっ! まあ、騎士長が赦してくれないんだけどねぇ・・・私だけ万年留守番なの」

「そこまで、竜種と戦いたい理由というのは・・・お聞きしても?」

「構わないよ、ありきたりだから。両親が竜種に殺されただけだから」

「だけだからって・・・大変なことじゃあないですか、それは?」

「そうでもないよ、ハルハントの民にとって、竜種に親を殺されることはありふれたことだから。むしろ、一番多い志願理由じゃあないかな?」

「例えありふれた事でも・・・エノゥさんには、堪え難い現実でしょう」

「・・・故郷の解放と人という種の安寧。それが最初の目的、理念だったのに、復讐心に変わっていくなんて嫌なんだよね・・・だから私は冷静に、堅実にこの位まで上がってきたのに」

「竜種と、戦わせてもらえないと?」

「そうなの、理不尽だよね? ぷんぷんだよね? でも、駄々こねてても変わらないから、任務に邁進するしかないの。また戦果稼ぎかぁ・・・」

「そうですか・・・」

 カラクレムの脳裏に、騎士長の言葉が甦る。己を乗りこなせていない、エノゥは串刺しにしたいと目の色を変えるほど竜種に憎しみを示しながら、両親の死をあっけらかんと話し、復讐心は良くないとまで言ってみせた。ちぐはぐで不安定な情緒、これまでも垣間見えることがあったそれを、騎士長は警戒しているのだ。エノゥがそれを自覚し、改善しない限り、いくら戦果を稼ごうが、前線へは行けないだろう。

 だが、カラクレムはあえて口を出さなかった。自分には口を出すほどの関係無く、それを越えてまで伝える義理も無いからである。もし、伝えねば不利益を被る時でなければ、カラクレムから言い出すことは無いだろう。

「今後は、どうするのですか?」

「もちろん、任務に勤しむのみ。ファウちゃんとお兄さんを送りながら、またイルムレへ行くよ」

「ずいぶん強行軍ですね、そこまで急ぐ必要が?」

「え? 任務はすぐに取り組まないと騎士長が怒るし、何よりもイライラするから早く城を出たいんだよね。 さあ、ファウちゃんに話をして、さっさと行こう!!」

 まもなく、二人はアンリヌイの塔へ辿り着いた。その足で、ファウを置いてきたエノゥの部屋へ向かった。だが、鍵を開けようとしたエノゥの手が止まった。

「・・・鍵が、開いている?」

 エノゥは扉を開け、ファウを寝かせていた寝台を確認したが、そこにファウの姿はなかった。

「まさか・・・誘拐? そんな、城には騎士団の関係者しか入れないのに・・・はっ、仲間の中に不届き者が!?」

「・・・起きて部屋を出たのでは?」

「あ・・・そっか。でもどこに行って・・・」

 その時である、階下から賑かな声が響いてきた。

「下・・・みたいですね?」

「ふむぅ・・・食堂辺りかな? 行ってみよう、お兄さん」

 二人は、塔二階の内壁にある食堂を覗いてみた。するとそこには、老兵に取り囲まれて、談笑しながら食事をするファウの姿があった。

「この真っ白でとろとろしたもの、美味しいです」

「それは牛の乳を発酵させた酢乳だよ」

「儂らの伝統食でな」

「今は甘根の汁を混ぜて、ほんのり甘く仕上げているが、昔は冬以外毎日、塩と香辛料をがっちゃあと振ってかっ込んだものさ」

「一緒に馬の乳から作った酒も流し込むんだよ、身体がポカポカしてなぁ・・・懐かしい」

「色んな物をが一年中食えるようになったが、馬乳酒と酢乳だけは止められないんだよ。力が出なくなっちまう」

 ファウが一言呟くと、倍以上の返答が返ってきている。ファウの前では、歴戦の従士らも形無し、ただの好好爺集団である。

「動物の乳で色々なものが作れるのですね、勉強になります」

「なんの、これはほんの一握り、他にもまだまだ・・・」

「あーあーあー」

 また会話の華が咲く前に、エノゥが奇声で空気を断ち切った。

『あ、アンリヌイ卿!?』

 従士たちは、慌てて整列し、エノゥに敬意を示した。

「ノイ従士長、説明したまえ」

「はっ、御命令通り、お目覚めになられたファウ殿を、賓客としてもてなしているところであります!」

「確かに・・・だが付き添うのは、ノイ従士長だけで事足りるはず、後の者はどうした?」

「それは・・・」

「ならば・・・持ち場に戻らんか~い!!」

『はっ!!』

 ノイ従士長を除き、従士らはまるで悪戯小僧の様に駆け出して行った。

「まったく、困った爺共だ」

「ははは、騎士長様の物真似ですかな、アンリヌイ卿?」

「まあね、これが私の知る限りで一番恐い口調だし・・・って、笑っている場合じゃないよ、ノイ従士長。君が統制しないでどうするんだい?」

「あはは、大目に見てやってください。最近は卿も御不在が続いておりますから、皆寂しがっておるのです」

「そうなの? なら、安心して久しぶりに大きな仕事が回ってきたから」

「ほほぅ、新たな任務ですかな?」

「グリーバの討伐、しかも大群だよ」

「それは高鳴りますなぁ」

「私がこれからグリーバどもの所在の確認と戦力評価をしてくるから、一応全従士の出撃準備をさせておいて」

「畏まりました、それではアグラを連れて参ります」

 ノイ従士長は、エノゥ、そしてカラクレムとファウに礼をしてから、食堂を出ていった。

「そういうわけなの、ファウちゃん。寝起きで悪いけど、すぐにここを発てるかな?」

「はい、大丈夫です。むしろ、眠ってしまって申し訳ないです」

「こっちこそごめんね、急いでるのもあるけど、本来賓客と言えど部外者は城に泊められないから・・・よし、それじゃあ、行くよ!」

 エノゥは二人を引き連れて中庭まで出てきた。中庭には既にエノゥの愛馬アグラの姿があり、エノゥがすぐに状態確認を始める。その時、ファウがカラクレムの袖を軽く引っ張った。

「カラクさん、その大丈夫でしたか?」

 ファウは、騎士長との謁見のことを言っているのだろう。カラクレムは、少し迷いつつも、首を縦に振った。

「ありがとうございます、大丈夫ですよ」

「・・・そうですか、良かったです。これでも、心配していたんですよ、つい寝てしまいましたが・・・」

「もしかして、昨晩は眠れなかったのですか? 大変な目に遭った様ですが・・・」

「ええ・・・慣れない場所で、会って間もない人と並んで、しかも抱きつかれている、そんな3拍子。それでも眠れる胆力を、私は欲しかったです・・・」

 ファウは少し遠くの空を見上げ、儚げに微笑んだ。

「それは眠れませんよ、常人なら飛び出しているところです。一晩耐えたファウさんはかなりの胆力の持ち主ですよ」

「そんなことありません、胆力というよりも、カラクさんの事が心配で、添い寝も睡眠も些事に過ぎませんでしたから」

「あはは、些事ですか。私はいったい何を心配されていたのでしょうか?」

「それは・・・カラクさんの見た目が私たちと違うので、害獣と難癖をつけられ、殺されてしまうのではないか・・・等々です」

「ああ、なるほど。私はグリーバについて聞かれるのだろうとしか考えていませんでしたが。なるほど、害獣ですか・・・飼われてみないかとは言われましたが・・・」

「飼うだなんて、まるで家畜みたいに・・・」

「あはは、彼らにとって家畜は財産みたいですからね、旧支配者とかいうのに似ているという私を、保管しておきたいのかもしれませんね」

「旧支配者・・・何なんですか、それは?」

「すみません・・・判りません」

 ファウにはそう答えた一方、カラクレムは思考を巡らせ始めた。

 旧支配者それはつまり、過去の人々、遠き過去を生きた人々のことを指しているのだろうか。確かに、ユートピアの人々は、その直系の子孫だと習った。そして我々が人類最後の生き残りだと。

「ともかく、そんな誘いには乗らないでくださいよ。また心配ごとが増えてしまいました」

「すみません、何かと心配していただいて・・・こうなると、埋め合わせをしないといけませんね」

「埋め合わせですか・・・それなら、カラクさんにも同じ試練を味わっていただきましょうか」

「同じ・・・試練?」

「先程の3拍子ですよ、私も条件を満たしていますから」

「私が、ファウさんとですか? それは・・・なんと言うか・・・ファウさんが二度目の試練に晒されていませんか?」

「ふふ、もちろん冗談ですから。さて、エノゥさんが呼んでいるみたいですよ」

 ファウは、なんとも含みのある笑みを残し、歩き出した。カラクレムは、首を傾げながら、その後に続くのであった。

 

                 

 イルムレに着いたのは、その日の夕刻であった。首長イグルはエノゥがまた来たことに驚きはしたが、歓待してくれた。そして、囲炉裏を囲み、新たな任務と道中に話し合ったことをイグルに伝えた。

「グリーバの足跡を追うために、ファウの力を借りたいと?」

 きっかけは、カラクレムの一言である。グリーバのマーケットを探そうにも、山は険しく、裾野は広く、森は深い。その山を知らぬ者には困難が過ぎるというものである。それに、手掛かりも無い。しかし、カラクレムがふと思い出したことが、光明をもたらした。

「そういえば、エヤ・・・巨人は私をマーケットで手に入れて来たと言っていました。もしかして、足跡を辿れたら、マーケットへ行き着くのでは?」

 カラクレムの発案を気に入ったエノゥは、ファウに山に詳しく、僅かな足跡を辿れる者がイルムレに居ないか尋ねた。

「居ますが、彼らは狩人衆ですから、今頃は遠征の第二陣へ出ているかと」

 つまりは、実質不可能ということである。

「そうかぁ・・・いないのかぁ・・・どこかに山に詳しい狩人さんとかいないもんかなぁ・・・」

 ここぞとばかりに落胆して見せるエノゥを見てられず、ファウが渋々手を上げた。

「保証は出来ませんが、私でも足跡を追う事くらいは出来ます」

 エノゥは快諾し、先導はファウということで、話が決まった。後は父である首長に許可をもらうだけなのである。

「山を一番知り尽くしていたのは、祖父でした。私はよく同行して、山の恐ろしさを知っているつもりです。集落からグリーバの脅威を無くす為、首長、私に先導をお許しください」

 イグルは、眉間にしわを寄せ、唇を固く結んだ。深く深く考え込んでいるようだが、決断は案外すぐに下された。

「この身、自由が利きさえすれば、そしてお前が集落の外を観たいと言っていなければ、決して許さなかっただろうな」

「首長・・・」

「行きなさい、ファウ。お役に立ってくるのだぞ」

「はい、父上! 集落の為にも、頑張ってきます」

「うむ・・・騎士殿、ファウを頼みます」

「まっかせてください! 何が来ようと打ち払う自信はありますよ!! ・・・とはいえ、万が一を考えて、ファウちゃん専門の護衛も同行させますので」

「護衛・・・とは?」

「こちらのお兄さんが、やってくれるそうです!」

 エノゥが示したのは、もちろんカラクレムである。護衛について話し合った際、集落一の実力者を附けようとなったが、それはファウの兄であり、そもそも実力者は総じて狩人衆なので、目ぼしい者はいないとファウは言った。

「どこかに居ないかなぁ・・・集落一の実力者と互角以上に戦える人は・・・」

 エノゥの分りやすいパスと、これ見よがしの目配せに降伏し、カラクレムが手を上げた。

「あまり自信はありませんが・・・ここはファウさんへ恩を返す機会と考えて、護衛役を引き受けさせてください」

 当然、エノゥは快諾し、こうしてカラクレムも同行することになった。

「少しでも、受けた恩義に報えるよう、ファウさんを御守りしてまいります」

「アボイでの愚息との一件は、アバゥから受け取ったファウの便りで把握している。ファムザは愚かだが、実力は本物。それを打ち負かしたとあれば、その実力を信じないわけにはいかないだろう。カラクレム君、ファウを頼んだよ」

「承知致しました」

 二人が男気溢れるやり取りをしている横で、エノゥが婚約みたいだとファウに嘯き、脇腹を肘で突かれていた。

「大体の事は把握出来ました、騎士殿にカラクレム君、そしてファウの3人で、グリーバの集会場所を突き止めに、山へ入ると」

「ええ、そんな感じです。出立は明日の朝、場所を特定しだい、隊を率いて討伐しようと思うんですが、大丈夫ですかね?」

「ええ、お願いします。古の盟約に従い、久方ぶりに食料も提供させて頂きます。そうとなれば、私はこれから各衆長と話をつけてきます」

「あ、それは申し訳ないので、私も同行しますね。昨日の今日でまた迷惑掛けちゃうので、挨拶を。ちゃんと補填すると伝えなきゃですし」

 そう言って、エノゥはイグルと共に家屋を後にした。残されたカラクレムは、ふとした疑問をファウに問い掛けた。

「イルムレは、騎士団への食料提供をしていなかったのですか?」

「ああ、はい。祖父の代はしていたそうですが、父が継いだ頃には、買い取りに。今は自前で用意しているそうです」

「自前で? でも、ハルハント城塞には、食料になりそうなものは・・・」

「なんでも、独自の経済圏を確立して、自前で用意出来るようになったとか。騎士団員ではないハルハントの民が、あのアボイや、他にも二つの商業都市を作ったそうです。昨日答えられなかったので、従士のお爺さん方に聞いておきました」

「なるほど・・・ファウさんの気遣いには頭が下がるばかりですね」

「いえ・・・他にも、習ったことがあるんですよ。すぐに披露出来ると思いますが、告知しておきます」

「あはは、楽しみにしておきますね」

「乞うご期待です。さて、今のうちに夕食の準備をしておきましょうか。手伝ってもらえますか、カラクさん?」

「ええ、もちろん」

「まあ、またシシカ汁なんですけどね」

「私は好きですよ」

 もはや、こちらの料理に親しみさえ抱いている。故郷の味が思い出せなくなるほどに。


               

 翌朝、カラクレム達は空が白け始めた頃にイルムレを発った。カラクレムは杖を携えて、ファウは弓矢を背負い、エノゥは3日分の物資を背負わせた愛馬を牽いている。

 里山を抜けようとしたところで、ファウが道端でしゃがみ込んでしまった。

「大丈夫ですか?」

 心配したカラクレムが歩み寄ると、ファウが地面に刺さった杭のようなものを拝んでいることに気が付いた。

「ファウさん、それは?」

「すみません、旅の神様に無事をお願いしようと思いまして。これは神様の像なんです」

 確かに、杭には人を象ったような紋様が彫られていた。このような神像は、集落の境界に置かれており、外へ行く時に気が向いたら拝んでいくのだという。

「今回は危険そうなので・・・カラクさんも祈りませんか?」

 カラクレムは、神という概念こそ知っていたが、ユートピア自体には神への信仰や宗教といったものは存在せず、祈るという行為は初めてのことであった。見よう見まねで、ファウのように像の前でしゃがみ込み、手を合わせ、道中の無事を願ってみた。とはいえ、特に実感があるわけでも、神に信頼を寄せているわけでもないので、カラクレムはあまり釈然としていなかった。ファウは、エノゥにも奨めていたが、騎士団には独自に信仰している対象があるらしく、丁重に断られていた。 

 そして一向は、太陽が真上に来た頃、グリーバの、エヤの洞窟へと到着していた。

「それで、お兄さんはここから辿れると?」

「ええ、エヤは私をマーケットで手に入れて来たと言っていました。なので、ここから足跡を辿れば、マーケットの場所が掴めると思います」

「う~ん、確かにそうなんだろうけど・・・これで見つけられる?」

 エノゥは、訝しげに辺りを見回した。地面をざっと見ても、エヤの足跡らしきものは見受けられないのだ。

「確かに・・・私も判りません。ファウさんはどうですか?」

 カラクレムがファウの方に目を向けると、彼女は四つん這いになり、地面に顔を近付け、頬擦りでもしているかのようであった。

「ファウちゃん・・・可愛い」

「ふぁ、ファウさん? どうしたのですか?」

「・・・少し待ってください。もう少しで・・・」

 ファウは奇妙な体勢のまま、移動していき、やがて立ち上がった。

「足跡、見つけました。ここから土質が変わっているので、よく見えますよ」

「本当ですか!?」

「はい、こっちに来て見てください」

「凄いよ、ファウちゃん!!」

 すぐさま駆け出したエノゥに続いて、カラクレムが一歩踏み出したその時、カラクレムの背後から一迅の風が吹いてきた。

 そして、風は唸り声のような音をカラクレムへ運んできた。咄嗟に振り返ると、風は洞窟から吹いてきているのが、判った。唸り声のような音は、洞窟を吹き抜けた音だったのだろう。そう、判断しようとしたその時、妙な獣臭が鼻に突いた。

 カラクレムが異変を察知した次の瞬間、洞窟の中から金色の目を爛々とさせた狼が飛び出してきた。狼が凶悪な牙で、首筋を噛み千切らんとするのを、カラクレムは杖を噛ませることで回避した。杖を噛まされた狼は、そのままでも食い付かんと、激しく暴れている。あの時気付けていなければ、確実に仕留められていた。エノゥやファウに危険を報せようとした瞬間、視界の端に別の影が映り込んだ。狼、しかも二匹である。一匹の相手をするのに手一杯なカラクレムに、さらに二匹、計三匹の狼が正面と左右から襲い掛かった。

 対応し切れない、必殺の攻撃。カラクレムが死を覚悟した刹那、一匹の狼が盛り上がってきた地面に貫かれた。襲撃に気付いたエノゥの魔法である、だが、咄嗟だったせいか、仕留められたのは左手一匹だけであった。未だ、必殺の状況にあるカラクレム。覚悟を決め、目を閉じようとしたその時、右手の狼の額を矢が貫いた。

「カラクさん、その子持ち上げて!!」

 ファウの声が届く。よく判らないが、カラクレムは無我夢中で、食らい付く狼ごと杖をぐんと持ち上げた。すると次の瞬間、その狼の眉間も矢で射抜かれたのであった。

 息絶えた狼を払い退け、カラクレムは、ホッと一息ついた。

「危なかったね、お兄さん。狼だなんて、あの巨人の死骸でも漁りに来ていたのかな?」

「え、ええ、助かりました、ありがとうございます・・・」

「気にしないで、それよりも・・・」

 カラクレムは、エノゥの目の動きに促され、ファウの方を振り返った。

「ファウさん、ありがとうございます・・・というか、いつのまに弓を使えるように?」

「はい、さっそく披露していまいましたね。ハルハントで弦を引くことが出来ないことを相談したところ、身体強化の魔法を教えて頂きました」

「なるほど、それで・・・実に見事な射撃で驚きました」

「ありがとうございます。ですが、祖父のようにいつか自力で引いてやるつもりなので、乞うご期待です」

 和気あいあいと話す二人とは対称的に、エノゥはばつの悪そうな顔をしていた。

「う~ん・・・騎士団以外への技術供与は禁止なんだけどなぁ・・・誰が教えちゃったのかなぁ?」

「え、エノゥさん・・・私が無理を言ったせいなんです! 従士長さんを責めないでください!!」

「ファウさん、それ、言っちゃってますよ」

「・・・あ」

「うふふ~ノイか、ノイの奴なのか~」

「あ、あの、その・・・!!」

「だが赦そう! 私もファウちゃんにせがまれたら、断れる自信が無いからね!!」

「あはは、騎士団の規則もゆるゆるじゃあないですか?」

「そうでもないよ、お兄さん。技術供与は縛り首だからねぇ」

「あはは、あぁ・・・そう考えると、エノゥさんの愛は重たいですね」

「うふふ、生半可じゃないとだけ、言っておこうか」

 カラクレムが冷笑したところで、ファウが話を戻してくれた。

「ところで、見つけた足跡を確認してもらえますか?」

 そそくさと、二人はファウの元へ集まり、彼女の指差す先を確認した。確かに、土質が柔らかいせいか、巨大な足跡が残されていた。足跡は木々を避けながら、山林の奥へと続いている。

「おお、これは中々の幸運。これなら、簡単にマーケットを見つけられそうだね」

「むぅ・・・それにしても、これ見よがしに残されていますね。罠の可能性も・・・」

「グリーバにそんな知能なんて無いよ、お兄さん。グリーバは基本アホなの。それに、例え待ち構えていたところで、串刺しにするだけだよ」

「物騒な事この上無いですね」

「うふふ~それじゃあファウちゃん、どんどん追跡して行っちゃおう!」

「わかりました」

 こうして、ファウを先頭に、エノゥ、カラクレムの順で、追跡登山が開始された。絶壁をちょっとした段差のように越えていくような、巨人の感覚で進む登山を追跡するのは骨が折れたが、何とか足跡を見失うことなく、追い続けることが出来た。そして、日も傾き出した頃には、足跡の数が一つ二つと増え始めていた。

「う~ん、どうやらだいぶ近付いてきたみたいだね、足跡が合流して来ている。ここからは私が先頭に立つよ、何があるか判らないからね」

 足跡もはっきりしてきたので、ファウとエノゥの順を入れ替えてから、追跡を続行した。間もなく一行は、山林の途切れた、開けた場所へ出た。そして、先頭を行くエノゥは、何かに気付いた。

「おっ、良いものみ~つけた!」

 その場所には、巨人が背を丸めて座っていた。何をしているのか判らないが、一行には気付いていないようである。

「あいつを拷問して、マーケットの場所を聞き出しちゃおっか?」

「また物騒な・・・どうやって捕まえるつもりですか?」

「大地を操って顔以外を埋めちゃう感じかな? 二人は此処でちょっと待っていてね」

 エノゥはそう言い残し、こっそりと巨人へ背後から近寄っていった。そして、カラクレム達から巨人までの距離の中間あたりまでくると、地面に両手をついた。

 すると突然、巨人が落とし穴にでも掛かったかのように落下し、本当に首から下が地面に埋まってしまった。

 エノゥは振り返り、カラクレムたちに勝利のピースサインを送った。

「本当に埋めちゃいましたね。カラクさん、行ってみましょう」

「ええ、そうしましょう」

 ファウと共に、カラクレムが木陰から出ようとしたその時、エノゥの表情が変わったことに気が付いた。珍しく切羽詰まった表情で、カラクレムたちの少し上方を見ている。カラクレムが、ふと上を見ると、何の前触れもなく、丸太が落ちてきていた。

 咄嗟に、少し前を行くファウに体当たりをし、間一髪で丸太の落下点から共に転がり出ることが出来た。すぐさま立ち上がったカラクレム、振り返るとそこには、丸太を持った巨人の姿があった。

「待ち伏せっ!?」

 すぐにファウを連れて、距離を取ろうとしたが、間髪入れず、丸太が横薙ぎに振るわれた。丸太は、まだ横になっているファウの上を通り、カラクレムを左側から襲った。

 振るわれた丸太が直撃するという、もの凄い圧力にカラクレムは為す術もなく、吹き飛ばされてしまう。しかも、運の悪いことに、吹き飛ばされた先は、断崖絶壁であった。

 しかし、何とか右手で絶壁から生える細木を掴むことが出来たカラクレム、這い上がろうと左腕を伸ばそうとしたが左腕は上がらず、代わりに激痛が返ってきた。どうやら、先程の一撃で左腕の骨が粉砕してしまったらしい。

 右腕だけでは、這い上がることも出来ない。カラクレムは崖下を覗き込んだが、霧が立ち込めていて、深さがまったく判らなかった。とはいえ、そのまま落ちれば命は無いのは確実だろう。

 さて、命綱である右手も細木をしっかりと掴めていなかったので、だんだんと維持できなくなってきている。死も時間の問題、今日は死にかけてばかりだ。またもカラクレムが覚悟を決めようとしたその時である。

「カラクさん!!」

 崖の上からファウが身を乗り出し、取り落としていたと思われる杖をカラクレムに向けて伸ばしてきたのだ。

「捕まってくださいっ!!」

 まさに天の助け、すぐにでも掴みたいのが人情だが、カラクレムは片腕しか動かせない。それに、身体強化しているとはいえ、やっと弦を引けるようになったファウが、カラクレムの全体重を引き揚げられるのか。下手をすれば、共に二人とも霧に消えることになる。

 右腕はもう限界である、カラクレムは決断した。

「行きます!」

 カラクレムは、右腕に残された力を使って、杖に飛び移ろうと試みた。かなり無茶だが、カラクレムの右手は杖に触れることが出来た。

 しかし、上手く掴む事が出来ず、カラクレムは自由落下していった。

「あちゃ~」

「カラクさん!!」

 杖とファウの恐怖に凍り付いた顔がゆっくりと遠ざかっていく。

 あの時、ファウを巻き添えにする可能性があるなら、落ちようとカラクレムは決断していた。とはいえ、その事を告げてから落ちては、ファウの心に消えない傷を負わせかねない。ならば、自分のミスで落ちていけば良いのではないか。それも、なるべくコミカルに。その結果が、杖を掴み損ねるという茶番である。

 落ちゆくカラクレムは、満足げに崖下の霧に呑まれていった。

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