第二章 ハルハント
陽が中天に至る刻、カラクレムとエノゥは、ファウが住まうという集落に到着した。
森の切れ間、小山の隙間に広々としたヌーレという名の湖があり、集落はその湖に寄り添うようにして、形成されていた。外観としては、馬防柵に囲まれたログハウス群といった感じに近い。
集落の入り口へ近付いて行くと、物見櫓にいた住民がカラクレム達の接近に気付き、木板鐘が打ち鳴らされた。すると、家屋という家屋から住民らが姿を現し、集落の入り口へと殺到する。
突然の対応に、呆気を取られたカラクレムは、ポカンと口を開けることしか出来なかった。
「見ろ、勇者殿と英雄様のご帰還だ!!」
誰かの一声で、ざっと200人ほどの群衆から歓喜の声が湧き出してきた。口々に発せられる言葉の端から、とりあえず勇者がカラクレムで、英雄がエノゥの事だという事が判明した。
「皆、すまないが通してもらえるか?」
住民らが左右に分かれると、そこには一人の男性が立っていた。
「うむ、ありがとう」
杖を突き、左足を引きずりながら男性は、カラクレム達の元へ歩み寄ってきた。
「お待ちしておりました、エノゥ殿。さすがはハルハントの騎士、最上の結果を掴んだようですな」
「これは、イグル首長。それほどでも無いですけど・・・あ、そういえば、ファウちゃんはどこかな?」
「今は眠っておりますよ。起こして来ましょうか?」
「いえいえ、それは悪いですよ。可愛い女の子は慈しむべきだから。でも残念、私はもう行かなければならないから、褒めてもらえないや・・・ファウに手紙を出すと、伝えておいてください」
「承りました、騎士殿」
「それじゃあ、お願いしますね」
エノゥは踵を返し、何処かへ去っていく。すれ違いざま、エノゥはカラクレムにのみ聴こえる声で呟いていった。
「またね、お兄さん」
ひんやりとした殺気を纏わせながらも、無邪気な笑顔を浮かべている。なんとも、厄介な相手であった。
「ふむ、よろしいかな?」
カラクレムが、歩き去るエノゥを見送っていると、首長と呼ばれた男、イグルが話し掛けてきた。
「君が、カラクレム君だね。娘から聞いているよ、君の機転で同胞が誰損なうこと無く帰って来られた・・・礼を言う」
深々と頭を下げるイグルに、カラクレムは困惑したような笑みを浮かべた。
「頭を上げてください、私が好きでしたことですので」
「ほぅ・・・なんとも素晴らしい心持ちだ。しかし、恩恵を賜れば、返したくなるのが我らの相。しばらくは、此処イルムレに滞在し、疲れを癒してくれたまえ」
「・・・むぅ」
そう言われては、カラクレムに断る理由は無い。どこへ急いでいるわけでも無いからだ。
「・・・そうですね。せっかくのお誘いを無下には出来ませんし、お世話になります」
「ふふ、実直な御方だ。では、こちらへ。ファウが首を長くして、君を待っている」
そう言うと、イグルは踵を返し、歩き出した。足を引きずりながらも、歩みの速いイグルの後を、カラクレムは住民らと軽い握手を交わしながら、早足で追った。
「えっと、イグルさん。ファウさんは寝ているのでは?」
「ふっ・・・あれは嘘なんだ」
「え、嘘?」
「ああ、ファウが騎士殿と会いたがらないのでな、騎士殿には悪いが嘘をつかせてもらった」
「な、なるほど・・・」
確かに、エノゥという人物は付き合い難そうだが、ファウはそれだけで無視するような子では無いはず。何か、心に傷が残るようなことでもされたのではないだろうか、とカラクレムはファウを少々気の毒に思った。
「本当に・・・君を置き去りにしたことを、ずっと悔やんでいるのだ、あの子は。どうか、一刻も早く安心させてやってほしい」
「ええ、もちろんです」
イグルは、集落の一番奥の家屋の前で、ようやく足を止めた。
「ここが我が家だ」
それは、集落の他の家屋と同じ規格のログハウス。首長とはいえ、権勢を誇っているわけではないらしい。
カラクレムはふと、イグル邸の傍らで、建築作業が行われていることに気が付いた。
「イグル殿、あれは何をしているのですか?」
「ん? ああ、君の家だよ」
イグルはそれだけ言うと、さっさと家屋の中へ入ってしまった。
「え、私の家? あの、イグルさん?」
カラクレムはイグルの後を追い、家屋内へ踏み入れたが、そこに踏みしめるべき地面は無かった。
「どわっ!?」
落ちる、と身構えたが、踏み出した足は、予想よりだいぶ低いところで地面に触れた。どうやら、階段になっていたらしい。
「・・・ぷふっ」
不意に、笑い声が漏れ聴こえてきた。カラクレムの前には、笑いを堪え切れなかったファウが居た。
「カラクさん、元気そうでなによりです」
「ええ、お陰様で」
カラクレムは、ファウと堅く握手を交わした。昨日逢ったばかり、しかも一晩しか経っていないのに、久しく会わなかった古い友人と再会したような雰囲気である。
「そうだ、この弓と矢をお返しします」
カラクレムは弓と矢筒を肩から外し、ファウへと手渡した。
「あ、はい、確かに・・・・・・あれ?」
ファウは何かに気が付いた様だったが、イグルに呼ばれたので、彼の待つ囲炉裏へとカラクレムを案内した。
家屋の中は半地下構造になっており、床は剥き出しの地面、座る場所には円形の蓙が置かれている。その上座にイグルは鎮座していた。
「積もる話もあるだろう、細やかだが食事を用意した。語らいは食事と共に、どうかな?」
イグルが振る舞ってくれたのは、鱗状の紋様が特徴的な平たく薄いパンと何かしらの肉と山菜のスープだった。パンは、もっちりと中々の弾力があり、ナッツのようなものが織り込まれているので、独特の風味がする。
「これは、小麦ですか?」
カラクレムが訊ねると、イグルが答えてくれた。このパンの主原料はドングリを粉状にしたもので、そこに木から抽出したクゴ(おそらくでんぷん質)を加えて練り上げ、火板と呼ぶ薄い黒曜石の板の上で焼くらしい。鱗のような紋様は、元々は板の紋様だったのだろう。
次いで、スープに口をつけると、これまた変わった風味がした。肉の旨味なのか、どこかフォンドボーを思わせるが、ほのかに酸味もあるので断言できない。これについても聞いてみると、今度はファウが答えてくれた。彼女がこのスープを作ったそうだ。スープのベースとなるのは、オドという馴染みの無い調味料であった。
オドは獲ったばかりの動物の骨髄、小動物は骨ごと叩いて、粘り気が出るまでかき混ぜ、そこに岩塩と山羊の乳を少しを加えて、さらに練り上げる。そして、それを一晩竹筒で発酵させると、旨味と酸味、コクを兼ね備えた、癖がクセになるペースト状の調味料、オドが出来る。ユートピアには無い、実に野性味溢れる危なっかしい調味料である。
猪肉と山菜を煮たところにオドを加えれば、このスープ、シシカ汁の完成だそうだ。なんとなく食べ物の実態も掴めたので、カラクレムが食べ進めていると、ファウが神妙な面持ちで、口火を切った。
「あの・・・カラクさん。そろそろ、どうやって生き残ったのか教えてくれませんか?」
「ん? ああ、えっと・・・」
「矢筒から減っていたのは、あの時の三本だけでした。どうやってグリーバから逃れたのですか?」
「・・・分かりました、お話ししましょう」
カラクレムは、洞窟での夜の事を、ゆっくりと語り始めた。
「そんな・・・グリーバと解り会った、と言うのですか?」
ファウは、唖然としながらもどこか得心がいったような表情を浮かべていた。
「信じ難い事ですが・・・カラクさんなら、やってしまいそうですね」
「やってしまいそうというか・・・そうしたから、こうして生きているのですが」
「確かに、そうですね・・・つまり私は、カラクさんの友達を殺させてしまったのですね」
「・・・エヤには悪いのですが、気に病む必要は無いでしょう。彼はそうされるに足る悪事を行なっていたのですから。遅かれ早かれ、結果は変わらなかったはずです。けれど・・・」
カラクレムは、苦悶の表情を浮かべ、左手を握り込んだ。
「仕方なかった、そう思う半面、違う結果を導けたのではないかとも考えてしまいます。私は、エヤと話し合えた。ならば、巨人と人は共存出来るのではないでしょうか? ファウさんが、森の烏と協力しあったように」
「それは・・・」
カラクレムの問いに、ファウは答えられなかった。その問いに、明解な答えというものが無いからだ。
「・・・実に、興味深い話だ」
これまで、静かに耳を傾けていたイグルが、不意に口を開いた。
「私見だが、私はグリーバとの共存共栄は不可能だと考える」
カラクレムの考えを否定したことになるイグル、彼に対してカラクレムは、反発するでもなく、恩師に教えを乞うように、真摯な眼差しを向けた。
「理由を、教えていただけますか?」
「うむ・・・君の話だと、グリーバとの取引には鹿を使ったのだろう?」
「はい、巨人にとって人以上の食料は鹿なのだそうです。だから、人質との取引材料にしました」
「だからだ」
「鹿が取引材料だから、うまくいかないと?」
「その通り。共存するとなると、我々は巨人の腹を毎日満たしてやらねばならなくなる。おそらく、一日に鹿10頭といったところだろうか。その難しさは、君なら判るのではないか?」
「・・・はい」
「それと、我々も普段の食事や冬越しなどで鹿肉やその乾物を食べている。それは、決まった時期内に猟をして得ているのだが、それでも100頭程度だ。さて、グリーバに貢ぎ続けたらどうなるだろうか? グリーバは1体とは限らないぞ、噂を聴いて集まってくるかもしれない」
「・・・手が回らなくなるか、先にこの辺りの鹿が絶滅してしまうでしょうね」
「その通り。グリーバと共存するには、この集落では難しい。烏との関係は、彼らが自活していて、小遣い稼ぎ程度の協力だから、確立しているのだよ。依存されては困るし、そもそも我々にグリーバから得たい恩恵は何もない」
「・・・やはり、人と彼らは共存出来ないのですね。彼らが変わらない限り」
「彼らが人や鹿以外、そして人があまり食さないものを食料としない限り、グリーバと人は争う定めにあるのだ」
「理解出来ました、御教授感謝します」
「気にしないでくれ・・・君は感情に振り回されない人間のようだな。ちゃんと物事を考える頭を持っている。その若さで感心する、倅にもそうあって欲しいくらいだ」
「倅?」
「ん? ああ、私の息子でファウの兄だ。今は、冬場の食料確保の為に、狩人衆と共に遠方狩猟へ出ているのだが」
「そうなのですか・・・それは、ぜひお会いしたいですね」
「そうか、そうか。その時はおそらく、君に難癖をつけるだろうが、どうか許してやって欲しい」
すっかり意気投合した、カラクレムとイグル、その語らいの隙の無さに、ファウは黙っているしかなかった。
「おいてけぼり・・・ですね」
しかたなく、カラクレムのおかわりを用意するファウであった。
しばらくの間、イグルの集落、イルムレに滞在することになったカラクレムは、イグル邸のすぐ隣に急造された小屋に住むことになった。造りは同じ半地下で、寝床は中二階の足場になっている。
イルムレを訪れた翌日、カラクレムの小屋の前には人だかりが絶えなかった。
最初は、グリーバから助けた者らが訪ねてきた。彼女らは助けられたことへの礼と、彼女達の所属する家人衆から当面の食料が支給されることになった。応対しているうちに、昼を過ぎていた。さっそく差し入れられたのは、オタルという粥だった。例の木から採ったでんぷんを煮詰め、塩で味をつけたものだ。木香るもったりとした食感、味はともかくとして腹には溜まる。
昼食を終えた頃、次いでカラクレムの元を訪れたのは、集落での力仕事を担う男たち、杣人衆の面々であった。彼らの中に奥さんを助けてもらった者がおり、その礼をするべく杣人衆が総出で来たようだ。彼らが手土産としてカラクレムに持ってきてくれたのは、生活必需品の数々であった。衣服や木製の食器、煮炊きに使う土器や火板などなど、多くの品々が小屋の中へ運び込まれていく。正直、衣服の着替えには困っていたので、カラクレムはさっそく着替えをした。上衣は襟合わせ式の着物、下衣は短いパンツタイプで、今まで身に付けていたローブは、上着代わりに着ることにした。
カラクレムが、彼らの衣装をすぐに身に纏ったからか、気を良くした杣人衆はいつの間にか酒を持ち寄り、宴会を始めており、カラクレムを交えて大いに盛り上がった。
次に意識がはっきりした時、カラクレムは小屋の寝床におり、ファウに揺り起こされていた。
「カラクさん、狩りに行きましょう」
「・・・はい?」
樹皮をほぐして作った、指サック式の歯ブラシで歯を磨くなどして身支度を整えた後、篭を背負わされたカラクレムは朝食のパンを片手に、ファウの後を付いて行った。
「ファウさん、どこへ行くのですか?」
「対岸の雑木林です。いつもそこで狩りをしていますので」
「あれ、ではなぜあの時は山に?」
「あそこは、祖父とよく通っていた猟場なんです。家人衆採集組の護衛ついでに久しぶりに行ってみたんです。あの弓矢も祖父が仕込んでいたものなんですよ」
「へぇ、一度お礼を言いたいのですが・・・そういえば、お会いして無いですね」
「仕方ありません、祖父は昨年亡くなりましたから」
「・・・すみません、察するべきでした」
「気にしないでください、言ってなかったわけですし。今度、畑に挨拶に行きましょう」
「え、畑ですか?」
「はい、火葬した後、遺灰は畑に撒くんです。いつまでも、見守っていてくれるように」
「なるほど・・・」
土着信仰というものだろうか。カラクレムには馴染みのない概念で共感は出来ないが、理解は出来た。
「なにより、良い肥料になりますしね」
「ああ、そっちですか・・・」
カラクレムは共感した。
ファウとカラクレムは、湖に沿って、ぐるりと迂回し、湖の西岸へとやってきた。そして、湖に流れ込む沢を遡っていく。やがて、拓けていた周囲の景観は雑木林へと変わっていった。
「カラクさん、前に仕掛けた罠を確認してくるので、少し待っていてください」
「はい、わかりました」
そう言うと、ファウは雑木林の中へ、ずんずんと入っていく。手持ちぶさたになったカラクレムは、何気なく周囲を見回していた。
「ん?」
すると、目についたのは、木の陰で動く茶色いふわふわした物体だった。おそらく、ウサギだろう。カラクレムは、何かを思い立ち、石を拾ってから近くの木陰に移動した。そうしてから、石をウサギより遠くへ向けて投げた。すると、物音に驚いたウサギが石の落ちた方向とは反対に駆け出した。そう、カラクレムの隠れている方に、である。逃げてきたウサギを、カラクレムはサッと抱き上げて、あっさりと捕まえることに成功した。
捕まえたのは、このウサギをファウに見せるつもりだからだ。先程は失言で気を使わせてしまったので、ウサギを見せて少し和ませようというわけである。程なくして戻ってきたファウに、カラクレムは捕まえたウサギを差し出した。
「ファウさん、これ・・・」
「あ、アナウサギですね。捕まえ難いのに、凄いです」
ファウは、大いに喜びながら、ウサギを受け取った。
「ファウさん、ウサギが好きなのですか?」
「はい、大好きです」
「良かった」
「ウサギって、美味しいですよね」
「はい、美味し・・・え?」
「アナウサギは、シシカ汁に入れると抜群に美味しいんです」
「ああ・・・そっち」
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでも・・・」
予定とは異なるが、喜んでもらえたようなので、カラクレムは良しとすることにした。
「よくわかりませんが、これからの説明をしたいと思います」
ファウ曰く、本日の狩りは罠の張り替えと直接的な狩猟が目的らしい。罠の張り替えは先程、猟果の確認と共に行なっていた。ちなみに、猟果は無かったそうだ。
「目標のウロウサギは、知恵が働きます。なかなか罠には掛かりません。祖父の罠には、いっぱい掛かっていたのですが・・・」
ウロウサギというのは、木の洞を好んで住処とする黒毛碧眼のウサギである。味はアナウサギに劣るらしいが、よく捕れるので調味料オドの主原料になっている。だが、狩猟する理由はそれだけではない。ウロウサギには、天然の洞だけでなく、自ら洞を作る習性がある。まるでキツツキのような習性だが、洞を掘られた樹木は死んでしまうそうだ。
「小規模なら問題は少ないのですが、彼らはあっという間に増えてしまうので。放っておくと大変なことになってしまいます」
これまで、多くの肉食獣の捕食対象にされてきたウロウサギ。ゆえに数が増えやすいのだが、それに拍車を掛けたのは人であった。生活の為に肉食獣を駆逐した結果、天敵を失ったウロウサギは減ることなく増え続け、過去に一度森を一つ滅ぼしたらしい。
「彼らにしてみれば、森を枯らすのは、利に敵った行為です。住まいを得ると同時に、餌である低草がよく生えるようになりますから」
しかし、ウロウサギが滅ぼした森は、人の食料源であるドングリや栗の木々が生えていた。そこで人は、それまで放置していたウロウサギを狩り始め、生息圏をこの西岸まで押し返したという歴史がある。そして、有効利用にも力を入れ、オドや様々な毛皮製品が生まれたそうだ。
「ウロウサギの狩猟は、もはや私たちには欠かせない習慣なんです」
「なるほど・・・これも、狩人衆の仕事なんですか?」
「いえ、狩人衆は遠方への狩猟が仕事で、女性は参加出来ない決まりになっています。このくらいの狩りは、家人衆か杣人衆で済ませています」
「ファウさんは、どちらかに所属しているのですか?」
「いいえ、成人前なのでまだです。とはいえ、家人衆行きなんですけどね」
そう言うファウの顔は、浮かない表情をしていた。釈然としない感情が表れているのだ。カラクレムは、それが少し気に掛かった。
「さて、話はこれまでにして、狩りに移りましょう」
「はい・・・あの気になっていたのですが、狩りをするのに弓矢を持ってきていないですよね?」
カラクレムもファウも籠を背負っているだけで、弓矢を持っていない。
「安心してください。ウロウサギの猟には弓矢は使いません。代わりにこれを使います」
ファウは、背中の篭に手を伸ばし、何かを取り出した。
「棍棒・・・ですか?」
それは、実に粗削りな棍棒であった。
「はい、そうです。これの使い方はですね・・・」
ファウは、抱えていたアナウサギの尻尾を掴んで持ち上げると、後頭部目掛けて容赦なく棍棒を振り下ろした。打ち据えられ、だらりと力無く伸び切ったウサギを、ファウは篭に放り込んでみせる。
「このようにして、棍棒で叩いて気絶させます。容赦なく、ただし殺さずにお願いします。これでしばらく鮮度を保つことが出来ますので」
「な、なるほど・・・」
見事な手際に感嘆するカラクレムへ、ファウはもう一振りの棍棒を差し出した。
「目標は、十匹ほどです。頑張りましょう」
「え、ええ・・・はい」
カラクレムが棍棒を受け取り、ウロウサギ猟は始まった。まずは、捕まえ方をファウが実演してくれるという。
「ウロウサギは、実に身勝手なんです。洞を作った木が、だんだんと痩せ衰え、枯死するまでしか住み着きません。森を枯らすくせに、枯れ木は嫌がるんです。枯れたらまた、新しい木に洞を作ります」
なので、ウロウサギは朽ちた木にはおらず、付近の葉の付いた洞のある木に居るらしい。そして早くも、その条件に当てはまる木を見つけたファウは、洞の中に躊躇い無く手を差し込んだ。
「ファウさん!? 大丈夫なんですか? 咬まれませんか?」
「ウロウサギは、入り口にお尻を向けて入っていることが多いんです。でもたまに、顔を向けている子がいて、指を咬み千切られた事例も・・・」
ふいに、ファウの動きがピタリと止まった。身動き一つしないファウに、カラクレムは動揺せずにはいられなかった。
「ファウさん、大丈夫ですか!?」
「・・・・・・はい、大丈夫です。尻尾を掴みました」
ファウが洞から腕を抜くのと一緒に、ウロウサギが引っ張り出されてきた。初めて見たが、思いの外綺麗な黒毛をしている。
ファウは暴れるウロウサギの後頭部を棍棒で打ち据え、気絶を確認してから篭に放り込んだ。
「このようにして捕まえていきます」
「お、おお・・・鮮やか」
「あ、そこの洞にも居そうですね。カラクさん、捕まえてみてください」
「え、ええ・・・」
カラクレムは渋々、ファウの指差す洞に歩み寄ると、その中へ恐る恐る手を差し入れた。
見えない恐怖というのは、怪物と対峙するよりも恐ろしいものである。
「ふわふわした感触があったら、思い切って掴んでください。息づかいを感じたり、硬いものに触れた時はすぐに手を引いてくださいね」
遅すぎる助言にカラクレムは困惑の色を隠せなかったが、その時、指先にふわふわした感触を捉えた。
「・・・これか!」
カラクレムは思い切って、ふわふわした物体を鷲掴み、強引に引き抜いた。
掴んでいたのは黒い毛玉、ウロウサギの尻尾を鷲掴んでいたのだ。
「やりましたね、カラクさん。次は棍棒で気絶させてください」
「・・・そうは言っても、仕留めてしまいそうで・・・何かコツはありませんか?」
「そうですね・・・先ほども言いましたが、あまり手加減はしないでください。中途半端に打つと痛いだけですから。あと、棍棒は振り抜かないでください。当たったら、すぐに引く感じでお願いします」
「はい・・・」
カラクレムは意を決し、手首のスナップを意識しながら、ウサギの後頭部を打ち据えた。一見軽いようで、実は重たい一撃、頭蓋骨を割るような感触は伝わってこなかった。
「・・・いかがでしょう?」
カラクレムが、伸びきったウサギをファウに見せた。
「・・・はい、大丈夫です、気絶させられていますよ」
師匠に認められたので、カラクレムはウサギを篭に納めた。
「この要領で、捕まえていきましょう」
カラクレムとファウは、二手に別れ、ウサギを捕獲していった。カラクレムは、未だ洞に手を入れることに消極的であったが、案外ウロウサギは外を出歩いていた。しかも、優しく抱き上げると、逃げるどころか抵抗もしないので簡単に捕まえられ、なんとなく罪悪感を覚えながら、ウサギを気絶させ続けた。そして気付けば、篭一杯の猟果を、短時間で得ることが出来た。
二人は沢の近くで合流し、それぞれの猟果を見せ合った。ファウの猟果は、カラクレムの半分くらいであった。
「これは・・・カラクさんはそんなに背負えるのですね。私にはこれが精一杯で・・・やはり膂力を鍛えないといけませんね」
「あはは・・・次はどうしましょうか、師匠?」
どこか遠い目をするファウに、カラクレムはすかさずフォローを入れた。
「師匠・・・悪くない響きです。でも次は・・・ちょっとカラクさんには酷かもしれませんね」
「酷・・・というと?」
「・・・血抜きと解体です」
血抜きと解体、捕まえたウサギの臭みを最小限に留めるために血を抜き、食肉にすべく解体するのだ。この作業を集落で行なうことは禁じられているので、この場で行なっていくのだそうだ。
まずは、気絶したウサギの後ろ足に縄を縛って吊し上げてから、首の脈を切って絶命させ、血を滴らせる。そして、血の滴りを足下に感じながら、解体作業に移る。ファウは、ウサギの後ろ足首から刃を入れて、毛皮を剥いでいった。使うのは、黒曜石の小刀。それで筋を切りながら、まるで服でも脱がせるかのように毛皮を裏返しに剥いでいく。頭に差し掛かる頃には、血抜きも終わっていた。毛皮を剥ぎ終えたら、腹から内臓を器用に取り出し、肉と骨を丁寧かつ迅速に分けていった。
「私は・・・最初泣きました」
「え?」
ファウは、ウサギに目をむけたまま、カラクレムに語りかけた。
「昔、ウサギは可愛くて好きでした。だから、祖父に解体を教わった時は泣きながら、皮を剥いだものです」
程なくして、ウサギは肉と骨、内蔵、そして毛皮に解体された。
「その時、祖父に教えられました。ウサギを獲るのは、わたしたちが生きる為、森の為だということ。そして、人は罪を重ねることでしか生きられないことを・・・」
ファウは、肉と骨を毛皮で包んだ、内臓を除いて。内臓は血の臭いに寄ってきた烏たちに指笛を吹いてから与えていた。もちろん、吹く前に、清流で手は浄めてある。
「・・・数が数なので、出来ればカラクさんにも手伝って頂きたいのですが」
申し訳なさそうに、予備の石刀を差し出すファウ。カラクレムが僅かに感じていた抵抗感に配慮しているのだろう。
カラクレムは、あえて黙ったまま、石刀を受け取った。こんな時、下手な言葉は、皮肉や侮辱になるからだ。
「・・・ありがとうございます、カラクさん」
カラクレムは、完璧な模倣でウサギを解体してみせた。とはいえ、ファウの半分の速さではあったが。
「急いでください、カラクさん。お肉が痛んでしまいます!」
「は、はい!?」
とはいえ、この小さな師匠は、時間には厳しかった。ファウの宣言通り、昼までに狩りを終えたカラクレムたちは、大猟と言える猟果を背負い、イルムレ集落への帰路についた。
「カラクさん、カラクさんはこのままイルムレに住む気はありますか?」
不意に、ファウに問い掛けられ、カラクレムは首を傾げた。
「う~ん・・・どうでしょうか。このままお世話になり続けるのも、心苦しいですし。早いところ、自活の道を見つけようとは思います」
「・・・良かったです、厚遇に胡座をかくような人ではなくて」
「あはは・・・ファウさんは、ほんと手厳しいですね」
「・・・今日の狩りは、自活の第一歩だと考えてください」
「ウサギ狩りが、ですか?」
「はい。ウサギ狩りをしていれば、食料には困りませんし、物々交換にも使えます。なにより、集落への貢献度も高いです」
「なるほど・・・教えて頂いて、ありがとうございます・・・そういえば、少し気になっていることがあるのですが」
「なんですか?」
「ハルハントの騎士、とはどのような存在なのですか?」
「ああ・・・ハルハントというのは、危険な生物を打ち払う騎士たちの都です」
「騎士・・・たしか、あのエノゥという人もそうなんですよね?」
「はい・・・あの日は、所用の帰りにイルムレへ来ていたので、救助を依頼しました」
「・・・彼女のことを、苦手としていると聴きましたが?」
「えっと、・・・はい。その、変な報酬を約束してしまって」
「変な報酬?」
「その・・・一晩、同衾して欲しいと言われました」
「それは・・・・・・なんと言うか、色々勘繰ってしまいますね」
「次はさすがに会わないといけませんから、気が重いです・・・」
「・・・ありがとうございます」
「え?」
「私を救うために、身を切るような約束まで・・・」
「気にしないでください・・・その時、自分に出来る精一杯のことをしたかっただけなので」
「だから、感謝しているのです」
「えっと・・・やや照れ臭いです」
「ややですか・・・・・・ああ、そうだ、まだわからないことがありました」
「何でしょう?」
「エノゥさんがエヤ・・・いえ、グリーバを倒した時、地面が槍のように盛り上がっていたのです。あれは、いったい・・・」
「ああ、それは魔法ですね」
「魔法ですか・・・って、魔法って何ですか!?」
「え? 魔法というのは、個人差は激しいですけど、人には誰しも備わっている能力の事ですが?」
「えっと・・・ファウさんにも?」
「私は・・・まだまだ未熟者ですが、簡単なものなら操れますよ」
そう言うと、ファウは路傍の石に手を翳してみせた。すると、突然石が震え始め、ゆっくりと宙に浮かび上がった。そして石は、弾かれたように左手の湖へ着水していった。
「えぇ・・・」
「ふぅ・・・基本は押さえているはずなんですが、こんな初歩的な事しか出来なくて・・・ハルハントへ行くと、力が増すと聞いたことがありますが」
「そ、そうなんですか・・・私は凄いと思いますけど」
「はぁ・・・それにしても、まるでカラクさん、魔法を知らないみたいな・・・?」
「い、いえ・・・そんな、ことは・・・」
人には誰しも備わっている能力、そう聞いてから、カラクレムは焦っていた。それは、彼にとって信じ難い事実を、立証してしまうことになるからである。
「私も気にはなっていた事があるのですが・・・カラクさんの耳は、私たちのように細長くありませんね。カラクさんは本当に、どこから来たのですか?」
カラクレムは、ファウの耳を見た。彼女の髪の間から、木葉形の耳が顔を見せている。それは、最初から気付いてはいたが、見て見ぬフリをしてきたもの。追放の地に、意思疏通の叶う人たちが居たという喜びから、これまで疑念を誤魔化してきていたのだ。
「それは・・・」
カラクレムが、答えあぐねていたその時、彼らの背後から馬蹄が奏でる、軽快な足音が響いてきた。
振り向くと、奇妙な生物が駆け寄ってきていた。顔は狼で、胴は鹿、牛のような尾と角を有した獣の背には、人が跨がっていた。しかもそれは、二人の既知の人物であった。
「あれ、こんな偶然もあるんだね!」
白い外套を纏った少女、ハルハントの騎士、エノゥである。
「単刀直入に言うと、お兄さんにハルハントへ来て欲しいんだよ」
エノゥ曰く、グリーバの討伐を報告したところ、ハルハントの統轄者である騎士長がカラクレムに興味を持ったらしく、彼女に招聘を命じたらしい。この話は、カラクレムの事実上の後見人であるイグルを交え、彼の邸宅にて行なわれている。
「・・・つまり、騎士殿はカラクレム君の身柄を引き渡せと?」
「あはは、そんな仰々しいことじゃないですよ。お兄さんとグリーバの話をしたら、騎士長が興味を持っちゃったので。だからちょっと呼んで来なさいって」
「むぅ・・・騎士長殿の申し出であれば、私には拒否出来る理由は無い。カラクレム君、君はどうしたい?」
「私にも特に断る理由はありませんので、招聘に応えようかと。何に興味を持たれたのか、私も興味があるので」
「ならば、是非も無い。騎士殿、出立はすぐにでも?」
「ええ、そうですね、そうしてもらえると助かるかな」
「ふむ・・・では、急ぎ旅装を揃えねばな。ファウ、家人衆と杣人衆の長に話を通しておいてくれ」
「・・・・・・」
ファウからの返答は無かった。虚ろな目で囲炉裏の火を見つめ、まさに心ここにあらずといった様相である。そんなファウに、イグルは語気を荒げた。
「・・・ファウ!!」
「はっ、はい・・・すみません」
「今言ったことは、聴いていたか?」
「すみません・・・聴いていませんでした」
「首長の言葉は傾聴せよ、そう教えてきたはずだが?」
「すみません・・・」
「旅装の準備を、家人衆と杣人衆へ掛け合ってきなさい・・・二人分だ」
「・・・え?」
ファウが聞き返す前に、イグルはエノゥに体を向け、頭を下げた。
「騎士殿、御迷惑となりましょうが、我が子ファウも同行させて頂けないでしょうか」
「え、ファウちゃんを?」
「後学の為、ハルハントを見せておきたいのと、交わした約定は早々に果たさせたいという理由がありまして・・・如何でしょう?」
「如何って・・・私は大歓迎だけど、ファウちゃんは行きたい?」
「わ、私は・・・・・・行ってみたい、いえ、行きたいです!」
「あはは、その意気や良しってやつだね。よし、私が全部面倒見てあげるよ!」
「感謝します、騎士殿。さあ、ファウよ、分かったらすぐに行きなさい」
「は、はい!」
ファウは、飛び上がるように立ち上がり、転がり出るように家屋から出ていった。
「あはは、ファウちゃん可愛いな~。それじゃあ、私は馬のところで待っているから、準備出来たら来てよね、お兄さん?」
エノゥはニヤニヤとほくそ笑みながら、退出していった。
「さて、カラクレム君。君に渡したいものがある」
そう言うと、イグルは家の奥の木箱へ歩み寄り、何かを取り出して戻ってきた。
それは、鹿角柄の石刀と身の丈程の杖であった。
「あの、それは?」
「これは、遠征する狩人衆の必需品だ」
イグル曰く、必需品の核を成すのは杖だそうだ。オノリの杖というそれは、名の通り、オノリという数十の石斧を使い潰して伐り倒す木から作られており、とてつもない頑強さを誇っている。そして、石刀は杖に合わせて手が加えられており、刃物として使える一方、杖と合わせて槍の穂先として機能するのだ。石刀の柄頭には穴があり、そこに杖の先端を入れ、彫られた溝を噛ませることで、槍として機能するらしい。危険な獣には、この槍で立ち向かうそうだ。一式で様々な用途に使える、まさに万能猟具である。
「これは、私が昔使っていたものだが、手入れは欠かしていない。身を守る備えとして、持っていってくれ」
「はい、ありがとうございます」
カラクレムは、杖を受け取ると、少し離れてから振り回してみた。短過ぎず、長過ぎない。重過ぎず、軽過ぎない。驚くほど手に馴染む杖である。
「良い品ですね、本当によく使い込まれている」
「いや、君の動きも大したものだ、実に手馴れている」
「いえいえ・・・少しばかり、心得があるだけですよ」
「謙遜も過ぎれば嫌味だぞ? さあ、次は槍にしてみてくれ」
「は、はい・・・」
カラクレムは言われた通り、杖の先に石刀を取り付けた。まずは柄の中へ差し入れ、そのまま捻れば、しっかりと噛み合い、容易には外れそうにない。
「では、先程と同じように振り回してみてくれ」
「はい」
カラクレムは言われるがまま、槍を振り回した。突く、斬る、払う、槍の主な動作をやって見せる。
「なるほど・・・杖の扱いには長けているが、槍はまだまだといったところか。外へ出なさい、私が指南しよう」
「・・・え?」
「なに、時間は取らせないさ」
イグルから指南を受けたカラクレムは、エノゥが待つ集落の入り口へと向かった。その途中、カラクレムは背嚢を二つ抱えたファウと出会った。
「あ、カラクさん・・・その杖は」
ファウの目は、イグルから渡されたオノリの杖に注がれた。
「あ、これはイグルさんから持たされたものです」
「やはり父の杖でしたか・・・私が受け継ぐつもりだったので驚きました」
「すみません、後で返します!」
「いえ、捨てるのは忍びないので受け継ぐつもりだっただけですから。狩人の槍は自分で作るものなんです」
「なるほど・・・でも、家族の間に割り込んでしまったみたいで申し訳ないです」
「実際、私にその槍は大き過ぎるので、似合う方に使ってもらえれば、槍も本望かと・・・これで、カラクさんは家族みたいなものですね」
「家族・・・みたいなもの?」
「立派な弟が出来ました」
「あ、弟なんですね」
「そうだ、エノゥさんを待たせていました。急ぎましょう」
「あ、待ってください。片方持ちますよ!」
カラクレムとファウは、背嚢を背に、村の入り口へ駆け足で急行した。その入り口では、エノゥが馬の繋がれた木の木陰に座り、読書をしていた。
だが、二人の接近に気付いたらしく、立ち上がると臀部を叩きながら、歩み寄ってきた。
「やっと来た、待ちぼうけてたよ」
憎たらしい笑みを浮かべるエノゥは、躊躇せずにファウを抱き締めた。
「わっ・・・すみません、準備完了です」
「よしよし、じゃあ行きましょうか」
エノゥは、ファウをひょいと抱き上げると、馬の上に乗せた。
「ファウちゃんは、私と一緒に馬で行きましょうね~」
馬、カラクレム以外の人は、この奇妙な生物を馬と呼んでいる。初めて見た時、カラクレムは、これが馬なのかとエノゥに問うた。
すると、こう聞き返された。
「じゃあ、馬ってどんな生き物なの?」
カラクレムは、答えられなかった。馬とはどんな生き物なのか。出てきた答えは、四足歩行で、鬣があり、ヒヒンと鳴くといった程度。そして、そのなけなしの答えも大体当てはまると言われてしまった。なので、カラクレムもこの生き物を馬と呼ぶことにした。今にして思えば、偶蹄類か奇蹄類かの違いというのもあったが、ここでは些末な問題だろう。
「ちょっとお兄さん、何呆けているの?」
気が付くと、カラクレムの目の前には、既に騎乗の人となったエノゥとファウがいた。
「あれ、馬で行くのですか?」
「悪いんだけど、徒歩に合わせている時間は無いんだ。でも、お兄さんを乗せることが出来ない・・・」
「はあ・・・それで?」
「だから・・・ごめんね」
エノゥがカラクレムに手をかざすと、途端にカラクレムの身体が宙に浮き始めた。まるで、ファウが湖畔で見せた魔法のように。
「な、何をするんですか!?」
「あは、お兄さんはこうやって運ぶことにしたから。これなら、全速力でハルハントまで行けるんだ~」
「なるほど・・・・・・はっ、もしかしてこれは、酷い扱いを受けているのでは?」
「そんなことないよ。大丈夫、きっと楽しいから!」
エノゥは馬の腹を蹴り、唐突に出立した。すると、見えない縄で繋がっているように、宙に浮くカラクレムも引っ張られていった。
「こ、心の準備が~!!」
イルムレから東に行くこと六刻、カラクレム達はハルハントの手前の町、アボイに到着した。
「あらら・・・けっこう急いだつもりだったんだけど、やっぱりここで日が暮れちゃうかぁ」
エノゥは、茜色に染まった空を見上げ、嘆息した。
「しょうがないから、今日はここに泊まるしかないかぁ」
「あの・・・エノゥ、さん?」
「何かな、ファウちゃん?」
「その・・・カラクさんが気を失っているようなんですが」
エノゥが背後を確認すると、カラクレムは白眼を向いて宙を漂っていた。
「あ、本当だ」
エノゥの手が空を撫でると、途端にカラクレムを浮かせていた力が失われ、力無く地面に受け身無しで落下した。
「お~い、お兄さん起きろ~!」
「あの、カラクさんが死んでしまいます! 扱いが酷過ぎませんか?」
「私は、男の人にはすべからく、こんな感じだよ?」
「すべからく・・・」
「そうそう、むしろお兄さんには甘々な方かな」
「甘々なんですか・・・これが?」
その時、カラクレムの指がぴくりと動き、まもなくゆっくりと身体を起こした。
「うっ・・・・・・ここは?」
「ハルハントの途中、アボイの町だよ、お兄さん。もう、日が暮れちゃうから、今日はここに泊まるよ」
「・・・なるほど、わかりました」
「まったくもう、お兄さんが寝ているから遅れたんだからね~」
「ああ、それは申し訳・・・ん? 私はなぜ寝てしまっていたのでしょうか?」
カラクレムは、朧気な記憶を呼び起こしていった。最後に見たのはそう、太い枝だ。
「思い出した・・・私は枝に衝突して気絶を・・・というか、貴女のせいですよね?」
「・・・何の事かな?」
「枝葉に突貫すること四度、不意に魔法が消えること三度、そしてトドメの一撃・・・私を顧みずに走ってきたのだから、私が原因で遅れたとは考え難いのですが?」
「お兄さん、犯人捜しは悲しみしか生まないよ」
「はぁ・・・まあ、そうですね。それで、今日の宿はどうするのですか?」
「もちろん、考えてあるよ。今日は、我らが騎士団の屯所に泊めてもらうことになっているんだ」
「おお・・・あれ、話が通っているということは、やはり初めから・・・」
「そ、備えていただけだよ、こんなこともあろうかと・・・それじゃあ、私は一足先に屯所へ行っているから。二人は定期市にでも行ってきなよ」
「定期市?」
「そうそう、色んなものがあるから楽しいと思うよ、ハルハントには何もないからね。はい、ファウちゃん、これが軍資金ね」
エノゥは、硬貨が詰まっているであろう革袋をファウに手渡すと、そのまま手を貸して馬から降ろしてやった。
「こんなに・・・良いのですか?」
「良い良い、使い切っても良いからね。それじゃあ、後で市の方に迎えに行くから、平和の町を楽しんでね」
そう言い残し、エノゥは馬を駆って走り去っていった。残されたカラクレムとファウは、渋い顔をしていた。
「取り付く島もない・・・」
「えっと、どうしましょうか、カラクさん?」
「そうですね・・・ひとまずは定期市に行ってみるしかないでしょうね、待ち合わせ場所に指定されてしまいましたし」
「わかりました。でも、問題が・・・」
「ああ・・・もしかして、ファウさんも初めて来ました?」
「はい・・・話には聞いていたのですが、来たことが無くて。その、市の場所が判りません」
「そうですか・・・見たところ、ここは賑わっているみたいですね」
このアボイという町は、それほど規模は大きくないものの、人通りが激しく、活気に満ちている。カラクレムは、それを見て、何かを思い付いたようだった。
「・・・人の流れに乗りましょうか」
「えっと・・・どういうことですか?」
「ここには、多くの人が集まっています。その大半は、定期市に興味を持っているはずですから、多くの人が歩いていく先に市はあるはずです」
「確かに・・・でも、そんなに上手くいくでしょうか?」
「そこは五分五分としか言えないですが、駄目なら誰かに聞きましょう」
カラクレムは、意気揚々と町の奥へと向かう人の流れに混ざっていった。
「あれ、最初から人に聞けば・・・待ってください、はぐれてしまいますよ!」
ファウは、人混みに紛れてしまいそうなカラクレムの背中を急いで追いかけた。
自信のあるカラクレムと不安そうなファウ、しばらくするとそんな二人の元に、食欲を誘う芳ばしい香りが漂ってきた。やがて、人混みが散らばり始め、視界が開けると香りの源が明らかになった。広場のような場所に、ところ狭しと屋台が並んでいたのだ。それは、中規模の町には似つかわしくないほどの大規模な市である。
「これは・・・想像以上でした」
「アボイは、ハルハントから切り離された商業を中心に発展した町で、色んな物産が集まってくるそうですよ」
「商業が、ハルハントから切り離されたとは?」
「すみません、詳しいことは分からなくて。ただ、ハルハントは戦う為の場所、ということしか知らなくて」
「あ、すみません、質問ばかりで・・・気を取り直して、屋台を見て回りましょうか?」
「はい、賛成です」
定期市では、生鮮食品から、加工品、料理や生活必需品、カテゴライズ出来ない物など、様々な商品が商われていた。その中で、ファウが目ぼしい物を見つけたようである。
「カラクさん、見てください。焼き鳥です!」
ファウが興奮気味に指差したのは、木串に刺さった、小鳥の姿焼きとしか言えないものであった。
「焼き鳥・・・何処です?」
「え? 目の前にあるじゃないですか?」
「ああ・・・やっぱり、これなのですね」
毛をむしった小鳥の、臀部から木串を突き刺し、先端が開いた嘴から出ている姿は、精肉の焼き鳥しか知らないカラクレムには、未知のものであった。しかも、焼け垂れた目玉が見つめ返してくるのだから、堪らない。
「美味しいのですか・・・これ?」
「はい、祖父が良く食べさせてくれました。捕まえるのが難しくて、しばらく食べてなかったんです」
「へぇ・・・じゃあ貰いましょうか」
カラクレムは、屋台の前に立ち、焼き鳥を指差した。
「・・・・・・」
指差しただけであった。ただただ焼き鳥を無言で指差すカラクレム。その異様さに、店主の男は困った顔で、隣にいたファウに目で助けを求めた。
それを察知したファウは、カラクレムの袖を引っ張った。
「何をしているのですか、カラクさん。お店の人が困っていますよ?」
「へ? 注文しているのですが・・・」
カラクレムは、すぐさま周囲を見回した。他の人々の注文方法を確認しているのだ。
「あ、口頭形式でしたか・・・すみません、焼き鳥を一つください」
「お、おう・・・」
ようやく普通の注文が入ったので、店主は焼き鳥を軽く炙り直し、そこに塩と柑橘系の果汁を振り掛けてから、カラクレムに差し出した。
「はいよ、銀一粒」
「ギン・・・ヒトツブ?」
今度は、カラクレムが困った顔でファウに助けを求めてきた。
「え? え? お代ですよ、カラクさん!?」
ファウは腰の小物入れから、銀のちいさな粒を取りだし、店主に手渡した。その光景を見たカラクレムは、ポンと手を打った。
「なるほど、貨幣経済というやつでしたか」
「さっきからどうしたんですか、カラクさん? トンデモ行動ばかりです」
「えっと、その・・・私の故郷では、物は指差せば貰えるので・・・ついそのまま」
「指で差したら、もらえる??」
「ええ、ですから貨幣での取引も知識だけの存在でして・・・」
「はぁ・・・カラクさん、本当に貴方はどこから来たのですか・・・」
「それは・・・そういえば、エノゥさんから貰ったお金は使わないのですか?」
「え? ええ・・・貰う理由も無かったというか、後が怖いので。自腹を切りました」
「偉いというか、懸命というか・・・すみません」
「偉いので、褒めてください」
「流石です、ファウさん、偉いです! あ、そうだ、焼き鳥を渡さないとですね。どうぞ、お召し上がりください」
「いただきます」
焼き鳥を受け取ったファウが、腹の辺りに食い付こうとしたその時、背後から何者かに衝突され、焼き鳥を落としてしまった。
「邪魔だ、そこを退けい」
ぶつかってきた青年は、ずいぶんと不遜な物言いをし、立ち去ろうとした。
「・・・待ってください」
ファウは、カラクレムが見たことの無い、怒りの形相で青年の腕を掴んだ。
「なんだ貴様、何をする」
「・・・何故、貴方がここにいるのですか」
「貴様、何を言っ・・・」
「ねぇ、兄様?」
「兄様・・・お前か、ファウ!? お前こそ、何故ここに!」
青年の視線は、ファウの隣に立つ、カラクレムに向けられた。
「ええい貴様、何者だ!! 何故ファウと・・・なっ、それは父上の杖!? おのれ、俺の居ないうちに婚約でもしたのか!」
青年はがなりたてながら、カラクレムの胸ぐらを締め上げた。
「あ、兄様!? 止めてください、カラクさんと婚約なんて・・・えへへ」
「なんだその、えへへ、は!!」
「失言でした、気にしないでください」
「おのれ、貴様何者だぁ!!」
さらに胸ぐらを締め上げられるカラクレム、しかし苦しむ様子も見せず、掴み掛かる青年の手にそっと手を重ねた。
「初めまして、カラクレムと言います」
「なっ・・・少しときめいてしまったではないか!!」
「落ち着いてください、兄様!?」
「ええい、ファウはともかく、父上の杖をどこぞの馬の骨如きに渡せるか。カラクレム、貴様に決闘を申し込む!」
「兄様!!」
「なんだ、制止は聞かぬぞ!」
「いえ、落とした焼き鳥を弁償してください」
「・・・・・・あ、はい」
カラクレムとファウは、ファウの兄に連れられ、イルムレの狩人衆が陣取っているという、町外れの更地へ案内されていた。
「もぐもぐ・・・つまり、あの傲岸不遜、厚顔無恥な御仁が狩人衆の頭領にして、私の兄、ファムサです」
「もぐもぐ・・・なるほど、ファムサさんと仰るのですね」
カラクレムとファウは、焼き鳥を頬張りながら、ファムサの後ろを歩いていた。焼き鳥は、皮はカリッと小気味良い音がし、脂のノった肉は柔らかく、意外と美味であった。
「はい・・・あの、カラクさん、決闘を受けてしまって大丈夫なのですか? 兄は傲岸不遜で厚顔無恥ですが、槍術に関しては集落一の腕なんです」
「そうですか・・・まあ、焼き鳥もごちそうになってしまいましたから、仕方ないですね」
「変なところで律儀ですよね、カラクさんは・・・」
「そうなんですかねぇ・・・」
入り組んだ路地を抜けると、急に緑地へ行き当たり、そこには幾つか天幕が張られていた。
「アバゥはいるか!!」
ファムサが呼び掛けると、中心の大天幕から、長身の男が姿を現した。彼がアバゥのようだ。
「やっとお戻りか、頭領?」
歩み寄ってきたアバゥは、ファムサの背後にいるカラクレムに気付き、眉をひそめた。
「そちらは?」
「カラクレムだ。これから、こいつと決闘をする。アバゥは証人になってくれ」
「決闘? はぁ・・・あれほど町民と揉めないでくれと言ったのに」
「勘違いするな、こいつは町民ではないぞ」
「ん? 確かに、外套と杖はうちの集落のもの・・・どういうことだ?」
「それは、私から説明しましょう」
その時、ファムサの陰に隠れてしまい、気付かれなかったファウが、アバゥとファムサの間に割って入った。
「あれ、ファウ嬢さん!? なんで此処に・・・」
「それも含めて、兄様に説明させると誤解と語弊ばかりになるので、私から説明します」
「ファウ! それが兄に対する口の利き方か!?」
「敬意を払って欲しいなら、敬意ある振る舞いをしてください」
「ぐはぁっ・・・」
ファムサは胸を押さえ、片膝を突き、項垂れてしまった。
「さて、兄様も沈黙したので説明を・・・」
「お、お願いします・・・お嬢」
「斯々然々です」
「なんと、カラクレム殿は集落の恩人で、騎士長直々のお達しでファウ嬢さん含めてハルハントへの道中とは・・・驚きました」
「正しく伝わったようで、幸いです。なら、するべきことは解っていますね?」
「もちろんです」
アバゥは、カラクレムの方へ向き直り、頭を下げた。
「補佐役のアバゥと言います。今回は、うちの頭領が大変な無礼を・・・」
「お気になさらず、私も気にしていませんから」
「なんとまあ、出来た御方・・・ほら、頭領! ここで謝っておかないと、面目が保てないぞ」
「・・・・・・決闘だ」
「はい?」
ファムサは無言で立ち上がると、大天幕へと消え、自身の杖を手に戻ってきた。
「誤解には謝罪し、妹を救った恩には報いよう・・・だが、決闘はする。止めるには少々、気が昂り過ぎたからな!!」
「あちゃ・・・申し訳ない、カラクレム殿。 こうなったらファムサは収まらない、危うい時は止めに入るから、どうか相手をしてもらえないか?」
「ええ、そのつもりで来ましたから」
二つ返事で快諾したカラクレムは、荷物を置き、杖だけを持って、ファムサと相対した。
「使うのは、己の身体とこの杖のみ。それで異存は無いな?」
「はい、お手柔らかにお願いします」
お互いに杖を構えたのを皮切りに、決闘は開始された。
最初に動いたのは、ファムサであった。杖の先端を下げたまま、カラクレムへ突貫したのだ。そのまま突きを繰り出してくると読んだカラクレムは、右斜め前へ移動し、突きをいなしてから反撃に移ろうと構えた。しかし、ファムサは突き上げるように見せかけ、杖を流れるように振り上げると、突きを警戒していたカラクレムへ振り下ろした。
予想外の打撃だったが、カラクレムは即応し、杖でしっかりと受け止めてみせた。
「へぇ・・・ファムサの初撃を防いだか」
決闘を見守るアバゥは、カラクレムの動きに感嘆していた。
「ファムサの槍は蛇みたいに変幻自在で、獣さえ惑わすっていうのに・・・それを受け流し続けている、これがファウ嬢さんの見初めた男ですか」
「からかわないでください」
ファウは決闘の行方を凝視したまま、焼き鳥の串で右手にいるアバゥの脇腹を小突いた。
「痛た、串は駄目ですよ、串は」
「しばらく続けますね・・・それよりも、素人目で判らないのですが、カラクさんは兄と渡り合っているのですか?」
「えっと・・・渡り合っているというか・・・」
「あれはお兄さんが押しているね」
突然割り込んできた、第三者の声に、ファウは心底驚いた。
「エ、エノゥさん!?」
ファウの左手に唐突に現れたのは、騎士エノゥであった。
「もぅ、ひどいなぁ~市に行っても二人とも居ないから探しちゃったよ」
「あ、すみません・・・でも、よくここがわかりましたね」
「二人は何かに巻き込まれない限り、勝手に居なくならないだろうから、町中のトラブルスポット回ってきたのだよ」
「それは、なんというか・・・お疲れさまです」
「もう、三回も強制執行して来ちゃったよ・・・それで、この状況は何なのかな?」
「えっと・・・斯々然々です」
「えぇ!? お兄さんとファウちゃんのお兄さんが、真のお兄さんの座を賭けて争っているだって!!」
「・・・は?」
「それなら、私も参戦しなければっ!!」
「止めてください、洒落になりません」
「そんな、合法的にファウちゃんを愛でるチャンスなのにっ!!」
「違法です」
「うぅ・・・ファウちゃんのお兄さんって、強いの?」
「一応、集落一の実力者ではありますが・・・」
「ふ~ん・・・でもやっぱり、こっちのお兄さんは面白いなぁ」
「え?」
「これは、見物だね」
次々と繰り出される打撃をいなしながら、カラクレムは己の考えの甘さを悔いていた。手合わせのつもりでいたが、一撃一撃に殺気が満ち、殺し合いと言っても遜色無いのが実状である。だが、不可解なことに打撃の威力自体は軽く、競り合いも軽々と押し返すことが出来た。重過ぎる殺気を乗せた、軽過ぎる一撃。そのアンバランスさにカラクレムは戸惑うばかりであった。
攻撃を誘う為の罠とも解釈出来るが、このままでは埒が明かないので、ここは踏み込むことにした。下段に構えた杖の先端で、ファムサの杖を跳ね上げ、がら空きになった胴に突きを食らわせた。カラクレムは、何かしらのカウンターを警戒したが、ファムサは突かれた場所を押さえて、背後へ退いていった。
「ぐっ・・・なんて威力だ。さては貴様・・・それなら、こちらも使わせてもらうぞ」
ファムサは突然、己の唇を噛むと、流れ出た血を大袈裟に舐め取った。すると、瞬く間にファムサの雰囲気が一変した。カラクレムは、殺気と力量が釣り合ったのだと感じ、一撃も食らうまいと身構えた。
「さあ、ここからが本番だ」
ファムサは不敵な笑みを浮かべ、獣と見紛う踏み込みで、カラクレムへと肉薄してきた。
「あれ、ファウちゃんのお兄さん、何かした?」
観戦していたエノゥも、ファムサの変化を感じとり、ファウに尋ねていた。
「おそらく、血狂いを使ったのかと」
「ん、血狂い?」
「はい、うちの狩人が猛獣や危険な相手と戦う際に使う技です。本来は熊の血を飲むのですが、兄様はなんでもアリです」
「なるほど、民間の技・・・血を呼び水にした暗示で身体強化の魔法を強引に引き出してるってところかな? 騎士の試練も受けてないのに中々の魔力だね」
「はい、素面で強力な魔法は使えませんが、あれなら生身で熊やグリーバとだって渡り合えます」
「ん~お兄さんの力強さを魔法のものと勘違いしたのかな? お兄さんからは魔力を感じないけど、お兄さんも出来るのあれ?」
「無理ですよ、血狂いは数年を跨いで練り上げていく技なんです。熊の血とお酒を交互に飲んでは吐き、飲んでは吐き・・・」
「う~ん・・・そうなると、危険かもしれないね。もしもの時は止めに入らないと、良いかな審判の人?」
決闘を見守るアバゥは、やはり戦いから目を逸らさずに答えた。
「どちらかが死にそうな時は、お願いします。あれはもう、私じゃ止められないので」
ファムサの力は、血を舐める前とは比べ物にならないほど、飛躍的に向上していた。
先程と同様に繰り出される打撃を受け止めると、杖がギシギシと音を発て、手に痺れが走った。殺気に見合った重過ぎる一撃、これをまともに貰えば、死んでもおかしくない。一瞬でここまで変わった理由は判らないが、いつまでも受け止めているわけにはいかないのは判る。カラクレムは勝負を決するべく、奇策に打って出た。
ファムサは連打を加えた後は、次の突貫に備え、一端背後へ退いて間合いを図ってきている。そこでカラクレムも背後へ退き、突貫の構えを見せた。杖の先端を下げ、突貫する二人。双方から猛烈な突きが繰り出されると思われた次の瞬間、カラクレムの杖が地面に突き刺さった。勢いのまま、ふわりと浮き上がるカラクレム。ファムサの突きの上を行き、カラクレムの踵落としが彼の頭を捉えた。
予想だにしない踵落としに、ファムサは杖を取り落としたが、意識はしっかりと保たせていた。カラクレムも、踵落としで決められるとは考えていなかった。着地すると、まだ態勢を立て直せていないファムサに肉薄する。
両手で杖を持ち、まずは右端で殴打し、返す刀で、左端でも殴打をした。次いで、左手を右脇に入れるように動かし、連動して振り上がった杖の右端でファムサの頭頂部を打つ。間髪入れず、左手を振り上げることで、杖の左端がファムサの顎を打ち上げる。そして最後に、顎を打ち上げた後、左手を離し、右手首を反して杖を振りかぶる。そうしてから、離した左手で右手の握りこぶし一つ分下を握り、ファムサ目掛けて振り下ろした。がら空きになった左こめかみにトドメの一撃である。
これが、勝負を決する一撃、渾身の力を込めたそれが、ふらつくファムサを捉えようとしたその時、カラクレムの足下の地面が突然盛り上がった。先が丸く盛り上がった土は、カラクレムの鳩尾を捉えた状態で彼を突き上げ、その拍子に彼の手から滑り落ちた杖はファムサの頭へ落ち、ファムサはそのまま倒れてしまった。
「そこまでだよ、お兄さん。今の威力だと、間違いなく仕留めちゃうところだったよ」
土を盛り上げたのは、言うまでもなくエノゥの魔法であった。
「でも、トドメまでの持っていき方が面白・・・あれ、お兄さんも気絶してる?」
鳩尾を打たれたカラクレムは、堪えきれず卒倒し、盛り上がった土の上にぐったりと伸びていた。
「あはは・・・やり過ぎたみたいだね? はい、撤収!!」
こうして決闘は、エノゥの乱入によって幕を引かれたのであった。
カラクレムが目を覚ますと、そこは見知らぬ部屋、見知らぬ寝台の上であった。
透明度の低い窓ガラスからは陽光が差し、少なくとも一晩の時間が経過していることを示している。身体を起こそうとして、鳩尾に鈍痛を感じ、カラクレムは事の顛末をなんとなく察した。あの土の盛り上がり方はエノゥの魔法に似ていた、おそらく乱入してきたのだろう。そして、ここは騎士団の屯所といったところか。とりあえず、外を散策してみようと、寝台を降り、ドアノブを掴もうとしたその時、先にドアが開け放たれていった。
ドアを開けたのは、ファウであった。抱えている水の入った木桶を注視していて、未だカラクレムには気付いていない。
部屋に入ろうとして、ファウはようやく人が立っていることに気付いた。顔を上げ、ヒッと息を飲んだ。
「おはようございます、ファウさん」
カラクレムが挨拶をしても、ファウは固まったまま、返答しなかった。
「・・・ファウさん?」
顔の前で手を振ったが、反応が無い。一先ず、落としそうな木桶を取ると、ファウの目に光が戻った。
「はっ・・・カラクさん?」
「その、大丈夫ですか、ファウさん?」
「はい・・・すみません、驚き過ぎたようで。ようやく思考が追い付いてきました」
「なるほど、あれは思考停止状態・・・すみません、それほどまでに脅かしてしまって」
「いえ、まだ寝ているものと思い込んでいたので・・・まだまだ修練が足りません」
「そこまで思い詰めなくても・・・」
「これが熊だった場合、私は死んでいますから」
「な、なるほど、そういう考え方も? ・・・そういえば、何用ですか、木桶なんて持って」
「はい、エノゥさんとの約定も一段落したので、カラクさんの様子を見に来ました」
「約定・・・ああ、例のやつですか?」
「はい・・・大変でした」
「というと?」
「同じ寝台に寝て、抱き締められたまま、寝入るまで散々武勇伝を聞かされていました」
「お、お疲れさまです」
「まるで、小さな子の世話をした時のようで・・・起きた時も、しっかりと抱き付かれていました」
「心中御察します」
「ありがとうございます・・・さて、顔を拭いて差し上げようと持ってきた水ですが、身体を拭いてみてはどうですか?」
「なるほど、そうしますね」
カラクレムは、ファウの提案に従い、部屋に置かれていた布巾を使って、身体を拭うことにした。ファウは出ていくのかと思いきや、部屋の隅の椅子に陣取っていたが、気にせず上衣を脱いで、拭き始めた。
気になっていた鳩尾付近を確認すると、ひどいアザが出来ていた。一瞬で卒倒するほどの威力なのだから、無理もないだろう。後で、エノゥに苦情を出さねばなるまい。
アザの辺りをおっかなびっくり拭いていると、不意にファウが口を開いた。
「カラクさん・・・あの」
カラクレムは、重い語気でその後に続くであろう質問を察した。身体的差異などの件だろう、いつまでもうやむやには出来ないが、カラクレム自身も解らないことが多く、今はまだはぐらかすしかない。
「そうだ、あの後ファウさんのお兄さんは?」
「え、あ、はい・・・アバゥさんに、目が覚めないうちにイルムレへ帰ってもらいました」
「き、強制送還・・・」
「本来、狩りが終わればすぐに帰還するはずなのに、兄様の我が儘で立ち寄ったそうなので」
「我が儘・・・?」
「山に還していた、足の早い内臓などを売って外貨にしていたらしく・・・」
「ああ、胆嚢とか薬になるそうですしね」
「とはいえ、それは兄様の独断、我が儘です。冬の食糧狩りという大役を担っているのですから、首長に御叱りを受けるべきかと」
「あはは、手厳しいのですね」
「そんなことは・・・はっ、違う。カラクさん、話が・・・」
いよいよ、はぐらかし切れないカラクレムが諦めかけたその時、闖入者が現れた。
「うぅ・・・ファウちゃ~ん」
寝惚けたエノゥである。戸口に現れるなり、ふらふらとファウの方へと近付いていった。
「ちょっ、止めてください! 来ないでください!!」
抱き付いて来ようとするエノゥ、その顔を押さえ、ファウは必死に拒んだ。
「良いではないか~良いではないか~」
「うぅ・・・一晩離れてくれなかったじゃあないですかっ!」
「むにゃ・・・日が昇ったら離れるとも言ってない・・・むにゃむにゃ」
「もはや起きていますよね!? 助けてください、カラクさん!」
「むにゃ・・・・・・お兄さん?」
エノゥは眼をカッと見開き、我関せずと上半身を拭くカラクレムへと視線が向けられた。
「お兄さん・・・・・・半裸で何しているのかな?」
周囲に殺気を明からさまにばら蒔きながら、エノゥはドスを利かせた声で、カラクレムに問い掛けた。
ここはカラクレム、いっさい動じる素振りも見せずに、エノゥに眼を向けた。
「ファウさんが水を持ってきてくれたので、身体を拭いているところですが、見て判りませんか?」
ややおいて、エノゥから殺気が失せ、顔に笑みが戻ってきた。
「そう、みたいだね・・・ごめんね、お兄さん」
「いえ、判っていただけたなら」
「う~ん・・・お兄さん、なんだか私にキツくないかな?」
「笑って流せるような殺気ではありませんでしたからね。それに、優しくする理由も思い付きませんし」
「酷いなぁ~昨日の決闘だって、私が止めたから死人が出なかったのに」
「むぅ・・・そうだ、これを見てくださいよ」
カラクレムは、鳩尾が見えるように身体をエノゥに向けた。
「お兄さん・・・意外と筋肉ついてないんだね」
「・・・鳩尾です」
「ん? ああ・・・うわ、何その紫色!? 気持ち悪い・・・」
「はい? ・・・貴女の仕業ですよ?」
「あっ・・・まあまあ、ファウちゃんのお兄さんを仕留めちゃっていたよりマシだよね?」
「そんなこと無かったと思いますが・・・とりあえず、下も拭きたいので、お二人とも退室を願います」
「はいはい、それじゃあ私たちは朝食にしようかな。お兄さんはどうする?」
「多少吐き気があるので、遠慮しておきます」
「そっか、だったら半刻くらいしたら正面玄関で待ち合わせね。それじゃあ、ファウちゃん、食堂へ行こう」
「は、はい・・・」
ファウはエノゥに手を引かれ、慌ただしく部屋を出ていった。
「・・・ふぅ」
危うくはあったが、何とか素性の話ははぐらかすことができた、カラクレムはそんな安堵を感じていた。
ふと、ファウの疑問は、これから会うであろう騎士長からも問われるのではないかと思い至った。安堵も束の間、これは早めに答えを考えておかねばならない。そう思うとドッと疲れたので、寝直したいところだが、時間もない。カラクレムは手早く身体を拭き終えると、すぐに旅装を整え始めた。終える頃には、もう集合時間である。
正面玄関へ向かう行程で、カラクレムは自分が寝ていたのが二階で、建物がコの字型であることを知る。それにしても、誰とも会わない。中庭に人が集まっているので、そのせいかもしれない。コの縦線の外側方面に位置する正面玄関には、エノゥやファウと同時に到着した。勘頼みで来たが、合っていたようだ。
「奇遇だね、お兄さん。これですぐに出発出来るね」
エノゥらと共に来た、屯所の責任者に礼を述べ、一向はハルハントヘ出発した。振り返って初めて、屯所が漆喰で白く陽光を照り返す建物であったことを、カラクレムは知ることになる。
「峠を一つ越えれば、もうハルハントが見えてくるよ」
エノゥ曰く、街を出てすぐの峠のことらしい。ここは徒歩で登るのが粋とされ、馬や浮遊などは使わない。なだらかだが長い坂に、カラクレムが少し息を切らして登っていると、ファウが瓢の水筒を差し出した。
「どうぞ」
朝食を抜いたので、完熟葡萄酢を水で割ったものを貰っておいてくれたらしい。
「ありがとうございます」
完熟葡萄の甘さと、酢の爽快感で意気を新たにし、峠を無事に登り切ることが出来た。
「さあ、あれこそが我が騎士団の本拠地、ハルハントだよ!」
エノゥの指差す先には、白亜の円環都市が、緑と茶色の入り雑じる丘陵地帯で、唯一白く輝きを放っていた。