2部 終章 神の祝福があらんことを
マーレイの葬儀は、プリシーバを挙げて執り行なわれた。どんな悲劇的な事柄も、お祭り騒ぎに昇華させてきたユクワーでさえ、今回の出来事は消化し切れないようである。勢いが取り柄の漁師も、屈強な自警団も、そして浮世離れしていると思われた院の研究員も、街全体が悲しみに暮れていた。
複数の医師に自然死、つまり寿命と診断され、彼女は天寿を全うしたのだと理解は出来ても、到底納得は出来ない。彼女はいつまでも、プリシーバの街中を、笑顔を浮かべて駆け回っていそうだった。そうあって欲しかった。
誰もが苦悶の表情で弔問の列を待ち、最期の別れを告げていく。だが不思議な事に、帰路に就く人々の顔はどこか晴れやかで、笑みさえ浮かべている。それが列を成す者らには理解出来なかったが、マーレイの顔を見て、全てを理解する。その表情はあまりにも安らかで、微笑すら浮かべているのだ。まるで、楽しい夢を見ているかの様な面持ちに、弔問した者からも自然と笑みが溢れてしまう。彼女は苦しみを知らず、慈しみの中、見送られた。これ以上の最期が、他にあるだろうか。
弔問を終えた者は、自然と飲食店へ足を向ける。そして酒を呑みながら、彼女の鎮魂歌を唱う。先日、彼女と輪唱した歌を。
マーレイは今後、海の女神として奉られることが公式に決まっている。遺体を聖像として残すという案もあったが、それでは不憫だというのが大半の意見であり、像制作用に彼女の似顔絵を描いた後、火葬され、生まれ故郷の海へと還される運びで落ち着いた。
「ここに居ましたか、エノゥさん」
カラクレムは、静謐に沈む礼拝堂にて、葬儀の後から姿を消していたエノゥを見つけた。
「お兄さん、か・・・ファウちゃんは?」
「泣き疲れたのか、今は寝ていますよ」
「そっか・・・」
エノゥは礼拝堂に備え付けられた長椅子の端に座っていたので、カラクレムはその長椅子のもう一端に腰を降ろした。
とはいえ、言葉を交わす事柄も無く、沈黙だけが二人の間を流れていった。カラクレムがウトウトし始めた頃に、エノゥが口を開くまでは。
「・・・私がファウちゃんを呼び出さなかったら、マーレイちゃんと友達に成らなかったら、あの娘に悲しい想いをさせずに済んだのかな?」
「・・・或いは、そうかもしれませんね」
「・・・或いは?」
「ファウさんが、どう考えているかは判りません。ただ、私としては、マーレイさんと知り合えない道の方が恐ろしく思えます」
「・・・何で? こんなに胸が張り裂けそうで・・・頭が変になりそうなのに・・・」
「だからですよ・・・そこまで深く悲しめるのは、マーレイさとの出会いが、かけがえのない、貴重なものだったからです。あの笑顔を知らず仕舞いだなんて、勿体無いでしょう?」
「・・・そう、だね。マーレイちゃんの笑顔は、この悲しみを背負い続けるだけの価値があるよ」
「そうでしょう? それに、どう足掻こうと、無かった事には出来ないのですから、大切にしましょうよ」
「・・・・・・はぁ、まったくお兄さんは、何でいつも冷静で居られるのかな? 少しは取り乱しても良いんじゃない? 泣いてるとこ、見たこと無いよ?」
「そうですね・・・誰よりも先に覚悟を決められたからというのもありますが・・・禁忌に手を染めようと、画策していたからかもしれません」
「・・・禁忌?」
「・・・エノゥさん、それは決してマーレイさん自身では無いものの、限り無く彼女に近い存在だとしたら・・・会いたいですか?」
「お兄さん・・・何を、言っているの?」
「会いたいですか?」
「・・・・・・うん、会いたいよ。会ってみないと判らないから」
「そうですか・・・では、海の女神に願いましょう。マーレイさんにもう一度会いたいと、強く」
「強く、願う・・・」
エノゥは女神像の前で膝を突くと、手を合わせ、そっと目を閉じ、真摯に祈りを捧げた。
「マーレイちゃんと、もう一度・・・」
それは、カラクレムにだけ見えていた。エノゥの願いに呼応するように姿形を変化させ、実体を得たそれは、エノゥの眼前に顕現した。
「・・・エノゥ、お姉さん?」
「マーレイ・・・ちゃん?」
エノゥの眼前には、マーレイと瓜二つの少女が佇んでいた。そして、口を大きく開けながら絶句しているエノゥを、不思議そうに見下ろしている。
「・・・成功、ですね」
「え、何、これ・・・お兄さん、どういうことなの!?」
「ふむ・・・どこから始めましょうか」
予定調和と言える混乱に陥っているエノゥに、カラクレムは自身の悪巧みをつまびらかにした。
カラクレムは文字を学ぶ傍ら、マーレイの寿命を伸ばす手立てを探していた。だが、そんな手立てがホイホイと転がっているわけもなく、アールヴの超自然的な能力でも、不可能はあると痛感していた。
そんな時、カラクレムの脳裏に禁忌としか思えない考えが浮かんだ。その考えとは、マーレイという人格を、アールヴの無意識を利用して、ある概念に転写すること。ある概念とはもちろん、神である。
カラクレムは早速、プリシーバの神話を調べ上げ、この礼拝堂へと辿り着いていた。そして見つけたのは、神の雛型とも言える存在だった。かつてプリシーバでは、エイディアの物語に出てきた娘を神格化し、海の女神へと昇華させた。その当時の海の女神は、その娘の姿と自我を持っていたことだろう。だが、物語が風化していくのと連動し、女神もまた姿と自我を失っていた。現代では、限り無く透明の女性の姿をした、人を手助けするだけの機構に成り果てていた。漁獲量の微増や遭難者を導く歌声の正体は、雛型に戻りつつあった神、というわけである。
カラクレムは、この神の雛型にマーレイの意識を上書き出来るのでは無いかと考えた。今は未だ、マーレイは生きた女神として認識されているが、やがて寿命を迎えた後、姿の見えない神として扱われるはずだからだ。
しかし、それだけではマーレイの姿は透写されても、別の自我が芽生えてしまう恐れがあった。そこでカラクレムは、命が尽きようとしていたマーレイに、己の人生の機微を、より事細かに、エノゥとファウに語り聞かせたのである。神は、アールヴの記憶にアクセス出来る。マーレイという神が望まれた時、神の雛型は彼女らの記憶に手本を求めるだろう。つまり、カラクレム達の見知ったマーレイの人格を再現するというわけである。
そして今、カラクレムの考えが正しければ、限り無く生前のマーレイに近い、海の女神が誕生した事になる。だがそれは、マーレイ自身ではない。本当のマーレイの魂は、安らかなるまま、去っていったのだ。あくまで彼女は、カラクレム達の見知ったマーレイのコピー。それをエノゥやファウが、どう考えるのか、カラクレムには判らない。それでも、試してみる価値はあると、判断した。
「・・・そちらのマーレイさんは、御加減は如何ですか? 自我はどの様に形成されていますか?」
「・・・えっと、目が覚めたばっかり、みたい。私は、こんな人間だったなって、思い出していくみたい、だよ?」
「そうですか・・・どうやら、人格の転写も成功したみたいですね。エノゥさん、貴女は彼女をマーレイさんの続きと認識しますか? それとも・・・彼女を偽物だと断じますか?」
「それは・・・急に、そんな事聞かれても・・・抱き締めるに決まってるじゃないか!」
エノゥは、海の女神に抱き付いた。これをもって、エノゥは彼女をマーレイと認めた事になる。今の姿に成る為に参考にした記憶の持ち主が認めたことで、よりマーレイとしての自我が固まることだろう。今は未だ、彼女は不安定な存在なのだ。だが不安定ゆえに、エノゥにも見たり触ったりする事が出来る。これもまた、束の間の奇跡、夢の続きの様なものなのだ。
「エノゥさん、これでマーレイさんは貴女が忘れない限り、文字通り生き続けるでしょう。ですが、姿が見えるのはプリシーバの住民達や貴女がもう一度会いたいと願っている今だけです。やがて、姿の見えない神としての信仰が始まれば、その設定に従い、見えも触れもしなくなるでしょう」
「それでも・・・また会えて良かった・・・ありがとう、お兄さん」
エノゥの瞳から、また大粒の涙が零れ出す。僅かな邂逅だが、突然の別れを受け入れる助けとなれば、禁忌に手を染めた甲斐があったと、カラクレムは自責の念を少し和らげることが出来た。
「いえ・・・禁忌に手を染めるのは、旧人類の得意技ですから」
本当に、人間とは不純な生き物であると、カラクレムは自嘲する。
彼の頭脳は、さらなる悪巧みを提示し続けていた。神は見えるものと人々の意識を変えれば、神々が闊歩する世界に変えられるのではないか、条件が揃えば誰でも神格化出来るのか等、枚挙に暇が無い。それらに関しては、予想が立てられないので黙っておく。
そしてこのマーレイなら、カラクレムの記憶にはアクセス出来ないので、秘匿すべきアクアニウム、エイディアン両計画について語ることが出来ないと踏んだうえで、神格化させている等、カラクレムは己のズル賢さに少なからず嫌悪感さえ抱いていた。
「お兄さん、ファウちゃんにも会わせてあげようよ!」
カラクレムが独り、大罪を背負った事などいざ知らず、エノゥは無邪気に提案する。
「・・・そうですね。でも、他の人には見つからないようにしてくださいね?」
カラクレムは、内なる迷いをひた隠し、エノゥとマーレイに微笑んだ。
マーレイの葬儀、そして海の女神マーレイが誕生してから、5日の時が経った日、休暇を終えたエノゥは、カラクレムやファウ、そして従士隊と共に、プリシーバを去ろうとしていた。
報告書(女神マーレイの誕生は、カラクレムの要請で秘匿)を受け取った騎士長ラグトゥからは、休暇を延長しても構わないという返事が届いたが、エノゥはそれを辞退した。ここですべきことは終わった、というのがエノゥの言い分である。
彼女を見送りに、ハルハントの駐留組はもちろん、自警団の団長から院の大老、果ては屋台の親父まで多くの人が駆け付けてきた。面識の無い者も、ちらほら居たらしいが、エノゥの人徳が為した事なのは間違いないだろう。カラクレムは、見送りの中に手を振るマーレイの姿を見つけた。彼女は既に、カラクレム以外には見えなくなっている。カラクレムはエノゥとファウにマーレイが居る方向を教え、共に手を振った。マーレイは、目映い笑顔でさらに大きく手を振り返す。彼女はこれからも、プリシーバで生きていく。
そして、後ろ髪引かれながらも、一行はプリシーバを後にし、ハルハント城塞までの道を騎馬でひた走る。その途中の休息の時、カラクレムはエノゥに声を掛けた。
「エノゥさん、ちょっと良いですか?」
「どうしたの、お兄さん? 今回は浮かばせてないでしょう?」
「別件ですよ・・・エノゥさん、私を雇ってみませんか?」
「・・・はい? お兄さんを雇えって? 何で、いきなりそんなこと・・・ファウちゃんと喧嘩した?」
「いえ、そんなことは・・・少し考えるところがありまして、少し力をお借り出来ないかと」
「ふ~ん・・・お兄さんなら戦力としても大歓迎だけど・・・ファウちゃんには話したの?」
「いえ・・・まだです」
「それじゃあ、雇う事は出来ないね。ちゃんとファウお姉さんに許可をもらってからじゃないと、近々行く事になりそうな彼処には連れていけないよ?」
「ファウ、お姉さん・・・それって何処なんですか?」
「ふっふっふ・・・北にあるカーシンの領域さ。遂に私、アーブフ火山で火と鉄の試練を受けるんだよ♪」
「カーシンの、領域・・・ですか」
話はよく判らないが、新たな土地を知る機会を逃すべきではないと、カラクレムは判断した。ではさっそく、姉の許可を取りに行くとしよう。すぐに踵を返して、ファウの元へと急ぐ。
「ファウさん、少しお話が・・・」
「何ですか、カラクさん?」
「えっと・・・ちょっとハルハントに、エノゥさんに雇ってもらって、カーシンの領域に行こうと思うのですが・・・許可して頂けますか?」
「・・・駄目です」
「・・・え?」
「断固許可出来ません!」
「えぇ・・・」
何故か頑なに許可をくれない師匠に、カラクレムは動揺を隠せなかった。




