2部 第4章 ダンタリオ
夕刻、湯浴みを終えたエノゥは、エイディア兵を迎撃した砂浜の近くでライエナ達プリシーバ自警団と合流していた。
「うぇ~~やっぱり臭いなぁ・・・鼻が見た事無い曲がり方をしそうだよ」
「ほぅ・・・それは後学の為に見ておきたいな?」
「もう、冗談なんだから粗を拾わないでよぅ・・・それで、そちらの進捗は?」
「この砂浜を主戦場と定め、飲食店街に避難勧告をし、砂浜との境界に簡易的な防御拠点を築いている。また、市民には外出禁止令を発布した上で、町への侵入を防ぐべく漁港の入り口にも防壁を築く予定だ・・・それでアンリヌイ卿、そちらの動きは?」
「手紙は戻ってすぐに用意させて、早馬でハルハントに送ったよ。早ければ、明日の午前中には援軍が到着するかもね」
「そうか・・・つまり、今夜が山場ということだな?」
「そうだね、あの魚畜生共がどう動くか予測出来ない以上、あらゆる事態を想定しておかないと」
「ふっ、流石は一軍の将だな・・・では、ここは我々に任せ、マーレイの捜索に専念して欲しい。いくら持ちこたえようとも、漁に出れなければプリシーバは終わりだ。早急に元凶を取り除き、都市機能を回復させる必要がある」
「もちろん、そうさせてもらうよ。捜索にはうちの駐留組を既に走らせているから、安心して戦ってくれたまえ!」
エノゥは自信あり気に胸を叩き、外套を翻して、マーレイとはぐれてしまった場所へと向かった。
「まったく、ブッ飛んだ休暇になっちゃったな~」
今まで無理をしてきた分、ゆっくりと羽を伸ばすつもりでいたのだが、戦場は随分と自分を気に入っているようだ、とエノゥは自嘲する。散々手を汚してきたのだ、平穏など望めないのだろう。
休暇は一時凍結、ここからは気持ちを切り替えて動く。いつものエノゥ、残忍にして冷酷な、人類の守り手。感情は狂喜の笑みで覆い隠し、人類を脅かすのであれば、マーレイですら斬り伏せる。
「・・・・・・はぁ、やっぱり駄目だ」
どれだけ自分を追い込んでも、少し前の自分の様に成れない。狂喜の笑みで、感情を圧し殺してきたアンリヌイ卿エノゥに戻れないのだ。
狂喜に堕ちようとすると、ファウの悲しそうな顔が目蓋に浮かぶ。年下だというのに、彼女には心の脆さを見抜かれていた。もしかしたら、己を偽り、気丈に振る舞う事に関しては先輩なのかもしれない。
マーレイを斬る覚悟を決めようとした時は、カラクレムの顔が浮かんだ。それはもう不思議そうな顔で、彼は問い掛けてくる。何故、したくもないと想う事を、貴女はしようとしているのですか、と。首を傾げて、あの純粋な目を向けて、彼は尋ねてくる。彼は無知なわけではなく、分かっているからこそ、明確な理由を求めてくるのだ。
「ああ、もう・・・鬱陶しいなぁ」
エノゥは吐き捨てるように苛立ちを表現したのだが、口元は笑っていた。これを余裕が出たと言うのか、甘くなったと言うのかは分からないが、今は自分の望みをしっかりと見定められる。
「助けるに決まってるでしょ、可愛い娘なんだから!」
それに、彼女に会わせる為に手紙でカラクレムを呼び出しているのだから、斬るわけにはいかない。
エノゥは、意志の固まった晴れやかな顔で駆け出した。
程なくしてエイディア兵を切り裂いた十字路へと到り、次いでマーレイが走り去っていった通りをひた走る。
すると、反り立つ絶壁がエノゥの行く手を阻んだ。ここが、南区の終わり。プリシーバを断面図にして見てみると三段に分かれていることが判る。最上段が北区、二段目が東西区、そして三段目が南区といった感じだ。それぞれを結ぶのは、中央に敷かれた坂道のみ。つまり、ここが行き止まりということになる。
壁に沿って、左右へ伸びる道があるので、エノゥは魔法で音を収集してみた。しかし、あの裸足で石畳を歩く音は聴こえて来ない。あれから、結構な時間が経過している。行き止まりと知って、他の場所へ移動した可能性が高い。
だが、中央の通りでは自警団が目を光らせているはずだ。屈強な女戦士でも無い限り、すぐに保護され、エノゥにも報せが来るはずである。では、マーレイは何処へ消えたのか。まだこの区画に居るのか、それとも迷子と思って誰かが匿ってしまっているのか。周囲を見回していた結果、エノゥはある仮説を閃いた。それを確かめる為に、壁沿いに左へと駆け出す。
その道の終わりには、都市計画には存在しない、手作り感溢れる石の階段が存在していた。近道をしたくなるのが、人情というものだ。階段はどうやら、東区の住宅街へと繋がっているらしい。マーレイはここを通ったに違いないとエノゥは直感した。人一人がやっと通れる程度の階段を駆け登り、東区へと侵入する。とはいえ、ここからはまた手探りで追跡して行かねばならない。
しかも、風を使った情報収集はここでは通用しないようだ。東の住宅街は下の飲食店街よりも道がさらに複雑に入り組んでおり、風を思うように通すことが出来ないのだ。そして何より、生活音が圧倒的に多い為、足音を聞き分けることが困難だった。
「・・・足で稼ぐしか、無いみたいだね」
エノゥは一度嘆息してから、住宅街を駆けずり回り始めた。端から端、隅から隅まで確認し、住宅街を東からしらみ潰しにしていく。
しかし、住宅街の東半分を捜し終えても、マーレイを見つけることは出来なかった。聴力の強化も最大限に高めていたが、自分の息遣いがいやにはっきり聴こえるばかり。既にだいぶ日も落ち、夜の帳が降ろされようとしている。
昼から休み無く駆け回っていたので、エノゥは堪らず、住宅街の中心にある公園のベンチに腰を降ろした。
呼吸を調えながら、空を仰ぎ見る。偶然、一番星を見つけてしまった。
「あはは・・・やったね」
ハルハントの民が信奉しているのは、月と太陽の神、そして空と大地の神だが、エノゥはこの一番星に祈りを捧げた。どうか、あの迷い子へと導いて欲しい、と。
そして、そんな願いが通じたのか、呼吸が調うと自然の風に乗って、ある音が運ばれてきている事に気が付いた。
「これは・・・歌、かな?」
こんな時に、何処かで、誰かが歌っている。透き通った若い女性の声、エノゥにはそれがマーレイの歌声としか考えられなった。
「あはは、一番星くんに改宗しないといけないかな?」
エノゥは重い腰を上げると、歌声を遡り始めた。歌声が聴こえてくるのは住宅街の西側、住居とは趣が違う建物からである。
「海の女神・・・礼拝堂?」
建物入り口のプレートには、そう刻まれている。
中を覗くと、そこには常人の3倍はあろうかという巨大な女神像が安置されていた。そして、その像の前で歌う、マーレイの姿も確認することが出来た。
エノゥは、驚かせないようにゆっくりと礼拝堂の中へ入り、こっそりと退路を塞いでから声を掛けた。
「綺麗な歌声だね」
歌が止まり、マーレイは恐る恐る振り返る。
「・・・エノゥ?」
「そうだよ、マーレイ・・・急に居なくなったから、心配したんだよ?」
「・・・ごめんなさい」
「うん、無事で良かった・・・それで、色々と聞きたいことがあるのだけど・・・良いかな?」
「・・・良いよ?」
マーレイに逃げる気配は無いと判断したエノゥは、彼女の傍らにしゃがみ込んだ。
「マーレイちゃん、君がここへ来た理由を、もう一度教えてもらえないかな?」
「それは・・・」
マーレイはまた、恥ずかしそうに赤面した顔を、髪に埋めようとする。
「えっと・・・そんなに恥ずかしいことなの?」
「私の・・・私の事を、好きになってくれる人を捜してきなさいって」
「うん、なるほど、それは恥ずかしいね・・・待って、来なさいって事は、それを指示した人がいるの?」
「・・・お母様」
「お母様? マーレイちゃんのお母さんが、そう言ったの?」
「・・・うん」
エノゥは正直混乱してしまっていた。
王族と思われるマーレイの母という事は、エイディアの王か、それに近い立場の人物ということになる。その人物の指示で、プリシーバへ来たというなら何故、エイディアの兵がプリシーバを攻撃しているのだろうか。てっきり、マーレイを拐われたと勘違いして攻め寄せているとばかり想定していたが、これでは話がまるっきり変わってきてしまう。
「あの怪物は、君の仲間じゃないの?」
「・・・そうだったけど、お母様は捕まらないように、逃げなさいって」
「そう、言われたの?」
「・・・うん」
マーレイの話を聞く限り、エイディア内で政変が起きたとしか思えない。マーレイは、亡国の姫君なのだろうか。だとしたら、彼女を好きになってくれる人を捜してきなさいという、彼女の母の指示は何を意味しているのだろう。彼女を守ってくれる人を捜せという意味なのか。
「マーレイちゃん、君を好きになってくれる人が見つかったら、その後はどうするつもりなの?」
「・・・一緒に帰ってきなさいって、お母様が」
連れ帰って来いと言ったのか、お母様は。エノゥは驚きのあまり舌を巻いていた。こんな少女を見知らぬ地に送り込み、追ってくる刺客たちを切り抜けて、愛する者と帰って来いとは、マーレイの母とやらは相当な鬼畜に違いない。しかしまだ、一連の行動の意味が解らない。その意味をマーレイ自身が理解しているかも怪しいものである。ならば、ここは仕掛けてみるのが良いだろう。
「お姉さんはマーレイちゃんの事、好きだよ? どうかな、お姉さんを連れ帰ってみない?」
「私も、お姉さん優しいから、好き・・・でも、駄目」
「え、駄目なの!? えぇ~同性だから? 同性だから駄目なの? それとも、年齢? 年上は好ましくないとか?」
「えっと・・・お姉さん、人間じゃないから、ごめんなさい」
「それは私が人でなしということなのかな!?」
「人でなし? お姉さん、アールヴでしょう? 耳が長いのはアールヴだから、間違えないでって」
「何だ、良かった・・・いや、良くはないか」
アールヴというのはよく分からないが、耳が長いのは人間ではないと言うなら、お母様とやらは旧時代の考え方の持ち主という事だ。旧時代の人間には、心当たりがあった。
「おいおい・・・またお兄さんかよ」
どうやら、呼び寄せておいて正解だったらしい。何かと厄介事に巻き込まれやすいカラクレム。だが最後には美味しいところを持っていくので、同情の余地は無い。エノゥが考え事に集中していると、マーレイが彼女の腕に抱きついてきた。
「連れていくのは駄目だけど、お姉さんの事は、好きだよ?」
「キューン☆」
一発で心を射抜かれたエノゥ。一心不乱にマーレイの頭を撫で始めた。
「あぁ~よしよし、マーレイちゃんは可愛いな~。お姉さん、感激だよ~よしよし」
「うぅ・・・くすぐったい」
そんな至福の時も束の間、けたたましい笛の音を、エノゥは聴き逃さなかった。
「警笛・・・奴らが来たみたいだね」
エノゥは、判断に困っていた。エイディア兵共にマーレイを渡せば、もしかしたら襲撃は止まるかもしれない。だがその場合、この子はどうなってしまうのだろうか。安心し切ったマーレイの頭を撫でながら、エノゥは意を決する。
「マーレイちゃん、もう少しここで待っていてくれるかな?」
「・・・お姉さんは?」
「マーレイちゃんを捕まえようとする悪い魚類共を一掃してくるのさ」
「・・・また、来てくれる?」
「もちろん! その時は、マーレイちゃんの捜している人間も連れてきてあげるね?」
「ほんとに? ありがとう、お姉さん」
力一杯抱きついてくるマーレイを、本当に、血涙を流しそうな程に名残惜しく思いながら、引き離した。
「それじゃあ、またね?」
「・・・うん、行ってらっしゃい」
マーレイに見送られながら、エノゥは礼拝堂を後にした。彼女も街も、両方守れば良い。明日にはきっと、カラクレムもやって来てくれるはず。それまで、持ちこたえれば良いだけの話なのだ。
警笛が鳴り響いた頃、ライエナは、目の前の光景に苦笑していた。
昼間とは比べ物にならない夥しい数のエイディア兵が、砂浜から上陸して来たからである。
「まったく・・・この砂浜を、未来永劫生臭くするつもりなのか、奴等は」
ライエナは手を上げ、各団員への指示を出す。
「迎撃用意! 奴等を一匹残らず仕留めるぞ!!」
指示が下ると、団員らは待ってましたとばかりに手槍を担ぎ始め、防御拠点からの投擲を開始した。
槍の投擲は、通常なら弧を描いて標的へと向かうものだが、彼女達の投擲は一味違う。投げた槍は大気を切り裂き、物凄い速さで真っ直ぐ翔んでいく。しかも、狙いは正確無比、確実にエイディア兵のドタマをぶち抜いていく。
その戦闘能力には自信のあるプリシーバ自警団であったが、いくら槍を投げても、エイディア兵は怯むことなく、上陸を図ってくる。そして遂に、150本あった手槍を投げ尽くしてしまった。こうなると、ライエナは苦渋の決断を下さねばならなくなる。
「おのれ、魚畜生め・・・討って出るぞ! 我に続け!!」
せっかく臭いを落としたばかりなのに。そんな怒りが、彼女達を奮起させる。両手に手斧を携え、エイディア兵へと肉薄する。接敵した瞬間、血煙が砂浜を覆い尽くした。
プリシーバ自警団の本分たる肉弾戦、一人一人が獅子奮迅の働きをして魅せる。だが、エイディア兵も生易しい相手では無かった。仕損じれば、貝の斧が脳天に振り下ろされてしまうのだ。
既に肉弾戦で百数体のエイディア兵を屠り、消耗した自警団に、万全のエイディア兵らが襲い掛かる。ある者は薙ぎ払われ、ある者は潰され、またある者は投げ飛ばされ、遂に自警団にも負傷者が出始めてしまった。
「くっ・・・押し切れないか」
ライエナは、負傷者を回収させ、防御拠点への撤退を命じた。
彼女達が満身創痍で拠点へ戻ったその時、防御拠点が内側から吹き飛ばされてしまった。そこには、貝の斧を振り回すエイディア兵の姿があった。
「挟まれた!? 漁港側を突破されたのか・・・」
進むも地獄、戻るも地獄。傷付いた仲間を背負い、斧折れ槍尽きた状態は、覆しようの無い死に場所であった。残るは、鍛え上げてきた拳と肉体のみ。ライエナが最期の命令を下そうとした次の瞬間、彼女達を取り巻く全てのエイディア兵が串刺しに処された。
「はい、真打ち登場!!」
建物の屋上を跳び移りながら、アンリヌイ卿エノゥが、戦場へと現れた。
「今の内に、漁港入り口まで撤退して! 後は私が片付けるよ!」
「すまない! 助かった!」
ライエナ達を逃がし、エノゥは押し寄せるエイディア兵らと対峙した。
「マーレイちゃんの為、これ以上の被害は出させないよ」
エノゥは剣を引き抜き、臆することなく、突撃した。右手で片刃の剣を振るい、左手は指先をクイッと動かして、砂の槍を操る。エイディア兵を鼻唄混じりに、串刺しと三枚下ろしに加工していく。
「あはは、やっぱり臭~い!」
竜巻で細切れにしながら、エノゥは鼻を押さえるパフォーマンスをして魅せた。もちろん、観客のエイディア兵らは細切れにされているので見えはしないが。
人類の守護者たるハルハントの騎士の力を、エノゥが存分に披露した結果、プリシーバの砂浜からエイディア兵らは一掃された。
「ふぅ~歯応えはあったよ。ありがとう、魚類共!」
エノゥが全力で全世界の魚類を敵に回していた次の瞬間、プリシーバの沖に水柱が発生した。
「えぇ、何事!?」
エノゥは、海中から現れたそれを見て、流石に軽口を叩けなかった。
プリシーバの北区と同じ高さに頭部がくる程の巨体、エイディア兵の上半身と触手を備えた海生軟体動物のような下半身を有する怪物がプリシーバ沖に現れたのだ。
「何あれ!? カッコ悪い・・・」
この怪物はもちろん、エノゥのやる気を削ぐ為の、出オチ担当ではない。漁港まで進攻してくる過程で波を発生させ、その波が南区を呑み込んでしまった。これには、間一髪建物の上に逃れたエノゥも遂に言葉を失ってしまう。
「うわぁ・・・・・・どうやって倒すのさ、あれ」
巨大なエイディア兵は、漁港までやって来ると、その触手を振るい、停泊している船や周辺の建物、そして漁港入り口の防壁を容易く粉砕し始め、一度防衛線が崩れると、海岸線はあれよあれよという内に、再上陸して来たエイディア兵に制圧されてしまった。
南区は事実上の陥落、ライエナ達自警団の安否は不明、今ある戦力はほぼエノゥのみ。
「これは・・・やらかしちゃったかな?」
マーレイを引き渡さなかったから、この様な事態に陥ってしまったのだろうか。だが、今さら後悔しても仕方がない。エノゥは次の動きを決定した。
一人で南区は取り返せないし、あの巨大なエイディア兵を倒す手立ては今のところ無い。なら、今やるべきは、自警団の安否確認と防衛線の再構築である。
エノゥは、触手の動きに気を配りながら、漁港入り口の防壁跡へとやって来た。木材の山が残るその場所に、自警団たちの姿は無かった。
「アンリヌイ卿!」
その時、ライエナの声がエノゥの耳に届く。声のした方向を見ると、プリシーバの二段目、東西南北の通りが交差する踊り場に、ライエナ達は集結していた。
「良かった、今行くよ!」
エノゥは防壁代わりに、地の槍でもって通りを封鎖してから、ライエナ達の元へ急いだ。
「団長さん、エイディアには、あんなのも居るの!?」
「ああ・・・ダンタリオ、エイディア兵の将軍だ」




