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カラクレム  作者: Arpad
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第一章 放逐

 陸地から遠く離れた海の只中に、ユートピアという名の島国が存在する。そこで人類は、生きるうえで生じる全ての苦しみから解放され、争いも無く、極めて合理的な生活を送っていた。

 ユートピアは、円形のまっ平らな島の上にあり、首脳都市を中心に六つの都市が周囲に配され、それら繋ぐ連絡道により、まるで一輪の花のような全体像になる。さらに、都市をぐるりと囲むように川が流れており、最終的には紋章のようにも見えなくもない。

 ユートピアには、貧富の差は存在しない。ただ、階級は存在する。ユートピアを先導する、苦悩すべき者達。苦悩すべき者達の代行者であり、様々な知識や技術を求められるエリート、手足たる者達。そして、一般市民である。とはいえ、人々の大半はこれらの階級を意識することはあまり無い。それは、苦悩すべき者達と手足たる者達だけが首脳都市に住まい、偉ぶることもなく、ユートピアの維持管理に専念しているからである。これらの階級、また職業は、苦悩すべき者達の議会である賢人会にて審査される。それぞれの能力、資質を判定し、最適の階級、職業に振り分けられるのだ。

 ユートピアでの生活は、あらゆるところまで、統制されている。例えば、ユートピアの住人には資産が無く、望んだ物は可能な限り手に入る。しかし、宝飾品の類いは堕落の象徴として忌避され、製造どころか製錬すらされない。通貨や交易システムは無く、製造されたものは都市管理者の元に集まり、分配される。余剰品は首脳都市に集められ、そこで消費する。それでも余ったものは、不足傾向にある都市へさらに振り振り分けられる。

 ユートピアでは、割り当てられた職業に従事する限り、実に自由で文化的な生活が約束される。人々は、公平さを体現する存在、ノーノマノを心の支えとし、賢人会の職務は、その名の下で行なわれている。

 しかし、ユートピアの教えにそぐわない人間も生じてしまう。その様な者や犯罪を起こした者など、風紀を乱す行ないをした者は、賢人会の名の下追放処分とされる。追放先は、ディストピア。それはユートピアの外、海を隔てた先にあるこの世の地獄。あらゆる苦しみが待つというその場所へ、一人の青年が送られようとしていた。

 名をカラクレム、将来は手足たる者達で構成された治安維持隊への道が約束されていたが、反社会的活動の疑いで捕らわれ、賢人会の審議に掛けられた。この罪は、既に逮捕された反社会組織の人間の供述に基づいたものであり、実際は全くの事実無根であった。

 もちろん、カラクレムも事実無根を訴えたが、賢人会は彼の追放を決めた。例え、将来が有望視されていようと、例え疑いだけであろうと、不安の芽は除かねばならない。ユートピアの安寧こそが至上なのだ。カラクレムは友人らに別れを告げ、ディストピアへの移送の為、死の港へと連れて行かれた。その名は、ディストピアへの入り口という意味ではなく、歴史上、追放者の全てが、ディストピア送りを恐れ、この港で首を刎ねられることを望むという点に由来している。

 しかし、カラクレムはディストピア送りを受け入れた。どうせ死ぬのなら、音に聞くディストピアとやらをこの目で見てみたいと考えたからだ。彼を送る治安維持隊員も、ディストピアへ向かう者を初めて見たと嘯いている。

 ディストピア行きの船は潜水艦だ。海上は荒れており、とても艦船では越えられないからである。出立から三日目、カラクレムは沖で潜水艦から降ろされ、岸まで泳いで渡らされた。

 そこは、見渡すばかり砂で覆われた場所。彼が持ち合わせているのは、罪人を表す真っ白なローブのみ。

「ここが・・・ディストピア?」

 ここが、絶望に満ちた地。なのに、空は見たことが無いほどに蒼く、感じたことが無いほど暴力的に陽射しが降り注いでくる。常時分厚い雲に覆われ、暗鬱としているとの事だったが、これほど晴れやかな天気で絶望などしていられようか。カラクレムは、眼前に広がる砂丘へと足を踏み出していった。

 ディストピアでの最初の難関と言えるこの砂丘、それは快適なユートピアで育ったカラクレムには、あまりにも酷な道であった。

 照り付ける陽射しをローブ付属のフードを目深に被ることで耐え、鉄板のように熱を持った砂の上を裸足で突き進んでいく。足の裏は当然、火膨れになっている。一刻も早い休息が必要であったが、進めど進めど、砂しか見えず、疲れや喉の渇きだけが深刻さを増すばかりであった。横になって休みたい、その欲求に従えば、瞬く間に干からびてしまうだろう。意識が朦朧としながらも、足を動かし続けるしかない。

 そして、32個の丘を越えた時、視界いっぱいに緑色が飛び込んできた。それは、砂丘の終わり、緑豊かな森が拡がっていたのだ。植物が、繁茂しているなら、水があるに違いない。気力を振り絞り、なんとか森の入り口へ辿り着いたが、これから水場を探すというのもかなり難しいことである。

 だが、彼は歩みを止めずにある方向へ歩き続けた。喉の渇きがピークにあるせいか、水の匂いが漂ってくるように感じ、水源の位置がなんとなく判る気がするからである。錯乱とも思える行動であったが、カラクレムは木立の間に、清らかな水の涌き出る泉を見事発見するに至った。

 彼は、水面に顔を埋めるようにして湧き水を飲み始めた。通常、生水をいきなり飲むことは感染症など様々なリスクが伴うのでオススメ出来ないのだが、生まれてこの方、病に罹ったことのないカラクレムは気にも留めていない。思う存分喉の渇きを癒し、一息つくことの出来たカラクレムは、近くの木陰で睡眠を取ることにした。上陸から今に至るまで、あまり睡眠を取っていなかったので、そろそろ休息が必要である。木にもたれ掛かりながら、目を瞑ると、瞬く間に寝入ってしまった。筆舌し難い疲れが、溜まりに溜まっていたのだろう。

 ゆえに、彼は自身に近付く大きな影に、気付くことが出来なかった。


  

 目覚めた時、カラクレムが目の当たりにしたのは、緑の肌の巨人であった。常人の3~4倍はあろう背丈の巨人に鷲掴みにされているのだ。信じ難い状況に、唖然としていると、巨人は木々の間をすり抜け、とある洞窟へと入っていった。洞窟の奥には広い空間が存在し、大きな焚き火が燃え盛っている。どうやら、この巨人の住み処のようだ。

 巨人は、カラクレムを檻のような場所に放り込んだ。放り込まれてから、彼はしばらくジッとしていたが、巨人の足音が離れていくのを聴き取り、顔を上げた。檻の中には、彼の他にも人の姿があった。これに、カラクレムは目を白黒させて驚いた。ディストピアに人間がいるとは思いもしなかったからである。

 あの巨人といい、人といい、今にして思えば森といい、不毛の地と教え込まれてきたディストピアとは思えない状況である。これはいったいどういうことなのか、カラクレムは頭を抱えた。

「・・・大丈夫、ですか?」

 カラクレムが思案していると、少女に声を掛けられた。彼としては、かなり聞き取り難い発音だったが、安否を確かめられたことはなんとか判った。

「ええ、なんとか」

 少女の方も、聞き取り難そうだったので、頷く動作も付け加えると、完全に伝わった。

「良かったです」

 カラクレムの無事に安堵した少女であったが、浮かべた笑顔は儚げである。なんとなく察しはつくが、カラクレムは確認せねばならなかった。

「あの巨人は、私たちをどうするつもりなんですか?」

「知らないのですか? あれはグリーバ、凶暴な食人鬼です。私たちは・・・あいつの昼食にされるんですよ」

 カラクレムは自分の予想が当たっていたことを知った。あの手の怪物は童話などで食人鬼として登場してくるが、そのセオリー通りの展開である。困ったことに、このままではランチにされてしまうそうだ。

「・・・あの巨人と、言葉は通じますか?」

「えっと・・・確か、かなり粗野で単純ですが、言葉は通じるという話は聞いたことがあります。私たちの前では、未だ喋っていませんが」

「なるほど・・・」

 カラクレムがまとも思案顔で黙り込んだその時、檻が揺れた。あの巨人、グリーバが歩み寄ってきたのだ。

「沸いた、沸いた。茹でる、どれにする?」

 少女の言葉以上に聴き取り辛いが、確かに言語を発している。ずいぶんと上機嫌そうなのは、どうやら調理を始めるべく食材を選びに来たようだ。捕まっている人々は檻の隅へ固まり、少女は恐怖のあまり、その場で立ち竦んでしまっている。

 カラクレムは、少女を庇うようにスッと前に出ると、巨人に語り掛けた。

「食材は新鮮な方が良い、私なんていかがでしょうか?」

「新鮮、新鮮良い。お前から食べる」

 巨人は嬉々として、カラクレムを鷲掴んだ。連れて行かれた先には平らな石の台があり、彼はその上に置かれた。

「今日の献立は、何ですか?」

「丸焼き」

 巨人は、音を発てて燃え盛る焚火を指差した。

「そのまま、ポイですか?」

「下ごしらえ、大事。背骨、抜いておく。頭ごと引き抜く」

「それは、痛そうだ・・・あなたは、人間が好物なのですか?」

「んが? あぁ・・・そこまで好きじゃない。人間、食べるとこ少ない。骨が多い。俺、鹿の方が好き。人間3匹分はある」

「では何故、鹿を食べないのですか?」

「あぅ・・・鹿、速い。追い付けない。たまに死んでるの食べる。人間、不味いけど簡単に捕まえられる」

「なるほど、現実的ですね」

「うぅ・・・俺、悲しい・・・そうだ、腹ペコだ。早くお前を食う」

 頭を掴もうとする巨人の手を、カラクレムは手を突きだして制した。

「話を聞いた限り、あなたは人間より鹿が好きだけど、捕まえられないから人を食べているのですね?」

「あぁ? そう、そうだ」

「人間は、鹿を捕まえられますよ。割りと簡単に」

「うぅ、そうなのか? 人間が・・・ジェラシーーーー!!」

 巨人は咆哮を上げ、地団駄を踏んだ。

「まあまあ、そう怒らないで・・・巨人さん、鹿を食べたくないですか?」

「食べたい! 鹿はミンチにする、美味しい!! でも、しばらく食べてない・・・」

「良ければ、獲って来ましょうか?」

「あぅ・・・良いのか?」

「ええ。その代わり、捕まえている人達を、食べずに解放してくれませんか?」

「うぅ・・・もったいない」

「同等の鹿を約束しますよ」

「うぅ・・・わかった! 我慢する、早く獲って来い。最悪、陽が沈むまで」

「わかりました。でも、この通り小さな身ですから、鹿を運ぶには、もう一人くらい応援が欲しいのですが・・・」

「あぅ・・・確かに。待ってろ」

 グリーバは檻まで戻ると、人間を一人鷲掴んで帰ってきた。同じくまな板に置かれたのは、先程の少女であった。

 鹿を運ぶのだから成人が必要なのだが、カラクレムはそれを巨人に伝えようとしたが、少女があまりにも恐怖に震えていたので言い出せなかった。

「それじゃあ・・・行ってきますね。約束は守ってくださいよ?」

「あぅ・・・日暮れまでだ。それ以上は無理。人間喰う」

「分かっていますとも・・・」

 カラクレムは、未だ硬直する少女の手を引き、洞窟の外へと歩き始めた。

「あ、あの・・・食べられ・・・あれ?」

「えっと・・・ああ、そうですね。説明しないと」

 カラクレムは、グリーバとの交渉の件を、少女に話した。

「し、信じられません。グリーバ相手に交渉しただなんて・・・」

「仮に嘘なら、二人とも今ごろ丸焼きにされていますよ。洞窟を出ること無く」

「な、なるほど・・・それで、どうやって鹿を捕まえるのですか?」

「それは・・・素手?」

 カラクレムの答えに、少女は肩を竦め、嘆息した。

「はぁ、無謀過ぎます・・・あの、付いて来てもらえますか?」

「ん? どこへですか?」

「とりあえず、手段まで案内します」

 そう言い残し、森の中へどんどん入り込んでいく少女、カラクレムはその後を急いで追った。


                  

「さてと・・・ここです」

 少女に導かれ、辿り着いたのは、とある大木の前であった。特に人や建築物があるわけでもなく、カラクレムが周りを見回していると、少女は大木の洞の中に腕を突っ込み始めていた。

「えっと・・・・・・ありました」

 引き出した少女の手には、弓と矢筒が握られていた。

「えっと・・・それは?」

「予備の狩猟道具で、緊急時の為に隠して置いたものです」

「貴女は・・・狩人なのですか?」

「はい、一応。まだ半人前ですが・・・あ、申し遅れました、私の名前はファウと言います」

「ああ、名乗っていませんでしたね。私はカラクレムと言います」

「カラク・・・レム、長い御名前ですね。面倒なので、カラクさんと呼びます。そういえば、この辺りでは見たことない方ですね?」

「えっと・・・その、ずいぶん遠くから来たもので・・・」

 お茶を濁すことにしたカラクレム。まだ素性を説明する時ではないと判断してのことである。

「遠くから・・・それにしては、かなり軽装ですね?」

「あぁ・・・・・・それはそうと、あまり時間もない。貴女の暮らす集落は近くなんですか? 応援を頼めたら、助かるのですが・・・」

「確かにそうですが・・・ここからだと距離があって、往復で陽が暮れてしまうかと」

「なるほど・・・では仕方ないですね、我々だけで鹿を捜さないと」

「はい・・・その前に、伝えておくことがあります」

「伝えておくこと?」

「見ていてください」

 ファウは弓に矢をつがえ、弦を引き絞り始めた。構えは綺麗だが、精一杯引き絞っているせいか、手ブレが激しい。その後、矢を放ったファウであったが、弦はポロンと間抜けな音を発て、矢も目の前の地面に突き刺さった。

「この通り、私はまだ弓矢が使えません」

「そう、みたいですね・・・」

 正直、カラクレムは胆を冷やしていた。半人前でも狩人がいるなら、あとは鹿を見つけるだけだと考えていたからだ。これでは、捕まえるなんて不可能に近い。

「まだ、力が足らなくて・・・ですので、カラクさんお願いします」

「え、私も使ったことなんてありませんよ!?」

 こんな原始的な道具、教科書でしか見たことない。

「大丈夫です、やり方だけなら祖父に習いました。正確に伝えられると思います」

 ファウに弓と矢筒を差し出され、時間もないので、カラクレムは渋々それを受け取った。

「これで手段は得ました。それでは、鹿のいる場所に案内してもらいましょう」

 そう言うと、ファウは突然指笛を吹き鳴らした。カラクレムが、その甲高い音に驚いていると、上空に一羽の鳥が飛来した。烏である。

「・・・烏、飼い慣らしているのですか?」

「いえ、野生です。烏は賢いので、獲物の場所を教えてそのおこぼれに与ろうとします。祖父もよく烏に案内させていました」

 やがて、上空を旋回していた烏は、とある方向へと飛び始めた。

「案内が始まりました。追い掛けましょう」

 こうして、ファウが烏を、カラクレムはファウを追い掛ける、烏の道案内が開始された。


                  

 烏が枝に留まった先、木々の間に鹿は居た。木の幹を角で引っ掻き、その樹皮を食んでいる。角があるということは牡鹿だ。

「本当にいた・・・」

 本当に烏は、おこぼれに預かるべく、案内したというのか。カラクレムは、その賢さを実感しつつも、どこか薄ら寒いものを感じていた。

「カラクさん、射てください。気付かれる前に」

「え? ああっ、はい!」

 カラクレムは、先程のファウの構えを思い起こした。ファウには力が足らないが、構え自体は実に綺麗だったからだ。

 弓に矢をつがえ、ぐんと弦を引き絞る。しかし、どうにも力が入り難い。カラクレムはうまく引き絞れずにいた。

「カラクさん、弓は固定するよりも、前に押し出す感じにしてみてください」

 カラクレムは頷き、ファウの助言に従った。すると、両腕の力がうまく拮抗し、最大限まで引き絞ることが出来た。

「ブレは少ない、良いですね。そのまま、鹿の目を狙ってください」

 カラクレムは、鏃を鹿へ向けた。この時初めて、鏃が鉄でないことに気付いた。黒曜石である。鏃には返しは無く、細長い。しかも、渦巻き状の溝が浅く彫られていて、矢自体が回転するように細工されている。鹿を仕留めるには十分な威力が出せるだろう。

 狙うはやや下方にいる鹿、距離はおよそ30メートルほどである。風は無く、木々の隙間を縫って命中させねばならないので、その難易度は高い。

 息を止め、意識を集中させたカラクレムは矢を放った。矢は大気を切り裂き、鹿へと真っ直ぐ飛んでいく。しかし、矢は途中の木の枝に深々と刺さり、スコーンと大きな音を響かせた。

「まずい、伏せてください!」

 カラクレムは、ファウに服の襟を掴まれ、地面に引き倒された。

「痛た・・・どうしたのですか?」

「鹿が警戒しています・・・しばらく息を潜めてください」

 確かに、鹿は目一杯頭を上げ、周囲の様子を窺っている。このままでは、逃げてしまうかもしれない。

 その後しばらくして、危険が無いと判断したのか、鹿は再び樹皮を食べ始めた。

「もう、大丈夫だと思います」

 ファウが起き上がったのに倣い、カラクレムも身体を起こした。

「先程の、惜しかったです。見つかってしまうかもしれませんが、もう少し近付けば仕留められるかも」

「・・・ここからもう一度、やらせてもらえませんか?」

「・・・難しいですよ? 次は逃げてしまうでしょうし・・・」

「大丈夫です、次は仕留めます」

「わかりました、お願いします」

 カラクレムは頷き、立ち上がると、弓に矢をつがえた。そして、滞り無く引き絞り、鏃を鹿へ向ける。先程は、狙いが少し低かった。あの時の軌道を思い出しながら、微調整を繰り返す。 風は無い、狙いがピタリと合った瞬間、カラクレムは矢を放った。

 放たれた矢は、木々の枝葉を見事に掻い潜り、鹿の眼窩を寸分違わず射抜いた。射抜かれた鹿は、悲痛な響きの鳴き声を漏らし、その場に倒れ伏した。

「凄い・・・本当に仕留めた」

 ファウは唖然と、倒れた鹿を見続けることしか出来なかった。最初に射掛けた時は、カラクレムは確かに素人だった。しかしたった今、玄人でも難しい芸当を成功させてしまった。まさか、一回の失敗で、玄人の域まで技術を向上させたとでも言うのか。とはいえ、一番驚いているのは、カラクレム自身であったが。

「ふぅ・・・何とかなりましたね。さて、早く確保しに行きましょう」

「あ、はい」

 カラクレムの一声で我に返ったファウは、彼と共に仕留めた鹿の下へ歩み寄った。ファウが検分したところ、どうやら完全に絶命しているようだ。

「4、5歳くらいですね。なかなかの大物です。あの、烏におこぼれを与えたいのですが、どうしましょうか?」

「ふむ・・・巨人との取引材料ですからね、解体するわけにも・・・そうだ」

 カラクレムは、鹿の眼窩に突き刺さった矢は引き抜くと、鏃に付いてきた眼球を手に取り、上空に放り投げた。

「ほら、褒美ですよ、受け取って!」

 すると、放り投げられた眼球は、滑空してきた烏が器用に掠め取って行った。

 カラクレムはさらに、鹿のもう片方の眼球も取り出し、烏にくれてやった。

「これで足りたことを願いましょう」

「そうですね・・・それじゃあ、この鹿は置いておいて、次を捜しに行きますか?」

「むぅ・・・先に届けるのはどうでしょう? 他の獣に荒らされてしまいかもしれないですし、何より約束は本当だと巨人に示す必要がありますから」

「なるほどです、では持っていくことにしましょう」

「そうと決まれば、さっそく縄でもくくりつけて・・・そういえば、血抜きはしておかなくて良いのでしょうか?」

「構わないと思います。グリーバに臭みを感じるような繊細さがあるとは思えませんし」


                  

「うが・・・獲ってきた、本当に鹿を獲ってきた!」

 恐がり固まってしまうファウを洞窟の外に残し、カラクレムが鹿を中へ運んでいくと、グリーバは嬉々として彼らを迎え入れた。

「でも、まだ足りない、足りない」

「巨人さん、私たちには鹿が重いので一気に持って来られないのですよ。さて、まずは一頭ですが、何人解放してもらえますか?」

「あぅ・・・3人、3人帰す」

 グリーバは檻から3人、無造作に掴んできて、カラクレムの前に降ろした。皆、怯えており、何事か理解していないようだ。

「足りない、まだ足りない。残り返すなら、もっと鹿狩ってくる」

「わかりました、もう少々お待ちを・・・それでは皆さん、付いて来てください」

 カラクレムは、解放された人々を先導し、洞窟の外までやって来た。

「みんな!」

 ファウの姿を目にした人々は、驚きを隠せないようであった。

「ファウちゃん!? てっきり喰われたものと・・・」

「クノおばさん! 無事で良かったです。これから集落へ戻って、父にこの状況を伝えてください」

「わ、わかったよ・・・ファウちゃんは?」

「私は、この人と残った人を助けますので」

「そうかい・・・なら、早く帰って助けを呼ばないとね。それじゃあ、ありがとうね」

 助け出した人々は、それぞれカラクレム達に頭を下げてから、小走りで去っていった。

「ファウさん、檻の中にはあと何人残されているのでしょうか?」

「あと・・・二人です。今日の採集組は五人でしたから」

「なら・・・あと一頭ですね、急ぎましょう」

「・・・はい!」

 二人は森へ戻ると、再び烏を呼び出すことにした。しかし、いくら指笛を鳴らそうとも烏が姿を見せることは無かった。

「そんな・・・なんで」

「おそらく・・・腹が満ちているか、あのおこぼれに不満を持ったのでしょう。どちらにしろ、もう頼れませんね」

「・・・仕方ありません、祖父が鹿を狩っていた場所を廻りましょう。もしかしたら、どこかで出会えるかもしれません」

「そうですね、そうしましょう」

 その後、カラクレム達は森中を廻ったが、鹿を見つけることは叶わなかった。悲嘆に暮れる彼らの頭上では、陽もまた暮れようとしていた。

「このままじゃ・・・まずいですね」

「・・・そういえば昔、祖父が言っていました。鹿は人の尿の匂いが好きだと」

「まさか・・・それで誘き出そうと?」

「もう、手段を選り好みしている時間はありません。すぐにでも私が!」

「・・・わかりました。では、それぞれ別の場所にしましょう。それなら恥ずかしさも多少和らぎますし、効率も倍です。それぞれの場所を見張ってから、また合流しましょう」

「はい!」

 カラクレム達は、二手に別れると、それぞれ罠を仕掛け、鹿が掛かるのをしばらく、息を潜めて待った。だが、空が茜色に染まり始めても、罠に鹿が寄ってくることは無く、二人は程無くして合流するのであった。

 カラクレムの顔を見た途端、ファウは涙を浮かべ、膝を突いてしまった。

「すみません、私が半人前のせいで! 弓も使えないし、獲物も見つけられないし・・・こんな恥までかかせたのに!!」

 カラクレムは、泣き出す寸前のファウの前にしゃがみ込むと、その肩に手を置いた。

「何を言っているのですか、ファウさんは大活躍でしたよ。ファウさんが居なかったら、誰も救えていなかったでしょう」

「でも・・・でも・・・」

「そうですね、だからと言って諦めることは出来ません。そういえばファウさん、罠を仕掛けに来たと言っていましたよね? それを見に行きませんか?」

「でも、あれは小動物用で、鹿が掛かることはほとんど・・・」

「でも、もしかしたら掛かっているかもしれない。可能性があるうちは、積極的に確かめに行きましょう」

「・・・わかりました、付いて来てください。いなくても、責めないでくださいね」


                   

「嘘だぁ・・・」

 ファウが仕掛けた、小型の動物を捉える為の、蔓を使った跳ね上げ式の罠には、少々小型の鹿が掛かっていた。角が無いので、牝鹿だろう。

 本来掛かるはずの無い鹿が、こうも都合良く掛かるというのは偶然か、小型の鹿だから小型用の罠に掛かるのも必然なのだろうか。

 カラクレム達は、しばし奇妙な巡り合わせに苦笑していたが、斜陽が差したことで我に返った。

「はっ・・・とりあえず、あれをどうやって捕まえましょうか」

 鹿が掛かっているのは、本来はもっと軽い動物を捕まえる為の物、なので鹿は片足を引っ張り上げられ、用を足す犬のような格好になっていた。この状態では、割りと動けてしまうので、不用意に近寄れば小型といえども手痛い反撃を受ける可能性がある。カラクレムは、その事を苦慮しているのだ。

「そうですね・・・こんな時祖父は、さっさと近寄って棍棒で後頭部を殴打していました」

「熟練者の方法はちょっと・・・他に無いですか?」

「えっと・・・例えば、首に矢を射掛け、引き抜くことで失血させるとか?」

「悪くないですけど・・・暴れる的に当てる為に、結局近付きますよね、それ」

「・・・はい」

 とはいえ、それ以外に方法が思い付かない。カラクレムは、矢をつがえ、暴れ回る鹿の首に矢を射掛けた。

 悲痛な鳴き声を上げ、痛みに悶える牝鹿。カラクレムはすかさず、牝鹿に駆け寄ると矢を引き抜き、横に転がり、すぐに距離を取った。

 すると、牝鹿の首から血液が勢い良く流れ出し、間もなく牝鹿は失神したのであった。

「・・・これで運べます。時間がありません、ファウさん急ぎましょう」

「・・・はい!」

 カラクレム達は、どこか後味の悪さを覚えつつも、息絶えた牝鹿を担ぎ上げ、洞窟へと急いだ。


                  

 カラクレム達が洞窟へ駆け込んだ時には、グリーバが残った二人を石台に載せようとしていた。

「待って! 持ってきましたよ!!」

 カラクレムが必死に制止すると、グリーバはそれに気付き手を止めた。

「うぁ・・・もう来ないと思った、思った」

「少し小さいけれど、鹿です! これで解放してもらえませんか?」

 グリーバは、手にしていた人たちを降ろし、牝鹿を手に取った。鹿を隈無く検分すると、グリーバはゆっくりと頷いた。

「小さい、当たり前。これ、角なし。角なし、軟らかくて美味しい、滅多に食べられない。だから、3人帰す」

「良かった、ありがとう! それじゃあ、失礼するよ」

「ん? 帰すの3人、一人残る」

「なっ・・・そうか、私とファウさんも頭数に入っていたのですね」

「誰、残す?」

 カラクレムは、解放された二人、そしてファウを一瞥すると、こう答えた。

「じゃあ、私が残りますよ」

 あっけらかんと答えるカラクレムに、ファウは驚愕の表情を浮かべた。

「待ってください、そんなのって・・・!!」

「ありがとう、でもファウさんには私を止める理由は無いはずですよ」

「そんな・・・」

「これは実に合理的な結果ですよ。私が残るのは必然とも言えます」

「でも・・・っ」

「ファウさんは、その人たちと集落へ帰ってください。それで丸く収まる」

「・・・わかりました。でも、可能性を信じていますから」

 ファウは苦々しい面持ちで、解放された二人を伴い、洞窟から出ていった。

「・・・さて巨人さん、私を食べるのですか?」

「あぁ・・・分からない。人間と話したの、始めて。人間、逃げるか攻撃しかして来ない。だからお前と話す、少し楽しい」

「・・・なら、私ともう少し話しませんか? 巨人さんについて色々と知りたいです」

「あぅ・・・話したい。よく分からないけど、そう思う」

 カラクレムとグリーバは、鹿を嗜みながら語らうことになった。グリーバの厚意で鹿の前肢を一本貰い、直火焼きにしたものを互いに食した。管理された家畜しか知らないカラクレムにとって、野性味というのは初めての体験だった。ちなみにグリーバは、鹿の肛門から木棒を突き刺し、丸焼きにしている。頭から骨ごと、棒も一緒に噛み砕いていた。

「巨人さんには、名前はあるのですか?」

「あぅ・・・仲間から、エヤと呼ばれている。だから、エヤ」

「そうですか、私はカラクレムと言います。言い辛いと言われてしまいましたが」

「あぅ・・・言い辛い」

「では、カラクと呼んでください」

「あぅ・・・カラク、カラクなら言える」

「良かったです。それではエヤ、エヤには親はいるのですか? 名前は親からもらったのですか?」

「オヤ・・・オヤって何?」

「親が通じない・・・では、エヤはどのようにして産まれてきたのですか?」

「あぅ・・・分からない。でも、仲間は木から産まれてきた。とても大きな木。その実から産まれてくる」

「木から!? それは・・・面白いですね。産まれてきた後は、どうなるのですか?」

「あぅ・・・エバにしばらく育てられる」

「エバ?」

「エバ、誰よりも長生き、誰よりも賢い、でも誰よりも弱い。だから、山の奥に棲んでる。とても、とても奥」

「エバですか・・・その方とも話してみたいですね」

「あぅ・・・エバ喜ぶ。エバ、仲間は皆馬鹿だと嘆いている。カラク、頭が良いから、エバ喜ぶ。明日にでも、案内する」

「それは、ありがたいです。そういえば、エヤの仲間はどこにいるのですか?」

「あぅ・・・仲間、バラバラに住む。会うのは、市場で」

「市場?」

「あぅ・・・市場、色んなもの交換する。カラクもそこで交換してきた」

「そうなんですか・・・交易もしているのですね」

「けっこう近く。エバに会うついでに寄る」

「え、私食べられちゃいません?」

「大丈夫、エヤのンバナと言う。ンバナ、仲良し。仲間は仲良し襲わない」

「・・・仲良し、ですか。なんだか嬉しいです」

「エヤも嬉しい」

 その後も、カラクレムとエヤは様々なことを語り合い、夜を語り明かした。喰う者と喰われる者の語らいは、不思議と心地よいものとなった。エヤは、人間のことを知りたがった。それは彼の人間への認識が変わる兆候だとカラクレムは感じていた。一晩掛けても、まだまだ語り合い足りなかったが、変事は夜明けと共に訪れた。

「あらら、絶体絶命だと思ったら・・・ずいぶんと楽しそうだね」

 洞窟に、誰かが入ってきていた。白い外套に身を包んだ、年若い女性だ。カラクレムより下で、ファウより少し上くらいだろうか。

 その女性を見た途端、エヤは咆哮を上げ、肩を怒らせた。

「どうしたのですか、エヤ!?」

「あぅ・・・あの色、仲間殺す奴! 危険、とても危険!!」

 カラクレムは驚き、女性を二度見した。どう見ても華奢な女性が、何倍もデカイ巨人を殺すと言う。いったい、何者なのだろうか。

「おお、お馬鹿さんにも覚えられているなんて、私たちも有名になったんだね。嬉しいけど、グリーバに危険だなんて言われたくないな~」

 女性は、外套をはためかせ、鋼鉄製らしき細身の片刃剣を抜き放った。

「だから・・・討伐してあげる」

「あぅ・・・ウォォッ!!」

 エヤは、ドラミングをした後、猛然と女性へ突進した。このままでは、女性は挽き肉にされてしまう。しかし、彼女は笑みを浮かべている。

「獣は単純で助かるよ!」

 女性が空いた手で地面に触れると、地面が急激に鋭く盛り上がり、まるで槍のようにエヤの肩を貫いた。

「あはは、まだまだ!」

 肩を貫かれ、勢いを失ったエヤに、さらに数本の地面の槍が殺到した。それらは足裏から刺し貫き、腹を破り、腕を穿つ。

 もはや卒倒しそうなエヤに、女性は肉薄した。肩を貫く地面の槍を駆け上り、跳躍。一回転して、あっさりとエヤの首を斬り落としてしまった。

 信じがたい、あっという間の出来事。何もかもが説明を必要とした、一つを除いて。エヤは死んでしまった、それだけは理解出来た。エヤの血も、赤かった。

「呆気ない、実に呆気ないよ。可愛い女の子に頼まれたから来たものの、グリーバ一匹じゃ物足りないよねぇ・・・」

 血振りをしながら、不満を呟く女性。剣を鞘に納めると、カラクレムへと歩み寄ってきた。

「それにしてもお兄さん、よく生きていたね。絶対食べられていると思ったよ。あの子をどう慰めようか考えていたけど、これならお礼に文通してくれるかな?」

「はあ・・・」

 実に愉快そうに話す、女性。とてもエヤを殺した直後とは思えない。カラクレムの胸中には、自身でも不可解な感情が渦巻いていた。

「・・・お兄さん、面白いね。グリーバを殺した私に怒っている。仲良くなったからかな? 私の態度気に入らないのかな? でも、目はとても冷静だね。こうなる事も、私の態度の理由も察している」

「・・・エヤは、これまで多くの人を喰らってきたのでしょう。その報いは、必ず差し向けられる。それと、貴女がおちゃらけているのは、巨人を知的生物と認識していないから、ですね?」

「正解だよ、お兄さん。頭が良いんだね」

「・・・いえ、訂正しておきましょう。貴女がおちゃらけている理由は、別にあるらしい」

「まあ・・・鋭過ぎるのも考え物だよね、お兄さん?」

 女性は、剣の柄をゆっくりと撫でた。

「・・・今のところ、貴女に興味が無いので、詮索はしませんよ」

「へぇ・・・でも私は興味が湧いたな。私の名前はエノゥ、お兄さんは?」

「・・・」

「あらら~黙りか、嫌われちゃったね。カラクレム、ファウちゃんから聞いているよ。本人確認はしておきたいな?」

「・・・ええ、私がカラクレムです」

「そっか、じゃあ早く帰ろうよ。早く帰って、ファウちゃんに褒めてもらうんだから」

 カラクレムは、エノゥに腕を掴まれ、洞窟の外へと向かい始めた。去り際、カラクレムは無惨な姿となったンバナを一瞥して呟いた。

「ごめん・・・エヤ」

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