魔法使いになりたかっただけ
玲子が行方不明になった。そんな話を風の噂で聞いてからどのくらい経っただろうか。少なくとも一年以上は経っているだろう。
携帯に電話しても通じない。一人暮らしのマンションに行っても留守。そんなところから始まり、彼女の務める会社から彼女の実家に連絡がいったらしい。玲子のご両親はひどく心配をしてあちこちを探していたと聞く。しかし全くもって手がかりがつかめないそうだ。もちろん警察にも捜索願を出したが一向に手がかりがつかめないと、そんな話だっただろうか。
電車がニ時間に一本という田舎で育った玲子と私は、小学校からの付き合いだ。小学校、中学校、高校とともにそんな田舎で過ごした私達は、同性の友達にしてはとても仲が良かったと思う。親友とも言えた。高校を卒業すると、大学進学に伴い彼女は東京の大学へ、私は地元の大学に進学したため離れ離れになってしまった。そんな関係だった。
彼女は色んな意味で変わっていた。
この世の中は不便すぎると豪語し、前時代的な手作業や人力のものに愚痴を言っていた。あんなものは“無駄”以外の何物でもないと。そしてもし使えるのならば、私は魔法が使いたいといつも言っていた。
魔法を使ってどんなことがしたいのか。それを尋ねると、彼女は決まってこう言った。
「毎日をね、キラキラに過ごしたいね。便利な世の中は、それは素敵だろうさ」
そう語る彼女の目は輝いていた、と思う。そして彼女は私に自分の理想の世界を語った。
きっとこんな何にもない田舎の生活に飽き飽きしていたのだろう。私はそれをいつも話半分にしかきてなかったのだが、彼女は本気だったと思う。あらゆる全てが魔法によって無駄を省いた世界。それはもちろん非現実的であるとは思われたが、楽しそうに語る彼女を見ているだけでなんだか実現しそうだった。私はそんな彼女の夢見がちなところがとても好きだった。
大学に進学して二年ほど経った頃、玲子と久しぶりに会った。東京に行く用事があったためそのついで、ということだったが、その時に会った彼女は私の知っている彼女とは少し違っていた。
いつも会うたびに聞いていた前時代的なものに対する愚痴をほとんど言わなくなっていた。代わりに聞くのは東京がいかに素晴らしい場所か、ということ。交通網が発達し、様々な機械が活躍している中心都市はいかに便利か。どんなに便利か。私はそれを何度も何度も聞かされた。実際に私も東京に来て、如何に便利な場所かというのはひしひしと感じていたところはあった。
私は彼女にこう聞いた。
「ということは東京はあなたが理想としていた世界なの?とても便利じゃない。無駄なものなんて全く見当たらないし。毎日キラキラ過ごせているかしら?」
彼女の返した答えは、ノーだった。
「私はまだこんなものじゃ満足しないよ。もっともっと手作業や人力……つまり“無駄”なものを無くしていくべきである、と思うね。天下の東京はきっとこんな程度のものじゃあないさ」
そう言って彼女は、それでもとても満足しているかのような笑顔を見せた。
それから何年経っただろうか。あの日以来私は玲子に会っていなかった。就職先を東京にした私だったが、彼女にそのことを告げはしなかった。単純に仕事が忙しかっただけなのだが、なんとなく彼女が……玲子が以前のような貪欲さ、というか夢見がちなところをあまり見せなくなったのもひとつの理由なのかもしれない。地元にいた頃の彼女の語る夢物語は、私の想像をはるかに超えていた。その壮大なストーリーを私は楽しみにしていた。魔法なんて存在しないとはわかっていたのだが、それでも実現させてくれそうな彼女の勢いに私は酔いしれていた……と思う。
かくして私は、玲子が行方不明になったことは露知らず、仕事に明け暮れていたのだった。
彼女の消失の話を聞いてからは私も私なりの努力はした。以前彼女が澄んでいたマンションに行ったり、彼女の実家に電話したり。偶然職場に彼女の大学の後輩がいたので話を聞いてみたり。それでも彼女の手がかりを得ることは叶わなかった。
心のどこかにひっかかりを抱えたまま、私は日々を過ごしていたのだった。
ある夜。仕事帰りだった私は、見慣れぬものを発見した。
「ん、なにか置いてある」
私の家に一つの郵便物が送られてきた。
何の変哲もないただの小さい段ボール箱。家の前にぽつんと置かれていたため、どうやって送られてきたのか全く見当もつかない。表には「―――へ」と私の名前が書いてあった。持ち上げるとずしりと重たい。なんだか書類が沢山入っているようである。
「おかしいわね、仕事の書類が送られてくるって話は聞いてなかったけど」
そう思いひっくり返して裏を見てみる。そこには小さな字で、「玲子より」と書いてあった。
「え、玲子……?」
私は一目散に家の中へとそのダンボールを運び込んだ。どういうことかは知らないが、行方不明になった玲子からの届け物のようだ。
リビングにダンボールを静かに置く。この段ボールはどうやら大切なもののようだ。
「これ……私が開けてしまってもいいのかしら……」
私には二つの選択肢があった。
このダンボールには手を付けずに彼女の両親に届けるか、それとも今ここで開封してしまうか。
答えは明白だった。
「これは私が見なければならないのもの……なのでしょうね」
宛先は私である。これは玲子が私に送りたかったものだろう。そう考えるならば、最初にこのダンボールを開かなければならないのは私である。
まぁ、とにかく見てみるかしら。そう思い私は、カッターを手にとった。
慎重にダンボールに封をしているガムテープを切っていく。切り終えて開いたダンボール中には二種類のものが入っていた。
一つは、おもちゃの魔法ステッキ。もう一つはノート、それも何冊も。
「これ……なに?」
私はまずおもちゃの魔法ステッキを手に取った。昔よくおもちゃ屋さんで売っていた、安っぽい玩具だ。今どきこんなものを親に買ってもらう子供もあまりいないだろう。
だが不思議と見たことがある気がした。たしか昔見たアニメで女の子が振り回していたような……。そう思い私は記憶を遡る。そうして小学生の時まで戻った時、あぁ……と思い出した。
「魔法少女プリティ」。
私が子供の頃に放映されていたアニメだ。ストーリーは主人公の少女が魔法を手に入れて、友達と一緒に毎日を過ごす……そんな魔法少女ものにありがちな典型的な内容だっただろうか。親にあまりテレビを見る許可をもらえなかった私は、ほとんど見ていなかった。また、学校でもあまり話題にはならなかったと記憶している。
では何故私がこの「魔法少女プリティ」を覚えていたのだろうか?
それは……多分、玲子がとても好きだったからだと思われた。
彼女が語る夢物語には、必ずこのアニメが引き合いに出される。魔法のステッキを振ればあら不思議、次々と素敵な魔法が繰り出される。学校までは魔法のホウキでひとっ飛び、宿題だって一瞬で終わらせることができるし、友達が困っていてもすぐ助けることができる。彼女はそんなところを気に入っていたのだろう。そして、そんな魔法の世界を更に発展させた世界に憧れていたに違いない。
そんなことを思いながら私は、しげしげとその魔法のステッキを眺めていた。ところどころ汚れていたり、塗装が剥げたりしている。ひっくり返してみてみると黒いマジックで大きく「れいこ」と書いてあった。
「そういえば玲子、子供の頃はこのステッキをいつも持ち歩いていたっけ。懐かしいわね」
と物思いにふけりつつステッキをダンボールに戻すと、もう一つの内容物のノートを一冊手にとった。
どこにでもあるような一般的なキャンパスノート。表紙には大きく「1」と書いてある。他のノートにもそれぞれ数字がふられていることから見ると、これは順番に続いているものなのだろう。ノート自体に気になるところといえば、百枚綴じであるというところだが、何かそんなに書きたいことでもあったのだろうか。
1ページ目を開いてみる。そこには、
「20XX年3月11日」
と見出しに書いてあった。
私はピンときた。多分、これは彼女の日記なのだろう。この日付から察するに彼女が上京して来た時から書き始めたに違いない。パラパラとめくってみると、百枚あるノートのページにはびっしりと文字が書かれていた。多分他のノートにもこんな風にびっしりと日記が書かれているのだろう。
「もしかしたら……この日記を読めば、あの子がどうして行方不明になったのかわかるかもしれないわね」
そう呟くと私は、まず「1」と書いてあるノートだけでも読んでみることにした。
『20XX年3月11日。今日から念願の東京での生活が始まるので、これからは日記を書いていこうと思う。私の心のなかをここに書いていくことで、少しでも自分の気持ちが掌握できるのではと思ったからだ。
私が今まで住んでいたところは本当に何もなかった。二時間に一本しか来ない電車。一クラス十人程度しかおらず、全校生徒が六十人の学校。手作業でやる畑仕事。不便なこと、このうえなかった。
でもこの東京は違う。何もかもが輝いている。
初めて見た東京駅は美しかった。かつての趣を機能的に残した外観。あたりに広がるビル群。すべてが輝いていた。まるで魔法だ。
私が求めていたものがここにはあるのだろうか。楽しみで仕方がない』
『20XX年3月20日。初めて朝の通勤ラッシュというものに遭遇した。朝から買い物をするために新宿に出かけた時のことだった。新宿駅では午前8時ごろから9時ごろまでは一番人が多いと聞く。もちろんその人たちが使う電車は満員電車である。実際乗ってみたのだが、あまりの人の多さに押しつぶされそうになりながらなんとか降車することができた。もうこれ以上人が乗ることができないように見えても、まだまだ乗れるスペースがあることに驚いた。と同時に人の多さに辟易したのも否定できない。
しかしそんな満員電車でさえも、私には苦痛に感じられることはなかった。誰もがそれぞれ何かしらの理由を持って電車に乗っている。満員電車には各人の思惑をパンパンに詰め込んで運んでいる。これは都会で生まれた知恵なのだろう。欲望を効率よく詰め込むための乗り物。そんな風に私の目には映った。
こんな体験今までできなかった……』
『20XX年12月6日。気づいたことがある。東京の交通ネットワークは素晴らしい。どんな場所にいてもある一定の時間をかけさえすればどこへでも行ける。そんなにも人間は時間を大切にするのか。時間を大切にするから便利さを求めるのだろうか。
とすると、私はどうなんだろうか?……』
こんな感じで彼女の日記は続いていた。
そうか、彼女はこんな風に東京を感じていたんだ、と思わせるほど彼女の日記は彼女の心情が主だって書かれていた。
「きっとあの子は、いろんな事を考えたのね。それをまとめきれなかったのかな」
そうして私はノートを「1」から順にパラパラめくっていった。すると一つ、あることに気がついた。
だんだんとノートの番号が増えるにつれ、書く内容が少なくなってきている。初めの方には1ページを埋め尽くすほどに書かれていたが、三年目を過ぎた辺りから書く量がどんどん減ってきている。
さらに最初には『素晴らしい』『便利だ』『無駄がない』とよく使われていた表現が番号を増やすごとに使われなくなり、代わりに『良いとは思えない』『いささか不便だ』『無駄にしか思えない』という辛辣な表現が多発するようになった。
「あらあら、これじゃあ地元にいた時と同じじゃないの」
そう、かつて彼女が田舎にいた頃に言っていたことと同じ匂いがした。
全てのものが前時代的で不便なものに見えてしまう、昔の玲子とおんなじだ。ふふふ、と私の顔に笑みが浮かぶ。やはり私はこんな玲子が好きなのだ。
しかし、何故彼女はこんなものを送ってきたのだろうか。私には皆目見当がつかなかった。
こんな調子で書かれていた日記の中の彼女は、それでも大学を卒業して立派に就職することが出来たようだ。日々の記録としても毎日ちゃんと書かれているのがわかる。そして、社会人になってからの日記も毎日毎日欠かさず書かれており、仕事に奮闘していた姿も、目に浮かぶようだった。
「ん?」
そうして調子よくパラパラとめくっていた私だったが、ふっとある場所でその手が止まった。それはノートの最後からニ冊目を読んでいた時だ。
ある日を境に全く書かれていない。それまではその日にあったこと彼女なりの愚痴、そしてその改善点が考察として書かれていたのだが、最期の日から白紙のページが続いているだけである。
「この辺りかしらね、あの子がいなくなったのは。でももう一冊の方は一体……」
私はそう思い最後の一冊を手にとった。
先ほど読んでいた最後から二冊目のノートが「10」だったが、最後の一冊には番号が書かれていなかった。
そしてなんだか、これまでとは違う嫌な感じがした。これまでのノートには彼女の日々の記録が書かれていた。それは紛れもない「生」の記録。だから生き生きとしたオーラを感じた。
しかしこのノートからはそんなものは感じなかった。代わりに感じるのはとても陰鬱な負のオーラ……。
私はページをめくるのが怖かった。
だが、必ずやここに玲子の行方不明になった理由が書かれているだろう。どこにいるのかさえも。
そう考えた私は、思い切って表紙を開いた。
初めに感じたのは、やはり違和感だった。
1ページ目の見出しには「―――へ」と再び私の名前が書いてあった。そしてその下には、異様な雰囲気の文章が書かれている。
その字を眺めているうちに、違和感の正体が明らかになった。
「これまでのノートと……なにか違うわね」
そんな気がした。いや、筆跡は似ているのだが、生気めいたものを感じない。どこか無機質な字だった。
「まずは読んでみましょう。話はそれからね」
そうして私は読み始めた。
『―――へ。
いきなりこんなものが送られてきて、あなたはとても戸惑っているでしょう。まずは私がこれをあなた宛に書いた理由から書き始めようと思う。あなたは私のことを一番良く理解してくれていると私は思っているから。
私達がまだあのどうしようもない田舎にいた頃に、何度もあなたに私の理想の世界の話をしたのを覚えている?こんな世界じゃダメだって、もっと便利に、そうまるで魔法のような世界になって欲しいってずっと私は言っていたと思う。当時の私は本当にあの田舎が嫌いだった。不便すぎて時間の無駄が多いのが嫌いだった。そんな風に思っていたからあなたにあんな話をしたのかな、と思っている。
その話をあなたは馬鹿にすること無く聞いてくれた。高校生にもなって魔法が使いたいなんて笑われそうなものだけれども、あなたは笑わなかった。とても救われた。ありがとう。
結論から言うと私は、魔法を手に入れた。
かつて上京したての頃の私は感動しっぱなしだった。東京は何もかもがキラキラしていると感じた。交通網の発達により、時間を無駄にしているのを感じさせないような、とても便利な世界だった。ここが私の求めていた世界なのだと、あの時は思った。
でもそうじゃなかったのだろうね。
二年、三年と東京で過ごすうちに、私はその便利な世界に慣れてしまった……言ってみれば飽きてしまったことに気がついた。相変わらず電車が来るのは時間はかかるし、買い物に行くのもスーパーまで赴かなければならない。そんなことから始まり、私はやはり田舎にいた頃の私に戻っていった。ここが、私の理想の世界ではないと。どこか別の便利な世界に行きたいと。
いつの間にか社会人になっていた私は日々の仕事に追われていた。それでも心の腐敗は止まらなかった。これ以上どうしたら私は私の理想の世界に行けるのか。そればかりを考えていた。田舎にいた頃は東京に行けば、大きな街に行けば解決するものだと思っていた。しかし今はもうどうしようもない。
全てがつまらなく思えてしまった私は、ある夕暮れに公園のベンチに一人座っていた。
何をするわけもなく、ただただぼんやりと。寒い秋風が地面の落ち葉をさらっていく。そんな時に出会ったんだ、彼女に。
一人で座っていた私に彼女は話しかけてきた。どうしたのですか、と。若い女の声だったよ。幻聴かとも思ったが、不思議と違和感はなかった。寧ろどこか知っているような気すらしたね。
私は顔を上げずに、この世界には無駄が多すぎると言った。何をするにも何かをしなければならない。事を起こすに一つのステップが必要なのか意味がわからない、と。
すると彼女は、確かにそうですね私もそう思います、と返してきた。そして、そんなに無駄を省きたいのならば、あなたに魔法をさし上げましょうか?と続けてきた。
はて?と思ったね。さすがの私にも胡散臭く聞こえたよ。でもね……でもね、なんとなく信じてみる気になったんだ。それは気の迷いでもあったとは思うし、どうせ白昼夢でも見ているのだろうと思っていたのかもしれない。
私が、どうしたらいいんだと聞くと女は、目をつぶってあなたが魔法をイメージする上で、一番と思うものを思い浮かべて下さいと言った。だから私は思い浮かべたよ、あのステッキを。同封されていたであろう「魔法少女プリティ」のステッキさ。あれが私の魔法の源だからね。
どれくらいかな、そのまま目をつぶっていたのは。気づけば辺りは真っ暗だった。もちろん目の前の女は消えていた。そして家に帰り、押し入れからあのステッキを半ば冗談で引っ張りだして振ってみたんだ。
そうして私は魔法を手に入れたのさ。
嬉しかったよ、自分が魔法使いになったんだ。
私の手に入れた魔法はすごかった。ステッキを振るだけで何でも出来た。家の片付けはもちろん料理や洗濯買い物など。全てステッキを振れば遂行される。終いには、もうひとりの自分を作って会社にも行かせた。
これだ、と私は思ったね。これが私の求めていた便利で無駄のない生き方だと。
そのうちステッキを振れば何でも出てくることに気がついた。食べ物、服、雑誌、本、ブランド品、なんでも。これさえあれば一生私は困ることはない。そうして私は家から出なくなった。会社もやめた。毎日ステッキを振って出てきた食べ物を食べる。テレビや雑誌を読んだりして眠い時に寝る。そんな生活が一年は続いた。
そこで私は真理に到達してしまったのさ。こんな生活つまらない、とね。わかりきっていたとは思うのだが。
一切無駄なものがない生活。それがどれほど無意味なものかを感じた。便利であるということと、無駄がないというのは意味が違うんだなと思った。
私達人間の生活は、無駄で出来ている。例えば毎日仕事に出かけ、朝から晩まで働いて帰ってくる。そんなのもし金が腐るほどあったら無駄なんだろうな、と思った。でも違うんだ。無駄から心が生まれ、無駄であると感じるからこそ人間は生きているのだと。
そう考え始めてしばらくした頃、私は久しぶりに外に出た。行き先はあの女と出会った公園だ。同じベンチで、一人で俯きながら座っていた。
そこで再び彼女に会った。
彼女は、魔法の使い心地はいかがですかと聞いてきた。私は下を向いて黙っていた。
私が答えないとみると、彼女は、実はあれは未来の家具なんです。ほら振るだけでなんでもできたでしょう、あれは未来の力なんですよ便利でしょう、と言った。
私は、まだ黙っていた。
お気に召したようですね、と彼女は言い残すとそのまま姿を消していった。
なんだか今までのことが全て夢のように感じられた。もう彼女の言うことが本当なのか嘘なのかどうでも良かった。このステッキを捨てるか、一生使い続けるか、どちらかで悩んでいた。
いや、何度も捨てようとした。だが、そのたびにその便利さに再び溺れてしまう。もうこの魔法無しでは、私は生きていけないみたいだった。
だから私は、このステッキの力で消えることにした。私が消えれば、もうこんな事で私が悩む必要はないと思ったから。
私は今この最後のノートを書いている。あなただけには私のことを覚えていてほしいから。私の一番の理解者と信じているから。
そしてこの魔法の力はあなたに託す。どう使うもあなた次第。でもできれば……いや、やっぱり好きにしてくれ。そのことに関して、私があれこれ言う資格はないから。
さて、これを書き終わったら私は消えようと思う。あの魔法のステッキの呪縛から解き放たれるのがこんなにも幸せだとは……。両親には適当にごまかしといてくれると嬉しい。
それではまたどこか出会えるなら。
さようなら。 玲子』
信じがたいことが書かれていた。
魔法?ステッキ?なにそれ。呪縛?消える?誰が?意味がわからない。
私はじっと彼女の書いたと思われるその文章を見つめていた。これを書いたのは玲子だろうか?はたまた別人だろうか。玲子の言っていることは本当だろうか。
私には判断がつかなかった。
一つだけわかったことは、もしこれが彼女の手によるものならば、彼女がひどく苦悩していたということだけだ。魔法なんてそんなものは置いておいても、彼女が苦しんでいた。そしてそれを助けることができたのは……私しかいなかったのだろう。
隣にある魔法のステッキに目をやる。さっきまでは玲子の思い出の品だったものが、今やとてつもなく異様なものに変化していた。彼女のノートによると、これは魔法のステッキらしい。
私はそのステッキを手にとって見てみた。どこからどう見てもただの玩具のステッキだ。これを振ると……魔法が使える?
不意にそのステッキを振ってみたい衝動に駆られた。玲子がそうしたように、魔法を使えると聞いて戯れに振ってみたくなった。
一体どんな魔法を彼女は使ったのだろうか。いやどうせ振っても何も起きないのだから、ここに書かれていることは全て嘘っぱちであることを証明しよう。
好奇心を抑えることができなかった私や、彼女の嘘を証明しようとした私は結果的に存在することはなかった。代わりに存在したのは、そのままステッキを段ボール箱に戻した私だった。そしてそのままダンボールを再び閉じると、玲子の実家にそれを送ることにした。
この話が本物だろうが偽物だろうが、魔法を使えようが使えまいがそんなことは関係ない。何が大事かはわかりきっている。玲子のことに気がついて上げられなかった私の、せめてもの償いだった。
「そういえば明日は休みだったかしら」
私は自らの手でそのダンボールを玲子の実家に届けることに決めた。宅急便で送ろうかとも考えたが、彼女の言った、無駄が心を生むという言葉が気になっていた。
「わざわざ持って行って届けるなんて、なんて無駄なことかしら。でも今のあなたならどう感じるでしょうかね」
そう言いながら私はダンボールに封をした。入っているのはステッキとノート十二冊だ。玲子が最後に私に向けて書いたノートは入れなかった。あのノートを私以外の人間に読まれるのは、多分彼女の本意ではないだろうから。
すっかり梱包してしまうと、私は時刻表を調べた。今からならば最終電車に十分間に合う。
「ふふ、本当に無駄なことの気がしてきたわね。でも私は無駄なことするのが大好きなの」
誰に言うわけでもなく呟く。
「今日は実家に泊まろうかしら。電話しておかなくちゃ」
そうして手早く実家に帰る準備をすると、急いで家を飛び出した。ダンボールを小脇に抱えて、鞄を片手に夜の道を駅へ向かう。
「こんな夜遅くまでも電車が走っているのはなんと便利なことかしら。こんな程度の便利さで私は満足ね」
私は空を見上げて星を仰いだ。どこかで玲子も見ているのかしら、と思いながら駅への歩みを進めるのだった。
お読み頂きありがとうございました。
羽栗明日です。
魔法を使えたらどんなに便利でしょうか。それを考えながら書いた作品です。
お気に召していただければ幸いです
コメントなどいただけると、とてもうれしいです。