第一章 異世界とオルネリア・ディーヴァ
『Over the Dimension』
世界最難関とされるネットゲームのタイトルだ。ODと略されるそのゲームは約5年前、ネット上に突然その姿を現した。製作元も一切非公開。その怪しさは尋常ではなく、詐欺を疑う者も少なくはなかったが、その中身は実にオーソドックスなダンジョン攻略型MMORPGだった。ほぼすべてのキーボードを使わせるような緻密でリアルなキャラ操作はゲーマーの心を鷲掴みにし、現実と混同しかねないほどの卓越したグラフィック、操作感はゲームに興味のなかった人々をもファンタジーの世界へと誘った。人気が出るのにそう時間はかからなかったという。
そんな、製作元不明というハンデを一切ものともせず世界中からプレイヤーを集め続けるこのゲームには、ある一つの噂があった。
『ダンジョン第100層ボスをソロで攻略すると、タイトル通り次元を越えられる』
……鵜呑みにするようなバカはそうそういないだろう。現代の技術では次元の壁を超えることなど不可能なのだから、そんなことができるはずがない。というかそもそも、ソロで100層ボスを攻略するというのが無理に等しい。100層のボスを倒すには、レベル100前後のプレイヤーが1000人単位で束になって挑む必要があるらしい。それでもギリギリ倒せるレベルだそうだ。レベルを上げようにも、レベル100前後では次のレベルに上がるまでに相当な時間がかかる。必要経験値はレベルが上がるごとに当然増えていくから、ソロでの攻略なんて夢のまた夢。故に今まで100層ボスをソロで攻略した者など当然おらず、その真偽は未だに確かめられていない。
では何故そんな噂が出てきたのか。その原因もまた、わかってはいない。ゲームのリリースと同様、いつの間にか出回っていたそうだ。だがこの噂もこのゲームの人気の一役を買っており、噂を耳にした人たちが興味本位でODを初め、その魅力に憑りつかれていくというサイクルができている。
かくいう俺、高三重遥もその1人だ。次元を越えられるという、そんな噂をネット上で見つけてゲームを始めたうちの1人。だが、周りのプレイヤーたちとは少し違っていた。俺は、本気で100層ボスを1人で攻略しようとしていたんだ。大半のプレイヤーは、大体5層くらいでソロ攻略が厳しくなってくる。これだけでもこのゲームの難易度、そして例の噂の途方もなさがうかがえるだろう。そして、5層周辺からはパーティを組んで攻略していくのが普通だ。噂を耳にしてやってきたやつらも、この辺でソロ攻略を諦める。どうせ噂だろうし、ソロにこだわり続けるのは時間の無駄だ、と。
だが俺は、そうではなかった。
俺の両親は、俺が3歳のときに交通事故で亡くなった。しかし、まだ当時3歳だったこともあって、そのこと自体はさほどショックには感じていなかった。
ひどかったのは、その後だ。親族もなく天涯孤独となった俺を引き取ったのは、この高三重家だ。だが、これがひどかった。義父は働きはするが酒と煙草と暴力ばかりのクソ野郎で、義母はそんな義父に入れ込みそれ以外にはまったく無関心の、どうしようもないクズ女。引き取られた当時、生まれたばかりの義妹もいたが、その世話はすべて3歳児の俺に投げられた。しかも、その義妹が泣けば管理不行き届きで俺が殴られるし、オムツなんかの必要物資を調達するのも俺任せ。まさに地獄のような日々だった。しかし、俺がやらなければ義妹はどうなる? そう思ったから、必死に耐え続けた。幼稚園なんかもちろん行ってない。小学校だって、クラスメイトと遊ぶこともなく義妹の世話だ。おかげで学校では孤立した。少なからずいじめもあった。
義妹がある程度いろいろわかるようになってからは、お互いだけを支えにあの家庭で生き抜いてきた。義父の暴力から、義妹だけは守り切った。そして、義妹が小学校を卒業し、中高一貫の全寮制の学校に行ったのを機に、俺は家を飛び出した。義妹もいないのに、あんな家にいる理由はない。バイトもできるから、金銭面で頼る必要もない。
俺は高校には行かず、バイトで稼ぎながらネカフェで夜を明かす生活を送った。そこで暇潰しにネットを見ていたときに、このODの噂を見つけたのである。
そりゃあ飛びつくさ。こんな腐った世界とおさらばできるのなら、なんだってする覚悟だった。たとえこの噂がただの噂であったとしても、何かに集中し続けることでこのクソみたいな現実を少しでも忘れていたかった。
その日からは、のめりこむようにODをプレイし続けた。バイトしてるか、ODしてるか。本当に、それしかしてなかった。もちろんソロだ。別に100層のボスをソロで倒せればいいのであって、他の階層までソロで攻略する必要はまったくないのだが、俺はそうはしなかった。もちろん、ソロでの戦闘に慣れるという意味もある。あるいは経験値を多く稼ぐ意味もある。ODは経験値分散型だ。1人で倒せば100入る経験値も、2人で倒せば50。4人なら25。1人でも勝てるなら、その方が効率がいい。しかし一番の理由は、あの家で暮らす中で、学校でいじめにあう中で、俺が人間不信に陥ってしまったから。ネット上だけの知り合いで、実際には会ったこともない人に、ゲームとはいえ背中を預けるなんて想像もできなかった。俺が背中を預けられるのは、せいぜい義妹くらいのものだ。それ以外の人間など信用にも値しない。それほどまでに、あの幼少時代は俺を歪め、あんな噂に期待してしまうほどに俺に絶望を与えた。だから俺は、どれだけ戦いに苦労しようが、どれだけパーティに誘われようが、常にソロであり続けた。
そして、遂にその時が来る。
ゲームを始めてから、2年と10ヶ月。通っていれば、高三の1月。世間ではセンター試験が行われるその日。俺は遂に、100層ボスまでたどり着く。現時点での俺のレベルは261。両手に伝説級の片手剣を一本ずつ装備し、攻撃魔法も支援魔法も極めた、このゲームの隠し要素中の隠し要素にあたる職業、魔法双剣士。1人で階層ボスクラスを倒そうと思ったら、このスタイル意外に選択肢はなかった。双剣と魔法でダメージを与え、ダメージを食らえば魔法でヒールする。そうやって、どうにかここまで来た。
「…………………………」
ボスのいる部屋に入る前に、覚悟を決める。ここで勝てば、噂の真偽が判明する。もし噂が本当で、別の次元に行くことができるのならそれでいい。そうすればこの世界とはおさらばだ。だがもし、ただの噂だとしたら……その時は、命を絶とう。この噂が嘘だと判明したその時、俺はこの世界で生きていく意味を、希望を失う。それに、最近届く義妹からのメールを見る限り、アイツは向こうで上手くやれているらしい。多分もう、俺がいなくても大丈夫。アイツはこんな世界でも生きていける。俺がいることがむしろ、アイツの重荷になってしまうかもしれない。だから、その時は潔くこの世界から退場しよう。
(……勝負だ)
扉を開く。中では、俺のキャラの200倍はあろうかという巨大なドラゴンが待ち構えていた。
ダンジョン第100層ボス『エリミネート・ドラゴン』。
4本の足でどっしりと構え、凶悪な目でこちらを睨みつけている。背中から伸びる巨大な漆黒の羽根を羽ばたかせるが、自重が重すぎて飛ぶことは叶わない。しかし代わりに台風レベルの強風が襲う。ドラゴンがその口を大きく開け、吠える。大地が、揺れる。
『――アアアアアアアアアアァアァァァァァァァ!』
それが、戦闘開始の合図だった。
爆発的な力で大地を蹴りだし、一瞬のうちにその巨体の左側に回り込むと、硬い鱗に向けて右腕を一閃、渾身の一撃を叩き込む。甲高い金属音が響くのと同時、ドラゴンの右翼が上空から襲ってくる。それを大きくバックステップでよけながら、ちらりとボスのHPゲージをうかがう。5段あるHPゲージの、一番上のゲージがほんの少しだけ減っている……気がしなくもない、というレベル。
(レベル261の一撃でこれかよ!)
99層の比じゃない。99層ボスは、一撃でこの10倍近くは減った。やはり、あの硬い装甲がネックか。
上空から襲いくる右翼をかいくぐりながら、地を這うようにして肉薄、背に比べれば装甲の薄い右前脚を斬りつける。さっきよりはゲージが減ったが、この調子では何時間かかるか分かったもんじゃない。
一旦距離を取り、今度は魔法での攻撃を試みる。
『フレイム・ランス!』
前方の空間に呪文が刻まれ、魔法陣が浮かび、炎で造られた槍が高速で射出される。右翼の付け根あたりを狙った攻撃だが、ドラゴンは右翼の翼の部分でそれを受けた。ゲージの減りは、二撃目と同じくらい。つまりは、このまま地道に削っていくしかないということだ。近道など存在しない。最後の壁はそう甘くない。
そこからは、一瞬も気が抜けない攻防が延々と続く。速度や角度が逐一変わるドラゴンの両翼、尾、ブレスを使った多彩な攻撃をできるだけ最小の動きでかわしつつ、合間合間に装甲の薄い部位を狙って斬りつけ、遠くから魔法を放ち、微量だが確実にダメージを積み重ねていく。
そんな気の遠くなるような時間が10時間ぐらい続いた頃だったか。遂に5段あるうちの3段目のHPゲージを削り終えたところで、ドラゴンが動きを変えた。俺を睨みつける両の眼が、不意に赤く光った。
マズイ、と直感的に判断した俺は、ドラゴンの視界から大きく外れるように、ドラゴンの尾のほうへ大ジャンプを敢行。直後、ドラゴンの眼から灼熱の光線が放たれた。尾の周辺を除いた周囲270度に向けて放たれたその熱線は、ボス部屋の壁や床をいとも簡単に融かし、地面にマグマの海を作り出す。
(嘘だろ⁉)
『ウィンド・キャノン!』
着地に向けて落下しかけていた身体を、風の魔法を下向きに撃ち続けることでどうにか上空にとどまらせる。あの赤い海に落ちれば、恐らく即死だ。HPどころか、キャラの残骸すら残りそうにない。そうか、このボスに1000人単位で挑む必要があるのは、この熱線が放たれる前に一気に2段を削りきる必要があるからか。
上空にとどまる俺を、ドラゴンが見据える。そして、おもむろに口を開いた。
(ブレスが来る……!)
風の魔法でどうにか上空にとどまっているだけの俺は、この場から動けない。妖精族でもない限り、ODで空を自由に飛び回る方法は存在しないのだ。このままでは、ブレスを喰らう。かといって今の魔法を解除すれば、灼熱の海へ真っ逆さま。いずれにせよ、待っているのは死。
(それなら……!)
一か八か、賭けに出る。風の魔法の出力を少し下げてから、今度は一気に出力を上げ、反動で上空に舞い上がる。その勢いのままボス部屋天井に足をつけた俺は、全力で天井を蹴る。弾丸のような勢いで突き進むその先には、大口をあけてブレス発射体勢のドラゴン。その口に向かって、魔法を放つ。
『フレイム・エデン‼』
超上級火炎魔法が、今まさにブレスを撃たんとしていたドラゴンの口腔に炸裂し、大爆発を引き起こす。
『――アアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァアアアア‼』
外部の装甲とは比にならないほど柔な口腔内を焼かれ、ドラゴンが絶叫をあげる。一方爆発の余波で落下の勢いを殺した俺は、この部屋唯一の安全地帯、ドラゴンの背中に着地し、すぐさま右翼の付け根を双剣の連撃で斬りつける。可動するぶん装甲が硬くない付け根を、休む間もなく斬りつけていく。ドラゴンの叫びが木霊し続ける中、ついに右翼が切断され、マグマの海の中に消えていく。さらにドラゴンが声をあげるが、それに構わず今度は左翼。ドラゴンもそうはさせまいと左翼を動かすが、口と右翼へのダメージがよっぽど大きいのか制御が甘く、簡単によけられる。そのまま斬り続けることしばし、左翼も綺麗に切断され、消える。HPゲージは、残り1段のゲージ4分の1以下まできていた。ODでは部位破壊ダメージがかなり大きく設定されているため、両翼という2つの部位破壊でこれほど大きくゲージが減るのだ。ソロ攻略では必須であり、敵の攻撃が激しくなる後半、終盤に破壊するのが定石だ。
ここにきてようやくドラゴンは口へのダメージから立ち直り、背中の俺を振り落とそうとその巨体を激しく揺らす。俺はバランスを崩す前にドラゴンの背を蹴り、再び上空へ。口内がやられているからか、ブレスの兆候はない。俺はドラゴンを注視したまま、自分が着地する方向へ向け、魔法を放つ。
『フリージング・ブリーズ!』
マグマの海の一部が、氷の大地へと変わっていく。さっきまでは高温だったマグマも時間経過と共に冷え、俺の魔法でも凍るくらいにはなっていた。よく滑る大地に着氷し、ドラゴンと正面から対峙。目が、赤く光った。
(させるかっ!)
これを予想していた俺は、両手に持った双剣をドラゴンの目に向けて全力投球した。至近距離からの奇襲に回避行動をとれないドラゴンの両目に、俺の放った双剣が突き刺さる。
『――アアアアアアアアアァァァァァァアアアアァァアアアァァアァアァァアアァ‼ 』
俺はスケートの要領で滑る大地を進み、踏み切る。絶叫し悶えるドラゴンへと手をつきだして、叫んだ。
『アルティメット・フレイム・バースト‼』
文句なし、ゲーム内最大級の火炎魔法がドラゴンを襲う。残りMPの全てをつぎ込んで放たれた爆炎は、硬い装甲を覆い尽くし、その巨体を爆散させる。とてつもない音が鼓膜を襲う。ゲーム画面が一時黒煙で真っ黒になる。やがてその煙が晴れてくると、そこには何とか立っている状態の俺のキャラと、マグマの引いた地面に転がる二振りの片手剣。
そして、少し遅れて画面に表示される『WIN』の3文字。
「……かっ、勝った…………」
キーボードから手を離し、ソファに倒れこむ。チラリと携帯を見やれば、戦闘開始から軽く半日が経過していた。ほんと、長い戦いだった。
やりきった達成感からそのまま寝てしまいそうになるのをなんとかこらえ、ボス部屋の奥にある扉を目指す。あの扉の向こうには本来なら第101層へと続く階段があるはずだ。このゲームは100層で終わりではない。最も進んでいる攻略組は、確か133層まで行っている。
扉に手をかけ、開く。画面が真っ白に染まる。これまでの層にはないエフェクトに、もしやという思いが高まる。
やがて画面に表示されたのは、ダンジョン101層へ続く階段ではなく、簡素なメッセージウィンドウだった。
『100層ボスソロ攻略、おめでとうございます』
『プレイヤー『ハルカ』様には、次元間転送権が与えられます』
『この権利を行使すると、上位次元世界へ行くことができます』
『ただし、二度とこの3次元世界には戻ってこられないのでご注意ください』
『行使しない場合は、ゲームが続行され、転送権は二度と獲得できません』
『転送権を行使しますか? Y/N』
自動的にメッセージが送られていき、やがて確認画面が表示される。
俺は、迷わずYを叩いた。
『転送権が行使されました。これより、次元間転送を実行します』
『最後に、あなたが別次元へ転送されたことを、最大1名の方に通知出来ます』
『通知したい方がいる場合は、名前を入力してください』
『特にいない場合は、そのまま入力せずに10秒ほどお待ちください』
入力スペースが現れる。俺はしばし迷った末、『高三重天乃』と打ち込んだ。義妹だ。最初は誰にも通知せずにひっそりと消えようと思ったのだが、やはり義妹にだけは言っておくべきだと判断した。アイツにだけは、嘘は言いたくないし隠し事もしたくないから。突然連絡が取れなくなることで変に心配させたくもないし。
『入力完了。『高三重天乃』様には、責任をもって通知させていただきます』
『では、『ハルカ』様の転送を開始します』
『Good Luck』
そのメッセージを読み終えると同時、視界が真っ白に染まった。ゲーム画面が、ではなく、文字通り俺の視界が。次いで、身体が奇妙な感覚に襲われる。まるで荒波のなかを進む船上にいるかのごとく、激しい酔いを誘う感覚だ。口元に手を当ててどうにか耐えていると、酔いの感覚が遠ざかっていき、視界も徐々に開けてくる。
背中にチクチクとした感触が生まれ、嗅覚を草木の匂いが刺激する。どうやら俺は草原のような場所に仰向けて寝そべっているらしい。
視界が完全に開け、飛び込んできたのは視界を覆い尽くすような青空。
ゆっくり上体を起こして辺りを見回せば、そこはやはり草原だった。見渡す限り何もない、だだっ広い草原。先程までいたはずのネカフェの面影などさっぱりだ。すぐそばに俺のスマホが落ちていたが、数分前との共通点はそれだけ。現実ではありえない、超常現象とでも言うべき異常事態。
(……ってことは、やっぱり……!)
ここは、あのメッセージウィンドに書かれていた、上位次元世界……? と考えるのが妥当だろう。つまり、俺はあの腐った世界から抜け出すことができたんだ……!
「っしゃあ‼」
これでテンションが上がらないはずがなかった。二度とあんなクソ野郎どもと関わらずに済むと思うと、もう死んでもいいくらいだった。
……っていやいや、せっかく死なずにあの世界とおさらばできたんだから、死んじゃダメだろ。ちょっとテンション上がりすぎだ。
「…こほんっ」
1つ咳払いをして、少し冷静さを取り戻す。そして、現状の分析を開始する。
次元間転送? とやらで俺が転送されたのは、先程も言ったように見渡す限り何もない草原。ここからどう動いたらいいのか、さっぱり見当もつかない。……なんの説明もなしに草原に放置プレイとか、それどんなクソゲーだよ。
……いや、待てよ? 確かODのチュートリアルの舞台が、こんな感じのフィールドじゃなかったか? ……そうだ、思い出した。キャラメイクの後、ここで戦い方のレクチャーを受けた覚えがある。
「ここは、ODのチュートリアルフィールドなのか……?」
次元を超えて、ゲームの世界にやってきてしまったということだろうか。でもそれなら、3次元世界から見て『上位次元』とは言わない気がするし……。
「ご名答! ……と言いたいところなんですが、少し違うんですよ」
突然、頭上から声が聞こえた。反射的に上を向く。大きさ十数センチほどの、小さな女の子が浮いていた。背中から生えた4枚の透き通った羽根を懸命に動かして空中にとどまるその姿は、妖精や精霊と呼ぶのがふさわしい。
「……キミ、は……?」
空間転移などよりも遥かにわかりやすく非現実的な光景に、やや思考停止しつつもどうにかそう口にする。
「私、第1号次元間転送者『ハルカ・タカミエ』様の案内役を務めさせていただきます、オルネリア・ディーヴァと申します。気軽にオルネとお呼びください」
小さな女の子――オルネは、俺の頭上から正面に移動し、そう名乗った。
「それで、先程の答えですが、確かにここはかの次元間転送者選別用プログラム『Over the Dimension』のチュートリアルの草原と類似しています。ですがそのものではなく、ODの方がここをモデルに制作されたんですよ」
「……次元間転送者選別用プログラム?」
「あ、そうですね。その辺からきちんと説明しましょうか」
オルネは一呼吸入れてから語りだす。
「まず、この世界はハルカ・タカミエ様が先程までいらっしゃった次元よりも上位の次元に存在する上位次元世界、要するにまったくの別の世界だということをご理解ください」
まあ、こんな妖精みたいなのがいるわけだし、俺の夢でもない限りは別世界なのだろう。
「この世界は、広大な大陸と2つの大きな島から成り立っていて、その中にいくつものダンジョンが点在しています。なぜあるのかはわかっていません。この世界ができたときから、どういうわけか存在するんです。そんな謎に満ちたダンジョンはこの世界の人々を惹きつけ、呼び込みました。現在ではダンジョンに潜り、攻略するのが普通となっていますね。そんな、この世界とは切っても切り離せないダンジョンですが、その規模は場所によって様々です。ODの元になった初心者用のダンジョンはせいぜい200層程度ですが、現在確認されているもっとも深いダンジョンは軽く700層を越え、なおも底が見えないそうです」
……いや、200層でも十分多いから……っていうか、あのODの高難度ダンジョンが、初心者向けダンジョン? 何かの冗談だろ?
「ですがそういった各地のダンジョンの攻略も、ここ10年ほどはまったく進んでいません。というのも、それほどに強力な魔物たちが現れ始めたからです。そこで私たちは、外部……より具体的には下位次元世界、あなたたちの言う3次元世界から優秀な戦力を引き抜く計画を立てました。それが次元間転送者選別用プログラム『Over the Dimension』を用いた計画、通称『ODプロジェクト』です。そしてその第1号転送者が、ハルカ・タカミエ様です」
「優秀な戦力? 俺が?」
確かにOD内ではかなり強い部類……というか、正直最強だったとは思うが、実戦経験なんて皆無だ。剣はもちろん、竹刀ですら握ったこともない。あんな魔物どもと戦えるわけがないと思うのだが……。
「はい。確かに実戦経験、得物の心得こそないですが、OD第100層ボスのソロ攻略に必要な、ボスの攻撃を回避し続ける動体視力、反応速度。10時間を超える長時間の戦闘に耐えうる根気、体力、集中力。絶望的状況に勝機を見出す知力、頭の回転の速さ。ハルカ・タカミエ様はこれらをすべて備えていらっしゃいます。現時点では素人でも、得物の心得と実戦経験さえ積めばあっという間に優秀な戦力になることでしょう」
つまり、将来性を見込んでってことか。
「でも、普通はもっと即戦力を引き抜くもんじゃないか?」
「欲を言えば、私たちもそうしたいところなんですけど……魔物のいない世界から、魔物と戦える即戦力を引き抜くって、無理じゃないですか?」
「あー……」
確かに、そりゃそうだ。たとえ剣道経験者だって、真剣で異形の魔物を斬るこの世界では即戦力とはいかないだろう。
「ですから、戦闘技術さえ補えば優秀な戦力になり得るような人材を、ODを通して探しているんです。そしてその条件が、100層ボスのソロ攻略。その最初の達成者が、ハルカ・タカミエ様なのです! 正直、こんなにはやく達成者が現れるなんて予想していませんでした!」
興奮したように告げてくるオルネ。目をキラキラさせる姿はまるで子供だ。
「……まあ、この世界とODについてはなんとなく理解した。で? 俺はこれからどうしたらいいわけ?」
本当になんとなくの理解しかしてないが、まあ小難しい話は何度聞いたってわからないからとりあえずいい。今大事なのは、俺がこれからどうするべきかということだ。
「あ、はい。まずはこの草原の西にある街『プレミエル』に向かいます。この街の近くこにはODのモデルになった初心者用のダンジョンがありますので。ハルカ・タカミエ様にはそこで戦闘技術を身に着けて頂きます」
「……俺に拒否権は?」
「なくはないですが、この世界で生きていくにはまず間違いなく必要になりますよ? HPがなくなれば死にますし、アージェントを稼ぐのにも魔物を倒す必要があります」
……HPなんて概念があるのか、この世界は。本当にゲームみたいだな。アージェントは確か、OD内での通貨のことだったはず。
「まあ、細かい話はプレミエルに向かいながらにしましょう。いつまでもここにいては、そのうち魔物に襲われてしまいそうですし」
「ダンジョン以外にも魔物出んのかよ」
「あれ? 説明してませんでしたか?」
「してない」
オルネがあまりに無警戒なもんだから、出ないのかと思ってた。ODでは地上には大きな都市があるだけで、地上フィールドとかなかったし。
「そういうことならさっさと移動するぞ。西はどっちだ」
「あっちですけど、丸腰で行くつもりですか?」
「それ以外にどうしろと?」
ネカフェから着の身着のままで転送された俺が、武器になりそうなものなんて持っているわけがない。せいぜいスマホぐらいだが、こんなもの投擲したところでダメージにはならんだろう。むしろスマホが他界する。
「……私、これでも次元間転送者の案内役ですよ? それくらい用意してます」
そう自慢げに言うと、オルネはよくわからない呪文的な何かを呟きながら、白く発光する指先で空中に文字を書いていく。アレは確か、ODで魔法を使ったときのエフェクトだったか……と思っていると、唐突に虚空が白く輝きだし、やがてダガーのような形をとり、具現化、俺の足元に落ちる。拾い上げてみれば、それはしっかりと実体を持った、本物のダガーだった。
「街で一番安い子供向けのダガーですが、この辺のフィールドの魔物相手ならそれで十分戦えます。プレミエルに着いたら、そこの武器屋で自分に合った武器を探しましょう」
「……これ、どうやって……?」
「私の家から魔法で召喚しました。次元間転送者が現れたときのために用意しておいたんですよ」
軽く振ってみる。ヒュンッ、という風切り音が鼓膜を揺らす。思ったよりも全然軽い。中卒から続けてきた肉体労働系のバイトで多少は腕力が鍛えられていたのか、あるいはこのダガーが相当軽いのか。とにかく、素人でも扱いやすい感じだ。
「使い心地はいかがですか?」
「まあ、悪くない」
「では、さっそくプレミエルに向かいましょう」
西へ向かって歩き始める。オルネは飛んでいるが。
「……オルネって、妖精的な何かでいいのか?」
「はい。妖精族です」
「……妖精族……えげつない魔法ばっかり使う種族か」
「……素直に肯定しにくい表現ですが……まあ、そうです。この世界にいるのはODと同じ5種族で、それぞれの特徴もそのままです。ハルカ・タカミエ様と同じバランス型の人間族、身体能力の高い獣人族、怪力自慢のドワーフ族、知性の高いエルフ族、そして魔法に特化した妖精族ですね」
わかりやすくて助かる。
「……ところで、さっきから俺をフルネームで呼ぶの、やめてくれないか?」
「どうしてですか? ハルカ・タカミエ……『遥か高みへ』って感じで、格好いいじゃないですか」
「……それは知らん。ただ、『高三重』って名字が嫌いなんだよ」
「なぜですか? ……って、あ、そうでしたね……すみません、無神経なことを言ってしまって」
「いや……っていうか、なんで俺の過去を?」
誰かに語ったことなんてない。この世界ではもちろん、向こうの世界でも。思えば、オルネは最初から俺を『ハルカ・タカミエ』と呼んでいた。ODで使っていたプレイヤーネームは『ハルカ』だけだったはずなのに。
「企業秘密です。案内役として、ハルカ・タカミエ様……いえ、ハルカ様の情報を与えられている、としか」
……まあ、どうしても知りたいわけじゃないからいいけど。それに次元間転送とかやっちゃうこの世界の技術なら、3次元世界の情報ぐらい簡単に入手できるんだろうし。
「……っと、呑気にお話ししている場合ではないようです」
オルネが前方を見据えたまま鋭い声で言う。そちらに目を向ければ、4足歩行の何かがこちらを睨みつけていた。フォルムはオオカミのそれに近い。その獣の頭上には『ワイルドウルフ Lv1』という文字と、緑色のゲージが浮かんでいる。魔物の名前とレベル、HPゲージってところか。どういう理屈かは知らんが、オルネが何も言わないことから察するに、この世界では魔物の頭上にあれが出るのが当たり前なんだろう。もはやゲームだな、この世界。むしろそう思っていた方が、今後びっくりすることが少なく済むかもしれない。
ワイルドウルフ。ODではダンジョンに入って一番最初に出てくる魔物だ。こっちの世界では地上フィールドに出てくるのか。素早さはそこそこあるが、そのぶん攻撃と防御がゴミなので、まあ、戦闘初心者の俺でもなんとかなるだろう。向こうもレベル1だし。
俺は右手でダガーを握り、ODのゲームキャラの見よう見まねで構える。瞬間、ワイルドウルフが飛びかかって来た。が、想定していたよりあまりに動きが遅い上に直線的だ。軽く左にステップして突進の射線からずれ、すれ違いざまに胴体をダガーで斬りつける。たったそれだけで、ワイルドウルフの頭上のHPゲージは半分を切り、緑から黄色に変わる。痛み故か大きく叫ぶと、ワイルドウルフは身体を反転させて先程同様一直線に突進してくる。だが、やはり遅い。ダガーを左手に持ち替えた俺は今度は軽く右へステップし、先程同様すれ違いざまに斬りつける。HPゲージは4分の1を割って赤になり、やがてゼロになった。ワイルドウルフが四肢を折って地に倒れ伏し、やがて空気にとけるようにして消える。草原には5枚のコインだけが残った。
「お見事です、ハルカ様!」
すると、いつの間にか上空へ逃げて高みの見物に興じていたオルネがパタパタと羽根を動かして寄ってくる。
「とても初めての戦闘とは思えませんでした! さすがです!」
「……まあ、今のは敵の動きが遅くてわかりやすかったから」
ストレートに褒めてくるオルネにやや気恥ずかしくなりつつ、草原に落ちたコインを拾う。
「そうですか? ワイルドウルフは、地上フィールドに出る魔物の中では素早いほうですけど……遅く見えたのなら、それはきっとハルカ様の動体視力のおかげですね。ODの100層ボスと比べれば、敵の動きは雲泥の差でしょう」
……なるほど。確かに、アレと比べたらそうかもしれない。図体のわりに翼の攻撃とかかなり素早かったし。しかし、あれで地上フィールドに出る中では素早いほうなのか……なら、プレミエル…だっけ? までは割と余裕かもしれない。
「……ところでこれ、いくらぐらいだ?」
拾い上げた5枚のコインをオルネに示す。この世界の通貨なのはわかるのだが、これで一体いくらくらいなのかがわからない。
「1Aコイン5枚で、5Aですね」
よく見ると、コインの表面に1と書いてあった。これで1Aってことか。
「5Aだと何ができる?」
ODでは装備品やアイテムの購入くらいしかアージェントの使い道がなかったので、食事代とか宿代とかの相場がよくわからない。
「1食食べられるかどうか、って感じですね。ちなみにプレミエルで宿に泊まるなら、安い所を狙えば2人で1泊50Aくらいですよ」
「……2人分?」
「私は泊めてくれないんですか⁉」
「……いや、だって……」
オルネの十数センチしかない全身を眺める。
「……お前、1人分とられんの?」
「私だって立派に1人ですよぅ!」
涙目で訴えるオルネ。ううむ、これで1人分か……割に合わない気がしてならない。なんかこう、大人料金の切符で3歳児が電車に乗る感じ? みたいな。
「……受付のときだけ俺のポッケに隠れて、1人分で済ますってどうだ?」
「…………アリかもですね」
アリなのかよ。
「……ところでこのコイン、どうやって持ち運べばいい?」
ポケットに入れて持ち運ぼうと思ったら、かなりかさばるんだが。
「ああ、まだそのシステムを説明していませんでしたね」
ポンッと手を打つオルネ。…いや、1人で納得してないで説明しろよ。
「ハルカ様。アージェントボックスと念じてもらえますか?」
言われた通りに念じてみる。すると、手に持っていたはずのコインが突然消えた。
「あ?」
「アージェントボックスは、その名の通りアージェントを収納しておくボックスです。コインを収納したいときに念じれば、そのコインがボックスに収納されます。逆に、引き出したいときに念じれば、引きだしたい額が手元に現れます。ボックス内の残高は、ステータスで確認出来ますよ」
「……そのステータスはどう確認すんだよ。念じればいいのか?」
「察しがいいですね!」
サムズアップするオルネを微妙にうざく思いつつ念じる。目の前にいわゆるステータス画面的なものが現れた。
『ハルカ・タカミエ
Lv:1
年齢:18
職業:無職
種族:人間族
所持A:5A
経験値:10/30
HP:457/457
MP:308/308
筋力:324
知力:499
敏捷:210
防御:181
命中:385
幸運:12
装備:ダガー、ジャージ(上)、ジャージ(下)、靴下、スニーカー、トランクス』
……パンツまで装備品に表示されんのかよ……確かに装備してるけど……。
「……このステータス、どうなんだ?」
ODだとまあ、レベル40前後といったところだろうか。幸運以外は。
「これは、3次元世界でのハルカ様の能力、それとOD内でのキャラのステータスを元に定まった数値ですので、この世界のレベル1の方たちよりは断然高い値ですよ。むしろ、同年代の方にも引けを取らないくらいだと思います。HPや知力なんかは完全に上回っていますね。幸運はこの世界のレベル1にも満たないほどゴミですが」
ゴミって言われた。まあ、自分でもこれだけ低すぎるだろうとは思ったが。
「ちなみに、18歳の平均レベルってどのくらいなんだ?」
「大体40前後ですね。つまりハルカ様は、レベル1にして40並の強さを誇っているわけです。幸運以外」
「幸運のことはもう言うなっ!」
叫びながらステータスを閉じ(念じたら閉じられた)、歩き出す。俺のレベル1がこの世界のレベル40相当か。序盤は楽にダンジョン攻略が進められそうで、少しホッとする。
その後、道中で襲ってきたワイルドウルフを倒すこと2体、頭上にレベルアップの文字が浮かんだのがわかった。
「ハルカ様、レベルアップです!」
「わかってるよ……」
耳元で騒がしいオルネを適当にあしらいつつ、ステータスを開く。
『HP:482/482
MP:333/333
筋力:340
知力:530
敏捷:243
防御:194
命中:402
幸運:12』
知力と敏捷が特に伸びている。幸運だけ変動なし。何故。
「能力は、レベルアップまでに得た経験によって上昇します。知識を蓄えればレベルアップの際に知力が、敵の攻撃を回避し続ければ敏捷が大きく伸びる、という感じですね」
「なるほど」
ワイルドウルフの突進を回避ばかりしていたから敏捷が大きく伸び、逆に防御はそれほどでもない、と。なら知力は? レベルアップまでに俺は一体どんな知識を……って、そうか。この世界のことだいぶ学んだっけ。
その後もそれなりの頻度で現れるワイルドウルフを討ちつつ西を目指す。どうやらこの辺の草原にはワイルドウルフしか出ないようだ。だからまあ、ぶっちゃけ道中は余裕だ。そのまま2時間くらい歩いた頃か。レベルが4になったとき、視界に街の様なものが映った。
「あれがプレミエルか?」
「はい。もう少しですね。……あ、それと、今ここで一つ忠告をしておきます」
「忠告?」
「はい。ハルカ様が異世界からやって来たということは、可能な限り伏せてください。異世界が存在すること、またその異世界から停滞を打ち破る戦力を引き抜くというこの計画は、この世界でも上の方のほんの一握りの人たちしか知らない事ですので」
「……まあ、別にいいけど」
もともと「俺、実は異世界から来たんだ」とかカミングアウトする予定はなかったし。
そんなやり取りをしてからさらに数十分。ようやくプレミエルに到着した。時刻としては、太陽の位置から考えるに昼過ぎくらいだろうか。
「……ところで、刀身丸出しで街中歩いていいのか?」
先程まで魔物を斬りまくっていたダガーを示しつつ、街に入る前にオルネに尋ねる。
「あ、そうですね。街中では使わないでしょうし、収納しておきましょうか。アイテムボックスと念じてみてください」
またそのパターンか、と思いつつ念じる。瞬間、手の中にあった短刀の感触が消える。アイテムボックスとやらに収納されたのだろう。
「取り出すときは、アイテム名かアイテムの見た目をイメージしながらアイテムボックスと念じてください。ちなみにアイテムボックスの中身はアイテム一覧と念じれば確認できますよ」
というオルネの補足を耳に入れつつ、改めてプレミエルの街に入る。草原はODのチュートリアルのモデルとなっていたが、この街並みは見覚えがないのでODのモデルにはなっていないらしい。それについてオルネに尋ねてみれば「プレミエルって初心者の集まる街なので、宿屋や家も地味な建物が多いんですよ。あまり豪奢にしても、宿代が高すぎて誰も泊まれないですし。でも、ゲームではビジュアルも大事でしょう? なので、ここではない別の街をモデルにしてるんですよ。オリエント王国という大陸東部の大きな都市です」とのこと。
街中は、道行く人でごった返していた。しかし、その見た目は様々だ。あの獣耳や尻尾が生えているのが獣人族だろうか。耳が長く顔立ちが整っているあの人たちはエルフ族だろう。俺よりも小さいのにとんでもなく重そうなものを軽々運んでいる彼らがドワーフ族で、オルネ同様上空をせわしなく飛び交っているのが妖精族。数の比率は人間族も含めて割と同じくらいだろうか。ああでも、妖精族は少ないな。
「まずは、今日の宿を確保しましょうか。初心者向けダンジョンに近い街ということで、値段も良心的な宿が多いんですが、その分はやく部屋をとらないとすぐに埋まってしまうんですよ。だから、急ぎましょう」
先導していくオルネを追い、混雑するストリートを進んでいく。人ごみのせいでどんな店が並んでいるのかも道がどうなっているのかもさっぱりわからないが、空を飛んでいるオルネは見失いようがないので助かる。
「ここが、私のおすすめです! ご飯がとてもおいしくて、でも街の中心地や初心者用ダンジョンからちょっと離れている分お値段が安めなんです! 更に、お風呂も各部屋に完備です!」
興奮した様子でオルネが指し示したのは、かなり築年数が経ってそうな感じの、趣きのある宿だった。入り口の傍に掲げられている看板には『夕食、朝食込みで1人1泊20A』と日本語で書かれていた。オルネも日本語を話しているし、公用語は日本語なのだろうか。
「ささ、はやく入って部屋取っちゃいましょう!」
そんな俺の疑問など意に介さず、オルネが「はやくはやく!」と身振りで急かす。仕方ないのでそれに従い、宿の入り口を開く。その直前、オルネが俺のジャージの胸ポケットにもぐりこんだ。……ああ、本当に人数誤魔化すんだ。
「いらっしゃい! 宿泊かい?」
入ってすぐ、受付と思われるカウンターの中に座るおっさんが声をかけてきた。
「ああ。1泊、お願いしたいんだが」
「あいよ! 1泊が1人で、20Aだ! 先払いで頼むよ!」
いちいち声がデカいな、と思いつつアージェントボックスと念じ、20Aを取り出す。
「これで」
「確かに受け取った! 坊主の部屋は1階の104だ! これが部屋の鍵! 夕食は20時、朝食は7時に1階の食堂だ! 宿の外に出るのは自由だが、鍵は俺に預けろ! あと、19時までには戻ってこい!」
「わかった」
耳痛え、と思いつつ、鍵を受け取って104号室を目指す。カウンターの傍の廊下を少し歩いたところに、その部屋はあった。受け取った鍵で開錠し、扉を開ける。
建物の外観に反して、部屋はなかなか綺麗だ。ベッドは丈夫そうだし、風呂トイレは別で、その上風呂の方は露天。オルネが推すのもうなずける。
「お前、いい宿知ってるじゃないか」
胸ポケットに向かって話しかける。せっかく部屋が取れたのだから、何泊分かとっておけばよかったか。
「ですよね⁉ 我ながらよく見つけたと思います!」
胸ポケットから飛び出したオルネが弾んだ声で告げた。
「それで、この後はどうしますか? 戦闘でお疲れなら休んでもいいと思いますし、まだお昼過ぎなので街中を探索するのもアリかと思いますが」
「そうだな……大して疲れてもいないし、街の探索に繰り出すか」
「はいっ!」
オルネを再び胸ポケットに収納し、部屋に鍵をかけておっさんに預けて外へ。少し歩いたところで、オルネがポケットから出る。
「……そのポケット、意外と心地がいいですね。今度からそこに常駐していいですか?」
「やめろ」
中でもぞもぞされると、結構くすぐったいんだよ。
などと言い交わしつつ、街の中心の方へ歩いていく。その途中、オルネがある場所で動きをとめた。俺も足をとめる。
「ここが、この街の初心者用武器屋です。初心者でも扱いやすい得物を安く販売してくれるんですよ。あの短刀もここで買いました」
オルネに先導されるまま、店内に足を踏み入れる。店内には様々な武器が並んでおり、それらをまだ10歳にも満たないであろう小さな子供たちが真剣な様子で物色している。なんか、18歳の俺が入っていくのが少し恥ずかしい。
「ハルカ様は、どのような得物がいいですか?」
「うーん……最終的には魔法双剣士を目指したいから、やっぱ片手剣からだな」
ゲーム内でそうだったからというわけではないが、やっぱりソロで戦うにはあのスタイルが一番最強なのだ。だから、この世界でもそれを目指そうと思っている。
「そうですね。あのスタイルのハルカ様、かなりお強いですし。はやく生で見てみたいです! というわけで、片手剣はこちらですよー」
オルネが店内をふわふわと漂いながら、片手剣の売り場へと案内してくれる。そこにはやや古びた感じの、命を預けるには心許ないものが多々並んでいた。加えて10歳未満が訪れるような初心者用の店なので刀身も思ったほど長くなく、リーチもいささか心許ない。
「……ちょっと微妙ですね」
同じようなことを考えたのか、オルネがボソッと言った。
「オイオイ、うちの商品が微妙だってっ?」
その呟きを耳聡く察知したこの店の店主と思しきドワーフのおっさんが肩を怒らせてこちらに向かってきた。顔が厳ついせいか、ちょっと怖い。
「はい。18歳の初心者に持たせるには、ちょっと微妙かと思いまして」
しかしオルネは臆することなく堂々と意見を口にする。
「18歳の初心者ぁ? そいつはまた珍しいなぁ」
オルネの言葉を聞き、苛立ち気味だった店主は一転、興味深そうに俺の方を見た。やはり、18歳で初心者と言うのは珍しいのか。
「確かにその体格じゃ、この辺の武器はちとあわねぇなぁ。片手剣がいいのか?」
「ああ、できれば」
「わかった、ちっと待ってな」
そう言うと店主は店の奥の方へと入って行く。奥に何かいい剣があるのだろうか。
待つことしばし。店主が一振りの剣を手に奥から出てくる。
「こいつならどうだ? 作ったはいいがガキじゃ刀身が長くて刀に振り回されちまうようなもんだが、お前さんなら扱えるだろ?」
言いながら手渡されたのは、店頭に並んでいるものよりも刀身が長い片手剣だった。保存状態も良く、簡単に壊れてしまうようなことはなさそう。持った感じも意外に軽いし、アリかもしれない。
「どうです? ハルカ様」
「いい感じだ」
「おっ、気に入ってくれたかい」
店主が自慢げに聞いてくる。いささか癪だが、まあいい武器には違いない。
「いくらだ?」
「そうだな……武器の出来としては200Aと言いたいところだが……この店じゃ需要がなくて店に出せなかったモンだ。だから、半額の100Aでどうだ?」
「ふむ……」
顎に手をやり考えつつ、オルネを見る。ODではゲーム序盤用の片手剣の相場は500Aくらいだったが、この世界での相場はわからないので、こういうときはこの案内役に頼るしかない。
「先程売り場に出ていた片手剣は150Aくらいしますし、片手剣の相場からしてもお買い得だと思いますよ」
俺の視線の意図に気付いたオルネがそう助言してくれる。安っ。ODぼったくりかよ。
「じゃあ、購入で」
「まいどありっ!」
だが、所持Aが微妙に足りなかったのでとりあえずオルネが立て替えた。
購入した片手剣をアイテムボックスに入れ、今度は防具店に向かう。いつまでもジャージのままというわけにはいかないし。
というわけでやって来た防具店。武器屋のすぐ隣だったのですぐだった。
「いらっしゃい!」
店に入ると、店主と思しきドワーフのおっさんのデカい声が聞こえた。見ると、隣の武器屋の店主とそっくりだ。兄弟だろうか。
店主に軽く頭を下げつつ、まずはジャージの代わりを探す。周囲の商品と比べて比較的安価な黒のインナーとズボンがあったので、とりあえずそれを手に取る。黒なら町中にも結構いたし、少なくともジャージよりは目立たないだろう。
「あっ、あのコート格好いいですね」
と言ってオルネが指差したのは、鮮やかな紅色のコート。
「……いや、ジャージよりも目立つだろうが」
「目立ってなんぼでしょう! ハルカ様は、停滞したこの世界のダンジョン攻略を進めるために召喚された、言わば救世主みたいなものですよ? 目立つシンボルマークがあった方がいいじゃないですか。それに、あれを装備すると敏捷が3倍になりますよ?」
「誰専用だよそれは……」
……しかし、目立つのは嫌だが敏捷3倍は正直捨てがたい。自力でHPを回復する手段がない現状、敵の攻撃は可能な限り躱さねばならない。そうなると、敏捷3倍と言うのはかなり魅力的に思えてくる。
「……というか、この世界の防具ってそんなに効果あんの?」
ODだと、確か最大でも30%上昇くらいだったはずだが。3倍とか、一般的なRPGでもそうそうないだろう。破格すぎる。しかもこんな初心者用の街にそんなものがあるなんて。
「ODでは簡単にクリアさせないために効果を下げてましたが、この世界ではこれぐらいが普通……というか、まだまだ低レベルですよ。もっと先の街に行ったら5倍、10倍はザラです。そうしないと、ダンジョンでは戦えないので」
高難度ダンジョンを攻略するために鍛えられた技術、ってとこか。
「んー……まあ、いいか」
オルネの薦める紅いコートを手に取る。まあ、命には代えられない。多少目立ちはしても、敏捷が3倍になる方がいいだろう。
インナーとズボン、コートをカウンターへ持っていく。合計で1200Aだった。オルネの薦めたあのコートが1000Aとそのほとんどを占めている。例のごとく所持Aが余裕で足りないので再びオルネが立て替えた。いきなり1300Aの借金を抱えることになってしまった。
購入した品を装備し、店を出る。さっさと借金を返済したいので、少しフィールドに出て魔物を倒したい。剣の使い心地も確かめたいし。
「なら、ダンジョンに行きましょう! まだ午後3時過ぎですから、時間的には余裕なはずです!」
そう告げたら、オルネがこう返してきた。
「ここから近いのか?」
「プレミエルの西から出て徒歩5分くらいですね。プレミエル横断に30分くらいかかりますけど。ちなみに、私たちが入ってきたのは東側です」
合計35分か……微妙な距離だが、せっかくだし行ってみるか。