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2-1


「助けてええええぇぇぇぇ!」


 クラドは叫び声を上げながら、行く手を阻む草や枝を手で払いのけ、木々の間を全力で走る。後ろには滑るように地を這う魔獣。うっそうと生い茂った草や太い樹木を滑らかに避けながら、止まることなく追いかけてくる。

 オオル大地にいる普通の蛇よりも何倍も大きくて長い身体。爬虫類特融の、獲物を恐怖で麻痺させる黒く濁った目。試練の間『深緑の森』を根城にした魔獣、ガナーガからクラドは必死に逃げ回っていた。


 足を何かに引っかけて転んだ。顔から地面に滑り込んで、口の中に土が入った。唾と一緒に土を吐いて、地面を見る。木の根っこが地中に収まりきらずに至る所で地面に姿をさらしていた。遺跡の中なのに、何でこんなに木が生えているんだよっ。フロアが森になっている試練の間にグチをこぼしていると、草や枝が擦れる音が大きくなった。


 木の根を蹴って真横に転がる。口を開けたガナーガが、クラドのいた場所を通り過ぎる。そのまま正面にあった樹木に喰らいついた。

 バキバキと音を立てながら樹木が折られ、飲み込まれていく。城の支柱のような太くて長い胴体が更に膨らんだ。

 ガナーガは樹木を飲みこんだ後、クラドに向けて口を開いた。

 緑色のよだれが垂れ、糸を引いて落ちる。顎にはナイフのような歯が上下に二本、その奥には胃袋に続く暗闇の通路が見えた。


 クラドは鳥肌が立った。僕が食べられたら一口でペロリだ。

 すぐに立ち上がって走る。ビビって止まっていたら、数秒後にはガナーガの腹の中だ。横たわる木の幹を飛び越えて、びっしりと生えた緑の茂みの中に突っ込んでいく。


 クラド以外の草が擦れる音がまた近づき、大きくなった。食事を始めたい大蛇が距離を詰めてくる。振りきれない。追いつかれそうだ。

 だんだん、呼吸の間隔が早くなってきた。息が切れ始めている。クラドの顔が歪む。走るのがキツくなっていた。荒い呼吸を繰り返す。心臓が太鼓になったみたいに激しく叩かれて、今にも壊れそうだ。


 それでも我慢して進む。頭上を覆っていた緑の葉が次第に無くなり、空いた隙間から光が差し込む。目を細めながら見上げると、天井に蛍光石を埋め込んだ作りモノの空があった。

 前方には緑に染められた小さな野原が広がる。その先に扉が見えた。森を抜けて、野原を駆ける。あと少しだ。


 急に左足が上がらなくなって、前のめりに倒れた。クラドの顔が引きつる。ガナーガが、左足の裾に喰らい付いていた。ズボンを脱いで逃げる、そんな隙はなかった。ガナーガは太い胴体を器用にクラドにぐるぐる巻きつけた。ぐ、息できない。何もできずに締めつけられ、小柄な身体はどんどん紫色になっていく。

 ガナーガは鎌首を持ち上げ、クラドの頭上で大きな口を開けた。粘液が滴り落ちる。クラドは目を閉じた。頭から胸、ついには腰の辺りまで飲み込まれていった。


 地面が、揺れた。

 直後に野原が崩れ、巨大な穴が出現。ガナーガは土や野原の草と供に落ちる。そして蜘蛛の巣のように仕掛けられた格子状の網の罠に引っ掛かった。

 驚いたガナーガが口を開く。緑色の粘液塗れになりながらクラドは吐き出された。大型魔獣用の網の目は粗い。子供が通れる程の隙間にヌルヌルの身体を通して網の外に出た。

 ガナーガが逃げようと網の中で暴れた。でも、もがけばもがくほど網に絡まるだけだった。…………た、助かった。クラドは身体中の力が抜けるのを感じだ。



「よし。作戦通りだ」


 どこかで身を隠していたジュウナが、小さい袋を持って穴の外から見下ろしていた。顔には満面の笑みが浮かんでいる。

 魔獣保管庫から逃げ出したガナーガを捕まえる為に、臆病な僕に囮役をやらせるなんてジュウナ先輩、鬼だ。レビトに余計なこと言うんじゃなかった。クラドは心底、後悔した。


 ジュウナが上からロープを降ろした。身体についた粘液で滑りながらも、穴を出る。ベトベトの身体で地面に座り、荒い呼吸を繰り返す。全身生臭い。緑の粘液と自分の汗で濡れてヌルヌルする。手で拭うと粘液が糸を引いて地面に落ちた。

 汚れたクラドを上から下まで見てジュウナが言った。

「お疲れ。今回はヤバそうだったけど、うまくいったな」

「全然うまくいってないです! 危うく食べられる所でしたよ。もう」

「へーそうだっけ」


 気のない返事で話を切られた。後輩の意見は聞いてくれないらしい。ジュウナは作業着のポケットから眠り草の粉を取り出し、穴に振りまいた。もがいていたガナーガの動きは次第に弱まり、瞳を閉じて眠り始める。

「さて、次も喰われないようにがんばれよ」

「へ?」



 聞き間違い、じゃなかった。ジュウナは茂みの中に隠しておいた荷車から、新たな罠の材料を用意し始めた。

「まだやるんですか!?」

 荷車のそばには既に捕獲したガナーガ二匹が、頑丈な網に包まれて寝息を立てている。

「逃げ出したガナーガは、まだいるからな。あと四、五匹捕まえりゃ終わるだろうよ」

 クラドはぐらっと目まいがしてきた。作業補佐班にくる仕事はこんなのばっかりだ。



 作業補佐班。


 その名の通り、他の部署の作業を補佐するのが主な仕事だ。宝箱や罠の設置、ダンジョンの壁の補修や照明などの設備の整備、時には魔獣の捕獲やエサやりまで様々な仕事が作業補佐班に回される。

 先程までやっていたガレキの運搬のような比較的安全な仕事はほとんどこない。貰える仕事は面倒で、誰もやりたがらない作業が多い。今回みたいな魔獣相手の作業なんて、危険で心臓が縮み上がるようなことばかりだ。

 他の班の先輩社員達は、作業補佐班の事を左遷先の地獄と呼んでいる。まともに仕事をしてピンピンしてるのはジュウナだけだった。


「そんな暗い顔するな。次も成功するって。お前ならたぶん、大丈夫だ」

 たぶんて……。クラドは思った。ジュウナ先輩、マジで鬼だ。


「さ、ガナーガ引き上げて次の罠を張るぞ。手伝え」

 ジュウナと一緒に材料を穴の前に降ろして、設置してある網を掴んでガナーガを引き上げた。重い巨大な胴体を穴の外に横たわらせると、森の葉が風も吹いていないのに揺れた。視線を向けると木々の奥に人がいる。

 草むらを掻き分け、森から出てきたのは対魔獣用の重装備を身に着けた男達。鍛えられた身体は筋肉に覆われ大きく、目付きは鋭い。街角で会ったら、視線を合わせないようにして道を譲ろうと思えるほどの威圧感を放っている。

 


 ハンター班だ。


 クラドの表情が曇った。ジュウナが一瞬だけハンター班を視界に捉え、また元に戻すとクラドと目があった。

「心配するな。何もしねーよ」

 そう言って罠の準備をするジュウナ。クラドは不安だった。よりによってハンター班と同じ作業だったなんて。ホントに大丈夫かなぁ、この前みたいにならなきゃいいけど。


 ハンター班がクラド達に気付き、こっちに向かってくる。列の先頭にいるはハンター班のバッパ。土から掘り起こしたジャガイモのような顔と身体で積層鎧を揺らしながら歩いている。その後ろで作業員が数人がかりで大きな荷車を五台引いていた。荷台には鋼鉄製の堅牢な檻が乗っている。

「おい補佐班、仕事は順調か?」

 ジュウナは顔を上げずに手を動かし、喋りかけてきたバッパを無視した。

「シカトはねーだろ。シカトわよ。違う班でも仕事に関係ある情報は交換するべきだろ。違うか、ルルフちゃんよ?」

 ジュウナの顔にイライラが浮かぶ。吹き出そうな感情を押さえてぶっきらぼうに答えた。


「三匹捕まえた」

「は? 何だって?」

「三匹捕まえたって言ったんだよ」

「三匹? 俺らより早く深緑の森に入ったのに、それだけかよ」

 ジャガイモ面のバッパが唇の端を片方だけ釣り上げてニヤリと笑い、振り返った。数人がかりで引いていた荷車の上、魔獣用の堅牢な檻の中には捕まえたガナーガが四匹、収められていた。

「俺らの方が多いな。やはり経験の差、いや、腕の差かな」

 たった一匹多く捕まえただけで、バッパは誇らしげに胸を張った。

「そーだな。この調子で残りの捕獲もやってくれよ。他に言うことないなら早く自分達の仕事に戻ってくれ。作業の邪魔だ」


 ジュウナ先輩の気の無い返事が野原に落ちる。かちゃかちゃと工具を使う音だけが耳元に残った。

 相手にされていないバッパが、イラついた視線で補佐班をにらんだ。緑の粘液塗れのクラドを見た途端、大きく笑った。鼻を摘んで臭いを退けるように手で扇ぐ。

「だははははは! なんだ新人、ヌルヌルじゃないか。しかも物凄く臭いぞ。生ゴミの中を泳ぎでもしたのか?」

 他のハンター班達も一緒に笑う。ジュウナが作業の手を止めた。舌打をして立ち上がり、クラドを庇うように前へ出た。

「少しだけ丸呑みにされただけだ。別にそこまで笑うことじゃないだろ」

「丸呑み? ガナーガごときに丸呑みにされたのかよ。ははっ、新人使えねー。ルルフ、わかるようにちゃんとやり方を教えてやれよ。あ、教え方が悪いのか」


 更に爆笑。ハンター班の下品な笑い声が、クラドの視線を下げさせた。顔を上げられなかった。何だよハンター班のヤツ。そんなに馬鹿にするなら、補佐班の手を借りずに自分達だけで捕まえればいいじゃないか。

 ジュウナの手元から、鉄が悲鳴を上げたような異様な音。持っているスコップが、あり得ない方向にひん曲がっていた。


 あ、マズイ。


 と、クラドが思った時にはもう遅かった。バッパは宙に舞い、地面に転がった。ジュウナの手が硬く握られ、真っ直ぐ突き出されている。……やっちゃった。

 倒れているバッパに掴みかかろうとするジュウナを、クラドは後ろから抑える。今にも頭から湯気が出そうなジュウナの口から怒声が飛んだ。

「素直に聞いてりゃ言いたい放題言いやがって。テメエら人を笑えるほど完璧に仕事してんのか、ああ?」

 ジュウナはハンター班が捕まえた檻の中のガナーガと、補佐班が捕まえたガナーガを交互に指した。

「魔獣もダンジョンという商品の一部だろうが。客に出す前に傷付けやがって。これじゃ傷が回復するまで仮想敵として使えない。ダンジョンのオープンに間に合わねえぞ」


 ハンター班が捕まえたガナーガ達は弱っていた。鱗が所々剥がれて地肌は傷付いてくる。呼吸も不規則で、苦しそうだ。クラド達が捕まえたガナーガは一つも傷を追っておらず、眠り粉で安らかに寝息を立てている。

「何匹捕まえたか数ばかり気にしてそれでもプロか。やってることが三流以下だぞ。少しは頭使って仕事しろよ。あ、それは無理か。お前ら頭、悪いしな」


「誰が三流以下だゴラアアアッ」

 バッパが顔を真っ赤にして怒鳴った。ジュウナの言葉で他のハンター班にも怒りが広がっていった。

「お前らだよ、お前ら。言われないとわからないのか。忘れないように顔に書いとけ。三流ってな」

「んだとお!」

 

バッパが起き上がって、ジュウナに殴りかかる。それを止めようとする少数のハンター班、一緒になって殴ろうとするハンター班の作業員、クラドを振り解いたジュウナが入り混じって乱闘が始まった。

 ジュウナはハンター班相手に一人で暴れ回り、クラドは巻き込まれて揉みくちゃにされた。止めに入った者は誰かが振り上げた腕がアゴに当たって地面で白目を剥いて伸びている。もう止める人は誰もいない。騒ぎは当分収まりそうになかった。仕事は完全に中断している。クラドは思った。


 今日も残業だ。

 


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