第5章ー4
「北京にいる日本人に既に死傷者が出ているのですか」
斎藤一大佐は慌てて本多海兵本部長に尋ねた。
「慌てるな。まだ、北京から義和団による死傷者が出ているという連絡は来ていない。だが、北京に駐在している柴五郎中佐によると状況はかなり危機的らしい。最悪の場合は、鎮守府海兵隊が大使館警護のために必要と考えるという意見具申が電報で届いている」
本多海兵本部長は答えた。
柴五郎、その名前を聞いた瞬間、斎藤一は記憶の片隅のどこかが騒ぐのを覚えた。
誰だ、どこで聞いた名前だ。
子どもの頃からの記憶を斎藤一は駆け足で探った。
子どもの頃の知人じゃない、新選組の仲間でもない、では、一体誰だ。
戊辰戦争、会津、斗南と斎藤一の記憶が駆けて、そして、たどり着く。
斎藤一は自分の大声で我に返ることになった。
「お願いします。その役目は佐世保海兵隊にお願いします。今度は、柴五郎中佐を助けます」
気が付くと自分が落涙しているのに斎藤一は気づいた。
30年以上前の悔恨が胸によみがえった。
自己満足に過ぎないのは自分でもよくわかっている。
だが、今度は柴五郎中佐の下に何としてもたどり着いて見せる。
あの時のような思いは二度としたくない。
柴五郎中佐は会津の出身だ。
そして、会津鶴ヶ城落城の場に柴中佐はその時はまだ少年だったがいた。
その時に自分たちは会津鶴ヶ城を助けられずに終わってしまった。
また、柴中佐に落城の悲哀を味あわせるわけにはいかない。
あんな思いはお互い一度だけで充分すぎる。
「やれやれ、4人目、いや5人目だな」
本多海兵本部長が何とも言えない声を上げた。
「自分も含めてだがな」
斎藤一は思わず本多海兵本部長の顔を見た。
涙のせいで潤んで見える。
「柴中佐からの電報が海兵本部に届いてから、柴中佐を助けたいと叫んだ人間の数だな。まず、私がその電文を読んで、海兵隊の本格派遣準備を叫んでしまった。次に、林忠崇軍令部第3局長が、柴中佐からの電文を読んで、戊辰戦争の時に会津を見殺しにしてしまった。今度は助けたいと叫んだ。そして、北白川宮殿下が、柴中佐は何としても助けないといかん、戊辰戦争の後悔をまたしたくない、万が一の際は海兵隊は全力で北京の日本人を救援すると宣言した。その後で、横須賀海兵隊の内山小二郎大佐が同期の誼で助けに行くと叫んだ。斎藤大佐は5人目になるな」
斎藤一は思わず思った。
内山大佐は別として、戊辰戦争で実戦の経験のある海兵隊の提督、全員が柴中佐のことから会津の悲劇を思い出している。
考えてみれば、当然のことだ。
全員が会津の味方として戦い、そして、悔いをあの戦いで残していたのだ。
自己満足に過ぎない、柴中佐がいるのは北京であって会津鶴ヶ城ではない。
しかし、万が一が起こったら、今度は何としても助けてやる。
海兵隊は何としても北京にたどり着いて柴中佐たちを救ってみせる。
海兵隊の幹部は一致結束してそう考えているのだ。
「では、北京に」
斎藤一は喜色を浮かべた。
「気持ちは分かるが、佐世保海兵隊は台湾から帰ったばかりだ」
本多海兵本部長は斎藤一をたしなめた。
「横須賀海兵隊からとりあえずは送る。山県首相からも当面は海兵隊1個中隊しか清国には派遣しないと言われている」
斎藤一は不満の色を示した。
何故に海兵隊は総力を挙げて北京に行けないのだ。
「おい、おい、仮にも清国の首都だ。現状で日本の軍隊が大部隊で正面切って入ってよいわけはないだろう」
本多海兵本部長は言った。
「だが、海兵隊が総力を挙げないといけない時が来るはずだ。佐世保海兵隊の準備を整えてくれ。戦時体制の際に欲しい部下はいるか」
斎藤一は2人の名を挙げた。
本多海兵本部長はそれを了承した。
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