幕間3-5
「君には辞表を書いてもらう」
1895年の年末のある日、山県陸相は石黒医務局長を陸相室に呼び出して事務的な口調で言った。
石黒医務局長は自分の耳を疑った。
森に脚気惨害の全責任を押しつけて済ますつもりだったのだが、それでは済まないのか。
山県陸相は淡々と話を続けた。
「台湾の一件は、陛下のお耳にまで届いていて、大御心を大変痛められている。陸軍は何をしている、海兵隊のような対策が何故講じられないのか、特に近衛師団の将兵は私の赤子の中の赤子ではないのか、と私は直接、陛下からお言葉を受けた。私は返す言葉が無く、ひたすら頭を下げるしかなかった。陸軍内の怨嗟の声も強くなる一方だ。陸軍に徴兵されたら、白米を腹いっぱい食べられる代わりに死ぬぞ、という噂まで巷では流れ出した。実際問題として」
そこで、山県陸相は言葉を切った後、腹の底からの怒声を石黒医務局長に浴びせた。
話す内に怒りを迎えられなくなったらしい。
「大体、近衛師団の将兵4割近くを戦病死させるとは何事だ。近衛第1旅団長の山根少将を戦病死させ、近衛師団長の小松宮大将まで危篤に陥らせたではないか。近衛師団の将兵が、陸軍省医務局は台湾民主国軍の味方だというのも当然だ。第2師団や第4師団の将兵にも多数の戦病死者が出ていて、年内に戦病死者は1万に達する見込みだ。戦病死者の比率は台湾に派遣した人員全体の15パーセントに達する。規模が違うから単純比較はできないが、20年前の台湾出兵時とほぼ同等の戦病死者率ではないか。何一つ改善がなされていないと言われても仕方がない。その一方で、海兵隊の戦病死者は全体の1パーセントほどに過ぎない。同じ戦場で戦っているのに10倍以上も違う。これほどの被害の違いがあっては、陸軍の面子は丸潰れだ。お前にも面子があるだろうから、せめてもの慈悲としてお前に辞表を書かせてやる。辞表を書くのは拒否するとお前がいうのなら、免職処分を発令するまでだ」
石黒医務局長は山県陸相の怒声を聞き、黙然と頭を垂れて、辞表をしたためだした。
脚気問題について陸軍省医務局が完全に海兵隊、いや海軍省医務局に敗北した瞬間だった。
森陸軍一等軍医正は、陸軍を懲戒免職処分で追放された後は作家業に専念し、森鴎外の筆名で珠玉の作品群を遺して、明治の文豪の1人として後世に名を遺した。
作家業に専念するようになった後の生涯の中で軍医時代のことは、森鴎外は作品等では一切触れなかった。
森鴎外の葬儀の際、陸軍関係者は親友の賀古鶴所以外は誰も来なかったという。
陸軍の脚気惨害の最大の戦犯として、陸軍省医務局の編纂した資料の中で名指しの批判をされていては、陸軍関係者は葬儀に参列するのもためらわれたのだろう。
森鴎外自身は陸軍の脚気惨害の責任について自分にすら何も弁解をしなかった、と森鴎外の死後に賀古は周囲の人に語った。
おそらく、何を言っても聞いてもらえないと本人自身諦めていたからだろう、と賀古は推測を周囲に語った。
幕間3の終わりです。
次から第5章に入ります。
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