幕間3-4
1895年の秋が来た。
陸軍省医務局の雰囲気は重苦しいを通り越して、窒息しそうな雰囲気になっていた。
陸軍省医務局にとって台湾の戦況は最早、絶望的だった。
連日のように数十人単位の戦病死者が報告され、ある日は100人を超えることさえあった。
軍事機密であるとして報道管制を敷いているが、それにも限界がある。
一方の海兵隊はこれ見よがしに脚気患者が0であることを公表し、更に戦病死者が出るたびに数を発表している。
何故、陸軍は公表しないのか、という新聞記事は増える一方だった。
更に内部からの突き上げも酷くなっていた。
陸軍省医務局の幹部の1人に言わせれば、近衛師団の若手士官の陸軍省医務局に対する抗議行動は、陸軍への反乱で鎮圧されるべきものだったが、それに同調する幹部は佐官クラスどころか、将官クラスにまで広がる一方だった。
特に小松宮陸軍大将が完全に近衛師団の若手士官に同調したのが大きかった。
小松宮大将自身が脚気とマラリアの併発により意識不明の重体に一時陥る有様で、回復後に自ら率いる近衛師団の兵の惨状に心を痛めるとともに、陸軍省医務局に対して激怒したのだった。
この戦況から、石黒医務局長は医務局自体を護るための犠牲が必要だと考えた。
幸いにも恰好の犠牲がいた。
「森陸軍一等軍医正、出頭しました」
「入りたまえ」
石黒医務局長は、扉の向こうから聞こえてくる声に返答した。
森林太郎は入室と共に敬礼した。
「君は本日付で懲戒免職だ」
石黒は冷酷に告げた。
「分かりました」
森は声を震わせながら返答した。
医務局長室に呼ばれた時点で覚悟はしていた。
「理由は聞かないのか」
「自分でもわかっていますから、ただ一言だけ、あの陸軍兵食試験は脚気とは無関係です」
「ふん」
石黒は鼻を鳴らした。
森は内心で石黒を罵倒した。
確かに自分はドイツに留学して脚気を研究した経験もある。
更に、陸軍の兵食として何が良いかを自分は研究して、陸軍兵食試験を行って、陸軍に対して白米食を勧めた。
そういったことから、自分が陸軍内の脚気の流行について詰め腹を切らされるのは分からないでもない。
だが、あれは脚気対策のために研究したのではなく、最新の栄養学的に何が陸軍の兵食にとって良いかを研究しただけだ。
それを脚気に対してもよいと曲解して言いだしたのは、石黒局長、あなたではないか。
一方の石黒は、森の顔を見ながら考えた。
これで、こいつを陸軍から追い出せる。
一石二鳥だ。
ドイツで勉学に励んできたというが、脚気対策一つ満足にできない無能な奴だ。
勉学に本当に励んできたのかも怪しいものだ。
日本に帰国したこいつの後を追って、ドイツの女性が日本に来たのは有名な話だしな。
それに作家活動もやっている。
そんな暇があれば、本来の職務である軍医の活動にもっと力を入れるのが当然だろうに。
「では、今日中にこの建物から荷物をまとめて出て行きたまえ」
「分かりました」
石黒の最後の一言に森は精いっぱいの自制心を働かせて退室した。
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