第1章ー3
前話の続きです
「と言われると」
林大佐は大鳥公使に続きを促した。
「幕末から明治維新の日本を思い出してほしい。それまで、外国と言えば清、朝鮮、オランダしか事実上なかったのに、イギリスやアメリカ、フランス、ロシア等が乗り込んできて、外国との貿易が大々的に始まった。これまで、そんな商売はしていなかったわけだ。日本は散々、外国に搾り取られたじゃないか」
「そういわれればそうですね。金と銀の交換比率が違ったので欧米には濡れ手で粟の大儲けまでされました。更に関税自主権が無いから、外国からの輸入品が安いままでどんどん入ってくる。私は大名だったのでそんなには知りませんが、家臣からはどんどん物の値段が上がって困り、苦しんでいると聞かされました。実際に手元がどんどん不如意になりましたよ」
「朝鮮でも似たようなことが起こった。朝鮮にはそう売れるものがない。主なものは米とか大豆くらいかな。その一方で、輸入がどんどん膨らんだ。朝鮮国内品より安い綿製品等を日清の商人が朝鮮に売りつけたんだ。どうなると思う」
「嫌な想像が膨らみますね」
林大佐が考え込んだ。
「私なりの理解で言うならば、米や大豆がどんどん値上がりしそうですね。何しろ、金が日清に流れ出ていき、金不足になる。その一方で、米や大豆が外国に売られていく。米や大豆が不足します」
「林大佐の言うとおり。朝鮮の庶民はどんどん困窮していく。何しろ、食べる物が値上がりしたら、どうにもならない。1889年には防穀令を巡る事件まで起こって、去年まで処理に苦しむ羽目になった。おまけにな、日本の商人は俺の目から見れもあくどい。防穀令の時を例に挙げると、朝鮮側の主張は日本の商人の損害は5万円、日本公使館の調査では6万円なのに、日本の商人は全部で14万円の損害の主張をして、11万円からびた一文負けられませんの主張だ。更に日本の新聞まで日本の商人の主張を支持し、朝鮮のいう涙金で済ませるのは国辱だと叫ぶ始末だ。本気で朝鮮で商売する気なら、一時は損をしても後で得を取ればいいでやるべきだろうに。こんなことをしていたら、朝鮮国内に反日が広まるばかりだ」
「物の値段が上がるのは日本のせいだと叫ばれたら、嘘でも無条件で信じる人が多数出そうですね」
林大佐はため息を吐いた。
「そこに閔氏政権の腐敗が加わる。俺の目から見ても、閔氏政権の腐敗は酷い。官職まで売買する始末だ。そうなると買った官職で儲けようとする輩が多数出てくる。どうやって儲けるかというと当然、賄賂や不正な課税だ。元々は東学党は単なる宗教団体で、決して過激な団体でない。最近、立て続けに朝鮮では日本の百姓一揆と同様に不当な課税や腐敗官僚に怒った農民が蜂起している。誰の責任だということになる。腐敗官僚たちは甘い汁を吸い続けたいから、他人に責任を押しつけることにした。東学党のせいです、と上層部に報告した。東学党は事実無根だ、と言ったが、政府は聞いてくれない。それならばと東学党の過激派が武装蜂起したのさ」
「それがあっという間に大反乱に発展したのですか。ここまで下地があったら当然としか思えませんが」
林大佐はため息を吐いた。
「ここまで噛み砕いて長々と説明したのでよくわかったろう」
大鳥公使は林大佐を見つめながら言った。
「よくわかりましたよ。どうにもならない状況だということが」
林大佐は何度目か自分でも分からなくなったため息を吐いた。
「本当に逃げ出したくなるような惨状ですね」
「真っ当な政権なら、きちんと対処してここまでになることはないはずなんだ。それなのに国内での政権抗争や腐敗が酷くてまともな手が打ててこなかったツケが膨らみまくってここまで行ってしまった」
「それで、我々はどうするのです」
「最善を尽くすしかないな」
大鳥公使は何とも言えない表情で林大佐に応えた。