第4章ー4
「小隊長、本当にキニーネは飲まないといけませんか?」
「飲め、飲めと言ったら、飲め。林大佐、いや北白川宮殿下からの命令だ」
「分かりました。それにしても苦いし、副作用もきつくて」
「気持ちは分かるが、マラリアにかかるより遥かにマシと思え。20年前の台湾出兵の悲劇を繰り返すわけにはいかんのだ」
「はっ」
漢城から仁川に移動し、仁川から台湾に向かう船上でこういった会話を何回、繰り返したろうか、土方中尉は部下と何回もキニーネ服用について話し合う羽目になっていた。
あの6月1日の会議の際にいろいろと出た多くの意見の中で徹底されたのは病気に対する予防だった。
台湾出兵の際の資料等が会議で提出されて検討され、多くの士官が深刻な顔をして疫病対策に目の色を変える羽目になった。
「わしには医師の経験がないから、マラリア治療に献身した古屋提督の真似はできんぞ」
会議中の林大佐の一言が悪すぎる冗談だとあの会議後に士官のひそひそ話になったくらいだった。
そして、この結果か、土方中尉は内心でため息を吐いた。
キニーネをマラリア予防対策として全員が予め飲む。
飲まない兵が出ると困るので、相互監視の下、分隊全員が一斉に飲むということになった。
小隊長以上は中隊長の監視の下で一斉に飲む。
その時、中隊長も飲む。
参謀は参謀同士で、海兵隊長は副官とで相互監視で飲む。
大体、こんな感じである。
キニーネは本当に苦く、頭痛、発疹、吐き気等々の副作用が強いので、兵は飲みたがらない。
士官自ら率先垂範することになったのだが。
斎藤一少佐自身が
「これは新選組の拷問に使えたなあ」
とこぼし、
「悪い冗談ですが、確かに拷問に使えますね」
と土方中尉が返すようなきつさだった。
更に生ものの飲食は台湾出征中は厳禁ということになった。
水も一度沸かして、湯冷ましで飲め、という指示が出た。
実際には薪の確保等から、水までは困難だと思われたが、できる限り湯冷ましということになった。
そして、厳禁と言われると食べたくなるのが、人情と言うもので刺身が夢に出てくると兵がこぼした。
台湾から日本に帰国したら、すぐに刺身を飽きるまで食べまくるぞ、と土方中尉は台湾上陸前から既に固く決意していた。
6月16日に基隆港に到着した海兵隊は物資の揚陸等を行った。
5月29日に澳底に上陸作戦を展開した近衛師団により、基隆、淡水、台北は既に日本の占領下におかれており、台湾民主国の唐総統は厦門に逃亡していた。
このために一部の日本軍の指揮官からは、容易に台湾全土が制圧できるのではと言う楽観論が出るくらいだった。
だが、清仏戦争で勇名を馳せた劉永福将軍は尚も台湾民主国軍を率いて台湾独立維持のための抗戦を決意しており、10万近い兵も多くが劉永福将軍の下で健在で、台湾の住民の多くも台湾民主国の旗の下に集っていた。
まだ、日本は台湾の僅か一部を制圧したに過ぎなかった。
6月19日、海兵隊も参加し、近衛師団を主力とする日本の台湾全土接収作戦が発動された。
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