第4章ー2
「この忙しい中、当直以外の全士官が集まり、このような会議が開けたことを嬉しく思う。日清戦争開戦前に横須賀海兵隊が漢城に派遣されて以来、ほぼ1年近く海兵隊は日清戦争で戦い抜いた。東学党の乱の武力鎮圧、遼東半島での清国軍との死闘等において、我が海兵隊の武威は十二分に示された。特に私が海兵隊の誇りとしたいのは、敵の捕虜に対する虐待が行われず、民間人に対する武力行使ができる限り控えられたことだ。フランスの新聞においても、このことが賞賛され、また、海兵隊は今も生き残っている将軍のサムライだと賞賛されたと私は仄聞している。今後とも、この美徳を皆に維持してもらいたい。そして、遼東半島還付を屈辱だ、何故、占領地を返還せねばならなかったと非難する者もいるだろう。だが、皆に改めて伝えねばならない。今の我が日本の実力では、遼東半島確保など夢物語なのだ。台湾の割譲ですら、フランスが介入の意向を示しかけたという。清国の首都、北京の咽喉元を扼す遼東半島の割譲を求めたりしたら、英仏露の嫉視を招き、朝鮮半島の確保すら英仏露の介入により覚束なくなるだろう。臥薪嘗胆ということわざもある。今は仕方がない。だが、将来は分からない。日本の国力を努力して伸ばし、今の無念をいつか晴らそうではないか」
北白川宮殿下のお言葉が終わった。
土方中尉は思った。
何故、遼東半島を還付せねばならないのか、疑問を覚えていたが、英仏露が介入しようとしていたからなのか。
それなら仕方ない。
今の日本には北白川宮殿下がおっしゃられるように英仏露の介入をはねのける力はない。
それにしても、台湾の割譲ですら、フランスが介入しようとしていたのか、遼東半島の割譲は英仏露の介入を招くという判断は誤っていなかったと思わざるを得なかった。
「続けて、最新情勢の報告と行動計画の会議を行う。佐世保海兵隊と舞鶴海兵隊の士官は先に退出するように」
林大佐が指示を下した。
横須賀海兵隊と呉海兵隊の各所属士官、佐世保海兵隊長の一戸中佐、中村中佐転任により着任した舞鶴海兵隊長の斎藤実中佐と北白川宮殿下以外の士官は全員、一時退出した。
「今から、台湾の最新情勢を説明する。いや、全くひどい状況だ」
北白川宮海兵本部長自らの説明が行われることになった。
会議後に土方中尉が噂で聞いた話だと、台湾情勢のあまりのひどさに北白川宮殿下は心を痛め、自ら台湾に赴く海兵隊員に情勢等を説明しようと決断したという、それもあながち嘘ではないなと土方中尉が思わざるを得ない状況が起こっていた。
「李鴻章は台湾の割譲を下関条約締結まで台湾に全く知らせなかったようだ。そのために下関条約で日本に割譲されると知った台湾全土で抗議運動が巻き起こってしまった。そして、住民の多くが武装蜂起を決断してしまった。5月23日に台湾民主国として台湾が独立を宣言したという情報が入っている。フランスの介入にしても全くの夢想ではない。実際、日清戦争中からフランスはいろいろと策動しており、フランスの軍艦が台湾に常駐し、いざ日本艦隊が台湾に来襲したときには清国側に立ってフランスが参戦するのではと観測する動きまであった。だが、フランスの行動について英露の理解が得られず、マダガスカルの領有を優先することをフランス本国が決断した結果、今のところはフランスの介入は阻止されてはいるが、とても安心はできん。速やかに台湾を接収する必要があるが、陸軍は近衛師団と海兵隊だけで足りると思っておるようだ。だが、軍令部第3局の分析だと最低2個師団はいる。約300万人の住民が武装蜂起したら、近衛師団と海兵隊で何とかなるわけがない」
北白川宮殿下の口調はいつもに似合わず、辛辣極まりなかった。
そのために却って会議の参加者に事態の深刻さを痛感させていた。
長くなったので分けます。
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