第3章ー24
李鴻章は苦悩していた。
そもそも国外に講和使節が呼び出されたのさえ屈辱なのに(これまでのアヘン戦争等の講和条約締結は全て清国内で行われていた。)、本土である遼東半島の割譲さえ日本には求められている。
かつて英国に譲渡した香港や九龍半島は北京から遠く離れたある意味僻地であったが、遼東半島は清国の故地であり、更に北京の咽喉元を扼す要地である。
そこを豺狼のような日本に譲渡するくらいなら、3億両の賠償金を受け入れた方がマシなのではないか、とさえ思える。
小山とかいう日本の壮士に銃撃を受けたことによる痛みでさえ、この苦悩による痛みより遥かにマシだった。
かといって、遼東半島を譲渡しないのなら、いよいよ北京を舞台にした首都決戦を清国は挑むしかなかった。
勝算は無くもないと李鴻章自身は判断していた。
幾ら日本軍でも銃弾より多い清国軍は防げない。
清国兵10人と引き換えに日本兵1人を殺していけば、日本軍の方が先に崩壊する。
だが、その代償として、おそらく清国は完全に崩壊し、自分の率いる北洋軍閥は消滅して、自分は仮に生き延びても完全に失脚するだろう。
それは自分には我慢できないし、西太后や光緒帝も日清の相撃ちという結末は望むまい。
列強に片っ端から日清講和に際して介入の要請をしているが反応は芳しくない、どうすればこの苦悩から免れることが出来るのだろう、
そんなことを想いながら、4月15日、李鴻章は伊藤首相や陸奥外相との日清戦争の講和条件の会談に赴いていた。
「日本は遼東半島の割譲という要求を撤回する用意があります」
会談の冒頭で、伊藤首相の第一声を聞いた瞬間、李鴻章は苦悩が全て吹き飛ぶ思いがした。
一体、何があったのだろうか。
「ただし、次に述べることが条件です。朝鮮の完全独立を清国が尊重することの証しとして、朝鮮に関して清国が保有する情報や清国との交渉内容を少なくともここ20年、できたら30年分について完全に日本に公開していただきたい。そして、賠償金については2億4000万両は支払っていただく。勿論、台湾、澎湖諸島の割譲は譲れません。これが条件ですが、いかがでしょうか」
伊藤首相は畳みかけた。
李鴻章はしばらく考えた。
遼東半島の割譲を日本が諦めてくれるのなら安い条件だ。
最早、清国には朝鮮に介入できる実力は無い。
それに、あの二枚舌、三枚舌の朝鮮王室と朝鮮政府には清国はこれまで散々振り回されてきた。
縁を切るいい機会だろう。
「いいでしょう。その条件を受け入れましょう。少なくとも、私が把握している朝鮮の情報や交渉内容は残らず日本に明かしましょう。ですが、それは秘密条項の内でお願いしたい。清国にも外交上の信義の問題があります」
李鴻章は言った。
それを聞いた陸奥外相は思った。
日清講和に際して、列強の介入をさんざん依頼していた清国に外交上の信義があるものか、そして、朝鮮王室のことを思った。
自業自得とはいえ、清国に完全に見捨てられたか。
「それでは、基本線は合意できたということでよろしいですな」
伊藤首相は言った。
「ええ、合意できました」
李鴻章は満足した。
少なくとも遼東半島の割譲は阻止できた。
2億4000万両の賠償金は高額だし、台湾、澎湖諸島は割譲しなければならない。
それでも、本土は護れた。
一方の伊藤首相や陸奥外相もほっとしていた。
これで朝鮮半島は日本の勢力下に完全における。
列強の介入は無いだろう。
今はこれで満足すべきだった。
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