第3章ー4
「そんなに雪が降らないのが救いだが、それにしても地面まで凍っている。塹壕を掘るのも一苦労だ」
土方中尉はつぶやいた。
「気象担当からの連絡によると、今日も最高気温が氷点下になるとのことです。塹壕を掘るために爆薬の使用許可を願います」
部下の下士官が報告した。
「必ず工兵中隊と協力してからやれ。事故は許されん」
「はっ」
下士官が命令を受け、工兵中隊の下へ行く。
工兵中隊は引っ張りだこの状態なので、爆薬を使用した塹壕の準備がいつになるのか、土方中尉としては不安を覚えるが仕方がない。
部下はいろいろ苦労して塹壕を掘ろうとしている。
1人用のいわゆる蛸壺ですら掘るのは一苦労だ。それを更につながった塹壕にしなければならない。
土方中尉は頭が痛くなる思いがした。
1月13日に海城に到着してから、海兵隊は末端に至るまで多忙だった。
桂中将は、海兵隊の装備に衝撃を受け過ぎたのか、西北の牛荘城方面への敵に海兵隊を対処させることにした。
海城は日本軍の戦線全体からみると完全に突出しており、東南以外は清国軍に遠巻きに包囲されていると言ってよかった。
そのような状況下、清国軍の反撃は主に西北の牛荘城方面から来ると考えられており、実際に12月17日には西方からの攻撃に備えて、攻勢防御の一環として缸瓦寨の戦いも行われていた。
初陣の舞鶴海兵隊の将兵はこのことを誉れと喜んだが、実戦経験を積み重ねた横須賀海兵隊の将兵の判断は決して好意的なものではなく、激戦を予感して彼らは身構えた。
「一応、第3師団の将兵が汗水たらして作っておいてくれた塹壕等の陣地はあるが、満足のいくものではないな。我々で陣地の強化工事が必要不可欠だな」
斎藤少佐が各小隊の陣地構築作業を見回る途中、土方中尉率いる小隊の作業を見ながら言った。
「仕方ありません。我々は十分な冬季装備を揃えてから、ここまで来られましたが、第3師団は冬季装備も不十分なまま海城まで進撃していたのです。多数の凍傷患者が出ているとか、それを思うと仕方のないことでは」
土方中尉は答えた。
「十分な装備を揃えてから進撃するのが当然だ。それをしないのは無能の証しだ」
斎藤少佐は言った。
「それにしても寒い。50歳になった身には応える。土方中尉は屯田兵村の出身だったな。寒さには強いだろうな」
「寒さには慣れているというだけで、強いというわけではありません」
「慣れているだけでもマシだ。最高気温が氷点下だと。それも連日、続いている。斗南に住んでいるときも寒かったが、ここまで寒くは無かった」
斎藤少佐の目が思わず遠くを見た。
「岸大尉もぼやいていた。ここまで大陸は冷えるのですねとな。こんな中で陣地構築作業とは地獄の苦しみですともな」
「それはまた。共感できる部分が多々あります」
土方中尉は言った。
「新選組の旗の下で戦った時には、こんな寒風の吹きすさぶ大陸で自分が戦うことなんて想像したことも無かった。中尉の父上が生きておられたら、何と言うだろうな」
斎藤少佐がぽつんと言った。
「何というでしょうね」
土方中尉にとって、父は7歳の時に死別した存在だった。
自分よりも斎藤少佐の方が父については詳しいのではないか。
斎藤少佐と土方中尉は思いを巡らせた。
「ともかく陣地構築に努力してくれ。清国軍の反撃が近いという情報もある」
斎藤少佐はそう告げると次の小隊の陣地構築作業の見回りに赴いた。




