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第3章ー1 北京への進撃と下関条約

 1895年の正月を海兵隊は漢城に集結して過ごすことになった。

 とはいえ、過ごせるのは元旦だけである。

 2日には遼東半島方面への増援のために2個海兵隊が出発することになっている。

 1月1日付の昇進辞令の交付式を漢城でまとめて執り行うという名目で海兵隊は漢城にいた。


 だが、もう一つ理由があった。

 朝鮮政府に対する威圧及び朝鮮国内の治安維持任務を行う部隊と、遼東半島方面へ向かう部隊とをどう編成するか、現地の幹部間で顔を合わせて意見のすり合わせをしておく必要があったからである。


「今度は舞鶴を前線で働かせてほしい」

 舞鶴海兵隊長の中村覚中佐は、懸命に訴えた。

 懐には舞鶴海兵隊に所属する士官一同の嘆願書が入っている。


 横須賀、佐世保の海兵隊は公州で大勝を収め、呉海兵隊も協働して1月ほどで朝鮮半島南部を制圧してしまった。

 故郷からの手紙によると、横須賀、佐世保の海兵隊の働きぶりは加藤清正や立花宗茂といった朝鮮出兵時の名将を超えるとまで言われているらしい。

 舞鶴もそれに匹敵するだけの働きぶりを示さないと故郷に帰れないと舞鶴海兵隊の士官の多くが訴えていた。


 中村中佐も同様に考えていた。

 一戸があれだけの戦功を挙げているのだ。

 自分も戦功を挙げたい。


「確かに一理あるな」

 林大佐は言った。

 佐世保や呉は前線で働いたが、舞鶴はまだ働いていない。

 後、もう一つ考えることがあった。

 年齢や階級の問題である。


 自分が最年長のうえ唯一の大佐なので、総指揮を執るのは問題ない。

 だが、後が問題である。

 中村は一昨年に中佐になっているし、年齢的にも自分の次である。

 佐世保海兵隊長の一戸がそれに続き、呉海兵隊長の内山が最年少で共に日清戦争勃発に伴い、少佐から中佐に昇進している。

 となると中村が次席になる。


 自分が漢城に残り、中村を遼東半島に向かわせると必然的に中村が2個海兵隊の指揮を執ることになるが、遼東半島の冬季戦で陸軍が苦戦していることを考えると中村の指揮では不安があった。

 林自ら行った方が安心だった。

 それに中村も自分の命令なら従うだろうが、一戸や内山の意見具申を逸っている中村が聞き入れるかと言うと疑問があった。


「佐世保は朝鮮の治安維持に当たってもよいと考えております」

 一戸が発言した。

「佐世保が睨みをきかせていれば、東学党農民軍の残党も再挙兵をためらうでしょう」


 一戸は思った。

 中村中佐が逸るのも分かる。

 自分の先輩で共に西南戦争に従軍経験もあるからな。

 既に自分たちは戦功を挙げている。

 今回は譲ろう。


「それなら呉も漢城に残りましょう。佐世保と協力して朝鮮の治安維持に当たります」

 内山が言った。

 内山は人格円満で知られた存在である。

 会議の雰囲気やそれぞれの立場を推察し、後方警備に自分たちが志願するのが相当と考えて発言した。

 一戸と内山の援護射撃に林は内心で感謝した。


「それでは、横須賀と舞鶴が明日、遼東半島へ向けて出発し、佐世保と呉が朝鮮半島の治安維持に当たることにする。各部隊はそれぞれ任務に精励するように」

 林大佐が断を下した。

 林以外の各海兵隊長は揃って肯いた。

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