幕間2-5
帰京した斎藤少佐は、本多海兵本部長に復命した際に、今回のことは全て忘れるようにと本多海兵本部長に厳命され、軍人としての勘からそれを素直に受け入れることにした。
そのため、斎藤少佐は今回の真相を生涯知らずに終わった。
本多海兵本部長は、犬養議員の議会発言を報じる新聞記事を読んで思った。
主な新聞も揃って犬養議員を支持しているようだ。
確かに清国と戦争をしたのに、朝鮮の果実を英露にさらわれるかもと言われては主な新聞も犬養議員の味方になるだろう。
後は、林大佐と井上公使の間で清算してもらおうか。
本多海兵本部長は思った。
斎藤少佐に真相を話せないのが残念だ。
海兵隊の退役提督である大鳥公使の経歴に傷をつけた陸奥外相にこれくらいのお返しは許される範囲だろう。
「朝鮮政府に対する政府借款に前向きの発言を議会で陸奥外相はしたらしいな。わしに対しては政府借款はしないと言っておきながら、けしからん話だ」
井上公使が林大佐に語りかけた。
「陸奥外相の掌返しはいつものことですから。大鳥公使も嘆かれていました。朝鮮王宮を武力で制圧しろと煽りながら、いざとなったら現地に責任を押しつけ、大鳥公使を依願退職処分ですからね」
林大佐は目をそらしながら言った。
「林も犠牲になった1人だな。それ以上は今回のことについて、わしは追及せずにおこうか。ところで何かしてほしいことは無いか」
「ちょっと朝鮮の穀物を買いあさりたいのですが、お金を出していただけないでしょうか」
「多少なら融通してやろう。どうせ陸奥外相が払うことになる」
「ありがとうございます」
林大佐は井上公使に心から感謝した。
「日本政府は朝鮮政府に対する政府借款に前向きです。1000万円までなら何とかしようとのことですが、足りるでしょうか」
井上公使は金弘集に語りかけた。
「ありがとうございます。500万円の借款を受けられれば、と思っていました。それがその2倍とは感謝しても感謝しきれません」
金弘集は頭を下げた。
「ただし、条件があります」
「何でしょうか」
金弘集は不安げに問いかけた。
「今回の借款は主に官吏に対する俸給支払いのためと聞きました。日本からの借款はきちんと官吏の俸給支払いに充てていただきたい。そして、私に使途を報告していただきたい。また、これだけの借款を受けて官吏の俸給を支払うのです。当然、賄賂等の朝鮮政府の官吏の腐敗は根絶していただきたい」
「当然のことです」
金弘集は力強く同意した。
「官吏の腐敗は断じて許されません。賄賂等無くとも暮らせるように下層の官吏の俸給は上げようとも考えています。1000万円もの借款がある以上、多少、下層の官吏の俸給を上げても何とかなります」
「それから、250万円は即座に借款を行いますが、残りは30万円ずつ月々25回に分けての借款でお願いしたい」
「それは」
金弘集は思った。
まずい、日本政府からの改革要請を拒みづらくなる。
拒むとそれ以上の借款が受けられなくなるという圧力をかけられることになる。
「何か問題でしょうか。返済期限を定めず、無担保で年3分という低利での借款です。これ以上の条件を提示してくれるところがありますか。当面は利息のみの返済で良いのですよ」
金弘集は観念した。
井上公使の誘いは悪鬼の誘いだ。
だが、悪鬼しかこの世にはいないのだ。
日本政府の借款を受け取り、改革要請を受け入れるしかない。
そして、朝鮮の官吏は、金弘集は思いを巡らせた。
多くが日本政府にすり寄るだろう。
俸給をきちんと払ってくれる日本政府と俸給なぞ払う必要がないという朝鮮の王室、官吏にとってどちらに味方すればよいか、火を見るより明らかだ。
「その条件でお願いします」
金弘集は頭を下げざるを得なかった。
「それでは借款を行いましょう」
井上公使は意気揚々と言った。
幕間2はこれで終わりです。
次から第3章に入ります。




