プロローグー4
大鳥圭介公使は5月4日に朝鮮からの帰国の途に着き、帰国して早々に陸奥宗光外相に朝鮮の最新情勢について報告した。
更に陸奥外相から把握している限りの詳細な報告書の提出を大至急、求められたこともあり、それを作成する必要も生じた。
こうしたことから、古巣の海兵本部に顔を出せたのは、5月20日になってからだった。
海兵本部では、本多海兵本部長と北白川宮海軍軍令部第3局長が揃って出迎えた。
「退役した元提督が来ただけなのだから、海兵の長が2人揃って出迎えることはないだろう」
大鳥が言った。
「そういうわけにはいきません。海兵隊の大先輩ですし、近々、朝鮮へ海兵隊が同行して行くかもしれませんからね。詳しい話を直接、伺っておかないと」
本多海兵本部長が言った。
「それもそうだな。それにしても楽隠居するはずだったのに、うまくいかないものだ」
大鳥が少し愚痴った。
大鳥が海兵隊を退役したのは、1883年のことだった。
退役と同時に海兵隊少将に昇任している。
西南戦争の功績からすれば、それ以前に少将に昇進してもおかしくはなかったが、当時の海兵隊は現役時に少将に昇任しても就ける役職が無かったことから、こういう措置が採られたのだった。
大鳥としてはそのまま楽隠居を決め込みたかったらしいが、西南戦争で活躍した提督をそのままでは周囲が放っておかなかった。
榎本武揚とは幕府時代から親交があり、山県有朋を通じて長州閥からは好意的な視線も大鳥は送られていた。
元々旧幕府系だから藩閥からは中立と周囲からも見られている。
こうしたことから、元老院議官に推薦されて就任したり、5年前の1889年には清国公使に就任したりする羽目になったのだった。
そして、今や朝鮮公使まで兼任することになっていた。
「ここだけの話にしてくれ。仮に漏れたら、俺は言ってないことにするぞ」
大鳥は言った。
勿論、海兵本部長室には本多海兵本部長と北白川宮第3局長しかいない。
2人は肯いた。
「陸奥外相は本気で清国との戦争を考えている。伊藤首相の意向に完全に背いているがな」
2人は目をむいて、絶句した。
気を取り直して、本多海兵本部長が言った。
「そこまで陸奥外相は考えているのですか」
大鳥は黙って肯くと続けて言った。
「陸奥外相は、条約改正問題で自分の責任を追及されるのを怖れている。勿論、陸奥外相が日本の国益を考えていないというわけではない。だが、自分の失敗を日清戦争で糊塗したいのは間違いない」
「そんな状況なのですか」
北白川宮第3局長がようやく言葉を絞りだした。
「それに清国も一部が開戦を望んでいる。厄介なのは、このことが日本を利していることだ。日本ではどうのこうの言っても内閣で決断したら、日本国内は一丸となって対処する。しかし、清国では意思決定機関がばらばらだ。光緒帝の周りは開戦派が固めているが、西太后や李鴻章は非戦派だ。だから、今、日清開戦となったら、日本は清国の全力と当たる心配はしないで済む」
大鳥は言った。
「厄介な状況ですな。日清戦争を海兵隊としては望んでいないのに」
本多海兵本部長は思わず嘆いた。