第2章ー17
公州から全羅道へ横須賀海兵隊と佐世保海兵隊は適宜、部隊を分離しては東学党農民軍の集団を追い散らしつつ前進した。
林大佐はこの行動を巻き狩りに例えた。
ともかく最終的には東学党農民軍の集団を全羅道の西南端に追い込むのだ。
一部、いや過半数以上が郷里の村に逃げ込んでしまうだろう。
だが、そうやって里心がつき、日常に帰ってしまった参加者を再び集めて挙兵しようとすると、東学党にも大変な手間がかかる。
過激派とそれ以外を分断し、それでこの戦乱を終わらせる。
過激派は朝鮮の官憲の手に渡して処断してもらう。
それ以外は、今回は目をつぶる。
全羅道の西南端まで付いていくのは過激派しかいまい。
過激派を潰せば、穏健派が主流になるはずで、そうすれば当面、東学党の挙兵は困難になる。
この説明を聞いた斎藤大尉は、西南戦争を思い出すな、と土方少尉に語った。
西郷隆盛さんに最期まで付き従ったのを葬った後、鹿児島はかなり落ち着いてしまい、穏健化してしまった。
林大佐はその再演を狙っているのだ。
土方少尉はその説明を聞いて納得するものがあった。
確かに途中で逃散した幹部が再度挙兵を呼びかけても、かつての参加者は幹部が逃散してしまったのを見ている以上、中々挙兵には応じまい。
最後まで徹底抗戦を呼びかける過激派を潰せばいい、というのは合理的だ。
それに恨みを必要以上に買う必要はない。
百姓一揆でも首謀者は処刑しても、単なる参加者はせいぜい微罪で基本的に済ませたと聞いたことがある。
呼びかけ者がいないと一揆というものは起こせないものだ。
東学党農民軍もその点では同じか。
全琫準は歯ぎしりする思いが強まるばかりだった。
農民というか参加者の多くが郷里に帰って行った。
海兵隊は郷里で田畑を耕していればそれ以上は追ってこない。
表向きは地元に潜伏して再起を期したいという参加者をそう引き留めるわけにはいかない。
海兵隊は幹部以外の捕虜となった者は武装解除のうえ、けがをした者には適宜、治療をして、住所氏名を確認しては解放している。
再度の参加や嘘が発覚すれば厳罰とするとか、後は朝鮮の官憲に処分は任せるとか、言い聞かせてはいるらしいが、けがをした捕虜に治療を施しているのは事実らしい。
自分たちが海兵隊員を捕虜としたとして、そのようなことをするだろうか。
けがをした捕虜は治療さえ受けられる、
それなら海兵隊の言うことを信じてもよいのでは、という穏健派が櫛の歯を引くように郷里へと帰って行く。
その一方で、海兵隊は公州から南下する主力と釜山から行動する別動隊が適宜散開しては、全羅道西南端へと東学党農民軍の集団を追い詰めていた。
残っているのは自分たちに最期まで従いたいと言っている者が増えるばかりで、自分に万が一のことがあったら後図を託したい者が揃ってはいる。
しかし、このような者が集まった結果、却って部隊の解散がしづらくなる一方だった。
信奉者の方が教祖より過激化する。
自分がやったことが自分に却ってきているな、と全琫準は一人苦笑いした。
最善の手段は、今や部隊を解散して全員が地下に潜伏して後図を図ることだろう。
だが、自分に従っている者の多くが部隊の解散に反対し、最期まで海兵隊に対する徹底抗戦を叫んでいるのだ。
自分が部隊の解散を言っても、それならば勝手に全琫準に共に行動をするだけですと言って部隊の解散はなるまい。
そこまで考えを進め、全琫準は達観した心境に半分なりつつあった。




