第2章ー16
「何事だ」
東学党農民軍の主力は夜明け間近のまだ暗がりの残る中、いきなりの大砲声によって眠りを破られることになった。
佐世保海兵隊の砲兵中隊は6門を同時に放っていた。
そして、この砲声は横須賀海兵隊にとっても、佐世保海兵隊の到着を知らせる号砲であった。
「本当に予定通り来てくれたか」
林大佐は笑みを浮かべた。
幾ら綿密に作戦を検討したといっても、実戦では齟齬が出るのが当然だ。
それなのに予定通り来てくれた。
一戸中佐の能力の高さに、林大佐は思わず敬意を抱いた。
佐世保海兵隊の海兵中隊は、東学党農民軍の主力に接近したが、ある程度の距離を保った上で射撃を開始した。
村田銃にとっては有効射程距離だが、火縄銃にとっては有効射程距離には程遠い絶妙の距離だ。
これには砲兵中隊の射撃に巻き込まれないためもあった。
寝ぼけ眼をこすりながら応戦しようとしている東学党農民軍の主力の参加者は、佐世保海兵中隊の猛射が加わることで大混乱を引き起こした。
背後からの奇襲を全く警戒していないところに、不意を打たれたのだ。
幹部が手分けをして参加者の混乱を収拾しようとするが、兵士としての訓練など生まれてこの方受けたことがないという参加者が圧倒的に多い。
混乱を収拾しようにも困難を極める状態になっていた。
「ここまで佐世保海兵隊がおぜん立てをしてくれたんだ。横須賀海兵隊の精鋭ぶりを見せつけるぞ。全員突撃開始」
斎藤大尉の号令が横須賀海兵隊の第一海兵中隊に掛かった。
土方少尉が横目で見ると岸大尉も似たようなことを言って、第三海兵中隊に突撃を下令している。
横須賀海兵隊の海兵中隊は一斉に突撃を開始した。
それを望見した佐世保海兵隊の砲兵中隊は砲撃を取り止めたが、横須賀海兵隊は陣地に籠って突撃はしてこないと油断していた東学党農民軍の主力は、砲撃こそ止んだものの、この突撃によって更なる混乱に陥った。
混乱した参加者の多くが手持ちの武器を投げ捨て、敗走を始めた。
それを見た佐世保海兵隊の海兵中隊も突撃に参加する。
「公州攻略は断念するしかない」
全琫準は天を仰いだ。
最早、漢城への進撃は無理だろう。
東学党農民軍の主力は再起不能に近い大打撃を被ったのだ。
「だが、あきらめるわけにはいかん。とりあえず撤退するぞ。全羅道に撤退して、そこで、できる限りの抗戦を図ろう」
信頼できる幹部と協力して、できる限りの参加者をかき集めつつ、公州からの撤退を全琫準は図ろうとする。
だが、敗走しようとする者の方が圧倒的に多い。
中には幹部にも命惜しさにその敗走者の集団に紛れ込もうとする者までいる。
全琫準は歯ぎしりしつつ、数百名の参加者を何とかかき集め、公州から全羅道へと向かった。
傷ついた参加者の一部は逃げ切れず、海兵隊の捕虜になっていた。
海兵隊はそういった者に治療を施して武器を没収し、氏名住所を述べさせて、東学党農民軍の幹部以外は解放していた。
海兵隊としては捕虜を連れて行く余裕はない。
後は朝鮮政府の官憲に任せるしかない以上、東学党農民軍の幹部はともかく、それ以外は解放するのが最善だった。
それにもう一つの理由も加わっていた。
「きちんと赤十字条約の精神を護っておられますね」
フランス人のランヌ記者がその光景を見て言った。
林大佐は6年間のフランス留学経験からフランス語が話せる。
こういったことから、ランヌ記者は横須賀海兵隊への同行を望んで取材していた。
「国際法遵守は当然のことです」
林大佐は答えつつ、内心で思った。
彼がいてくれて助かった。
川上操六参謀次長も井上馨公使も、国際法違反の虐殺命令を出したことが欧米諸国に流れたらまずいことが分かっているので、彼の存在をほのめかしたら、東学党参加者に対する虐殺命令を取り消したのだ。
欧米諸国の新聞記者が現場にいる以上、虐殺等はできない。
「それにしても見事な勝利でした」
「これから後が大変です」
ランヌ記者の賞賛に林は答えた。




