第2章ー9
斎藤少佐は海兵本部で相変わらず多忙な日々を10月に入っても送っていた。
「呉と舞鶴も総動員か。これで完全に海兵隊は戦時体制に入ったな」
斎藤は独り言を言った。
それと共に気になることがあった。
総動員が完了次第、呉海兵隊は釜山に移動し、釜山近郊に在住する朝鮮在留邦人の保護に当たる。
舞鶴海兵隊は漢城に移動して不測の事態に備える。
これでは、まるで朝鮮南部に敵がいるのに備えるようではないか。
「北白川宮第三局長は、余程、吉松少佐の情報判断を信用しているようだな。吉松は海兵の一期下になるが、ああいう才能があるとは思わなかったな」
斎藤は更につぶやいた。
北白川宮局長が発した東学党農民軍の挙兵の情報は、海兵隊内にすぐに広まっていた。
海兵隊はそれを速やかに叩き潰すべく、全力で準備を整えている。
斎藤は東学党農民軍に気の毒な想いさえ抱いた。
海兵隊の兵力は約5000名に過ぎないが、最新式で欧州諸国に見劣りしない小銃を全員が装備し、更に大砲を装備している。
東学党農民軍が全力で挙兵すれば10万に達するかもしれないが、1か所に集められる兵力は兵糧の関係からせいぜい1万に満たない。
更に装備も旧式の火縄銃がせいぜいで、刀や槍を装備している者までいるという。
兵士としての訓練の差についてはいうまでもない。
この状況下で、東学党農民軍が挙兵して成功するためには奇襲に頼るしかないが、その挙兵時期が読まれているのだ。
更に指揮官の差はいうまでもない。
「西南戦争等の実戦経験のある指揮官をこちらは揃えているからな。それに対して、東学党農民軍の指揮官には実戦経験は仮にあっても、この春の挙兵時の経験のみだ。これで負けるわけはないな」
斎藤少佐の所属する海兵本部で、一番多忙を極めているのは、軍夫やばん馬の確保を行う部署だった。 斎藤少佐は動員が一段落したことから、軍夫やばん馬の確保を行う部署へ手伝いに行く羽目になった。
「それにしてもこんなに大量の軍夫やばん馬がいるのか?」
斎藤少佐は疑問を呈したが、前からいる者からの説明を受けて納得せざるを得なかった。
「朝鮮で軍夫を雇おうにも信用が置けません。成歓の戦いの前に雇った朝鮮人軍夫は全員逃亡したために危うく敗北しかねない有様になったとか、釜山から漢城に向かった第5師団の一部も同様で朝鮮人軍夫は全く役に立たなかったそうです。他にも似たような話が陸軍から次々と入っています」
「それで、日本で軍夫を雇って連れて行くしかないのか」
「はい。それに糧食等についても現地調達を避けて、できる限り後方から運びたいと林大佐から要請を受けています。現地の住民の敵意を少しでも和らげたいということです」
「確かに現地の住民の敵意を和らげることは大事だな」
斎藤少佐は思った。
現地で糧食を調達しようとしたら、どうしても略奪等の危険がある。
それに仮に正当な代価を現地の住民に支払っても感謝されるとは限らない。
それくらいなら、後方から運んだ方が安全だ。
「ばん馬1000頭、軍夫3000人か」
5000人もいない海兵隊が、これだけ兵站確保のために連れて行くのだ。何とかこれでなってくれ、と斎藤少佐は祈った。




