第2章ー8
「吉松少佐、出頭しました」
北白川宮局長からの呼び出しを受け、吉松少佐は局長の元に出頭した。
「林大佐からの機密電報だ」
北白川宮局長は吉松少佐に1通の電文を示した。
その内容に目を通すうちに吉松少佐の顔は強張った。
朝鮮王室に清国との内通の疑いがあり、更に東学党農民軍とも通じている可能性が否定できないとの内容だったのだ。
「現在の任務を速やかに後任に引き継ぎ、新たに朝鮮半島の情報収集の任務に当たれ。その際は外務省や陸軍との連絡を密にするように。特に東学党農民軍の挙兵については至急の判断を要する」
北白川宮局長は、吉松少佐に命令を下した。
「海軍本体は?」
「あてになると思うか?」
北白川宮が渋い顔をしながら反問した。
「いえ」
吉松少佐は自分で自分を納得させた。
海軍本体は、清国海軍と雌雄を決することを夢見てきた。
先日の黄海海戦で勝利を収めて戦勝気分に浸っているところに、朝鮮半島の情報収集に協力してくれと頼みに行っても断られるのがオチだ。
「とりあえず気の利く下士官を部下として何人か付ける。部屋は確保してある。更に必要な人員や予算があったら、私に言うように」
「分かりました」
吉松少佐は退室して取り掛かった。
数日が経ち、9月も終わろうとしていた。
予想以上に外務省や陸軍が協力的で情報を提供してくれることに吉松少佐は驚いていた。
それに新聞が思ったより役に立つことにも驚いた、
まずは朝鮮半島について新聞に載っている情報からと考え、片っ端から部下の下士官2名に今年に入ってからの新聞情報を集めさせて、それを整理させた。
その上で吉松少佐は目を通したのだが、思わぬ発見が相次いでいた。
外務省や陸軍から機密情報として提供された情報なのに、新聞が既に載せているものまである。
「勘弁してくれ。新聞に載っている機密情報なんてしゃれにならん」
吉松少佐は思わず頭を抱えて苦笑いをする羽目になった。
「世の中そんなものですよ。それにしても井上馨公使や山県有朋第一軍司令官の威光は凄まじいですね」 部下の下士官の1人は、外務省や陸軍からの情報を整理しつつ、半分目をまわしていた。
「海兵隊から朝鮮半島の情報をいただきに参りました、と一言、言ったら、外務省は井上公使から、陸軍は山県第一軍司令官からそれぞれ聞いております、という感じですぐに機密情報を出してくれました」
「さすが元老、錦の御旗だな」
吉松少佐は答えたが、内心では別の思いもあった。
陸軍にしてみれば一兵でも多く対清戦線に投入したい以上、東学党は海兵隊に任せたい、それなら、情報提供くらい安い物だという思惑もあるのだろう。
こちらにとっては有り難い限りだが。
情報の整理をしていくうちに、吉松少佐はあることに気づいた。
「ここ数年の朝鮮の穀物相場を調べてくれ」
「相場師でも始めるつもりですか?」
部下の下士官たちは顔を見合わせた。
「気になることがある」
全ての情報の整理をして吉松少佐の方針が定まったのは、10月になっていた。
吉松少佐は北白川宮第3局長に報告に向かった。
「東学党農民軍の本格的な挙兵は11月になってから行われる公算大です」
「その根拠は?」
「穀物の収穫が終わるからです」
吉松少佐は北白川宮局長に詳細に説明を始めた。
東学党農民軍の主力である農民にとって自分の田畑の収穫は一大事だ。
更に東学党農民軍の指導者にしても兵糧は現地調達に頼りたいだろう。
更に朝鮮王室からは現在の戦況から一刻も早い挙兵を求められているはず、
それらを考えあわせると11月になり次第、挙兵と言う判断になる。
過去の穀物相場がそれを示している。
陸軍や外務省の情報もそれを肯定する情報はあっても否定する情報はない。
「分かった。関係各所に軍令部第三局の判断としてすぐに伝える。吉松少佐は引き続き情報収集と整理に当たるように」
「分かりました」
吉松少佐は答えた。




