第2章ー5
この世界では大鳥圭介公使が朝鮮王宮制圧事件の責任を取って依願退職したために、井上馨が朝鮮公使として漢城に8月末に着任しています。
平壌の戦いの勝報が、海兵隊の駐屯地にいた林大佐の手元に届いたのは9月18日のことだった。
林大佐はとりあえずほっとしたが、その詳細を知るうちに愕然とした。
高宗と大院君が清国と通謀していたらしいことが分かり、調査中という内容が含まれていたからである。
「これはいかん。だが、好機だ」
井上馨が大鳥圭介の後任の朝鮮公使として8月末に既に着任しており、高宗や大院君、閔妃、金弘集らとの面談も済ませている。
不確かな情報と言うのがまたいい。
下手をすると自分からボロをさらしてくれるだろう。
井上公使なら、活用(悪用)できる術も分かるはず。
林大佐は駐屯地から早速、日本公使館へと向かった。
「よく来たな。平壌の戦勝はよかった」
井上公使は顔をほころばせて、林大佐を出迎えた。
そのすぐ傍には杉村書記官もいた。
杉村は先日の王宮占拠事件に積極的に参画したとして3か月減給1割という処分を内々の内に受けており、さすがに気落ちした表情を見せていた。
本来なら本国召還ものなのだが、戦時中で朝鮮問題について杉村程の専門家はすぐにおらず、井上公使を補佐するのに必要不可欠の人材ということで、陸奥外相は止む無く杉村を朝鮮公使館に残している。
「早速ですが、公使の手元にはこの情報はお入りでしょうか」
林はすぐに本題に入った。
高宗と大院君が清国と通謀していたとの不確かな情報が平壌から入ったというのである。
井上はまだ聞いていなかったらしく、林から詳細を聞くうちに、その顔色を急変させた。
「杉村、この話は聞いていたか」
林の話を聞き終えた井上は傍の杉村書記官を半分問いただした。
「いえ、全く。でも、充分あり得ることかと」
杉村も同様に顔色を変えてはいたが、これまでの朝鮮との交渉の経緯を知る専門家であることから、充分にあり得ると即座に判断した。
林は杉村を好いてはいないが、大鳥も杉村の能力自体は疑っていなかったということもあり、杉村の朝鮮問題の判断については一目置いている。
その杉村もあり得ると判断している。
やはり、この情報の確度は高いと見ていい。
「最悪の場合、高宗や大院君は東学党農民軍とも通謀し連携して、日本軍を叩き、朝鮮に在留する日本人を攻撃しようとする可能性があります。公使はどのようにお考えですか」
「そんなことが許されるはずがない。先日、8月26日に締結された大日本大朝鮮両国盟約に完全に反している。日本本国と協議の上、断固たる措置を検討する」
井上は断言した。
「よろしくお願いします」
林は井上に頭を下げた。
井上は大鳥と違い、元老の一角を占める存在である上に同じ長州閥ということもあり、伊藤首相や山県枢密院議長とも対等の口が利ける仲である。
その井上が動くのだ。
かなりの力で動いてくれるだろう。
ともかくこの情報が熱い内に動かねばならない。
時間が経つにつれ、衝撃が薄れてしまい、朝鮮政府に対して圧力を加えづらくなっていく。
だが、それと共に林は思った。
本当に東学党農民軍は動くだろうか。
軍人としては動くと冷静に判断していた。
しかし、林の個人的な感情としては動いてほしくなかった。
自分や部下の海兵隊員が朝鮮の民衆に銃を向ける、
朝鮮の民衆は反発するだろうし、自分や海兵隊員は心を大きく傷つけるだろう。
林は心の中で東学党農民軍が日本軍に対して挙兵しないことを願った。




