第2章ー4
斎藤一は林大佐への挨拶を済ませた後、あらためて部下と顔を合わせた。
まずは小隊長と個人面談をして、小隊の実情や問題点を把握する。
小隊長の内の1人、土方少尉は旧知の顔だった。
「土方副長の息子が俺の部下で、少尉か。しかも、あの幕末の頃には生まれていなかった。俺も年を取るわけだ」
任務に精励するつもりだったが、土方少尉の顔に実父の土方副長の面影を見てしまい、斎藤は個人的な話から始めてしまった。
「何年ぶりですかね。お会いしたのは覚えているのですが」
「何年ぶりになるかな。多分、4年ぶりだろう。近藤局長の二十三回忌と土方副長の十三回忌を一緒にやった時に会ったはずだ」
斎藤と土方は思わず追憶にふけった。
本当は1年違うのだが、全国に旧新選組の面々は散らばっている。
この際、一緒にやろうということになり、京都で執り行われたのだった。
「岸大尉にはもうお会いされましたか」
「岸大尉?誰だったかな」
斎藤は思わず首をかしげた。
「島田魁さんの甥ですよ。あの席にもいました。今では、横須賀海兵隊の第3海兵中隊長です。斎藤中隊長の同僚になりますね」
「いかんなあ。すっかり忘れておった。島田にあの席で、伯父の俺や土方副長にあこがれて海兵隊に甥が入った、と言って紹介されたのだった」
斎藤は思わず苦笑いをした。
「十年一昔と言うが13年ぶりだ。海兵隊の装備や編制が変わっている。できる限り教えてほしいが、とりあえず俺の気づいた範囲で確認したい」
「分かりました」
斎藤はあらためて、土方に問いただした。
「小銃はシャスポー銃は完全引退か」
「はい。村田経芳陸軍少将が開発された十八年式村田銃を全員装備するようになりました」
「国産銃が主力になったか。夢のようだな」
「父が存命でしたら喜んだでしょうね」
「全くだな。砲は?」
「本来は野砲を装備したいのですが、青銅製の山砲です。海兵隊の場合、どうしても質はともかく馬を大量に従軍させるわけにはいきませんし」
「海上輸送を第一に考える以上、やむを得んか。野砲だと馬が大量に要るからな」
「そういうことです」
「それにしても工兵が増えているようだが。どういうわけだ」
「林大佐のおかげですよ。というよりも荒井提督や大鳥提督の考えからですね」
「ほう」
土方は斎藤に語った。
荒井提督や大鳥提督は、海兵隊は外国派遣を第一に考える必要があり、少数で多数と戦わねばならないことが多いものだ、と考えた。
また、小規模な上陸作戦を展開する必要もある。
そう考えると工兵を充実させておかねばならない。
そのような考えから林(当時は少佐)を西南戦争後2年間、フランスに再度留学させることとなり、フォンテンブロー砲工学校で工兵の専門教育を再度、受けさせたのだった。
更に林は帰国後は海兵隊の工兵教育を一時担い、海兵隊の工兵を鍛え上げた。
土方は詳細に斎藤にそれを語った。
「ですから陸軍より海兵隊の方が工兵の量はともかく質は上ですね。今でもフォンテンブロー砲工学校には留学生が常時誰かいて、欧州の最新の工兵知識が入るようにもしています」
「俺が西南戦争で土方副長と共に戦った頃とは、海兵隊も変わったものだな。俺が付いていけるかな」
「林大佐が保証されていましたよ。斎藤の実戦勘は錆びついていないはずだ。そうでなかったら、戊辰戦争から西南戦争まで10年離れていたにも関わらず、すぐに戦場では活躍できなかったはずだとね」
「そこまで、林大佐に期待されては応えざるを得んな」
斎藤は苦笑いをしながら、決意を新たにした。




