第2章ー2
「永倉さんにウソを吐いたのがばれるな。弱ったな」
「さっきから頭を抱えていると思ったら、そんなことが理由だったのですか。てっきり、今の仕事の引き継ぎのことだと思ったのに」
「いや、自分のところに現役復帰の連絡なんてあるわけないと思っていたから。永倉さんがこの間来た時に、自分も51歳だから現役復帰はありません、だから、お互い大人しくしましょう、と言ったろう」
「自業自得です」
妻の時尾は夫の斎藤一を突き放した。
「そうはいっても、あの時はああでも言わないと収まりがつかなかったから。永倉さんが、日清戦争がはじまったぞ。林が大佐になって既に朝鮮に行っているんだ。俺たちも朝鮮に行かないでどうする。予備役とはいえ俺たちは海兵隊大尉だぞ、と息巻いてここに来たろう」
「そうでしたね」
「だから、大尉の予備役は50歳までですから、永倉さんは無理ですよ、あきらめましょう、って言ったら、60歳までに変えてもらおう、海兵本部に直談判だ、とまで言う始末だったし」
「それで、お前は幾つだったか、と聞かれて、とっさに51歳です、と言ってしまった」
「数えだから嘘は言ってない」
「ということは、お前も行けないのか、それなら仕方ないな、と言われるので、はい、自分も現役復帰はありません、と言ったのでしょう」
「いや、よく覚えているな」
「それは、永倉さんの対応にはお互い困りましたからね。それで、どうするんです」
「大至急、明日の内に仕事の引き継ぎを済ませて、海兵本部に出頭する。永倉さんには後で手紙を書く。永倉さんの耳に入る前に朝鮮に渡れば安全だ」
「借金取りから逃げる人みたいですね」
「借金取りの方がマシだ。あんなに永倉さんが息巻いていたのに、ウソを吐いて自分だけ現役復帰したのが朝鮮に行く前にばれたらえらいことになる」
斎藤は速やかに海兵本部へ出頭する準備を始めた。
時尾はそれを見て、夫はあの状態の永倉さんが余程苦手なのね、と思った。
「ほう」
林大佐は人事異動の通知を見て、思わず驚いた。
斎藤一が現役復帰して、横須賀海兵隊第1海兵中隊長になるとは。
確かに大尉だから中隊長になるのは妥当だが、まさか自分の部下にまたなるとは思わなかった。
「斎藤にとっては、居心地がいいのは間違いないだろうが」
林は独り言を言って、斎藤に関わりのある面々を思い出した。
土方少尉が斎藤の部下になるし、同僚の岸大尉とも斎藤は面識くらいあるだろう。
それに西南戦争で斎藤は実戦経験があるので、周囲の海兵隊員は全員、一目置くだろう。
唯一の問題は年齢だが、斎藤の体力がそんなに落ちているとも思えない。これはいい配置だな。
「斎藤一さんが大尉として現役復帰して、お前の上官になるというのを聞いたが、本当の話か」
岸大尉は土方少尉に話しかけた。
「ええ、本当の話ですが、私もびっくりしています。まさか、中隊長が異動するとは思いませんでした」 土方少尉は驚いていた。
確かに今の中隊長は本当ならこの春にでも異動するはずだったが、朝鮮半島情勢の見極めがつくまでと言うことで異動が延びていた。
今のところ、横須賀海兵隊は漢城から動けておらず異動するならぎりぎりということなのだろう。
佐世保海兵隊の予備役海兵中隊の中隊長への異動の内示を受けた中隊長は心なしか肩を落としていたな。
同格なのだから左遷ではないのだが、やはり格落ちという感じは否めない。
「そうか。あの人は戊辰戦争から西南戦争までも活躍した人だ。いい指揮官だと思うぞ」
「それは楽しみです」
土方少尉は斎藤一の着任を楽しみにすることにした。
永倉新八が日清戦争に際して従軍を志願したのは史実でもそうだったみたいです。
ちなみに「お気持ちだけで」と断られたとか。




