幕間1-4
西郷海相は目を白黒させるばかりだった。
いきなり陸奥外相から呼びつけられ、失礼な話だとは思ったが、外相が大至急お越しを願っているので、と外務省の職員が汗を拭きながら頼み込むので、外務省を訪れた。
すると陸奥が鬼のような形相で待っており、いきなりまくしたててきたのである。
事情がさっぱり分からない西郷は半分呆然としながら黙って、陸奥外相の長広舌を聞くしかない。
北白川宮軍令部第三局長は、その表情を見て笑いをこらえるのに必死になっていた。
ひたすら下を向いて笑いをこらえているのが分からないようにするしかない。
目の前では陸奥が西郷に対して荒れている。
「海軍は何を考えている。林大佐を懲戒免職にして、それを欧米諸国の新聞記者まで集めて、その処分と理由を公表する。そんなことをしたら、日本が朝鮮王宮を武力で制圧し、不当なことが行われたのが、欧米諸国に発覚してしまう。条約改正は流れるだろうし、不正義の戦争だとして日清戦争に英露が介入してくることさえありうるだろう。そんなことになったら、日本はしまいだ。そんな子どもでも分かるようなことが分からないのか。それとも分かっているのにやる理由があるのか。説明してもらおう」
本来から言えば、西郷は元老でもあり、陸奥より格上になる。
従って、陸奥が丁寧な言葉を使うのが本来だった。
だが、陸奥の怒りがそんな礼儀を忘れさせている。
「そんなことは決めていない」
西郷は言った。
実際、西郷は林大佐の処分について、海兵隊からの処分案の正式な上申を待っている段階だった。
処分案を仮に決めたが、事が外務省も巻き込んでいる以上、仮の案を陸奥外相に示したいと本多海兵本部長が言うので、それを許可しただけのつもりだったのだ。
「とぼけるのも大概にしてもらいたい。北白川宮殿下が使者としてそう言ってこられた。殿下がウソをついておられるというのか」
頃合いだな、北白川宮は判断した。
本多との腹芸で、北白川宮は、仮の案を本多が西郷に上申して了解済みである、と誤解したことになっている。
「ええ、海兵隊の処分案を内々に示したところ、そのとおりにしろ、と西郷海相が言われたと本多海兵本部長から聞いております」
北白川宮は言った。
処分案と言った。
処分の内容を言わない。
陸奥はそれに気づかず、西郷を睨んだ。
西郷は事情が分からず、まだ半分呆然としている。
「やはり、あの処分案では外務省はお困りということでよろしいでしょうか」
「当然だ」
陸奥は断言した。
「では、こういうのはどうでしょう。林大佐の辞表は預かる。なお、少将への昇進の内示は撤回する。これ以上の処分については、戦後まで保留し、戦功である程度相殺するが、一応、停職処分の上で依願退職を考慮するというのは、これでしたら内々の処分ですし、記者会見も行わずに済みます」
「うむ、それが妥当だと外相の私にも思える。西郷海相はどう考える」
陸奥は言った。
「私もそれでよいと考えます」
西郷は思わず言った。
「それではそのようにいたします」
北白川宮は内心で舌を出して言った。
陸奥という証人がいるのだ。
西郷もこの処分で納得するしかない。
ちなみに北白川宮も本多海兵本部長も、林を退職させるつもりは全くない。
日清戦争での戦功で相殺されたということで押し通すつもりだった。
少将への昇進を取り止めということは事実上の降格処分だ。
林も納得するだろう。
だが、林が最先任の大佐で海兵隊ナンバー3なのは変わりがない。
戦場で指揮を執るのは林ということだ。
「ところで、陸軍も大島少将に対して何らかの処分を下すつもりと聞き及んでいます。外務省はどうするおつもりで」
北白川宮は言った。
林の経歴に傷をつけたのだ。
外務省にも対価を払ってもらわないと海兵隊の気が済まない。
西郷がいる以上、陸奥も言わざるを得なかった。
「もちろん、関係者に対して内々の処分を下すつもりだ」




