幕間1-2
「それで、私のところを訪ねてきたということか」
目の前の50代の男、山県有朋枢密院議長は、本多海兵本部長に対して言った。
「何しろ陸軍を巻き込んでおりますので、ここは陸軍の最高権力者の意向を確認しておきませんと」
本多は答えた。
「わしは陸軍の役職を一切辞めた身で、最高権力者などでないぞ。そんな人間の考えを聞いても仕方あるまいに」
「ご冗談がきつい」
山県と本多はお互いに目は笑いながらも腹の探り合いをした。
山県有朋は確かに現在は、陸軍大臣でも参謀総長でもない。
しかし、陸軍の大御所であり、今でも山県が断固として陸軍に対して意向を示せば、それを止められるのは今上天皇陛下だけだという噂がある人物である。
更に政界の元老でもある。
そして、海兵隊と山県との関係はある意味、好意的中立といった関係だった。
そもそもの発端は台湾出兵にさかのぼる。
当時、陸軍卿だった山県にとって、陸軍内の薩長の対立は頭の痛い問題だった。
西郷隆盛が辞職したとはいえ、薩摩出身の勢力が強く、長州出身の山県はその統制に苦慮していた。
だが、薩摩出身の西郷従道が台湾出兵を大久保利通の威光を嵩にきて強行したことや、台湾でマラリアによる大量の戦病死者を陸軍に出したことが、海兵隊の情報提供により発覚してしまった。
そして、これらが政府内で問題になり、山県はこれを利用して、薩摩出身の勢力を削いで、長州出身者による陸軍の統制に成功した。
陸軍が長の陸軍と呼ばれるようになった一因となった事件である。
海兵隊自身の事情もあったとはいえ、山県にとっては恩義を覚えた件だった。
更に西南戦争でも海兵隊は奮戦し、陸軍をしばしば救った。
海兵隊に戦功を横取りされたと嫉妬する陸軍の幹部もいたが、事実上、西南戦争で現場のトップを務めた山県にしてみれば、海兵隊の奮戦には好意こそ覚えるも、反発するものではなかったのである。
更に林大佐は、横平山やその後の熊本城救援作戦で山県の指揮下で奮戦し、山県のお気に入りの乃木少将(当時は少佐)が西郷軍に包囲された際に救出もしている。
こうしたことから、本多は林大佐の一件を山県に相談してみようと考えたのだった。
「成歓の戦いで功績を挙げた大島旅団長まで、今回の一件に加わっていたな。林大佐が懲戒免職なら、大島も独断で部隊が動けるように待機していた以上、依願退職あたりが相場か」
山県は、本多に聞こえるように独り言を言った。
「日清戦争が始まって早々に初戦で功績をあげた旅団長を退職させるわけにはいかんなあ」
「確かにおっしゃるとおりです」
本多は相槌を打った。
「かといって、大島を不問に付したら今後に禍根を残す。大島は戦争が終わったら、持病がひどくなって一時的に閑職にまわり、予備役編入になるだろうな」
「ほう。大島旅団長に持病がおありとは」
本多はとぼけた。
「特段の功績を今後、さらに上げれば別だがな」
山県もとぼけた返答をした。
山県はその線で大島旅団長を処分する方向か、となると林大佐の処分は、戦争終結まで棚上げにして、戦功である程度、相殺してはどうかということか、本多は山県の意向を推測した。
本多が気が付くと、山県はあらためて微笑を浮かげて、本多の顔を見ている。
「林大佐の処分は海兵隊の専権事項だ。わしでさえ関与できん。関与しようとする者がいたら、わしに相談しろ」
「確かに海兵隊の専権事項ですな」
本多は答えた。
山県は海兵隊と言った。
海軍とは言っていない。
海兵隊と海軍の関係は微妙なものがあり、半独立の存在だった。
つまり、山県は海軍本体が林大佐の処分に容喙するようなら、口をさしはさむつもりなのだ。
「いや、お忙しいところに時間を割いていただき、ありがとうございました」
「大した助けが出来ず申し訳ない」
山県は微笑を浮かべながら、本多を見送った。




