第1章ー15
8月2日の午後、土方少尉は妙に体が重いと感じながら、漢城近郊の駐屯地に部下の小隊の下士官兵と共に戻った。
7月22日から23日にかけて朝鮮王宮を制圧した後、一部の海兵隊員を国王や武装解除された朝鮮兵の監視等の任務に充て、残りの過半数の海兵隊員は朝鮮王宮の復旧作業に当たった。
何で自分から壊した後で自分から復旧作業をする羽目になるのだろう、と理不尽な想いを土方少尉は感じたが、林大佐からの厳命とあってはせざるを得ない。
林大佐は、朝鮮王宮の制圧は、大院君が王宮に入ろうとしたところ、その先触れを務めていた日本の海兵隊員に朝鮮王宮の警護兵が過剰反応して発砲したことから勃発したもので、闇夜の混乱のためにそれが拡大し、お互いに死傷者を出してしまったということで朝鮮政府の実務担当者と話をつけていた。
過剰反応から発砲した朝鮮兵は全員戦死しており、なぜ発砲という判断をしたのかの詳細は不明ということにもなっている。
死人に口なしか、土方少尉は自嘲めいた想いすら抱いた。
林大佐は過剰対応した日本側の謝罪の一環として、朝鮮王宮の復旧作業に海兵隊の一部をあたらせることを申し出て、それを朝鮮側の実務担当者に受け入れさせた。
表向きは謝罪行動だが、内実は朝鮮王宮内を公然と日本の海兵隊員に歩き回らせることで、無言の圧力を朝鮮政府に加えたのだった。
実際に復旧作業を行っている以上、茶番だとして朝鮮に駐在している欧米諸国の外交官等も海兵隊の行動をそう叩くことはできない。
26日には朝鮮王宮の応急修理は完了した。
土方少尉は朝鮮王宮の応急修理に当たった工兵中隊の修復能力の高さに一驚する羽目になった。
工兵中隊の顔見知りの小隊長は、半分自嘲しながら言った、壊すのが得意だから、直すのも得意なのさ。
そして、朝鮮政府の大鳥公使の3点の要求受け入れを受けて、林大佐は朝鮮王宮の応急修理が済んだことを理由に、朝鮮王宮や日本公使館の警護に当たる海兵1個中隊以外の横須賀海兵隊の漢城近郊の駐屯地への撤収を下令した。
1週間交代で海兵中隊がその任務にあたるということで、第1海兵中隊所属の土方少尉は第1陣に含まれることになってしまった。
26日の午後から8月2日午前までその任務に当たった第1海兵中隊は、2日正午をもって第2海兵中隊と交代し、駐屯地に戻っていたのだった。
駐屯地に帰還し夕食を済ませて、半分ぼんやりとしていた土方少尉のところに、岸大尉が訪ねてきた。
「どうだ、一杯やるか。一週間の警護任務で疲れたろう」
岸大尉は伯父の島田魁と違い、そこそこ呑めるというよりも酒好きな方だった。
どこからか酒を調達したらしい。
「いや、いいです。素面でちょっと話したいです」
土方少尉は謝絶した。
「それもいいだろう」
岸大尉は土方少尉の傍に来た。
「戦況はどうなのです。漢城で警護で当たっていると正確なところが分からなくて」
「7月25日に豊島沖で日清の艦隊が交戦して日本が勝った。そのおかげもあって7月31日に成歓で陸軍も勝っている。昨日、8月1日に日本本国も正式に清国に宣戦を布告した。多分、清国も日本に宣戦を布告しているのではないかな」
「そうですか。我々はどうするのでしょうね」
「多分、朝鮮半島を陸軍と共に北上するのではないかな。清国軍と交戦するために」
「清国軍との交戦ですか」
それを聞いた土方少尉はあらためて思った。
今度は清国軍と戦うのか、それならば戦い甲斐があるだろう、やりがいがある。
やはり敵国軍と戦いたいものだ。
土方少尉はあらためて闘志が湧き上がってくる思いがした。
岸大尉もそれを感じたらしい。
「やはり、強敵と戦いたいものだな」
岸大尉が言った。
「全くです。今度は強敵と戦いたいものです」
土方少尉は答えた。
これで第1章の日清開戦編は終わりです。次から第2章の東学党の再蜂起になります。




