プロローグー1
「岸中尉、お久しぶりです」
土方少尉は、1894年5月初め、久々の海兵本部への出張のついでに、気心の知れた先輩に挨拶をしていた。
「応、よく来た。報告は済ませたのか。一緒に昼飯でも食おう」
岸中尉は席から立ち上がり、連れだって建物内にある食堂に向かった。
「島田のおじさんはお元気ですか」
「元気も元気。西本願寺で働きながら、新選組の碑の守りもしている。この正月には会ってきた。また、お前に会いたいと言っておられたぞ。剣の腕は少しは上達したか」
「上達はしていますが、林大佐には叱られっぱなしですよ。もう少しうまくなって、わしと太刀打ちできるようになれと」
「あの人に太刀打ちできるとなると剣の達人なんだがな。西南戦争の抜刀隊隊長に勝てるようになろうとしたら、海兵隊を休職してしばらく剣の修行に専心する必要があると思うぞ」
「40はとうに過ぎられたのに、剣の腕は全然錆びていませんからね。林大佐は」
「それにしても麦飯は私は平気ですが、岸中尉にはきついものがありませんか」
食堂で出されるご飯とおかずを見つめて、土方少尉は言った。
「兵も時々、不満をこぼしています。白米に戻してはいかがでしょう」
「しかしなあ、わし程度が言ってもどうしようもない。それに宮様まで麦飯派だからな」
「宮様ということは、北白川宮殿下もですか。それは知りませんでした。林大佐が麦飯派なのは知っていたのですが」
「本多少将まで麦飯派だ。脚気になるよりマシということだ。それにそのおかげで、おかずが豪華になるのだからな。この肉とジャガイモの甘煮はお前にとって故郷の味だろう」
「そのとおりといえば、そのとおりですがね。今となっては、故郷の方が白米を食べていますよ。本当に自分が小学校を卒業するころまで満足に白米が食べられなかったのがウソみたいです。それにしても海兵隊のトップ3人が全員麦飯派ではどうにもなりませんね」
「全くだな」
岸中尉は苦笑いをした。
「ところで、朝鮮情勢はどうなっています。海兵本部には何か情報が入っていませんか」
飯がかなり進んだ後、土方少尉は声を潜めて岸中尉に尋ねた。
「大鳥圭介公使から、秘密裏に海兵本部にも情報提供がなされている。ただ全てがわしの立場では触れられない機密情報だ。わしの知っているのは新聞レベルの話ばかりだ。だが、朝鮮の情勢はかなりやばいらしいぞ。東学党を信じる農民が武装蜂起したのだが数千人が参加していて、朝鮮軍が手を焼いているらしい。このままいくと清国に陸軍の派遣を要請するのではないか、ということだ。それで、軍令部第3局では、具体的な海兵隊の朝鮮派遣計画を立案することにしたらしいぞ」
岸中尉も声を潜めて、土方少尉に答えた。
「その場合は、やはり横須賀から第1陣が」
「おそらくな。林大佐がおられる以上、そうなるだろう。清国と戦争になったなら、海兵隊の切り札ともいえる林大佐がまず赴かされるだろうからな。つまり、お前も朝鮮に行くことになるということだ」
土方少尉は思わず背筋が冷たくなる感じがした。