第1章ー11
その頃、漢城近郊の海兵隊の駐屯地では、横須賀海兵隊には増援の3個予備役海兵中隊が到着し、完全編制になっていた。
増援で到着した海兵の中には、第3海兵中隊長(当初からあった海兵中隊は、第1海兵中隊に呼称変更)に任命されて、漢城に到着した岸大尉の姿もあった。
中隊長任命に合わせて、中尉から大尉に仮昇進したのだった。
夕食を済ませた後の休息時間に、岸大尉は疲れた顔を土方少尉に見せつつ、話をしていた。
「林大佐の命令とはいえ、横須賀よりきつい訓練をしているな。しばらく海兵本部勤務だったから、いつの間にか体がなまっていた。部下も予備役から呼集された面々ばかりだから、訓練で鍛え直す必要があるが、自分が先にくたばりそうだ。全く自分が情けない。それにしても、これからどうするのかな」
「林大佐は基本的に公使館に詰めておられます。最新情勢を把握する必要があるとかで、毎日、少し顔を出してはおられますが、すぐに公使館に戻られていますね。林大佐の口ぶりからすると、気が乗らないことをせざるを得ないのかもしれません」
土方少尉は答えた。
「ほう」
岸大尉はしばらく考え込んだ後、小声で土方少尉にささやいた。
「まさか、クーデターでもやるのかな」
「そんなことをするのですか」
土方少尉は驚きの余り、返答に一時戸惑ったが、岸大尉の真剣な目を見て自分も小声でささやき返した。
岸大尉は黙って肯いた後、続けて言った。
「このままこう着状態を続けるわけにもいかないだろう。どこかで開戦の決断をしなければならない。俺が日本を出発する時点で戦争をせずに帰国するわけにはいかない雰囲気に日本国内はなっていたからな。全く実際に戦場で血を流す身にもなってくれ。だが、清国は腰が据わっておらず、清国からの宣戦布告は望み薄だ。かといって、欧米諸国の態度からすると日本からの宣戦布告は避けたい。となるとどうすればいい?」
土方少尉はしばらく考え込んだ後、岸大尉に小声で答えた。
「朝鮮政府から清国軍排除の依頼があったことにする、というわけですか。どう見てもバレますが」
「だからクーデターで新政権を樹立し、新政権からの依頼があったことにするのさ。歴史でもよくある話さ。日本でもどこかの外国でもな」
趣味が史書を読むことだという岸大尉は言った。
「まさか」
土方少尉は背筋に冷たいものがはしるような気がした。
19日の朝、林大佐は渋い顔をして漢城近郊の海兵隊の駐屯地に到着した。
林大佐は、横須賀海兵隊の士官全員を一室に集めて、次のように命じた。
「これより秘密計画を立てる。手控えを作ることも禁ずる。それからこの部屋の中にいる者以外に計画を話すことは私からの別命があるまで一切厳禁だ。いいな」
「はっ」
士官全員は答えた。
「よし、ではこの地図を見てくれ。それから、これが公使館が集めてきた資料だ」
林大佐は、鞄の中から書類を引っ張り出し、地図を広げた。
地図には、建物と庭園らしきものが描かれている。
士官はお互いの顔を見合わせた。
「我々は大鳥公使からの正式な依頼があり次第、朝鮮王宮を横須賀海兵隊で制圧する。私の考えでは夜陰に乗じた奇襲を行い、朝鮮の反撃を少しでも少なくし、お互いの死傷者を少なくする方向で考えている。それぞれの考えを出してくれ」
林大佐は言った。
岸大尉と土方少尉はお互いの顔を見た。
予測があたったとはいえ、全く嬉しくなかった。
だが、林大佐からの命令である。
土方少尉は、地図を見ながら、自分の考えをまとめようとした。
周囲の士官も同様に考え込みだした。




