第1章ー7
史実の大鳥公使とかなり性格や行動が違うと言われそうですが、この世界の大鳥公使は史実と全く違う経歴を明治維新以降にたどっているので、こういう性格になったと思ってください。
砲兵中隊の砲声は日本公使館にも届いた。
「訓練に励めとは言ったが、空砲を撃てとまでは言ってなかったのだが」
林大佐は思わずつぶやいた。
「いいではないか。朝鮮政府に対する威嚇になる」
目の前にいる大鳥公使は笑った。
「それよりも、君はここにいていいのか」
「ここにいて、朝鮮の最新情報を把握しないと不安です。駐屯地に私がいて使者に何かあり、すぐに動けない方がまずいです」
「それよりも自分が駐屯地に走った方がマシか。確かに西南戦争の抜刀隊長と戦える人間がそういるとおも思えんな。刀の腕は錆びていないのだろう」
「今でも素振りは欠かしませんから。それよりも情勢はどうなのです。私からすれば平穏すぎます」
「東学党からすれば、腐敗政治を打倒すれば充分、こちらが挙兵して国王に請願すれば、国王は目を覚まして王妃の一族を排除して腐敗政治をなくしてくれると思っていた。ところが、東学党を鎮圧するために朝鮮政府が清国に派兵を要請し、実際に清国軍が派遣されると聞いて慌てふためく羽目になった。まさか、清国が介入してくるとは思っていなかったのさ。更に自分たちの行動で日本の居留民が危ないとして、日本まで軍隊を派遣してくることになった。朝鮮政府にとっては、日本まで軍隊を派遣してくるとは思ってもいなかったのさ。全く情勢認識が東学党も朝鮮政府も甘すぎる。東学党の方は、民衆の集まりだからまだ仕方がないが、朝鮮政府が内乱の鎮圧に清国軍の力を借りようという発想自体がダメだし、そんなことをしたら、昨今の情勢から日本だって対抗上軍隊を派遣してくるに決まっている。そして、漢城近郊に実際に日本の海兵隊が駐屯し、砲声を響かせているんだ。更に頼みの清国軍はまだ来ない。朝鮮政府の首脳陣は全員、頭を抱え込んでいるのではないか。とりあえず、今日あたり、政府の使者と東学党の首領とが話し合って、政府は政治改革を約束する代わりに、東学党は部隊を解散するという当たりの条件で話し合いをしているのではないかな」
「東学党はそれを受け入れますかね」
「受け入れざるを得ないのではないかな。東学党に参加している多くが農民だ。そろそろ農繁期に入る。自分の田畑を放りすてて東学党に参加しているが、自分の田畑の手入れが心配になってくる。政府が政治改革を約束してくれるなら、一時それを見守ろうという声が絶対に農民の間から上がってくる。首領もそれを受けざるを得ないだろう。あくまでも徹底抗戦を叫ぶ声があるかもしれないが、清国軍や日本軍に攻められる危険を思うと徹底抗戦派は少数にとどまるだろうしな」
「となると、日本の派兵の前提が失われますな。我々は東学党の乱に際し、日本人を護るために来たのですから。最も全てを漢城に集めようとしている時点でウソなのがばれていますが」
「全くだな。日本人が多い釜山や元山には兵を送っていないからな。それがばれるのはしばらく先の話になるが」
「陸軍はいつ頃、ここに来ますかね」
「退役した元提督にそれを聞くか」
大鳥は笑った。
「現役の海兵隊大佐の方が分かるだろう。俺の予想では5日後の16日頃に仁川に第1陣が到着する頃合いだな」
「私の予想も同じです。多分、その頃に横須賀海兵隊を完全編制にするための予備役海兵中隊3個も仁川に到着します」
林は大鳥を見つめて言った。
「何とか戦争は避けられませんかね。これだけの兵力を送った以上、空しく帰れるか、という声が上がるのは間違いないでしょうが」
「それは部隊内からか、国内からか、どちらだ」
「国内からに決まっています。部隊内から出たら、私が斬って捨てます」
「とりあえず、後続部隊の派兵を止めるようには要請する。だが、国内からの声は止められない。何らかの手土産を作って朝鮮から帰るのが精いっぱいだな」
大鳥は達観して言った。




