第5章ー19
9ヶ国連合軍による北京の公使館区域の解放が成功してから、10日余りが経とうとしていたが、まだ戦火の余じんはくすぶり続けていた。
その光景を見て、土方大尉はため息を吐いた。
日本としては北京の公使館区域の解放に成功した以上、後は一刻も早く清国と講和して、海兵隊を撤兵させたかったが、ことはそううまく行きそうになかった。
西太后以下の清国首脳陣は北京から脱出して、西安方面へと遷都して徹底抗戦の構えを示している。
林提督からの又聞き情報によると、西公使ら北京にいる列強の外交団の多くは単に交渉の都合から徹底抗戦の姿勢を示しているだけで、速やかな講和に清国は応じてくれると睨んでいるらしいが、6月のギリギリになるまで清国政府が義和団と行動を共にすると予測できなかった列強の外交団の多くが言うことである。
土方大尉は、本当に清国は徹底抗戦するのではないか、と疑いを持たざるを得なかった。
それにしても、と土方大尉はここ暫くのことを思い返した。
柴中佐と斎藤大佐が万感の思いで敬礼を交わした後、速やかに林提督や北白川宮殿下もその場に駆け付けてきた。
そして、柴中佐の提言により、海兵隊は総理衙門や戸部、紫禁城を速やかに制圧した。
誰が何と言おうとこれらは清国の物心両面の中枢である。
これらを抑えることは極めて重要だった。
紫禁城では皇妃と見られる女性が井戸の中で亡くなっており、列強の軍隊に辱めを受けないようにと自害したものと海兵隊は判断して手厚く弔った。
(後にこの女性は珍妃であり、西太后によって殺害されていたことが分かる)
そして、総理衙門や戸部を抑えることで300万両近い馬蹄銀や30万石以上の玄米、更に貴重な清国の公文書類を確保することに成功した。
(ちなみにこの行動には海兵隊の事実上の隷下にある朝鮮軍も便乗した)
露から日本の行動は横暴だという抗議があったが、そういう露自身がいわゆる満蒙をこの際に占領しようと続々と陸軍を送り込んでいる有様だったので、英米等はお前が言うなという感じで日本を支持した。
そして、9ヶ国連合軍の首脳部が話し合って、担当区域を割振りしての北京市街の治安維持活動が始まった。
これは軍隊の本来の任務ではないのでは、と土方大尉は思わなくもなかったが、新選組が治安維持に当たらないでどうすると笑いながら、林提督に指示されては自分も苦笑いしながら任務に当たらざるを得なかった。
治安維持に当たると言いつつも、露を筆頭に連合軍の兵による北京市内の略奪が横行していた。
北白川宮殿下直々に海兵隊の兵士が略奪を行うことを厳禁し、治安維持任務に精励するよう指示を徹底したので、日本が担当する区域では治安が良いということで、少しでも財産がある北京市民はこぞって日本の担当区域に逃げ込んできた。
金目のものを持った北京市民を追ってきた露の兵士と海兵隊員が睨み合いになったこともある。
少なくとも海兵隊は北京の治安維持に当分の間は当たることになりそうだった。こんな治安維持任務、いつまでやることになるのだろう。
早く終わらせたいものだ、と土方大尉は思った。
土方大尉の願いは叶わなかった。
1年余り、海兵隊は最終的に北京に駐屯することになる。
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