第5章ー18
8月9日、北京の公使館区域はまたもや始まった攻囲軍の猛攻を受け始めて3日目になっていた。
8月4日朝に天津から九ヶ国連合軍から成る救援軍が出発したという連絡を8月6日に北京にいる攻囲軍は受けたことから、救援軍が駆け付ける前に攻囲軍は公使館区域を占領してしまおうと決意して猛攻を再開したのだった。
だが、そんなことは公使館区域に立て籠もっている籠城軍は知る由もなかった。
「残弾がほとんどありません」
部下の悲鳴のような報告が上がる。
柴中佐は憮然とした表情を浮かべた。
外からの連絡がない以上、救援軍が近づいているのかどうかはさっぱり分からない。
だが、周囲の喧騒からすると救援軍が近づいているのではないか、後少し持ちこたえれば救援軍が来るのに、もう無理なのだろうか、いや最後まで抵抗してやる。
「最後の一弾を撃ち尽くしたら、銃剣で抵抗しろ。それも折れたら、素手で戦え。義和団は素手で戦っているだろうが」
柴中佐は声を上げた。
「諦めた時が最期だ。死ぬまで戦って護りぬけ」
「応」
既に何人か亡くなってはいるが、未だにこの籠城軍では最精鋭と自分も認め、周囲の者もそう認めている部下の海兵隊員たちが声を上げる。
柴中佐はそれを誇りに思った。
「死ぬときは民間人を護って死ね。いいな」
「きついことをいいますな。ですが、命令通りにいたします」
部下の下士官が笑って答えた。
柴中佐も笑った。
まだ、笑みを浮かべてみせる部下がいる。
まだ我々は耐え抜ける。
清国軍の何度目か分からなくなった突撃を射撃から逆襲による白兵戦で破砕する。
柴中佐は一息ついて、空を仰いだ。
東の方角が異常に騒がしくなっている。
まさか救援軍が来てくれたのか。
柴中佐が東を見やると、かつて夢見た旗が翻っているのが見えた。
「まさか」
柴中佐は目が潤み、周囲の光景が歪んで見えだした。
8月8日深夜、北京城外に日本の海兵隊を先頭に九ヶ国連合軍による救援軍は駆け付けていた。
露は少しでも進軍を遅らせようと会議の開催を要求したり、補給のために必要不可欠と鉄道の修復を要求したりしたが、日本軍の最高司令官の北白川宮中将は、清国軍の追撃に忙しい上に清国軍の反撃を警戒する必要もあると発言して公然とその要求を無視して進軍した。
英米等も北白川宮中将の発言を支持した。
露のあからさまな進軍妨害に彼らも腹を立てていたのだ。
「明日、日の出と共に北京城の城壁を破り、公使館を救援するぞ」
林提督が怒号した。
「応」
部下の海兵隊員は口々に呼応した。
8月9日昼前に北京城の城壁は崩れ、九ヶ国連合軍は北京市内に乱入した。
斎藤大佐は部下の1人に誠の一字旗を持たせて、第3海兵連隊を公使館区域に急行させた。
「邪魔するな」
斎藤大佐自ら先頭に立ち、行く手を阻もうとする清国軍や義和団を蹴散らしていく。
公使館区域を攻囲していた部隊もこの勢いを見て退却を開始した。
「待たせて本当に済まなかった」
斎藤大佐は柴中佐を見つけて駆け付けると敬礼した。
柴中佐も慌てて敬礼を返す。
「30年以上待たせてしまったな」
斎藤大佐は言った。
「間もなく林提督や宮様も来るだろう。あの方々も待たせて済まなかったとおっしゃられている」
「いえ、この旗を見られただけで充分過ぎます」
柴中佐は落涙しながら答えた。
柴中佐はあらためて誠の一字旗を見た。
あの時、会津鶴ヶ城でこの旗を見たかったが、ここで叶うとは思わなかった。
「北京の五十日」
と後世に永く謳われることになる義和団の乱の際の北京公使館区域籠城は、この瞬間に終に終わった。
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