第5章ー13
義和団事件当時の朝鮮軍は、事実上、陸軍しかいないと言っても過言ではなかった。
それも、陸軍と言うより重武装の国家警察軍といった方が正確かもしれない。
これは朝鮮の国勢上、仕方ない側面からもたらされたものだった。
金宰相が日本の支援を受けて、朝鮮軍の再編制を検討した際にまず考えたのは、最早、朝鮮が自主独立の国として重武装し、単独で他国の侵略をはねのけるのは不可能という哀しい現実だった。
国民からどう非難されようとも朝鮮が独立国として生存するためには日本か、露か、どちらかに依存するしかない。
そして、露は豺狼のような国で、清国から陸続きの領土を少しずつ削り取っている以上、朝鮮が露に依存することは露に併合してほしいと頭を下げることに他ならない、と金宰相は考えた。
となると、日本に依存するしかない。
日本も信用しかねるが、露よりもマシと金宰相は判断した。
そして、この判断を下に井上公使に朝鮮軍の再編制を金宰相が依頼したところ、三浦悟楼中将を団長とする軍事顧問団が日本から派遣されて朝鮮軍の再編制を遂行した。
三浦中将が唱えたのが護郷軍という考えだった。
朝鮮軍は専守防衛を考えるべきだ。この考えは日本政府にとっても都合がよかった。
朝鮮を朝鮮軍が護ってくれるならば、日本は朝鮮の防衛を考えなくて済む。
そして、朝鮮軍の規模が専守防衛に止まるなら、日本は朝鮮軍の脅威を無視できる。
三浦中将が朝鮮軍の軍事顧問団長になったのは、山県現首相ら日本陸軍主流派にとって体のいい厄介払いだったが、結果的に日本政府の要望と金宰相の現実認識に合致した朝鮮軍が編制された。
(だが、三浦中将が朝鮮軍を指導したことは結果的に諸刃の剣となった。
三浦中将は政治的軍人であり、朝鮮軍は三浦中将の影響により政治に積極的に関与したからである。
金宰相の死後、朝鮮は軍政と民政を繰り返す)
義和団事件当時、朝鮮軍は八道それぞれに3000人規模の鎮台を置き、漢城には別途、近衛兵3個大隊を保有する総勢3万人余りに編制されていた。
「この際、日本への支援として近衛兵1個大隊を北京に派兵しましょう。列強が負ける気遣いは万に一つもありません。日露双方に恩を売り、賠償金を清国からせしめる好機では」
禹将軍は金宰相に力説した。
「ふむ」
金宰相は考え込んだ。
確かに悪くは無いな。
日露が共同して行動している以上、どちらにも悪印象は与えない。
それにこちらから支援行動を言いだすのだし、1個大隊なら事実上顔見せで済むだろう。
賠償金で日本への借款支払いもできる。
「では、禹将軍、近衛兵1個大隊を率いて行ってくれるか」
金宰相は言った。
「お任せください」
禹将軍は喜んで言った。
「だが、行動は慎重にしてくれ。会議の席では基本的に沈黙を守れ。どうしてもとなったら、日本と行動を共にしろ。いいな」
金宰相は釘を刺した。
「分かっています」
禹将軍は悪い笑みを浮かべた。
それを見た金宰相も同様の顔をした。
禹将軍は目の前の(自分にとっては不毛な)林提督と露の将軍の論争を黙って見ながら考えた。
このような論争はいつまで続くのだろう。
派兵を金宰相が決断した後、金宰相は主に日本政府と協議し、日本海兵隊傘下に朝鮮からの派遣軍を基本的に置くということで、他の列強とも調整を済ませている。
林提督が暴走したら、朝鮮軍も従わねばならないが、朝鮮人の血は流したくない以上、露の主張が通ってほしいものだな。
禹将軍は内心を誰にも覚られないように無表情に徹しつつ、冷めた感情で会議を眺め続けた。
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