願ったこと
金色の檻の中でぎゅっとアルを抱きしめる。
あれから二週間近くたったが、フェルニアの愛情はまだアルトレルにずっと注がれていた。今でもアルトレルは朝からやってきて夜には帰る。そして檻に入っていつもくる。
だからフェルニアはアルトレルが来るとメイドを追い払って鍵を開け、外に出したり自分が中に入ったりするのだ。
お気に入りは檻の中で抱きしめることで、アルトレルが嫌がれば止めるつもりだが、今のところはまだ一回も嫌がっていない。
「ねぇ、アルはこの檻嫌い?」
ふわふわの髪に顔を埋めて、吐息が交わるほどの至近距離で聞いてみると、視線をそらさずにこちらを見返してくる。これが堪らなく好きだった。
「嫌いじゃない」
「そう、なら良かった」
アルの嫌いじゃないは好き、フェルニアはふわりと笑ってもう一度アルを抱きしめた。
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檻の中からまるで妖精のように浮世離れした少女を見つめる。
ここは彼女の為だけに用意されたのがありありと分かる部屋で、公爵が好きな色でなく、少女が好きな色で満たされていた。その一つ一つが誰でも明らかに分かるほど高価で、それを当たり前のように使っている彼女、まさに妖精だと思った。
人の気持ちを考えずに与えられたものを躊躇いもなく受け取る。
高位吸血鬼の自分さえ、少し一瞥をくれただけであとは無視する。
人は吸血鬼よりも下の存在と幼い頃から教えられてきたのに、自分よりも遥かに彼女の方が高位なのではと思ってしまう傲慢さ。
紫と金、両目の色が違う藍色の髪の美しい少女に自分は見た時から心を奪われていた。
安全の為に気に入られるつもりがいつの間にか彼女自身に好かれたいと思ってしまい、毎日自分を全く見ずに生活するその姿を見て思った。
――あの目に自分が映れたら……
きっととても心地いいことに違いない、と
父親でさえ本当の意味で見たことはなく、いつも自分の生活を支えている人、そうとしか見ていない彼女が自分というものをその目に捕らえてくれたら――その瞬間を思うだけで心が震える。
だから少女が声をかけてきたときは驚きのあまりうまく喋れなかったのだが、少女は何が気に入ったのか出てもいいと鍵を開けてくれた。
抱き付かれると甘い花のような、蜂蜜のような香りがして、くらくらする頭と今すぐその首筋に牙を立ててしまいそうな衝動を抑えることで必死だった。
これは彼女の血の香りだと思う。香りだけでこんなにも甘いのだったら実際の血はどれだけ美味しいのだろう? ぐるぐるとそんな言葉が頭を回って支配する。
でも、嫌われたくはない。
暫くすると少女は、まっすぐと自分を見てきて、その瞳の中に自分がちゃんと映っていることを確認すると喜びで溶けるかと思った。
気が付くと唇が重ねられており、大きく目を見開く。
彼女の唇は柔らかく、甘い味がしたが、なぜこんなことをしてくれるのか全く分からなかった。
『私の名前は、フェルニア・アイサ・ティターニア・ブラッドベリー、ティアと呼んでも構わないわ。あなたの名前は?』
唇を親指でなぞられて操られたように陶然と返す。
『名前は、ない』
自分が血を吸い、また吸ってくれと追いすがってきた者たちはこんな気分だったのだろうか? じゃあ、彼女が俺に抱くのは玩具としての感情、彼女は俺のことを何とも思っていないのだろうか?
『じゃあ、私があなたに名前をあげる。そう、ね――アルトレルはどうかしら?』
だったら頷かなくてはならない。
飽きられないように、
捨てられないように、
『愛称はアルね。今日からあなたは私の傍にいてくれる?』
顔に浮かぶ笑顔は作り物めいていて、それでもとても嬉しかった。
『あなたが俺を要らなくなるその日まで――』
甘い香りを放つ彼女の手首に我慢できずに口づける。
彼女にとって唯一無二の存在になりたい――。
これがアルトレルと名付けられて最初に願ったことだった。
次回の視点も引き続きアルトレルです。