選ばれたもの2
エリクセル視点です。
「やっと来たなレオノー……れ、れおのーら」
向こうから明るい蜜色の髪が近づいてきて、あまりの安堵につい本名が漏れそうになり、エリクセルは慌てて適当に作った名前で呼びかける。
本当は事前に偽名は決めていたのだが、混乱した頭ではよく考えることが出来ず、結果、男か女か分からない非常に微妙な名前となってしまった。
しかも棒読みで、ぎこちなく、いかにも今作りましたという感じだ。
レオノールはもう何も言う気が起きないらしく、薄らとした笑みを張りつけるだけ。
「エリク。君、そこで何しているのかな」
「……おまえが先に来てろって言っただろ」
今日の朝、レオノール自ら自分を起こしに来て、頭から花瓶の中の水を花ごとぶっかけられ、凍りつけられて窒息死させられようとした恐怖の記憶。
まさかの白昼夢か。
じっとりと睨むと、寝起きの悪い自分が悪いと返されて、言葉に詰まる。
まあ、確かに、そうと言えばそうだ。
耳を引っ張られても、頬を叩かれても、瞼をこじ開けられても起きなかった自分が悪い。もうちょっと別の起こし方があったんじゃないかとは思うが……。
「あまり文句を言うんだったら、今度からは起きるまで髪の毛を一本一本……面倒くさいから一握りずつ抜いていこうか」
そしたら君も流石に起きるだろう、と首を傾げられて反射的に頭を押さえて一歩引く。
「……いえ、花瓶の水でお願いします」
こいつならやりかねないと、ちょっと涙目になって懇願すると、残念だという言葉が返ってきて――最近は心臓の真上に分厚い本を置いて寝ているのだが、さらに頭を守る防具が必要かもしれないと、簡単に外れなさそうなヘルム、どこのお店で買ったが一番安いかと素早く計算する。
いやまて、ヘルムかぶって寝たら、蒸れて禿げるかもしれない。
……諦めるしかないのか。
エリクセルはそっと頭を押さえていた手をおろして、レオノールの近くにいた男に目をとめた。
「そいつは?」
「案内してもらう人だよ」
小太りの男が軽く会釈するのを見て、それと反対に思い出すのは黒い檻に10人単位で入れられている痩せ細った子供達だ。
自分が元孤児だっただけに忍びない。
「どこを見に行くんだ」
この奴隷市場には第1区から8区まであって、数が上がれば上がるほど環境が劣悪、奴隷の質も落ちてくる。ちなみにレオノールの娘達が案内されている所は第1区の比較的目に優しいところだ。
第8区なんかは、身体の欠損が激しい、もう動くことも出来ないようなものしかいない。
「8区から順番に第1区まで全部見る」
「……必要あるのか?」
今回の目的が『購入』ならば、少なくとも4、5、6、7、8は見なくてもいいだろう。酷いことを言うようだが、使えないものを買っても仕方がない。
怪訝に思うとずいっと書類を突き出された。
「今回は、別に奴隷を買いに来たわけじゃない。フェルニアが気に入ったら何人でも買うけど、全部見る理由はこれ、最近、ここらへんじゃない所での人攫いが多い。ここに流れていないか全員確かめて」
30枚ほどの書類には顔と簡単なプロフィール、攫われた時の状況が書いてある。
「……どれも似てるな」
一通り見て呟く。
「そう。しかも攫われたほぼ全ての日に、近くである一座が見世物を披露しているんだ。移動した後にいつも結構な量の誘拐届が出る。流石に全部調べることはできないからこれだけ持ってきたんだけど。……僕との約束を破っていたら、どんな目に合わせてやろうかな」
……約束。
レオノールがまだ公爵位を賜ったばかりのころ、今はブラッドベリー家が所有するこの土地は、広いばかりで何の役にも立たなかった。疫病が流行っていたし、人攫いや人殺しだって日常茶飯事、賜ったと言えば聞こえはいいが、ようは厄介な土地を厄介な人物であるレオノールに押し付けたのだ。
今では多少の農業などの遅れはあるが、その分は他の研究などで補い、国の中で一番儲かる領地になった。
8年でここまで立て直せたのは素直にすごいと思う。
そんなレオノールの領地になぜこんな薄暗いものがあるかというと、詩的な言い回しをすると『光が差すところには必ず影が出来る』だろうか。
レオノールは奴隷市場の活動を公に認める代わりに、組織ぐるみでの亜種族以外の一般人を攫うのを禁止した。
そしてこの区域は、外部と簡単に接触できないように封鎖。
以来、人間の誘拐率は格段に下がったのだが……。
「命の契約でも結べばいいんじゃねぇの」
命の契約とはその名の通り、命をかけての契約だ。
破ったらどちらとも死ぬ。だから使う人間は全くいないのだが……。
つらつらとそんなことを考えていると「わかった」と隣で聞こえ、驚く。
「つまり。君は、僕に死ねって言っているのかな」
「……違う! 偽物でも立てて契約すればいいだろ」
にっこりしたレオノール、そんな風に思われたのが嫌で怒鳴り返すと、冗談だったのにと逆に不思議そうな顔をされた。
「たちの悪い冗談はやめろ。というか冗談に聞こえない」
「……分かっ、た?」
よく分かっていなさそうなレオノールを行くぞと急かして通路に足を向ける。
今まで黙っていた案内人が突然口を開いた。
「どこに……」
「8区だ」
言葉を途中で遮ると不愉快そうに顔を歪めたが、すぐにまたにやにやと笑いだした。
「8区は、見るに堪えない者ばかりで、慣れない者が行くと泣き叫んで吐き、四半刻せずに気が触れ……」
「だから、なに?」
くたりと人形のように首を傾けるレオノール。
こういう仕草はやはりフェルニア嬢と血がつながっているんだなぁと思う。容姿はあまり似ていないが、動作と自分が興味がないものに対する扱いがそっくりだ。
違いがあるとすれば、レオノールは多くの者に興味を持ち、娘のフェルニアは興味を持つものは少ないながらも、興味を持つものがあれば変質的なまでに執着して愛する。その点だろうか。
「僕が吐こうが、泣こうが叫ぼうが君には関係ない。君は、僕らを案内だけしてくればいいんだ」
それに男はつまらなさそうに顔を歪めた。
いったいどんな反応を取れば満足だったと言うのか……。
「そういえばさ、おまえ、フェルニア嬢がまた奴隷に執着したらどうするんだ」
「別に……構わないよ。今までの確率からしてその可能性は低いし、もしそうなったとしても、アルとフェルニアを引き離すことが出来る。……気付かないくらい、緩やかに」
とろりと染み込むような言葉は限りなく甘い。
無機質な目は少女と同じだ。
そこであることを思いだした。
「なぁ、おまえ俺のこと、フェルニア嬢に何か言ったか?」
「……うんん。なんで」
夢から覚めたような顔をするレオノール。
男の後を付いていきながら、エリクセルは顔を歪めた。
「この間、俺に何歳かって聞いてきたんだ」
「……へぇ、それでなんて答えたの」
「21」
あれはもう反射だったと思う。若干早すぎてレオンが訝しんだほどだ。
「ふぅん。そしたらフェルニアはなんて言った」
「別に……ただ、そうって」
「――信じてた?」
「あれは……多分信じてない。どうする? 俺は別に言っても構わない」
こちらを見る銀色の目、酷く達観したような目だったと思う。
自分をまっすぐ見たのはその時だけで、すぐに少年の方に向き直ると、こめかみに口づけたり、髪を梳いたりと慈しみ始めた。
「いや……やめておこう」
「なんで?」
別に特段秘密にしてはいないと疑問に思うと、レオノールは暗い顔をしていた。
「多分、そんな馬鹿なことしないと思うし、ないと思うけど。君のこと、フェルニアには絶対に教えないで」
「……ん。分かった」
理由を聞けるような雰囲気じゃなくて、エリクセルは全ての言葉を飲み込むと、ただ頷いた。
11月19日追記→明日、20日の朝7時30分ごろに投稿します。
11月20日さらに追記→すみません。携帯の容量がいっぱいになっていて、パソコンと繋げない為、今日は投稿できません。(スマホで打つことはできるんですけど、文字数が11000超えているので…ちょっと一から打ち直すのは無理です。)携帯の容量が新しくなるのは21日、明日です。投稿する時間は夜11時、本当にすみませんでした。




