妖精にあった日
男――レオノールは公爵の身分を持ち、大陸でも有数の資産家だと言い、俺を買ったのは娘の誕生日の贈り物にするためだと言った。その間、自分は一言も口を利かなかったが別に気にしたふうには見えない。
馬車は今まで見た中でも派手すぎずに美しく、彼自身もあまり派手なのは好みでないようだ。新しい飼い主の情報を頭に叩き込む。別に売られても構わないが痛いのはあまり好きではなかった。吸血鬼は傷の治りが早いのでどれだけ痛みつけてもなかなか死ねないのだ。
痛くないわけではないのに、そこのところを勘違いする馬鹿がいて必要以上に打たれた経験がある。傷は残っていないがその男は商品を傷つけた罰として殺された。
ぼうっと考えごとをしていると馬車は一つの屋敷に付いた。流石、公爵だけあって城と間違えるくらいに立派な屋敷に住んでいるなと庭を歩いていくと、一角だけ他のものとは一線をおいたところがある。
「あれは、なんだ」
初めて喋ったことに驚いたようだがすぐにそれを消し去って、うわべだけの笑みを浮かべる公爵、喋れないと思ったのだろうか?
「あそこは娘が見るからね。彼女の好きなものを飾ってあるんだ」
鈴蘭、水連、百合に白薔薇……どうやら娘は白いものが好きらしい。
霞がかかったようにぼんやりとした意識の中、にっこりとした公爵と目があった。
「覚えておいたほうがいいよ。彼女もきっと喜ぶ」
好きなものを覚えていると喜ぶのか……。
よくわからなかったが、機嫌よく笑っている公爵に水を差す気にはなれず黙った。
「君は喋らないね……あの子とそっくりだ」
あの子? 公爵の娘のことだろうか、喋らないねとは言われたが別に不快には思っていなかったようなので放置し、あとは黙々と庭園を歩く。
屋敷の中は公爵の好みを反映しているのか上品に纏められていて、公爵の好みを覚えるために隅々まで見た。赤や緑が好き、派手なものは嫌い。今のところは公爵に関することはあまりわかっていない。
しかし自分を買ったお金の金額を見るかぎり、欲しいものに出し惜しみをする性格ではなさそうだ。
「君の部屋はここ」
連れて行かれたのは赤と黒の家具を基調にした簡素な部屋だったが、特に気にならないし興味もない。ぼんやりと部屋を見ていると肩に手が置かれ、優しく微笑まれる。
「君があの子に気に入ってもらえたらもっと大きな部屋を用意する。ある程度の自由もあげる。だから、僕の娘に死ぬきで気に入られてね」
それに少し首を傾げる。
「俺を、買ったのは誰だ?」
「……偉そうだね。でも嫌いじゃない。いいか、君を買ったのは僕じゃない。娘だ。君は僕に気に入られても娘に嫌われれば売られるし、僕に嫌われても娘に気に入られればいい暮らしができる。分かったかい? 君を買ったのは僕じゃなくて娘だ」
公爵の言葉にヒヤリとしたが、嫌いじゃないと言われて胸をなでおろした。
この口調は五年間奴隷の暮らしをしていたが全く変わらなかった。
吸血鬼には人間を魅了する力が備わっている為、不当な扱いを受けたことはあまりなかったし、自分に奴隷だという意識がなかったからだろう。例外を上げるとするならば、今までの飼い主に加虐趣味があったことや二年前に奴隷商人の機嫌を損ねて鞭で打たれたこと。
そして別の所へ移された。そこの人間も可愛がってはくれたが、この公爵は違う。
吸血鬼の魅了にも全く応えた様子がないし、寧ろ今までの会話からして娘に壊れているようにも思う。
機嫌を損ねたら何をされるか分からない。
「……分かった」
「いい子だ。メイドをやるから湯を浴びておいで、娘に会うのはそれからだよ」
素直に部屋に入ると公爵が言っていたメイドが手を引いて浴室まで連れて行った。舐めるような視線が嫌だったが、今までにもよくあったことなので気にしないで服を全部脱ぐと浴室につかる。
一応、綺麗な服を着せてもらっていたし、ちゃんと入浴もしていたのだが、気に入らなかったのだろう。今までの所でも持っていたもの全部を燃やされたことがある。
そう納得し、事務的に身体を洗うと幅広の布で水気をとり、用意してあった服に袖を通す。
違和感に眉をひそめた。
「……」
(ぴったりだ)
背中を悪寒が走りぬけ、得体のしれないものが身体を包み込んでいるかのような気持ちの悪さを覚える。
自分がここに来てまだ一刻もたっていないと言うのになぜ『自分にぴったりの服』がある? 気味が悪かったが、腕を握ってきたメイドを無視して足早に部屋に戻ると、思った通り、さっき与えられた部屋に公爵が紅茶を飲んでくつろいでいた。
「あぁ、終わったんだね。じゃああの子の所へ行くからついてきて」
この男はなんで娘の名前を呼ばないのだろう。
ふと疑問に思うが、それよりも先に服の方が先だと視線を公爵に据えた。
「なぜ?」
「その服のこと?」
「……」
「君が出ていたのは四年に一回の大きなオークションでね、ちょっと調べればどんな特徴の子が出るのかすぐ分かるんだ。君のことは種族と外見、性格や気性、好みの食べ物までのっていたよ。僕は娘のこととは別に君が欲しかったからね……彼らから取り上げたかったんだ。だから服は何着か作らせてもらった。本当は地下牢につなぐ気だったけど、君を見て考え直した。チャンスをあげる。だから僕の娘に気に入られてね」
無茶苦茶な説明の中に一つだけ興味を惹かれるものがあり、目を瞬かせた。
「彼らとは、誰だ」
「お城」
「……」
城とはあれだろうか? この国の王がいるところだろうか……?
しかし一貴族よりも普通は国庫の懐の方が潤っている。どうやって自分を手に入れた?
「一応言っておくけど、そっちの方がいいと思うのだったら大間違いだよ。彼らは君を分解するか、血の楔で縛って永遠に働かせるつもりだ。吸血鬼は寿命が長いから、今の王が死んでも次の王に楔を穿たれるよ。今回みたいに位が高い吸血鬼が流れてくるなんて初めてだから、彼らも必至でね。目の前から金の塊が消え失せたよ。でも代わりに君を手に入れられて僕は大満足……それからブラッドベリー公爵家は城の国庫よりも潤っているから、多少恨まれるくらいで特に報復もないし、無理して借金をしたわけでもない」
「……」
心を読まれているみたいで嫌だったが、勿論顔には出さずに目の前を歩いていく公爵に続く。
美しい絵画の飾られている場所を通り抜け、少し奥まったところに来た時、唐突に公爵が口を開いた。
「君、名前は?」
おかしな事を訊く。俺の名前になんか興味がないくせに、
「ない」
「ない?」
ぴたりと止まる。余程俺の言葉に驚いたのだろうか?
「俺には名前がない」
聞き間違えたりしないようにきっぱりと言うと公爵は嬉しそうに笑み崩れた。
「なぜ笑う?」
「いや、本当にいい買い物をしたと思って」
「……そうか」
今のところ地下牢に入れられる予定はなさそうだと再び歩き出す。
やがて鳥の彫刻がなされた白いドアの前で立ち止まると公爵が振り返った。
「まずはね。彼女に名前を教えてもらうといいよ。期限は一週間」
「……一週間?」
聞き間違えかと目を細める。普通名前を教えてもらうことごときで一週間もかからない。
「そう、簡単ではないよ。今まで娘には色々なものを買ってあげたけど、名前を教えてもらったものはいない」
ものと言うのは俺たち異種族のことか、だったらそのものたちは何処へ言ったのだろう。
「……失敗したら?」
「さぁ」
失敗したら何をされるかわからない。
それは……嫌だ。
だから正直、娘自身に興味なんかなかった。あるのはそれを突き抜けた安全という守りだ。
そう、思っていた――
「だぁれ」
この鈴の音を転がしたような声を聴くまでは――頭が真っ白になった。
クッションを積み上げて座る姿も愛らしい。
馬車の中で公爵が自分の娘は世界一可愛いと言っていたが親の欲目と信じていなかったことを悔やむ。
あぁどうか、彼女の神秘的な目に映る自分が間抜けな顔をしていませんように、これが少女と初めて会った日のことだった。
ブックマークしてくれた方、本当にありがとうございます。
見たときは涙……とまでは行きませんでしたが、嬉しくて家の中を走り回ってしまいました。
4話は3時ごろ投稿します。