禁断の果実
中途半端な切りで申し訳ありませんが、2章はじまりました。
ここまで読んで下さった方、評価、ブックマークをしてくれた方、本当にありがとうございます!
頬がひりひりと痛んでエリクセルは顔を顰めた。
目の前にはにこにこと笑いながら立っているレオノール。
殴られなかっただけ感謝しろと言われたが、これを見たら誰だって『あれ、殴られるのとどっちがましなのだろう』と真剣に考えるはずだ。
ちなみにエリクセルは殴られた方がましだったと思っている。
なぜならレオノールはあまり殴り合いの喧嘩を得意としていないからだ。力はあるが、それは剣を持つためのもので直接野蛮に殴るものではない。
そしてレオノールは腹の中が真っ黒な彼に相応しく物理攻撃ではなく精神攻撃を優先してきた。
結果、エリクセルの頬には紫色の手形が付いている。しかもご丁寧に子供の小さな手形だ。あの少女に殴られたのだったら自分も納得したし、数日人に会えないだけで大した被害もない。だけど、これは少女ではなくレオノールが自分の魔力で作った極度に冷えた氷をエリクセルに押し付けてできたものだ。
色も赤いと言うよりは黒いし、跡だって十日は消えない。となると流石に城――仕事場に姿をださないわけにもいかないし、だすとなると噂になる。
そして手形が大人の女性のものではないことからして自分には不名誉な噂が広がるだろう。訂正してもきっとこの友人が訂正も間に合わないくらいの人数に広めるに違いない。
しかも自分の娘が関わっていたとは微塵も感じさせずに憐れみさえ込めて話すに決まっている。そしてエリクセルは人々から非難の視線を向けられるのだ。
以前、男色の噂を流されたことがあるからわかる。
というかこれ頬が腐れおちるんじゃ……。
「治癒魔法で治しても……」
「駄目だよ。もし治したら今度は直接、君の所に幼い少女を送り付けて、噂を真実にする。――あぁ、そういえばエリクは昔から人に注目されるのが好きだったよね。多分これで明日から城で一番の人気者になるよ。良かったね」
あはは、と空っぽの笑みを振りまくレオノールをエリクセルは凝視する。
これは、あれか?
自分に城で一番の笑いものになれと――?
しかし黒いオーラを身にまとうレオノールに自分が何も言えるはずもなく、エリクセルは深い溜息を吐いた。
エリクセルとレオノールが会ったのは今から8年前――、レオノールが十六歳の時だ。
自分は彼と知り合いではなかったが、噂だけなら腐るほど知っていた。
曰く、先王が花街の娼婦に産ませた子供で、亡くなった母親そっくりの容姿で愛されてはいたが、嫉妬に狂った王妃に何度も殺されかけた。曰く、幼い頃から愛していた女性に三十七回プロポーズしてやっと受け入れてもらい、これ幸いとさっさと公爵位を賜って自分に王位を狙う気がないことを示した。など情熱的で温厚な性格、笑顔が柔和、完璧超人、もうすぐ子供が生まれる予定で幸せ真っ只中、など。
遠くから見てもその噂通りの好人物で、その時のエリクセルは、彼は自分などとは一生交わることはない人種だろうと思っていた。
なぜなら自分は二十一歳の時に呪われて、それ以来時が止まってしまったから……この国に流れ着いて高い地位をもらっているが、所詮、平民は平民、呪い持ちなど気持ち悪いと避けられていた。よってくるのは地位が目当ての田舎貴族だけだ。
もしくは自分の力が目当てで、他の貴族より優位に立とうとしている野心家。
暖かい家族を持つことなど夢のまた夢で、全ての人間が汚く見え、何もかも適当にこなしていた自分にとって彼は赤の他人だが、音に聞く物語のような恋が幸せなまま終わり、綺麗なまま自分の思い出に残ればいいと思っていた。
そんな思いが裏切られたのはいつか――いや、裏切る、ではない。
自分はそれが綺麗なまま終わることなど無いと思っていたから。
レオノール、彼の娘は『幻の村』の血を引いていた。
幻の村と言うのは今から千年ほど前に実在してかもしれないもので、その記録にはあいまいな点が多く、その村人の血肉を取り込んだものは魔力が大きくなり寿命が延びるという嘘くさいものもあった。そして乱獲されて滅びた人種だと……いつ出来て滅びたのかもわからない。何をしてどんな姿だったのかもわからない。あったかどうかわからない村として『幻の村』と呼ばれていたのだ。
そして時折この大陸には自らの血肉で生き物を大幅に強化するという特性をもった人間が生まれる。その血肉は蜜のように甘く、依存性を持っていて禁断の果実と呼ばれる程、生まれた場合は国に保護と言う名の実験を受ける運命だ。
この能力が幻の村の村人の特徴に似ていたから幻の村の血筋と呼ばれるだけで、本当の所は血がつながっているのか分からない。
――レオノールの妻は娘の血を狙った人間に娘を守って惨殺された。
レオノールの留守に、辛うじて駆けつけた彼によって赤子は救われたそうだが、妻は手遅れだったと、酷いありさまだったらしい。
それから彼の雰囲気はがらりと変わった。
最初の三か月は屋敷に引きこもり娘の受け渡しを拒否して、そこからどうやったのかこの国の宰相の地位に納まっていた。好きでもない女性を娶り、幾人の有力貴族の隠し子を愛人として引き取る。もともと人気の高かった彼だ。沢山の女性と浮名を流し、見返りに後ろ盾を得る。優しかった性格は氷のように冷たくなり、笑わない。
この時点でエリクセルはレオノールに持っていた夢を忘れた。
やはり人間は汚いのだと、物語のように綺麗な物など存在しないと……。
そんな日のことだ。彼が自分に話しかけてきたのは『僕はね。あの子の為なら何でもできる。それこそ汚れと言う汚れに塗れても構わないよ』その言葉に以前のような暖かさはない。ただただ冷たく、聞いているものの心を凍らせるような声音、レオノールはこの国で一番強くなりたいと言った。
誰も彼女を傷つけることのできないように――つまりは兄から王座を奪うと、自分はそれに協力した。条件がなかったわけではない。
国一番の魔力を持つ自分に勝ったら、と言うものだったがレオノールは思いもつかないような小さな罠をいっぱい仕掛けてきて、最後はレオノールの方がボロボロだったが、それでもレオノールが勝ったことには変わりなく、約束を守らなければそのまま首を刎ねると脅された。もとより今の王はレオノールに劣等感と憎しみを燃やすだけの特別に目立った才能もなかったし、一言で表すならば王妃――今は皇太后の権力を握るための道具のようなものだった。事実、前の王を暗殺して自分の息子を王位につけたとの噂もあるし、政は皇太后の実家である侯爵家が取り仕切っている。すると自然、この国はもともとの身分が平民である自分が生きにくくなる。
少なくともレオノールが王座に付けばそのようなことは無くなるし、勝負にも負けた。約束を反故にする理由などない。
レオノールは爵位は賜ったが、王位継承権そのものはまだ持っていて、当時生まれたばかりの王太子に次ぐ第二位を持っていた。
だから、難しいことじゃない。
今の王と王太子が死ねば王座は自然とレオノールの元へ転がってくるのだ。暗殺するのが手っ取り早いが、それだと反逆や他国の侵略の格好の大義名分になるからとやめた。今楽をしても、後で回ってくるので苦労するのには変わりない。この大陸では戦争をするにしてもちゃんとした理由がいるのだ。もしもなかった場合、それを理由として周辺国に集中砲火されかねない。
もしレオノールが暗殺、もしくは適当な理由を付けて王座を奪ったりしたときの名分は「不当な手段を用いて、本来、いるべきではない者が王座に付いている。そんなことは許されない」などとなるに決まっている。
反逆を起こすにしてももう少し地盤を整える必要があるし、ちゃんとした名分が必要だ。
そして今まで八年間、ずっと一緒にいたが、レオノールに信頼されているのかどうかは怪しい。自分に笑みは向けてくれるが作りもの――そんなもの毎日幸せオーラを振りまいていた頃のレオノールを見てれば誰だってわかる。軽い話もあまりどころか全くしなかったし、それでも傍にいて協力したのは、レオノールは自分にだけやること全部を話し、重要なものを任せてくれたからだ。そこに少しの信頼が透けて見えたようで嬉しかった。
貴族を取り込んで幾つもの事業を起こし、孤児院を立てて民からの信頼を得る。能力のあるものは出自に関わらず取り込み――清々しいほどあっという間に敵認定された自分たちは仕事の量が倍になった。
自分もレオノールも変なところで真面目なので、他人に押し付けることは出来ずに夜遅くまで黙々と仕事をしている。
黙々、黙々。
最近は特にそれが目につく。
言われなくても分かるそれは王側から戦力を削るために無理やり手に入れた吸血鬼のせいだ。もともと脳をちょっといじってぽいっと売ろうという話だったのにと問い詰めれば何とも歯切れ悪い答えが返ってきて――キレかけたが娘が気に入っているからとぼんやりと言われて呆れた。
相変わらずレオノールの世界は娘中心に回っているらしいと、それでもエリクセルはレオノールが最近、暖かい表情をするのを好ましく思っていたのだ。日常の他愛ない話も出来るようになったし、軽口を叩けるようになったのもいい。
いきなり休んで数日後に今にも死にそうな顔をしているのを見るまでは、そう思っていた。事情をきいてエリクセルは引き離すべきだといった。
レオノールの娘が可哀想だとは少し思ったが、その子が死んだらレオノールは今度こそ壊れてしまう。それが――嫌だった。
思えばここ数百年で、ここまで親しくなったのはレオノールが初めてだ。どこかで自分は他人がいなくなるのは当たり前と思っていた節があったので極力親しくならないようにしていたのだろう。関係を持った女性も一夜だけで深くは関わらなかった。
しかし、そんな自分にレオノールは何かに気付いたような顔を向け、おもむろに立ち上がるとじっと見つめてきたのだ。何かを測るような、見極めるようなそんな視線、突然肩を掴まれて『君の血っておいしいのかな?』などと呟かれた時は二重の意味で自分の身を危ぶんだ。自分に男を好む趣味はない。
それが誤解だと分かったのは問答無用で屋敷に連れて行かれて地下に放り込まれた時だ。
目の前の少年に血を与えるように言われて仕方なくいいと言ったら、遠慮なく噛み付かれて予想以上に痛く、貧血で意識が飛ぶかと思った。いまだ思い出すだけでなんとなく痛いような気さえしてくる。
そして戻った自分にレオノールは娘を見てくれと言い残して仕事に戻り――今に至る。
笑顔が冷たい。空気が寒い。視線が痛い。
「悪かったとは思っているから、そんな目で見ないでくれ……」
帰って来たのは心からの冷たい微笑みだった。
次の投稿は明後日の夜8時です。
視点は引き続きエリクセル、フェルニアとアルトレルも出てきます。




