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妖精は薔薇の褥で踊る  作者: うさぎのたまご
一章 妖精が踏みしだくは薔薇の花
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血の縛り


「ッ……‼」


 フェルニアは目の前に広がる光景に息を呑み、すぐにギリッと奥歯を噛みしめた。


『アルトレルはね。今地下にいる』


 最初にそれを聞いた時には思わず父様を睨みつけてしまった。

 しかし続く言葉に納得する。


『アルはね。弱っていたんだ。吸血鬼に光は堪えるし、なにより君の傍から離れなかった。だから無理やり連れて来たんだけど……』


 アルは私の血以外を受けつけなくなったらしい。


『飲んでも吐いてしまうんだ。今は辛うじて僕と友人の血で持っているけど、それでも多分長くは持たない。だからね……フェルニアが決めて、君がここで血をあげたらアルトレルは一生君から離れられなくなる。だから、最後まで面倒を見るつもりがないのだったら何もあげないでこのまま部屋に戻ろう』


 そんな会話をしたのが少し前、フェルニアは鍵束を両手で握りしめた。


 アルトレルが閉じ込められている所は牢屋で、四方から鎖が巻き付けられている。何でも一回鎖を引きちぎったからだそうだ。中から出ようとして怪我をしたからこういう処置になった。


 そして、何よりも目に付くのは床――血だ。


 血の匂いに慣れているフェルニアでも眉をしかめる量の血が床いっぱいに広がっていた。死体などはないが、多分色々な人の血を飲ませようと試したのがありありと分かるそれ……向こうの壁に寄りかかって座っているアルの目は生気をかいていて、少し先にいるフェルニアの姿も映していない。長期に亘って血が不足しているため、目と耳が良く聞こえていないと父様からは説明された。


 ぐったりとしたその姿に心が痛む。


 その父は先に用事があると上がってしまい、大声を出したら護衛が駆けつけると言った。


 格子に手を這わせる。


「アル……」


 小さく呼びかけるとそれまで虚ろだった目が見開かれ、ガッと何か痛そうな音がした。こっちに来ようとしたアルが鎖を引っ張ったが、長さが足りずに止まったのだろう。


「っぅ……」

「⁉」


手首を抑えて低く呻いたアルトレルに悲鳴を呑み込み、強張る手で急いで鍵を開けると、怪我をしたのかと手を伸ばし――逆にそれを取られて、先ほどまでアルトレルが寄りかかっていた壁に押し付けられた。


 いつかの逆みたいな体制に驚き、目を瞬かせる。


「……アル?」


 赤い目は深く澱んでいて、肌は異様に白い。


 姿も表情もどこか精彩を欠いている。


 ジャラッと重たい鎖の音を響かせて細い手が頬に添えられ、目を閉じる。


 最初は消えることを恐れるようにゆっくりと、


 それは何かを確かめるように顔を撫で、輪郭をなぞると、顔が首筋に埋められてフェルニアの首筋を舐める――刹那、体が軋むほどの力で抱きしめられ、フェルニアは小さく息を漏らした。


何度も耳元で名前を呼ばれて、アルの声はとても苦しそうなのに嬉しかった。


「アル……」


 うっとりと名前を呼ぶと、さらに強い力で抱きしめられて肺が圧迫される。


 不意に名前ではなく、別の音が聞こえてフェルニアはあやすように背中を撫でた。


「どうした、の?」

「なんでっ」


 身を切るような、血を吐くような悲痛な叫び、とても辛そうだった。


「なんでっ、置いていこうとした! なんで、一人で残った‼ 一人に……しようとした」


 激しかった言葉は次第に泣き声のようなそれに代わり、フェルニアはやんわりと困ったように首を傾げた。あの時はあれしかなかったし、置いていったわけではない。アルトレルに生きていてほしかったのだ。


「違うよ。アルを置いていったわけじゃない」

「嘘だ」


 あげられた顔は歪んでいて、


「嘘じゃないよ」


 にっこりとほほ笑むと、それまでもどんよりと澱んでいた目が更に深く、濃くなった。それと同時にぼんやりと光り、滴るような色香を持つ。

抱き寄せられて首筋に吐息を感じ――


「駄目」


 フェルニアは止めた。

 途端、びくりとアルトレルの体が強張る。


 アルトレルに血をあげるのは構わない。

 でも、これは駄目だ。


「アル、今私に何しようとした?」


 先ほどの様子から一変して怯えたような顔をするアルトレルの顔を両手で挟んで視線を合わせた。フェルニアは決してアルトレルを怯えさせたかったわけじゃない。


 ううん、自分でもよく分からない。


 ただアルトレルがフェルニアにしようとしたことは分かった。


 アルは、フェルニアに奴隷の印を押そうとしたのだ。


 奴隷の印、それは吸血鬼が人間を完全に支配下におさめるもので、相手が自分に逆らわないようにその自我さえも奪う禁忌の術。


 アルトレルの近くに居られるのならばそれでもいいが、自我を奪われるのは駄目だ。たとえこの目がアルを映していてもそれは私じゃない。別の誰か……。この手がアルに触れていたとしてもそれは私じゃない。そんなのは――耐えられない。


 フェルニアはゆっくりと、ちゃんと意味が伝わるように口を開き、冷えたアルトレルの頬を包み込む。


「そんなことしなくても、私はアルの傍にいるよ。置いて行ったりしない」


 そう、アルトレルが置いていくことはあってもフェルニアはしない。

 そんなことは絶対にない。


「……本当に?」


 じっと見つめるとその光はゆっくりと消えていき、澱みが微かに晴れる。


 フェルニアはアルトレルの頬に付いた小さなひっかき傷を指でなぞると不機嫌になって顔を顰める。フェルニアの知らない所で誰かがアルを傷つけた。手首にも何度も擦ったように血が滲んでいる。首も足も、枷が付いていたところには全部擦り傷がある。


 しかし、その怒りは続かずに、ずっと見ていると――なんだかとてもおいしそうな気がしてきた。


アルの血……フェルニアは指についた血を舐めてみたが、やっぱり鉄の味しかせずに首を傾げた。アルトレルは血を飲むらしいが、おいしいのだろうか?


『――君がここで血をあげたらアルトレルは一生君から離れられなくなる』


 唐突に先ほどの会話を思い出して、心の中が冷たくなるような熱くなるような錯覚に陥る。もしも、もし、アルが私じゃない人間を選んでも血をあげつづければ会えるだろうか? 違う人を選んでも、傍にいてくれるだろうか?


 ゲームのヒロイン以外には渡す気はないし、もし好きになったとしても取り返す自信がある。でも、ヒロインから取り返すことは多分できないだろう。


 傍にはいてくれなくなる。でも――少なくともこの血をあげれば会うことはできる。


 どんなにアルトレルが他の人間を思っていても、私のことが嫌いでも会うことはできる。


 思わず乾いた笑みが漏れた。


こんなことを考える時点で、多分私という人間は醜いのだろう。


 でも、それでも、何をしても手放したくないものがある。


 そのために出来ることをする。それの何がいけないのだろう。


 繋ぎ止める手段が血だけというならば溢れて、零れるほどあげる。


 その時のことを考えてフェルニアは少しだけ自虐的に嗤った。


 しかしそれも一瞬で、無表情の仮面に隠される。


「アル、お腹、空いた?」


 問うとフェルニアの口元を見ていた目が驚いたように瞬く。


「……?」

「アルがね。これからもずっと私の傍にいてくれるんだったらいいよ。私の血をあげる」


 ゆらゆらとアルトレルの目が揺れ、肩にかかっていた手が緩やかに背中へと回される。


「いない、はずがない」


 その目がとろりと濡れたような輝きを帯びた。


 ゆっくりと首筋を舌がなぞり、愛しむように柔らかく食まれる。


「……ふっ、ぁ」


 覚悟していたこととはいえ、牙が直に肌に触れて、小さく震えるとアルトレルの背中を抱きしめる。首筋を舐められるのには慣れていたが、牙が肌に直接触れたのは初めてだ。


 ぴたりとアルトレルの動きが止まり、やがて迷ったように手が取られた。

 そして先ほどアルトレルが強くつかんで痣になった部分に口づけられる。見せつけるように目の前で行われたことに呆然とし、労わるようにちゅぅっと吸われる。


 そのままゆっくりと牙が手首に沈んで、体が震えた。


「っ……」


 思ったよりも痛い。


 血が全て手首に集まったかのように熱くなって、片方の手でアルの衣服をぎゅっと掴む。


 永遠とも一瞬とも取れるような静寂、アルトレルが血を吸う音だけが牢屋に響いて――やがて意識が朦朧としてくる。


「あ、る……」


 止めるように名を呼ぶが、唇は離れるどころかますますきつく吸い付く、しかしそこにはちゃんとフェルニアに対する配慮と気遣いが込められており、それでも隠せない『飢え』が覗いていたから止めることなどできずに、ただ震える手で黒い髪の毛を掻き混ぜるように梳くのが精一杯――。


 結局アルトレルが口を離したのはずいぶん後になってからだ。


 黒い髪は艶を取り戻し、目も澄んだ濃い綺麗な赤色だ。


 肌も病的なほど白かったのに今ではほんのりと桜色に染まっている。


 体がくったりとして力が入らないが、それだけは今にも閉じそうな目を開いて確認する。


 フェルニアの視線に気づくとアルトレルは唇を離し、息を吐くと牙の跡がしっかりと付いたフェルニアの手首を舐める。


 痛みと共に傷が消えるのが分かったが、飲まれた血までは戻らなくて目の前が暗くなる。


 くらり、と頭が揺れ、ずるりと壁から滑った身体を暖かいものに抱き留められる。目を閉じても何なのか分かり、回された腕に力を込めると頬がゆっくりと撫でられた。


「―――……」


 何か言われたが分からない。


 それでもアルトレルからなにか切羽詰ったものを感じてフェルニアは閉じかけた意識の中で力を総動員すると小さく頷く。


 腕に力がこもり――安心と不安の狭間でフェルニアはそのまま意識を手放した。




 あと一話で一章が終わるので、全部今日中に投稿しようと思います。

 次は夜8時ごろ投稿、視点はアルトレルです。



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