尊き血の色
どんよりとした雲、水気を含んだ生暖かい風が首筋を撫で、後ろを振り返る。
広い屋敷を囲む白色の壁の前、どうやら無事に出られたようだ。
蛇のように執拗なエヴィータの視線を受け止めてフェルニアは左手を上向きに固定させると右手を翳した。
「貴き血の色は赤、その名は紛れもない真実、探し人の血は今ここに……」
詠唱呪文、フェルニアは大体のものはこんな煩わしいことなどせずに使えるが、人を探すのにこれは必要不可欠なのだ。
「名はレオン、我が血につながる者」
右手に持ったナイフで左手を躊躇いもなく切ると血があふれ出す。この呪文は血が繋がるものしか使えなく、だからエヴィータも私を呼んだのだろう。彼女にやり方はわかっても自分を傷つけるのは無理だ。
やがて切り口から繊細な羽を持った真っ赤な蝶が飛び出した。
これは私の魔力の形で、力が強ければ強いほど鮮明に映し出され、形はその人物の性格を反映するのだ。その点、フェルニアの魔力の形は美しいと言えよう。
蝶の羽はレースで編んだように細かい模様だし、形も揺らがずに、真っ赤でなければ本物の蝶、いや芸術品のようだ。
そしてそれには見るものを魅了するような雰囲気を持っていた。エヴィータが連れてきた魔術師たちも息をのむ。
フェルニアは幻影の魔術が使えないのでここまでは魔術師たちに連れてきてもらったのだ。出来ないのではない。知らないのだ。父様は欲しがればどんな本でもくれるが、幻影や透明になるもの、転移術など、部屋から出られそうな魔法は見ることさえかなわなかった。
今まで外に出るときにはエヴィータにやってもらっていた。彼女は侯爵家の出身なのでとても強い魔術師を幾人も抱えていたのだ。何回もすると父様に気付かれるかもしれないから一年に二回くらい。それも少しの時間だけ、
一度自分で編み出したことがあるが、幻影どころか空間がひしゃげたのでそれからはもうやっていない。
書いてあるとおりになら出来るが、自分で繊細な魔力の調整をするのはフェルニアには向いていなかった。
魔術師達もフェルニアによませないようにコソコソと術を展開するので盗むには至っていない。
赤い液体をしたたらせながら飛ぶ蝶を前に誰も動けない。
フェルニアは振り返った。
「ここにいて、四半時たったら、この跡を辿って……来て」
地面に染み込む自分の血を指さす。これは魔力がこもったものだから、たとえ雨が降ろうと流されることはないのだ。よっていつでも自分を追って来られる。
呆然としている彼らを残し、軽い足取りで森の中に入る。
暗く沈んだ森はうっそうとしていて気味が悪かったが、フェルニアには関係なかった。蝶の輪郭がだんだんと光って、粒子がキラキラと舞い落ちる。
フェルニアはそれに手を伸ばし、ぐしゃりと握り潰す。
自然と口端が上がった。
「良かった。これなら……すぐに帰れる」
離れる時のアルトレルの様子を思い出す。
不服そうな顔が幼くて可愛かった。
私を探してくれたのが嬉しかった。
本当は、母様などどうでもよかった。優しそうな声が気にかかるがそれだけ、私は母様に『呪われた子』の意味を聞きたいのだ。アルトレルに害が及ぶのならば困る。
父様に以前聞いたことがあるが、知らなかったのだ。
そんな言葉など聞いたことないと――
じゃあ、あれは母だけが知っている言葉、だから母が必要。
頬に飛んだ血を右手で拭い、開けたところにある廃墟に目をとめた。
――ここだ。
見張りは七人、フェルニアは地面に血を数滴落として心の中でその姿を作り上げた。
「おい! 何だこれ‼」
「どうし……うわぁぁ」
地面が盛り上がり、荒削りの土人形が姿を現した。土色の目には生気がなく、動きは何処となく緩慢だ。
でも、これでいい……
「土で出来ているんだろ! なら壊せばいいじゃねぇか‼」
暫くすると男の一人が剣を振りかぶって、逃げる男たちを叱咤すると一つの土人形を破壊する。それに勇気をもらった男たちも剣を振って、土人形は全て崩れた、ように見えた。
――ああ、馬鹿な人たち。ただ逃げるだけだったら見逃そうと思っていたのに……これでもう逃げられない。彼らの土でできた剣はこの人たちの剣を打ち砕き、その首を刎ねるだろう。
(立て)
悲鳴と怒号が響いて、やがてすべては無に返る。
血だまりのできた地面を踏みしめると、鉄臭いにおいが鼻を突いた。
血に慣れない人間なら嘔吐する。それほど濃厚な血の匂いを嗅いでもフェルニアは眉ひとつ動かさない。
地面に転がり、動かなくなった人間が殺してはいけなかったのかもしれないとは思いもしない。ただレオンを連れ戻す。これが今回の条件だ。
腐れて取れかけているドアを土人形に開けさせた。
「あなたを迎えに来たの、レオン」
母親が、その部分を意図せず省いて伝えると、父様にそっくりな金色の子供は目を大きく見開いた。
明日は2話続けて投稿します。
時間は午後3時30分です。




