第二章
−殺した・・・−
緋瑠は藤玖が言ったことを飲み込めないでいた。
「殺した・・・?誰が・・・」
聞かないほうが良いと思った。しかし、無意識に聞いてしまう。
「誰がって、俺が」
藤玖は俯いている。故に緋瑠には彼の表情が見えない。それよりも、藤玖が人を、それも自分の親を殺したと云う事が信じられなかった。一見純粋で、無垢なこの青年が人を危めるような邪な心を持っているとは思えないのだ。
「・・・って、言ってた」
心のなかで疑問符を浮かべていた緋瑠は、藤玖の声に現実に戻された。
「え?何?」
「止めてくれって・・・泣きながら叫んでた・・・」
色の白い頬を涙が伝い、藤玖の着物に染みを造っていた。
−止めなさい!藤玖!!−
土に涙が浸み込んでいく
−止めない、人間なんか皆死ねばいい・・・−
母親の断末魔の叫びが頭に響いた。蟀谷が痛い。
−おい!死んでるぞ!!−
お向かいの茂三さん、良く魚をくれたっけ・・・
−一体、誰が・・・−
組んだ腕に顔を伏せ、両の袖をグッと握った。肩の震えが止まらない。
−あの童子が殺ったんだ−違う、違うよ・・・
−何処かへ消えて仕舞え、この・・・・−
如何して・・俺が殺したの?止めて、言わないで・・・・
−人殺し・・・−
「・・・玖!藤玖!!」
名前を呼ぶ声に、藤玖は面を上げた。その頬には幾筋もの涙が流れている。緋瑠は膝を折って彼と目線を合わせた。
「大丈夫か?」
藤玖の肩に手を置く。その瞬間、肩が震えたのが痛々しい程緋瑠に伝わってきた。
「ごめん、嫌な事聞いたなら謝るよ」
緋瑠は藤玖の目を見て言った。濡れ羽色の瞳は涙で潤んでいる。
「おい、何とか言えよ」
藤玖は再び俯いて何も言わない。其の侭暫くの時が過ぎた。その間、雲は頭上を流れ、陽は傾きかけてきていた。
痺れを切らした緋瑠は、藤玖の細い腕を掴んで立たせた。
「ほら、行くぞ」
其の侭藤玖の手を掴むと、今迄いた茂みから細い小路に出た。
酉の方を見れば今にも沈まんとしている夕陽があり、卯の方を見れば山々の間から錆色の望月が顔を出していた。
二人は田中の小路を暫く歩いた。両脇の田は、稲の植え付けが終わったばかりの様で、萌黄色の若い稲が規則正しく列んでいる。時折聞こえる蛙の鳴き声は、決して美しい音ではないが、不思議と道行く二人の心に安静をもたらした。
「何処に行くの?」
小路は曲がりくねっている。もう幾つ目かも分からない曲がり角に差し掛かった時、ずっと黙していた藤玖が口を開いた。
「飯、食いに行くんだよ。考えてみろよ、俺等朝から何も食ってないだろ・・・」
緋瑠が言った。
笹林の角を曲がって見えて来たのは、道がくねって出来た凹みに建てられた小さな定食屋だ。店の前には紅布の掛けられた長椅子があり、隅に大きな朱い傘が立っている。店脇の見事な枝垂れ桜が、其の枝を風に遊ばせていた。
「すみませーん!」
緋瑠は店の前迄来ると、中を覗いて店の人を呼ばわった。藤玖は黙って店や桜を見上げている。
「はーい」
店の中から声がした。緋瑠が藤玖の方を振り返る。
「一応言っとくけど、あんまり豪勢な物は食えねぇよ?」
銭の入った巾着をチャリチャリと振って見せた。其を見るや、藤玖は履いていた底の厚い下駄を片方だけ脱いだ。緋瑠は顔を顰める。
「何してんの、お前」
藤玖は脱いだ下駄を両の手に持って、何やら底を弄っている。するとパカッと音を起てて底板が外れた。緋瑠は目を見張った。底には金の小判がぎっちりと詰まっている。
「大丈夫」
藤玖は緋瑠を見上げて言った。其の瞳に涙が消えていた事に、緋瑠は少なからず安堵した。
「お、緋瑠じゃん!久しぶり!」
そう言いながら店から出て来たのは、二十代程と思われる男だった。黒い髪を肩辺りで結んでいる。鋭い切れ長の眼は縹色だ。
「立ち話も何だし、上がりなよ」
男に促されて、二人は店の中へ入った。
「いやあ、本当に久しぶりだなぁ」
店の中は明るい。先程の男と緋瑠は話に花を咲かせている。其の間藤玖は黙って汁粉を啜っていた。
「今日は泊まっていくんだろ?」
男が問うた。
「あぁ」
緋瑠が答える。
「んじゃ、部屋を用意しておくよ。あれ?そうだ・・・その子は?」
男の目が藤玖に向けられた。
「あぁ、そいつは藤玖って言うんだ。昨日会ったばっかりだけど・・・」
緋瑠が説明する。
「へぇ・・・」
−この子が・・・−
男は更に藤玖の顔を覗き込んだ。藤玖は訳が分からないと言った感じで見つめ返している。
「藤玖、此の人は鷹だよ」緋瑠が藤玖にも説明する。鷹が藤玖を見て微笑んだ。
「鷹蓮爍(ヨウ=レンシャク)だよ。知らない・・・よね?」
「うん」
藤玖が頷いた。其を見て鷹は又微笑んだ。
「じゃ、鷹って呼んでね」
暫く会話を交わした後、緋瑠と藤玖は泊まる部屋に案内された。6畳程の小部屋には布団が二組敷かれていた。
「はぁ、何だか疲れたなぁ・・・」
そう言って緋瑠が布団に突っ伏した。藤玖も黙って布団に横になる。部屋の明かりは燈台の灯のみ。二人は灯を見つめながら暫しの会話をしていた。
「それにしても、下駄の底から金が出て来た時は相当びびったよ。何故あんな処に仕舞ってんの?」
緋瑠が問う。
「えっと・・・盗賊とか掏りに遭った時にさ、袋とか服は探られても下駄は探られないでしょ?」
藤玖が答えた。
「でもお前、川とかで下駄流されちゃったら如何するんだよ?」
更に問う。
「其の時は・・・」
藤玖が考えながら答える。
「其の時は?」
先を促す。
「・・・困る」
「・・・お前、もう寝ろ」
緋瑠が溜息混じりに言った。
「待って、困ってそれで・・・」
緋瑠の剣幕に気付いたのか、慌てた口調で続けた。
「それで?(続きがあるのかよ)」
「川に飛び込んで・・・」
「先ず、溺れるわな・・・」
何故だろう、恐ろしいほどに想像が付く。
「うん・・・溺れて、それで・・・」
「・・・・・・(否定しないのか)」
「死んじゃう・・・」
「死ぬのかよっ!!」
思わず叫んで仕舞った。
「うん・・・はっ!如何しようか、緋瑠!!?」
藤玖は自分で言った事に狼狽えている。
「そうだな、一回しか言わないから良く聞けよ?」
「うん」
「寝ろ」
−−−
時は丑の刻を回った。緋瑠の隣では、藤玖が寝息を起てている。緋瑠も目を閉じようとしたその時−−・・・
−緋瑠、起きているね?−脳裏に鷹の声が響いた。緋瑠も其に応じる。
−“伝心術”ですか・・・何か藤玖に聞かれては不味い様な事でも?−
横目に藤玖を見遣る。相も変わらず気持ち良さそうに寝息を起てていた。
−・・・察しの良い処は変わらないね。明かりを持って私の部屋に来なさい−
−承知しました−
緋瑠は藤玖の目が覚めないよう、そっと身体を起こし、手燭の蝋に火を燈した。持ち手を掴むと、すっと立ち上がり襖の把手に手を掛ける。音を起てずに開け狭い廊下に出た。
先程錆色だった望月も天高く昇った今は銀色の光を放っている。
もう一度部屋の中を振り返り、藤玖が寝ている事を確認すると、静かに襖を閉め廊下を歩き始めた。
鷹の部屋の前着くと、手に持っていた明かりに気付いたのか、声を掛ける前に襖が開いた。
「入りなさい」
中から声がする。緋瑠は黙って部屋に入った。
そこは書斎の様な部屋で、沢山の書き物が置かれた低い机が在り、その前に敷かれた薄い座布団に鷹は腰を下ろしていた。彼の向かいには同じ様な座布団がもう一枚敷かれている。
「失礼します」
と言って緋瑠は其に座った。
「・・・・・何が可笑しいんですか?」
鷹がずっと吹出しそうに成るのを堪えている事に気付いた。
「いや、ごめん、何と言うか・・・君が敬語を遣うのに慣れてなくてね。普段タメ語な分、余計にね」
鷹が未だに堪えながらの様子で答える。
「師弟の関係が漏れぬようにと、他人の面前では敬語を遣わず、タメ同然であるように振る舞うよう指示なさったのは貴方ですよ・・・師匠」
緋瑠の言葉に、鷹は
「そうだったねぇ」
と呟きながら頷いた。
「さて、本題に入ろうか」
鷹がパンッと手を叩いて言った。
「しかし、驚いたよ。まさかお前があの子を連れて此処に来るとはね・・・」
鷹が話始める。
「驚いたのは俺の方ですよ。師匠、藤玖を知ってるんですね」
緋瑠が言うと、鷹は口許に笑みを浮かべて言った。
「知っているのは私だけではない」
「・・・どう言う事ですか?」
「未だ私もはっきりとした事は分からない」
燈台の灯を見つめながら鷹が言う。
「緋瑠、お前はあの子に何か聞いてないか?」
緋瑠は鷹の鋭い視線を感じながら頭を巡らせた。
「あ、自分の親を殺したと、でも・・・」
「でも?」
「藤玖から言い出すまでは、その事については聞かないようにしようと思っています」
緋瑠が鷹の瞳を見て言うと、鷹は柔らかく微笑んだ。
「なら、其で良いよ。」
そう言って机の上から幾らか書類を掘り出し、緋瑠に向き直った。
「では、私が知っている事を話そう」
鷹が手に持った書類をめくりながら、静かな声で話し始めた。
「先ず、私の同胞の情報からだ。其に拠れば、ある上級妖士が五条大橋にて滅っした強力な妖の懐から一枚の紙切れが出て来たそうだ」
「紙切れ・・・」
「そう、それは訳の解らぬ言葉の羅列だった。しかし、それを見た我が同胞は一つの名前らしき言葉を読み取った。それが、此だ」
鷹は書類の一つを緋瑠に差し出し、ある一点を指差した。
「・・・『藤玖』!!?」
緋瑠は思わず声をあげた。
「その通り。恐らく、その妖はその紙切れを届ける処、もしくは受け取ったかだろう」
「届けるって誰に・・・」
緋瑠が放心したように呟く。鷹も溜息をついた。
「其が分からないんだよ。だが、妖が組織立って行動するのは遠い昔より邪事の前触れだ。既に上役にも報せが行っている。邪事の前兆を掴んだのなら、妖を滅っする者の誇りに賭けて防がなくてはならん」
重々しい沈黙が流れた。風の音が妙に大きく聞こえる。
「さて、次に私が手に入れた情報だが・・・」
再び鷹が口を開いた。緋瑠もそちらに顔を向ける。
「先程お前が言っていた事、私も実は同胞から少し聞いていてね、気になって調べに行ったんだよ、藤玖の住んでいた佐保の村にね。」
緋瑠は唾を飲み込んで続く言葉を待った。聞かないようにすると決めたが、やはり気になる。
「詳細までは掴め無かった。何と言っても、其の事件が起きたのは六とせも前、彼が丁度十歳の時だからね、忘れている人も少なく無かった」
鷹はそこまで言って息をつくと、また手元の書類をめくりだした。
「でも、村一番の世間話好きの婆さんは覚えていたよ。一刻に渡るであろう話の中から関連が有りそうなのは・・・これだ」
鷹が書類の一点に目を止めて言った、
「両親を殺した後、家から出て来た彼はこう呟いていたそうだ『先手は打った』と」
「先手は・・・打った?」
「どう言う意味か解るか?」
緋瑠は黙って首を横に振った。
「そうか・・・・此も未だ詳しく検討する必要があるな」
又沈黙。しかし、此の沈黙を破ったのは言の葉ではなかった。別の部屋から物音がしたのだ。
「藤玖!?」
緋瑠は咄嗟に呟いた。
「緋瑠、部屋に戻りなさい」
「師匠・・・?」
「早く!話しなら明日でも出来る」
鷹の強い語気に、緋瑠は立ち上がり手燭を持つと一礼して部屋を出た。冷たい廊下を走る。元居た部屋の前に着き、襖を開けた。
「!!?」
室内には空の布団が二組。緋瑠は部屋の反対側の襖が少し開いているのに気付き、駆け寄って勢いよく開いた。
「藤玖!?」
藤玖は下駄を履いて庭に立っていた。緋瑠が自分の下駄を引っ掛けてつつ藤玖の側に行くと、ゆっくりと彼の方に首を動かした。
「藤・・・っ!!?」
藤玖に声を掛けようとしたその時、弓弦の音が闇に響いた。
「伏せろ!!」
緋瑠はそう叫んで藤玖の身を庇い地に伏せさせる。放たれた矢は二人の脇の柱に突き刺さった。
緋瑠は立ち上がった藤玖を部屋の中に突き飛ばし、後ろ手に襖を閉め、刀を抜いて闇に目を凝らした。静寂が流れる。
−緋瑠!−
脳裏に響く師の声。
−今すぐ藤玖を連れて、裏から逃げろ!!−
考えている暇はない。
襖を開け座り込んでいる藤玖の手をとると、裏戸から闇の中に走り出た。
第二章完